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【8】
途中、食料品の買出しを言い渡されていた事を思い出し、スーパーへ立ち寄って。
ついでに下着売り場に足を伸ばす。
借りたものとおんなじブランドのおんなじサイズ、を捜すんだけど見つからない。
やっぱし、スーパーには置いてない、か・・・・
デパートとか行かないとダメかなぁ。
高いんだろうなぁ・・・・・・
はぁ・・・・予定外の出費、だよねぇ・・・・・・
そんな事、考えながら適当に買い物をし掛けて。
ふ、と。先生って好き嫌いとかないのかな、とか疑問が湧いて、携帯に電話を入れてみるん
だけど、繋がらない。
・・・・まだ、寝てんのかな?
もし、まだ、寝てるんだとしたら、当然、原稿だって1行も書けてないって証拠で。
その事が分かってて、出向いて行くのも何だか億劫だな、って。
第一、寝てるんだとしたら、幾らカードキーを預かってる、とは言え、勝手に入り込んだり
なんかしたら不法侵入になっちゃいかねないし。
かと言って、もう1回、社に戻って、また、中居さんに嫌味言われたり、無駄に冗談に
つき合わされたりするのも、正直、勘弁だし。
そんな事を考えながら、スーパーを出てその辺ぶらぶらしながら、目についた自販機で
コーヒーを買って、丁度、腰の高さより少し低めの段差になってる植え込みの端に腰掛けて。
何となく通りを通る人を眺めながら、ぼんやりとコーヒーを啜って。
あぁ、嫌味なぐらいいい天気だなぁ、って。
少し空を仰いで目を細めた時。
「おめぇ?!んなとこで何してやがんだよっ?!」
聞き慣れた声が怒りを含んで鋭く鼓膜に突き刺さった。
予想もしてない、いきなりの事に、思わず、驚いて立ち上がり掛けて。
手にしていた缶コーヒーを思いっきりアスファルトの上に落っことして。
コーヒーの飛沫がスーツのズボンに染みを作る。
「げ・・・・!」
思わず変な声が出て。
取りあえずハンカチで拭ったけれど、匂いも染みも簡単には取れそうになくて。
「中居さん?!何でいきなり声、掛けて来んですか?!お陰でスーツ、染みになっちゃった
じゃないですか?!」
思わず中居さんに食って掛かっていた。
だってだよ?!こんな風に染みついちゃったりだとかしたらさ、やっぱり、クリーニングに
出さなきゃなんないだろうし、正直、クリーニング代もバカになんないんだよねぇ・・・・
そう言えば、先生んちにあったドライクリーニング機能付き全自動洗濯乾燥機。
あれ、使えたなぁ。いい仕事、してたよ。
あれがあれば一々、クリーニングとか出さなくても自宅でホームクリーニング、出来るん
だよねぇ。
って、一瞬、そんな思考に囚われ掛けた所へ、中居さんの辛辣なセリフが突き刺さって来る。
「何だよ、逆ギレかよっ?!大体、仕事もしねぇで、ぼーっと定年後のオヤジみてぇに
座り込んでんのが悪ぃんだろぉよっ!!この給料ドロボー!!」
きゅ、給料ドロボーって?!
