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【9】
「俺が買出しに行って朝ご飯の仕度が出来るまでの間、シャワー浴びて、原稿、ちゃんと
あげといて下さいよっ!!」
噛み付くように先生にそう叫んで。
「お?『俺・・・あ、違った僕』はやめたのかよ?」
「・・・・やめました。そんな余分な事に費やす労力も神経も、勿体無い事に気付きました
から」
「へぇ?折角、ちょっと面白かったのにな」
・・・・・先生の中の俺に対する評価って面白いか、面白くないか、しかないんだろうか
・・・・・?
「それじゃ行って来ますから!」
「おぅ」
ニコリ、と。
珍しく嫌味じゃない笑みを添えて見送られて、一瞬、ちょっとだけ気抜けする。
あぁいう、素直な表情すると、ちょっと子供みたいだよね、って。
ほら?何て言うの?子供がさママに我が儘言って、それを聞いてもらえた時、みたいな?
たまーに。
ちょっとこっちの予想外の顔、するんだよね、木村先生。
いっつも、すっごい意地悪で理不尽なのにさ、何か、しょうがないか、って気分にさせられ
ちゃう、って言うの?
それも先生の作戦だったりすんのかなぁ・・・・・・
そんな風に思っちゃう俺って、先生のそんな作戦に引っ掛かって、まんまと、いいように
掌で踊らされてるだけなのかな?
・・・・・って、考えてもしょうがないか。
とにかく今はさっさと買い物済ませて、朝ご飯作って、先生の原稿、1行でももらわなくちゃ。
「先生、朝ご飯の仕度、出来ましたよ」
例の一際、重厚な作りのドアをノックして先生を促す。
「・・・・おぅ」
どこか上の空な返事がして。
「ちょっと待ってろ。もうちょっとで終わるから・・・・」
そっとドアを開けると、熱心にパソコンに向かう後ろ姿が見て取れて。
あ、邪魔しちゃったかな、って。
折角、ノってる最中なのに腰、折っちゃったかも・・・・
とか、反省してる間にプリンタから印字された原稿が吐き出されて来る。
・・・・・・あぁ、先生の原稿なんだ、って・・・・・
『活字になる前のセンセの作品の、一番最初の読者におめぇがなれんだからよ』
中居さんのセリフが頭を過ぎって。
何か嘘みたいだって・・・・・
最初、この出版社に就職が決まって。
先生の本がこの出版社からも発刊されてる事は知ってたけど、まさか、自分がその先生の
担当について、こんな風に最初の読者になれる、なんて。
本当に夢にも想像した事なんかなかったし。
・・・・あ、ヤバ・・・・
何か、ちょっとうるうるして来ちゃった・・・
また、先生にバカにされちゃうよ・・・・
もう1回、そっとドア閉めて、目元に滲んだそれを手の甲で押し留める。
「ほいよ、お待ちかねの原稿、な?」
ニヤリ、と。
いつもの笑みを携えて先生がその束を無造作に俺に押し付けて来る。
「あ、ありがとうございます・・・・」
大袈裟かも知れないけど、ほんとに声が震えるかと思った。
朝食の食卓についた先生が
「あれ?お前のは?」
一人分だけセッティングされた料理を見て不思議そうに声を上げた。
「え?あ・・・いや、俺は・・・・」
実はここ暫くのモロモロの出費が祟って、結構、金欠なんだよねぇ・・・・・
とても同じメニューで二人分も用意するなんて・・・・・
そうだ・・・経費で落とす方法、早く中居さんに聞いとかなくちゃ・・・・・
こんなペースでお金、使ってたら、俺、破産しちゃうよ・・・・・
先生はさ、売れっ子作家だから、お金の事なんか気にしないで買い物するんだろうけどさぁ
・・・・・・
おんなじペースでお金使わされちゃったら、こっちはしがないサラリーマンだからさ、
かなり厳しいモノあるんだよね。
貯金もないしさぁ・・・・・
思わず、漏れそうになる溜息を呑み込んで。
そうだ。原稿!
この原稿を編集長に渡せば、暫くは先生んとこに通わなくて済むようになるし。
「あの・・・拝読させて頂いていいですか?」
「おぅ」
一応、俺の分の食事を気に掛けてくれたはずの先生だったけど、それでも、見ると早速、
朝食に取り掛かっていて。
チラリ、と。
こちらに視線をくれながら、先生の眼差しが何だか妙な風に細められる。
「ちゃんと最後まで読んで感想、聞かせろよ。お前、編集だろ?」
わざわざ、そんな事を念押しされて。
・・・・・何だろ?
