|
2時半。
いつものようにお迎えに来た吾郎は、教室から出て来た俺に軽く片手を上げて合図を寄越して。
すかさず、教室ん中のせんせぇにも思わせ振りな笑顔つきの会釈を忘れねぇ。
「まーくん、また、明日ね」
にこにこと。完全にご父兄向けの笑顔で俺に手を振るせんせぇは、吾郎を意識してるっぽい
のがありありで。
「まーくん、バイバーイ!」
「まーくん、またねぇ!!」
おんなじ組の女どもにも見送られて
「おぅ・・・」
とか、一応は返事も返してやって。
「まーくんてば、シャイだよねぇ。笑顔して、手、振り返してあげれば、女の子喜ぶのにさ」
吾郎のすぐそばまで走り寄った俺に、吾郎は苦笑を浮かべる。
「おめぇと一緒にすんなよな!!大体、おめぇ見て育ったせいで、あんな風にはなんねぇぞ
って、思っちまってんだよ、俺ぁ」
「人のせいにするのは良くないよ、まーくん」
にこり、と。
涼しげに微笑む吾郎の、けど、人を見下したっぽい温度のない笑みが、ちょっとムカツク。
「行こうか」
けど、そうして、そんな風に俺がむかついてる事なんか、全然、気ぃついてません、て顔で、
ふっつーにそう切り替えして来る吾郎に、いっつもはぐらかされてる気ぃすんだけど。
で、歩き出そうとしたら。
「ねぇねぇ、吾郎くん。今度の土曜、カラオケ行かない?」
とか。
一応はママなんだろうけど、どう見たってママには見えねぇぞ、なヤンママが吾郎を呼び
止める。
「あ、マリコさん・・・・」
・・・って。名前呼びかよ?
どーゆー関係だよ?
「毎日、子育てに追われてるとストレス溜まってしょうがないじゃない?だからね、たまには
パァッと遊びに行きたいわねぇ、って話しててね」
隣からまた、違うヤンママが口を挟んで来る。
「土曜日だったら次の日、幼稚園もお休みだし、たまには旦那に子供見ててもらってぇ、
ねぇ、吾郎くんも一緒に行きましょうよぉ」
語尾に音符でもついてんじゃねぇかって感じの・・・・
きまぐれな猫が飼い主のご機嫌を取る時に擦り寄って来る時の感じにも似た・・・・
そうして、あっと言う間に出来上がる吾郎を取り巻く女のカーテン。
「えーっと。お誘いはとっても嬉しいんですけど、土曜日はちょっと先約があって」
ほわほわとした頼りなさげな声音で、ほんの少しだけ申し訳なさを滲ませた吾郎の声が
カーテン越しに聞こえて来る。
「先約ってもしかして、彼女とデート、とかぁ?」
「えーーー?そうなのぉ?彼女とか居るんだぁ?」
「当たり前よねぇ。こぉんな可愛い子、女の子が放っておくはずがないものねぇ」
「あーあ、私も結婚なんかしてなきゃねぇ、彼女に立候補しちゃうんだけどなぁ」
「その前に年齢もなんとかしなきゃなんないんじゃないの?」
「あら?年上の女もいいものよ?大人の女の魅力?」
「相手にされてから言って欲しいわよ」
キャイキャイと耳障りな甲高い声が響いて。
「折角、誘ってもらったのに、すみません。また、誘って下さい」
吾郎のほんの少し余所行きの声が聞こえて、すぐ。
「おいで、まーくん。帰ろう」
女のカーテンをかいくぐって俺の前に姿を現した吾郎が俺の手をぎゅっと握った。
でれでれとしまりのない顔してんだろう、って想像してた吾郎の顔は、俺の予想を裏切って
ほとんど無表情で。
意外なほど真っ直ぐ前に向けられた視線は、あんまりお目に掛かる事のない硬いものだった。
いつものように自転車の後ろに飛び乗って。
暫く黙ってペダルを漕いでいた吾郎は、珍しくちょっと低い声で喋り出した。
「さっきの彼女達が言った事・・・気にしちゃダメだよ?」
「あん?おめぇに彼女が居るとか居ねぇとか言う話かよ?」
「じゃなくて」
「んだよ?何だよ、一体」
「その前」
「その前ぇ?」
・・・・んだよ、何かあったっけか?その前って・・・・
オンナに愛想してやれって話の事か?