「そんな事、言ったって?!さっき、木村先生の携帯に電話したんですけど、まだ、お休み中
みたいで繋がんなくて。って事は、昨夜もずっと俺と一緒に飲んでて、原稿、書いてる
雰囲気なんか、全っ然なかったし、今朝もまだ起きてないって事は、やっぱり、全然、
原稿、書いてないって事じゃないですか!出来てもない原稿、見に行っても仕方ない訳
ですし」
「バカか、おめぇはっ?!寝てたら、叩き起こしてでも、とにかく、センセに原稿、書かせんのが、
編集の仕事なんだよっ!!おだてる、とかな、ゴマ擂る、とかな。ま、漫画家で言う
アシスタント、メシスタント?とかもやって、だ。作家先生って昔は書生とか言って
細々とした身の回りの世話とかしながら勉強させてもらう、みたいな人間が居たりしたん
だけどな。今も極、稀にそういう人も居っけどよ。ま、それって純文学の世界?こういう
どっちかって言うとエンターテーメントな、お気楽、軽めの読み物書くセンセにそういう
人間がつく事ってねぇからよ、締め切り間際ん頃は俺らがそういう事まで面倒見てやって
たりすんだよ。家族持ちとかだったら別だし、後、家政婦とか雇ってるセンセも居たり
すっけどな、木村センセはそういう事、しねぇ人だし」
延々と続いた中居さんのセリフが漸く途切れて。
「・・・・迷惑な先生ですよね?」
「お?!おめぇ、そういう発言するようになったんか?最初会った時なんかよ、目ぇとか
キラキラさせて大ファンなんですっ!!とか叫んじゃってよ、あっつく、センセの作品、
語り倒してたりとかしてたじねぇか?」
「・・・・先生の作品のファンですよ、今でも・・・・凄い好きなんですよ。先生の
持たれてる世界観とか、語り口とか、文体のリズムとか」
「だったら、ラッキーだろ?活字になる前のセンセの作品の、一番最初の読者におめぇが
なれんだからよ」
「え?」
「編集ってそういう立場じゃん。何か色々、センセに振り回されて遊ばれてるみてぇだけどよ、
おめぇのそういう気持ち、もっとストレートにぶつけてやりゃいいんじゃねぇの?今の
センセにはよ、おめぇみてぇなヤツ、必要なんだと思ぉぞ?」
「俺みたいな、って?」
「多分・・・・そのうち、ぜってぇ、おめぇにも分かると思ぉし。今は分かんねぇ方が
いいんかも知んねぇし」
「意味、良く分かんないんですが?」
「とにかく!!センセがまだ、寝てんだとしたら、美味ぇ朝飯でも用意してやって、起こして
やってメシ食わせて、シャワー浴びさせて、シャキッとさせたら、原稿に向かわせろ」
「・・・・・何か幼稚園の子とか世話してるみたいですよね?」
「似たようなモンだべ?自分の事、自分でやんねぇんだから」
中居さんがキラリと瞳を光らせて、ちょっと意地悪く見える笑みを浮かべる。
「原稿もらうまではそう言うんも俺らの仕事のうちだ」
「はぁい・・・・」
「返事は短く」
「はい・・・・・」
中居さんに背中を押されるように。
形じゃなくて、気持ちの上でそんな感じになりながら、俺は買い物袋を抱え直して、先生の
マンションに向かった。
玄関で1回だけチャイムを鳴らして、一応、インターフォンに向かい
「稲垣です」
と声を掛けて見るけど、やっぱり、応答はない。
念のため、携帯をもう一度鳴らして見るけど、やっぱり、反応がない事を確認した上で、
中居さんに教えてもらった方法でロックを解除する。
鍵を勝手に開けて入っても怒られないのか尋ねた俺に
「そんな文句は言わせねぇんだよ。こうされるのがお嫌でしたら、ちゃんと原稿、上げて
下さい、この一言で大抵はセンセが黙るから」
なんて、何でもない事のように中居さんは言ってのけた。
・・・・・何か有名売れっ子小説家って言うのも、案外、大変なんだな、って。
自分が寝てる間に他人が勝手に家の中に入って来ちゃう、とか。
一歩間違えば不法侵入だし、プライバシーの侵害なんじゃないのかな、なんてちょっと
心配になりながら。
そりゃあ、多少は自業自得な部分も否定は出来ないんだろうけど、それにしたって・・・・
そんな思いを描きながら、リビングへ進んで行くと、朝、俺が無理矢理転がした状態のまま、
先生はまだ、夢の中にいるようで。
