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【6】
ピンポーン♪
軽い電子音がリビングのインターフォンから響いて。
相変わらずビールを煽りつつ、身振り手振りで俺に「出ろ」と指示した先生に軽く頷きを
返してインターフォンの受話器を取る。
「はい」
「毎度っ!!須磨寿司です。特上寿司二人前、お持ちしましたぁ!」
元気な声が鼓膜を直撃する。
「先生?出前、届いたみたいですけど?」
受話器を持ったまま先生を振り返り。
「おぅ。お前、下まで行って受け取って来て」
「え?」
「やなんだよ、あんましここまで来られんの」
「・・・・・はぁ」
先生の弁に納得行くような行かないような心境で。
けれど、別にその事を頑健に拒まなくちゃいけない理由も見当たらなくて。
「あ、下まで行ったらついでにコンビニ行ってビールと、後、適当に何かつまみとかも
買って来て」
「・・・・・はぁ」
生返事を返しながら、ビールって確か、まだ、冷蔵庫にしこたまあった気、するけどな、
とは思ったけど。
一体、一晩にどれだけ飲むんだろう、って疑問が仄かに脳裏を掠める。
凄い酒豪だったりするのかな?
「お前の好きなモノでいいし」
って言うのは・・・多分、つまみの事なのかな?
それともビールの銘柄?
ま、両方。とにかく、買うもの全般に関してって事なんだろうな。
・・・・・・それにしても・・・・何か良く分かんないけど、これって編集者の仕事なのかな?
って言うより・・・・・もう勤務時間過ぎてると思うんだけど、これって残業手当とか
つくのかな?
至極、真っ当な疑問を頭の中で巡らせつつ、俺は下まで降りて特上寿司二人前を受け取り
・・・・・って。これ、持ったまま、コンビニなんか行けないじゃん、と言う事に気付き、
また、一旦上に上がって、先生んちにそれを置いて、もう一度、下に下りる。
そうして、お言いつけ通りご所望の品を携えて再び、先生んちに戻り。
リビングに入ると先生は既に、何本目かのビールを手に寿司にぱくついている最中で。
「おっせぇよ。待ちくたびれたっつーの」
俺を見るなりいきなり、そんなセリフを投げて来たけど。
・・・・・・待ってないじゃん・・・・・
俺の歓迎会してくれる、とか聞いた気がしたのは、きっと俺の幻聴だったんだな、とか。
何か、ほんの少しだけどそういう先生のノリと言うかペース、みたいなものが分かりかけた
気もして。
「何、ぼーっと突っ立ってんの?お前もさっさと食えよ」
粗方、めぼしいネタは既に食べ尽くされた寿司桶を指して、先生がお気楽にのたまって
下さる。
「・・・・・あ、いや・・・・お気持ちだけで十分です・・・・俺、じゃない、僕、今日は
これで失礼します。また、明日伺いますから、その時は原稿、せめて10枚でも20枚でも
あげておいて下さいね」
精一杯の皮肉を込めて先生に冷たい眼差しを投げて。
・・・・うっ、と一瞬、喉を詰まらせた先生は恨めしそうに俺を睨んで
「メシが不味くなるような事、抜かしてんじゃねぇよ」
すかさず、迫力の視線を返してくれて。
「服・・・・」
「え?」
「そのまま、帰んの?」
言われて改めて自分の服装を見下ろす。
真っ赤なジャージの上下。ちゃんとしたブランドものだし、時間も時間だし、こういう
格好で外、歩くのもそんなに抵抗は・・・・・・・
さっきも・・・つい、コンビニまで行っちゃったし・・・・
けど・・・・・・
ここから自宅に帰るとなると、嫌でも電車には乗らないとダメだろうし・・・・
タクシーなんかで自宅まで帰ろうもんなら、幾ら掛かるか分かんないもんねぇ・・・・・
そういうモロモロの事、考えると・・・・
抵抗は・・・・・・
抵抗、ある、やっぱり、結構・・・・
さっきは仕方なかったから行ったけど、普段だったら近所のコンビニでも、こんな格好で
行かないし・・・・・・
それとも・・・・返せって意味なのかなぁ?
