|
「ちげーだろっ?!」
思わずあげた声が荒れた。
「ちげーじゃん?!俺が悪ぃのに、何で吾郎が悪者になってんだよっ?!俺が我が儘な
だけで、吾郎はなぁんも間違っててねぇのに、何で吾郎が謝ったりだとかすんだよ?!
吾郎がそんな風に一生懸命俺の事、考えてくれてる、とかも知んねぇで、平気で弁当とかも
残して来たりだとかして・・・・母ちゃん達が死んで、すっげー大変なのに、俺みてぇな
お荷物抱えて・・・・・吾郎、笑わなくなったのだって俺のせいじゃん!!」
自分でももう、何が何だか分かんねぇ。
今、自分が何、喚いてんのかも分かんなくて。
心臓が痛くて、壊れそうだった。
「まーくん?!何で?!何の事?!まーくんのせいで俺が笑わなくなったとか。何、それ?!」
取り乱して引っくり返った吾郎の声が、至近距離から鼓膜に突き刺さる。
「・・・・悪ぃ・・・もしかして、俺のせい?」
遠慮がちに低い拓哉兄貴の声が耳を掠めた。
「拓哉兄貴?!まーくんに何か言ったの?!何、言ったんだよっ?!」
意外な事に吾郎が凄い勢いで拓哉兄貴に食ってかかる。
「・・・・・・俺がまー坊を引き取るって勝手に決めちまった事、吾郎は気に入らなかった
みてぇだった、って」
滅多に聞く事のねぇ、拓哉兄貴の躊躇いがちな弱い声が耳に届く。
「何でそんな事っ?!」
一声あげて、吾郎が絶句する気配が伝わって来る。
思い掛けない展開にそこに居るはず剛も慎吾も、ただ、息を潜めて事の成り行きを見守る
しかねぇみてぇに、うんともすんとも声を上げなくて。
重い沈黙が周囲を息苦しく埋める。
「・・・・・確かに・・・反対したさ。無謀だと思ったから・・・・でも、その事と・・・
俺が笑えなくなった事とは何の関係性もないのに・・・・・」
沈黙を破ったのは低い低い吾郎の声。
「悪ぃ・・・・俺の言い方が悪かったんだよ。断片的にそんなセリフだけをまー坊に聞かせ
ちまったから」
「そうだよ。大体、配慮がなさ過ぎるでしょ?!そんな風に言われてさ、まー坊が傷つく
とか考えない訳?!それが例え、その時の事実だったんだとしても、まー坊にそんな事を
知らせる必然性なんかどこにもないはずなのに!!教えられなきゃ知る事だってなかった
のに?!」
今にも掴みかからんばかりの勢いで、吾郎が拓哉兄貴を責める。
俺にとって珍し過ぎるほど珍しいその光景は、けど、他の兄弟達にはさほどでもなかった
みてぇで。
剛や慎吾が口を挟んで来る事は、相変わらずなかった。
「ねぇ、まーくん?俺が笑えなくなった事と、まーくんを自分達で育てるって決めた事とは
ほんとに何の関係もないよ?俺が笑えなくなったのは、ほんとに純粋にママが他界して
寂しかっただけなんだからさ。その事を自分の中に受け入れる事が出来なくて、ずっと
現実逃避してただけなんだから・・・・」
しーんと静まり返った空間のそこに、吾郎の声だけが静かに満ちる。
「きっと、今は悪い夢を見てるんだって・・・・目が覚めたらきっと、そこにはちゃんと
ママが居て・・・・・前みたいな生活に戻れるんだって、ずっと、ずっと、そう信じて
・・・・・」
そんなセリフを吐く吾郎は凄く苦しそうで。
そん時の吾郎の痛みや悲しみまでがこっちに伝染しそうなほど・・・・・
「でもさ・・・・そうして、俺が現実逃避してる間もね、まーくんがさ、少しずつ成長
してくんだよ。昨日まで出来なかった事が出来るようになったりね、昨日まで言えなかった