けれど、その顔は酷く疲れて、眉間に皺を刻んだまま、少し苦しげに片方の唇の端を小刻みに
痙攣させていて。
時折、ギリリ・・・と歯軋りの音が聞こえる。
「先生?」
先生が見えない何かに苦しめられている気がして。
肩を掴んで揺すって見る。
けど、反応はなくて。
「先生?!」
もう1回。今度はもう少し強く揺すって見る。
軽い呻きと共に細く持ち上げられた瞼の向こうから
「・・・・・中居?」
掠れた声がした。
「稲垣です」
「・・・・・・あぁ・・・新人・・・」
そのまま気だるげに寝返りを打ち、こちらに背中を向けて、先生は再び眠りの中に落ちて
行こうとするかのように体を少し丸めた。
「ちょっ?!先生っ!!起きて下さいよっ!!」
なめられてるなぁ、って。
これが中居さんだったら起きたのかなぁ、とか。
これまで起こしに来るのは中居さんだったから、間違われただけの事なんだろうけれど、
何かちょっと面白くないよね。
「・・・・るせぇ・・・」
肩を揺すったら、その手を振り払おうとして大袈裟に肩、しゃくって来るし。
「先生っ!!原稿!締め切り、もうすぐなんですよっ!!早く書いて下さいよっ!!」
「・・・・るせぇっつってんだろーよっ!!んな寝ぼけた頭で原稿なんか書けるわきゃ
ねぇだろっ!!」
いきなり、突然、起き上がり様怒鳴りつけられて、正真正銘驚いて。
うるっと。
途端に涙腺がほんの少し緩んだのを感じて。
「・・・・って、お前ぇ・・・・んな事ぐらいで泣くか、普通?」
バツが悪そうにばりばり、と勢い良く頭を掻き毟って、先生は溜息をつく。
「な、泣いてなんかいませんよっ!!ちょっと・・・ちょっとビックリしただけじゃない
ですかっ!」
露骨に呆れられた事がさすがに少し悔しくて、そんな反論をしたら。
「ビックリすると涙、出んだ、お前って」
「違いますよ!」
「違わねぇじゃん。今、お前の目に浮かんでんの、涙だろうが」
先生が可笑しそうに、意地悪そうに口元を歪める。
「違いますったら!」
「違わねぇって。お前ってガキん頃、苛められっ子だっただろ?」
今も苛められてますよ、こうして、先生にも、中居さんにも・・・・・
「何かこう・・・苛め甲斐あんもんなぁ・・・・ついついちょっかい掛けたくなるタイプ?」
嬉しくないです、全然・・・・・
「んだよ、だんまりかよ、つまんねぇヤツ」
面白いヤツだ、なんて思われても仕方ないですから・・・・
「お目覚めでしたら、シャワー浴びてらして下さいよ。俺・・あ、僕、その間に朝ご飯の
仕度しますから」
「オープンサンドと枝豆のスープ。シーザーサラダ。後、フルーツヨーグルト」
「・・・・・・は?」
「朝飯」
「・・・・・・あの」
「朝飯、今、俺が言ったの作って」
「材料は・・・・・?」
「お前、買いモンして来たんだろ?」
「確かに買い物はして来ましたけど、今、先生が仰ったメニューをこなせるほどの材料は
・・・・・・・・」
「んじゃ、も1回買いモンな?」
「・・・・・・は?」
「今、言ったメニューの材料、調達して来い」
「・・・・あの・・・・明日の朝ご飯は今、先生が仰ったものにしますから、今日の所は
シェフにお任せって訳には・・・・・」
「俺は今、言ったもんが食いてぇの。他のもんはなぁんも食いたくねぇ!」
「・・・・・・・・・」
信じらんない。
何でそんな我が儘なんだよ?!
「・・・・・時間、掛かりますけど」
第一、さっきのメニューこなすだけでも相当、時間掛かりそうなのに・・・・
朝から何でそんな手の込んだメニューなんだよ?
「しゃーねーなー。なるべく早くしろよ」
「・・・・・あの、お昼ご飯のメニューも出来ればついでに・・・・」
聞かせてもらえれば、一緒に買い物して来れるから助かるんだけど。
「朝飯食う前から昼飯ん事なんか考えねぇだろ、普通」
「・・・・・ですよね・・・・」
って事は、昼は昼でまた、買出しから始めなくちゃなんないって事・・・・
・・・・・溜息・・・・
けど、これも仕事のうちの一つって事・・・・?
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