吾郎の腰に捕まったまま首を捻ってると。
「俺も・・・多分、拓哉兄貴もさ、ストレスとかさ、そういうの、感じてる訳じゃないからさ。
彼女達も別に悪気ないと思うんだけど・・・・でも、子供の前でさ、あぁいう事言ったり
だとかするのはさ、ちょっと頂けないよね」
・・・・・あぁ、何だ。ソレか。
バッカだよなぁ、吾郎のヤツ。俺が親達がそういうの聞いてショック受けてんじゃねぇか、
とか思ったんかな?
んなの・・・・親だって人間だべ?腹立つ時だってあっし、ヤんなる時だってあんだろうし、
だからって子供が嫌いになるか、って、んな事ねぇ訳だし。
あ・・・・・や、まぁよ、最近は色んな親もいっけどよ・・・・
けど、一般的に大体は・・・・
だからよ、別にたまにはよ、ストレス発散すんだ、とか、そーゆー話、全然、OKだと
思ぉけど、俺は。
親だって人間なんだからよ、完璧なんか求めちゃなんね、って思ってっし、そういう人間
として当たり前の感情、持ってる親でなきゃ、何か怖ぇべ?
吾郎にしたって、拓哉兄貴にしたって、ほんとは自分のやりてぇ事とか後回しんして、
やんなきゃなんねぇ事、やってくれてんだ、って、分かってっし。
・・・・けど、そーゆー事に気ぃ回っちまって、わざわざ、俺にフォロー入れてくれよう
とかする吾郎ってよ、何か、吾郎だよなぁ、って。
それでか。
珍しくオンナに囲まれてたのに、嬉しそうな顔、してなかったんは。
漸く、俺はその疑問を納得して。
ここで素直に「そんなの気にしてねぇよ?」なんて可愛げのある事とか、言うガラじゃ
ねぇから、俺は。
だから、わざと、それとは全然、別の話で返してやる。
「おめぇってほんと、女好きな?」
「え?そうかな?普通だと思うけど?」
って。吾郎のヤツも突然、話変わっても、ふっつーに返してきやがるし。
「あれで普通だって思ってるおめぇの感覚が既に普通じゃねぇよ。第一、よそんちの母親、
名前で呼ぶとかよ、おっかしいべ?」
そんな風に振ったら。
吾郎がゆっくりと俺を振り返って、眼差しの中にやんわりとした笑みを浮かべた。
そうして、一瞬だけ俺の目を捉えた後、また、すぐ前に向き直って。
「誰々ちゃんのママ、とかね、誰々さんの奥さん、とかさ。そりゃ、確かにそうなんだけど、
そんな風に呼ばれる事を彼女達は決して、喜んでる訳じゃないんだよね。誰だってさ、
自分が誰かの何々、って呼ばれ方するの、あんまり嬉しくないと思うよ?まーくんだってさ、
まーくん、じゃなくて、吾郎ちゃんの弟、とか呼ばれるのヤでしょ?」
自分で自分の事を吾郎ちゃんって呼んで例えるのはどうか、とは思ったけど。
でも、確かに吾郎の言う事は分かる気はした。
「だからね、名前で呼ぶようにしてんの」
「・・・・苗字じゃダメなのかよ?」
「え?」
一声だけ上げた吾郎が、黙り込んでペダルを漕ぐ足の回転をほんの少しだけ早くする。
・・・・・ふん。やっぱ、下の名前で呼んでんのは、おめぇの趣味じゃねぇかよっ?!