なんて、あれやこれや考え込んでいると。
「ま、そんなに慌てんなよ。何、うちで可愛い彼女とか待ってんの?」
割りとアルコールが回り始めているらしい、ほんのりと目元を赤く染めた先生が俺の
手首を掴んで強く引く。
思わず、先生の隣に座り込む形でリビングの床に直接、腰を下ろして。
「そんなんじゃないですけど・・・・・」
「どうせ、うち、帰ったって一人なんだろぉ?だったらいいじゃん。ここで飲んでけば」
・・・・・・いや、完全に論点がズレてると思うんだけど。
でも、酔っ払いの言う事を一々、真に受けてても仕方ない、か・・・・・
いつの間にか肩に回された腕から、結構、体重を掛けられて。
重いし、暑苦しい、って思ったけど・・・・・・
「はい、ビール。かんぱぁい!」
先生は俺の手にビールの缶を押し付け、それに自分の持ってるビールの缶を勝手にぶつけて、
また、それを仰いで。
「飲め!!ほら!ぐーっと飲めって!!」
俺の手を勝手に動かして口元にビールの缶を押し付けられながら・・・・・・
・・・・・・俺、いつになったら帰らせてもらえるんだろう、って・・・・・
俺は、良く冷えたビールの、炭酸の喉越しと一緒に溜息も呑み込んでいた。
・・・・・・う・・・重っ・・・・
寝返りを打とうとして、肩を持ちあげようとした時、朦朧とした意識の中でそんな事を
思って。
離れたがらない瞼を必死でこじあけて、その加重が何かを見極めようと目を細める。
目に入って来たのは明るい茶色の・・・・髪。
髪・・・・?
って。木村先生が俺の肩から腕にかけてを枕にして、爆睡ぶっこいてくれちゃってて。
もう!!重いってば!!どいてよっ!!
本人には絶対に面と向かっては言えないセリフを内心で吐いて、強引にそのくせのない
髪を力一杯押すと、ゴトン・・・と、少々、不気味に響く音と共に俺を抑圧していた加重が
取れて。
ほぅ・・っと、大きく息をつく。
上半身を起こして、痺れ始めた肩や腕をマッサージしながら何気なく時計に目をやって・・・・
「えぇぇぇぇっ?!」
思わず悲鳴が漏れた。
7時51分。
デジタルの数字は確かにそんな文字を提示している。
ちょっ?!ちょっと待ってよっ!!
始業時間が8時半。後40分弱で会社に滑り込んでタイムカードを押さなくちゃ、遅刻
じゃん?!
嘘っ!!
何でっ?!
俺、昨夜、結局、酔い潰れちゃったって事?!
あり得ないっ!!
あり得ないよっ、そんなのっ!!
ビールでしょ?!ビールしか飲んでないのに、そんな、酔い潰れるとか?!
っつっ・・・・
頭、痛い・・・・・
二日酔い?だけじゃないだろうけど・・・・・
まだ、異様な形状を掌に伝えて来る後頭部を何度かさすって。
これのせいかなぁ・・・・・
何か気分的に凄い疲れてて、結構、ヤケクソで勧められるまま飲んだ気はするけど・・・・
ちゃんと帰るつもりしてたのに・・・・
って?!今はそんな事考えてる暇ないじゃん!!
会社!!
仕事!!
遅刻!!
そう言えば、俺のスーツ、どこにあんの?!
まさか、まだ、洗濯機の中とか言わないよね?!
嫌な予感に苛まれつつ、一歩歩くたびにズキズキと痛みを訴えかけて来る後頭部を抑え
ながら、部屋の中を移動して。
洗濯機の置いてあるサニタリーと洗面所の間辺りに俺のスーツがハンガーに掛けられて
吊るされているのを発見する。
・・・・・助かった・・・・取りあえず、どうにか着れそう・・・・
先生に借りたジャージの上下を脱ぎ捨て、ふと、自分が身につけている下着が目に入って。
自分のものじゃない下着に酷い違和感を感じた瞬間、一気に顔に朱が上る気がした。
同性だし・・・緊急事態だから仕方なかったとは言うものの・・・・
何かとんでもない弱みを握られたような気もして。
けれど、今はこれしか替えの下着もないし・・・・・
仕方なくそのまま、昨日着て来たスーツを身につけて、普段からは考えられない猛スピードで
髪をそれなりに形作って。
マンションを飛び出し、丁度、運良く目の前を通り掛ったタクシーを拾って。
「・・・・はぁ」
シートに身を預けて、思わず溜息が漏れた。
これから、一旦出社したとしても、どうせ、会社では俺の仕事なんかほとんどないに等しくて。
また、もう一度、ここに来なくちゃいけない、って事も分かってるのに。
こうして、往復する事が何だか凄く無駄な事に思える気がしないではないけど、それって
ただ単に俺があそこで眠り込んじゃった事に敗因がある、って事なんだろうしなぁ・・・
普通に自宅に戻ってれば、普通に出社するはずなんだし・・・・・
とか。どうでもいい事をつらつらと思ううち、タクシーは無事、会社に到着し、本当の
ギリギリセーフで何とか遅刻は免れて、タイムカードを押して、更衣室前の廊下を駆け抜け、
今にもドアが閉まり掛けているエレベーターに、強引に滑り込むようにして飛び乗った。
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