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いつもの窓際の、通りが見渡せる席に座って。
俺がチョコバナナプディングと格闘してんのを、吾郎は紅茶を啜りながら眺めてて。
粗方食い終わった俺のほっぺに、吾郎がおもむろにナフキンを伸ばして来る。
んで、ほっぺを拭いながら
「美味しかった?まだ、何か食べる?」
とか聞いて来て。
「あ、でも、あんまり食べると夕飯、食べらんなくなったりしたら、マズイかな。拓哉兄貴に
また、叱られちゃうよね」
ジュースの入ったコップを俺の手の届く位置に置き直してくれながら。
「でさ、さっきの話だけどさ、何を誰から聞いたの?」
吾郎が小首を傾げて俺を覗き込んで来る。
「剛。吾郎の部屋の声、聞こえんだって言ってた」
「俺の部屋の声?剛は何を聞いたって言ってたの?」
吾郎の質問に俺は頭ん中で、今朝聞いたばっかの剛の話を思い出していた。
「べっつに。大した事じゃねぇよ。拓哉兄貴が持って来たエッチビデオ、二人で見てて。
吾郎が拓哉兄貴の事、押し倒そうとした」
「・・・・・って・・・それ、剛が言ったの?」
「ん」
「まーくん、もしかして、結構、意味、分かってる、とか言う?」
「あ?」
吾郎の質問に、薄っすく顔が赤くなる気ぃして。
「ったく、剛のヤツ、何考えてんだろね、まーくんにそんな話、聞かせるとかさ」
普段、あんまり兄弟の前で見せる事のねぇ、冷てぇ目を瞼の下に隠して。
「それにしても・・・・俺と拓哉兄貴って、別にそんな大声で話してた訳でもないのに、
何で、そんなの聞こえたりしたんだろ・・・・そんなに壁、薄いのかな?」
吾郎はティーカップの中の液体をかき混ぜながら、首を傾げている。
・・・・んなもんよぉ・・・・聞き耳立ててんに決まってんべ?
とは思ったけど。
三番目の兄貴の剛は、吾郎の3つ下、現役高校2年で、とにかく、吾郎崇拝者で。
崇拝者っつーと聞こえはいいけど、一歩、間違えばストーカー紛いの危ない精神構造の
持ち主にも感じられなくもねぇけど。
兄弟のくせして、そんな剛は吾郎の日常に興味深々っぽくて。
口を開けば、何かっちゃあ「吾郎さん」だしな。
吾郎さんが何した。
吾郎さんがどう言った。
吾郎さんが・・・・
吾郎さんが・・・・
吾郎さんが・・・・
明けても暮れても、って、この事言うんだよな、って。妙にそんな事、実感までさせられて。
吾郎の何がそんなに剛を魅了してんのか、俺にはとにかく疑問だけどよ。
ま、そーなんだからしゃーねぇけど。
んで、他に話相手がいねぇのか・・・・
新たに仕入れた『吾郎さん』に関する情報を、どういう訳かいつも、逐一、俺に報告して
くれたりだとかしやがる。
俺としちゃあ、別に吾郎の事になんか、てんで、興味なんかねぇんだけども、ちょっと
吾郎の弱みとか握れるといいな、とか。
何かの時にそれが役に立つ時もあんじゃねぇか、とか思ったりなんかもして。
ついつい、聞いちまったりしちまうんだけど。
「ほんとにそんなに声、聞こえんのかな?ちょっと調べてみたいな。まーくん、手伝って
くれるよね?」
ほとんど独り言みてぇに呟いてた吾郎が、不意に俺に目を合わせて来る。
「・・・・は?」
「まーくん、手伝ってね?」
にこり、と。
天使のような笑顔で、ちょっと首を傾げて。
「って。何で?何で俺がんな事、手伝わされなきゃなんねぇんだよ?!」
「チョコバナナ、食べたでしょ?」
その笑顔が悪魔のそれに見える気がすんのは、ぜってぇ、俺の気のせいじゃねぇはず。
「え?」
「俺の奢り」
既に勝利を確信したように、口元を優雅に綻ばせて。
「あ?」
「何もそんな難しい事しろって言う訳じゃないから」
念を押すように、そんなセリフを付け加える。
「きったねぇ!!きったねぇぞっ!!おめぇっ!!食いモンで釣りやがって!!」
「頭はね、使うためにあるんだよ?」
コンチクショー!!5歳児相手に本気になりやがって!!