「若い男が珍しいからってチヤホヤされてやがるけど、あの母ちゃん達とか、せんせぇとかも、
おめぇがエロ小説書いてる、とか知ったら驚くべ?」
ぴくり・・・と吾郎の背中が一瞬、引き攣るように震えて。
けど、吾郎はそんな事なんかおくびにも出さずに。
「まーくんてば、ほんとマセてるよねぇ。エロ小説なんて言葉、どこで覚えんの?」
「慎吾がゆってた」
「・・・・・ふぅん」
一瞬だけ間をおいて、吾郎が思惑ありげな声を漏らす。
「せめて、官能小説、ぐらい言って欲しいけどね。今度、慎吾にちゃんと教えとかなきゃ
なんないね?」
いつもと同じ調子の吾郎の声は、うっかり聞いてると、案外楽しげに聞こえなくもねぇけど。
その底には、薄っすらとした不機嫌が漂っている。
「ま、でも、別にそれが本業って訳じゃないからさ。あれはあくまで趣味って言うか、
遊びの延長って言うかね。本職はあくまで、れっきとした小説家だし。けど、もし、まーくんが
その事、言いたいんだったら、幼稚園の先生だとか、お友達のママ達に言っちゃっても、
俺は全然、構わないよ?大人たちがまーくんの言う事、冗談だって笑い飛ばさずに信じて
くれるんだとしたらね?そして、それよりも何よりもまーくんがそんな話、人に出来るん
だとしたら、の話だけどね」
前を向いたまま、ペダルを漕ぎ続ける吾郎の声は、さっきとは違って、今度はほんとに
楽しそうな雰囲気を漂わせている。
折角、吾郎をやり込めてやったつもりが、逆にやり込められた気ぃして、それがはっきり、
面白くねぇ。
「はぁん。趣味、ねぇ。じゃ、あぁいう事すんのも趣味な訳だ?」
思いっきり含みを持たせた声音で、ちょっと伸び上がって吾郎の耳元に低くそう届ける。
「あぁいう事って?」
興味のありそうな、なさそうな、そんな声で吾郎はしれっと聞いて来る。
「昨日の夜。拓哉兄貴と随分、おんもしれぇ事、してたらしいじゃん?」
「・・・・・昨夜、拓哉兄貴と?・・・・それって・・・まさか・・・もしかしてあの事、
とか言わないよねぇ・・・・」
ぼんやりと口の中で呟く吾郎の声が俺の耳にも届いて。
「二人してエッチビデオ見ながらぁ・・・・」
そう言い掛けた途端、吾郎が急ブレーキを掛けて、自転車を道の端っこに止めると、
おもむろに俺を振り返って。
「まーくん。帰りにちょっと寄り道してこっか?まーくん、ブラッサムのチョコバナナ
プディング、好きだったよね?」
ブラッサムっつーのは、吾郎のお気に入りの紅茶専門の店で。
紅茶の他にお茶うけにケーキとかデザートなんかも置いてあって。
そこのチョコバナナプディングがマジで美味ぇんだよな。
初めて食ったのは、まだ、ほんとのチビん時だった気ぃすっけど。
そん時も確か、吾郎のチャリの後ろに乗っけてもらって、連れて来てもらった気ぃすんだよな。
この世の中にこんなに美味ぇ食いモンがあんのかって、本気で真剣、感動しちまって、
それからすっかり、その味の虜になっちまってて。
にこにこと。
他意のない綺麗な笑顔で、そんな風に誘い掛けられて、うっかり「うん」なんて簡単に
頷いちまいそうになる俺がいっけど。
「んな、無駄遣いしたら、また、拓哉兄貴に怒鳴られんぞ?!大体、おめぇの経済観念の
なさっつったらよ。マジで後先の考えなしに、ぱーぱーと何でもかんでも買いやがって。
拓哉兄貴が泣いてたぞ。おめぇにだけは家計管理、任せらんねぇって」
「まーくんてばさ、随分、難しい言葉、知ってるんだね?経済観念だとか、家計管理だとか」
褒めてるっつーよりはちょっと呆れた雰囲気も感じらんねぇ事ねぇような吾郎の苦笑に
少しむっとしながら。
「拓哉兄貴が言ってたんだよ」
「意味、分かってる?」
「要するに、考えなしにぱーぱー金、使うなって事だろ?」
「・・・・いや・・・・厳密に言えばそれは違うけど・・・・まぁ、いいけどさ。けど、
今回は大丈夫だよ。ちゃんと俺のポケットマネーからだから。家計には一切、響かないよ」
それを聞いて俺はほっと胸を撫で下ろして。
「ほんとだろうな?ほんとにおめぇの奢りなんだろぉな?」
そんな確認をしつこくやりながら。
「うん。チョコバナナ食べながら、まーくんが今、言い掛けてたちょっと面白そうな話、
聞かせてよ」
「・・・・あ?んな、別に大した話じゃねぇべ?」
・・・・自分がやった事なんだから、身に覚えぐれぇあんだろぉし。何で、わざわざ
んな話、聞きたがんだろ?
とは思ったけど。
チョコバナナの誘惑は途方もなくでっけくて。
俺はややこしく考え込むのはやめて、素直に吾郎の言うまま、ブラッサムについて行った。
|