その視線とセリフをちょっと訝って、原稿に目を落とし。
何ページも読み進まないうちに、顔に朱が上るのを自覚して。
原稿を繰る手が微かに震える。
「・・・・・あの・・・木村先生?」
呼び掛ける声が今度はほんとに震えた。
「ん?」
食事の手を止めて俺を覗き込む眼差しが、にやにやと意図して楽しげに細められる。
「習作っつーの?今回はちょっと路線を変えてみようか、とか。感想は?」
手にしていたフォークを左右に軽く振って、先生は首を傾げた。
「・・・・・・リアルで緻密な性描写が読者の欲情をそそると思います。きちんとした
人物描写や背景描写がより、リアリティーを増してそうした欲求に突き動かされる衝動を
納得させてくれますし・・・・・作品的にはクオリティーの高いものだと思いますが・・・・・
うちではこの作品はお取り扱い出来ません」
「・・・・・・面白くねぇ・・・・んな、まともな感想言ってどうすんだよ?」
露骨に不貞腐れて先生は、フォークをグサリ!とサラダに突き刺す。
「仕事ですから」
「んじゃ、仕事抜きだったらどうよ?」
「読みませんよ、わざわざこの手の小説なんか」
「なんか、と来たか。それって思いっきり見下した言い方じゃねぇ?」
「確かに失言だったかも知れませんけど・・・・俺にとってはこの手の小説に何の興味も
価値も見出せないってだけの事です」
「ほぉぉぉぉ?お前ってエロ小説とか興味ねぇの?!」
「・・・・・ありませんよ」
「えーーーっ?!それって男として異常なんじゃねぇ?!」
「失礼な事言わないで下さいよ。そういう事に全然、興味がないって言ってる訳じゃない
でしょ!」
「興味あんだ?」
「興味、とかじゃなくて、男としての本能的な欲求ぐらいはありますよ、俺だって」
「堅苦しい言い方すんなよな。なぁ、さっきのアレ。ちょいっと気分出して音読して見ねぇ?」
「お、音読って?!」
思わず声が裏返った。
「何、バカな事、言ってんですかっ?!絶対に嫌ですよっ!!そもそも、こういうものって
こんな風にして、昼日中、人前で読むものじゃないじゃないですかっ!!ずっと思って
ましたけど、大体、先生って何、考えてんですかっ?!」
「お前で・・・・遊ぶ事?」
はっきりそう言い切られて、一気に全身から力が抜けた。
完全な脱力状態。
こんな事のために・・・・・
こんなモノのために、俺・・・・・
買い物したりだとか朝ご飯作ったりだとか。結構、マジメに一生懸命・・・・・
バカみたいじゃん・・・・・
そりゃ、あぁいう作品だって、先生の作品には違いなくても・・・・
確かにクオリティーの高い作品ではあるとは思うけど・・・・
けど、違うじゃん・・・・・
折角、先生の作品の最初の読者になれるって・・・・
ちょっと、感激とかしたりしてさ。
バカじゃん、俺・・・・・・
「・・・・・木村先生・・・お願いですから、こんな下らない事してるヒマがあったら、
1行でも1文字でも、ちゃんした原稿、書いて下さいよ・・・・・」
何か、情けなくて涙とか出て来る気がする。
ちょっと鼻を啜って、ほんとに目尻に滲んだ涙を手の甲でごしごし擦って。
「んだよ?また、泣いてんのかよ、お前?大体よぉ、大の大人が、しかも男がよ、そんな風に
メソメソしててみっともねぇとか思わねぇの?」
「・・・・男だって悲しかったり悔しかったり切なかったりしたら泣くんじゃないですか?
木村先生は泣いた事ないんですか?」
「っつーか。人前で泣かねぇよ、俺は」
「俺だって別に泣きたくて泣いてる訳じゃないですよ」
「へぇ?そんじゃ何で泣いてんの?」
「・・・・今は悔しいから・・・です。俺は俺なりに先生に原稿書いてもらおうって、
一生懸命やってるつもりなのに、先生は俺で遊ぶ事しか考えていらっしゃらなくて。
自分じゃ編集者として先生に原稿を書いて頂く事が出来ない事が凄い悔しいです」
「・・・・そんなマジんなるなよ」
「なりますよ。締め切りまで後5日しかないんですよ。先生がどんな速度で執筆活動を
なさっておいでなのか存じませんけど、残ってる枚数はかなりの量がありますし」
「・・・・・・・」
「気が気じゃないですよ。本当に間に合うんだろうか、とか。もし、間に合わなかったら
どうしよう、とか」
「・・・・・・・」
「締め切りまでに原稿、頂けなかったら、始末書とか減給とか・・・下手したらクビだとか、
脅し掛けられて・・・・・・」
「へぇ?原稿落とすとそういう事になったりだとかすんの?」
不意にきらっ!と先生の瞳が輝く。
「あっ!いや・・・あのっ!面白がって『じゃあ1回ぐらい落としてみっか』なんて事、
考えないで下さいねっ!!」
「誰が、んな事考えっかよ?」
「ほんとですかっ?!ほんとですよねっ?!信じますよっ!!」
「おぅ」
にやり、と。
いつもの笑みが浮かんで。
「お前だって早くもらうモノもらって、おさらばしてぇもんな、こんなとこ」
「はい!・・・あっ、違っ・・・・」
思わず、素直に勢い良く頷いてしまってから気付いて、慌てて訂正を入れたけど。
「・・・・・バーカ」
はっきり俺を見下した瞳が冷たく光って。
「まだ5日もあんだろぉ?余裕じゃん。ま、この調子でお前にはせいぜい頑張ってもらう、
として」
「・・・・・は?」
「1個だけいい事、教えてやろうか?」
やや下がり気味の眦にす、温度のないと光が浮かぶ。
「え?」
「別に原稿が進まねぇのはお前の責任じゃねぇ」
ほんとの一瞬だけ俺に向けた真剣な眼差しは、すぐまた次の瞬間、逸らされて。
先生は枝豆の冷製スープを一気に喉に流し込み。
「あ、けど、やっぱ、お前のせいだな。お前、居っとつい、遊びたくなっちまうから」
「・・・・・・・」
例え、ほんの一瞬でも真剣な表情を見せた事の、まるで埋め合わせでもするかのように
先生はいつもの意地悪い笑みを携えて口端を持ち上げた。
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