「卑怯者!!」
声を限りに喚く俺を吾郎はいたく楽しげに見詰めていた。
そんなこんなで完全に言いくるめられて。
晩飯食って、拓哉兄貴と風呂入って、風呂上りにスポーツ飲料飲んでる所に、丁度、
計ったように吾郎が通り掛り。
「あ、まーくん、お風呂上がったんだ?じゃあ、ちょっといい?」
にこにこと。
弟の俺から見たってかぁいいって思えるぐれぇの上質な笑顔で俺を呼ぶ吾郎に、隣で
ビールを煽っていた拓哉兄貴が顔を上げて。
拓哉兄貴が口を開く前に吾郎が先手を打つ。
「拓哉兄貴、ちょっと、まーくん、借りるね?」
「あ?」
「行こ。まーくん。おいで」
「って?おい?んだよ。珍しくね?お前が自分の役割分担以外でわざわざマー坊に、とかよ」
「うん。ちょっとね。たまにはいいでしょ」
「あ?あぁ、まぁ、別に」
「それじゃ」
簡単に俺の手を握って階段を登ってく吾郎の姿を、拓哉兄貴の視線が追っ掛けて来んのを
感じる。
俺は飲みかけのスポーツ飲料の入ったコップが揺れねぇように、細心の注意を払いながら、
吾郎に手を引かれて、階段をゆっくり上った。
「で?俺に何やらせようって?」
「剛の部屋行って、適当に何か喋って来てよ」
「は?」
「どれぐらい聞こえるか知りたいじゃん。場合によってはね、それなりの対策を講じないと
いけなくなるかも知れないし」
今更ながら、マズった、って思った。
こんなヤツにあんなつまんねぇ事、聞かすんじゃなかったって。
「何か喋るって、いきなしそんなの無理に決まってんだろ」
「じゃ、絵本読んでもらう、とか」
「ハズイ。俺がんなガキみぇな事するわきゃねぇだろ」
「こないだ、熱出した時、俺、読んであげたじゃん、絵本」
ヤな事、思い出させやがって。
あん時はな・・・
あん時は・・・・しょーがなかったんだよ。
大体、おめぇが、俺がたかが熱出したぐれぇの事で、取り返しのつかない事しでかした、
みてぇにとんでもなく落ち込んだりすっから、しょーがなく。
しょーがなく付き合ってやったんだ、おめぇによ。
よ、読んで欲しかった、とか言うんじゃねぇからな。
う、嬉しかった、とか、んな事、ぜってぇ、思ったりだとかしてねぇんだからな!!
「とにかく。どの程度の音量だと会話の内容までが聞き取れるのか知りたいんだよ」
きらり、と。
黒目がちな瞳に静かに強く光が浮いて。
それはちょっとだけ、マジになってる時の拓哉兄貴の目に似てて。
やっぱ、兄弟なんだな、って。
妙なとこでそんな事を実感させられる。
そこへ。
ドンドンドン!!とけたたましいノックの音が響いて。
「つよぽん!!ちょっと英語の辞書、貸してよ!!」
その大振りな体格にふさわしい大きな声と態度の、4番目の兄貴、慎吾が剛の部屋に
やって来た。
因みに慎吾は剛の1コ下の高1で俺より丁度、10コ上。
「嫌だよ、慎吾、絶対に返さないもん。この前、貸したCD、いい加減、返せよ!!
俺、この前、聴こうと思ってさ、お前に貸してる事忘れて必死で探しちゃったじゃないかよ?!」
「って。探したのはつよぽんの勝手じゃない?」
「慎吾?!」
「あ、ウソウソ。ごめん。返す。返すよ」
「今、持って来いよ!」
「え?あ、それはちょっと・・・・」
「ちょっと何だよ?」
「ちょっと・・・・無理?」
「無理って何だよ?まさか失くしちゃったんじゃないだろうな?!」
「な、失くしてなんか。・・・あっ!吾郎ちゃん!吾郎ちゃんに貸した!何かね、彼女が
聴きたがってたとか言って。そんで今は吾郎ちゃんの彼女んとこにあんの」
余りにも、たった今、思いつきましたっ!!みてぇな口から出まかせをかます慎吾のセリフ、
聞き流しながら。
そっと。
恐々吾郎の顔を盗み見る。
無表情、だけど。
こいつの無表情ん時はかなり本気で腹立ててんだ、って事ぐれぇは知ってる、俺も。
「・・・・・慎吾のヤツ・・・つまんない嘘、つきやがって・・・覚えてろよ」
吾郎にしては珍しくやさぐれた物言いの、低く漏れた声は、いつだったか拓哉兄貴が
酔っ払った勢いで、まるで、オンナ口説く時みてぇな色っぺぇ眼差しで、吾郎の耳元に
「お前の声って、こう・・・・天使に耳元で囁かれてるみてぇなよ・・・エンジェルボイス
だよな」
って囁いた、そんなおったまげるような、ぶっ飛ぶようなネーミングされる程度には
甘くて柔らけぇはずのいつもの声音からは想像出来ねぇほどに低く冷たく、辺りの空気を
不穏に揺らした。
「そんな事より辞書!辞書、貸してよっ!!」
「嫌だね!吾郎さんに貸してもらえよ!あっ!丁度いいからそのついでにCD返して
もらうように言って来て」
「ふん!つよぽんのケチっ!!バーカっ!!」
バタンっっっ!!と物凄い音が響いて。
思わず反射的に両手で耳を塞いだら、隣で吾郎もおんなし格好してた。
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