言葉が言えるようになったりだとか・・・・毎日、毎日、ほんとのちょっとずつ、でも、
確実に前に向かってまーくんは進んでてさ」
酷く辛そうだった吾郎の表情にほんの少しだけ柔らかさが戻り掛ける。
「俺、割りとまーくんと一緒に居る時間、長かったから、そういうまーくんを見てる時間も
多分、他のみんなよりも長かっただろうと思うけど。そのうち段々、現実逃避してる自分が
恥ずかしくなって来て・・・・」
微かだけど、ほんの少しだけ、吾郎の硬かった表情の中に笑みが混じり始めて。
「どんなに待ってても、夢見ててももう、ママの居る毎日が帰って来る事はないんだ、
って・・・・・どんなに後ろを振り向いてても、時間が逆行するなんて事、どんなに
望んでも叶う事じゃなくて、ただ、前に向かってだけ進んで行くものなんだ、って。人間は
そんな流れの中で前向いて進んで行くしかないんだって・・・・・まーくん見てて気付いた
んだよ、俺」
・・・・・・・・・・・・・
「まーくん、覚えててくれたでしょ?初めて一緒にブラッサム行った日の事。ガーベラが
飾られてあった日の事」
やんわりと投げ掛けられた吾郎の声が、すげー優しくて。
「俺、あの日、ママが死んだ事、初めて受け入れられたんだよ・・・って言うか、受け入れ
られるようになろう、って思った日だったんだ」
俺に何かを伝えよう、って一生懸命さが胸に響いて来る感じで。
「俺が笑えるようになったのは、まーくんのお陰なんだよ?」
にっこり、と。
綺麗な笑顔で俺を覗き込む吾郎に
「・・・・・嘘だ・・・!」
俺はちっちゃく、けど、はっきりと呟いた。
「え?」
吾郎の顔に驚きが浮かぶ。
「そんなの嘘だ。だって・・・だって・・・おめぇ・・・ずっと、俺らの前で笑わなかった
のに・・・・彼女には笑顔、見せてたじゃねぇか!」
吾郎が吾郎の優しさで、嘘も方便、みたいな雰囲気で、俺を誤魔化そうったって、誤魔化され
ねぇからな・・・・・
「・・・・・え?」
吾郎の驚きが微妙に色を変えて、戸惑いを滲ませる。
「デートで保育園、迎えに来られなかった事、あっただろ?」
「あぁ、まーくんが熱、出しちゃった日ね」
それまでずっとだんまりを決め込んでいた慎吾も口を挟んで来て。
「あん時、女と歩きながら、嬉しそうに笑ってたじゃん。俺、それ見た・・・・あの日、
おめぇ、笑ってたじゃん・・・俺らの前じゃ笑った事なんかなかったのに」
そんなつもりなんかなかったけど、それでも、気付いたら俺は目一杯吾郎を責める口調に
なってて。
吾郎が少しだけ苦しそうに眉間に皺を寄せた。
「・・・・・あぁ、あの時、ねぇ・・・・・」
小さな溜息混じりに声を出して。
「確かに笑顔してた。彼女の手前もあったし。彼女と一緒に居る時はママが居ない現実から
逃げていられたから」
ほんのちょっとだけ浮かんだ笑顔は、けど、何かすげー寂しそうなそれで。
「けど、兄弟の前だとそうは簡単に行かなくて。みんなが居るのに、ママだけが居ない、
って。随分、長いこと、そう感じてた。ママだけが居ない、って、いつもその事を
突きつけられるようで苦しくて・・・・とても笑えなかった」
ブラッサムでの吾郎のセリフが脳裏を過ぎる。
・・・・・・そこにママが居ないって何度も、何度も、突きつけられる事とたった一人で
向き合うのは嫌だったんだ、と思う・・・・・
|