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【4】
「失礼します・・・・・」
確かに先生が言った通り、玄関の鍵は掛かってなくて、ドアは簡単に開いた。
そうして、前に来た時、中居さんがしていたようにリビングを抜けて、一気に一番奥の
部屋まで進み、ドアをノックする。
けれど、返事がない。
え?だって・・・・
在宅している事は確かで。
え?・・・・えっと・・・・
ちょっとだけ考えて、あ、家の中のどこか他の場所、一番、単純な所でトイレ、だとかに
居るのか、と思い当たって。
リビングは通り抜けて来たけど、そこには居なかったし・・・・
こういう場合はどうしたらいいのかな?
勝手に家の中、歩き回ってもいいのかな?失礼に当たらないんだろうか?
それとも、ここで待ってた方がいいのかな?
少し迷って。
あ!そっか。中居さんに聞けばいいんだって気付いて電話したら
「バカか、おめぇはっ!!んな事ぐれぇ、自分で考えろっ!!くっだらねぇ事で一々、
電話して来んじゃねぇよっ!!」
って怒鳴られた。
取りあえず・・・・
間取り的に家のほぼ中央辺りに位置してるリビングで待たせてもらうのが常套だよね?
そうして、もう一度リビングに引き返して、ソファに腰を下ろし、何となく周囲を見回し
ながら。
インテリアの趣味とかはそんなに悪くもないよね。
どっちかって言うとアメリカンカントリー色が強めだけど、全体的に落ち着いた雰囲気に
纏まってるし。
壁に掛かってるバッファローの首の壁飾りがちょっと気になるけど・・・・
魔除けとか・・・・お守りなのかな?
それとも、単なるインテリアで趣味なのかな?
とか。
モロモロ、そんな観察をしている所へ。
「おぉい!新人っ!!その辺に居る?!」
突然、叫ぶような大声が聞こえて来て。
「はいっ?!」
思わず、ソファから弾かれるようにして立ち上がり、辺りを見回す。
「悪ぃ!シャンプー、取って!!」
「・・・・は?」
突拍子もないセリフに思わず、首を傾げ。
「シャンプー!!俺、今、全身ずぶ濡れで、出てくの面倒だからよ!シャンプー、切れ
ちまってんの!取って!!」
・・・・・・・って。
それって・・・・・・
何で?
さっき、って言うより、つい、今しがた、俺とインターフォンで会話してたはずだよね?
木村先生。なのに・・・・俺が来てる事、分かってて、バスタイム、な訳?
・・・・・・何、それ。意味、分かんないよ。
元々、今から入るつもりしてたとこへ俺がタイミング悪く来ちゃった、って事なのかな?
にしてもさ、普通は入んないんじゃないの?お風呂。
とか、モロモロ頭の中で思考を巡らせてたら。
「新人っ!!おいっ!!お前、聞いてんの?!さっさと持って来いよ!!」
とか。ちょっとだけ木村先生の声が不機嫌なトーンになって、ボリュームが上がった。
「あのっ!!どこにあるんですか?!」
そんなの、急に持って来いって言われたってさ・・・・
「お前、今、どこに居んの?リビング?」
「はい」
「だったら、その右手の奥のドアがサニタリーでぇ、更にその奥がバスルームになってんの。
で、サニタリーのストッカーにシャンプーの買い置き、ストックしてあっから!」
「右手奥ですか?」
言われるまま、そのドアを開けたそこは確かにサニタリーで洗濯機とかも置いてあって・・・・
ストッカーってこれか。
扉開けたら、中には洗剤だとかトイレットペーパーだとか、その他モロモロが仕舞われて
あって。
えっと、シャンプー、シャンプー、っと。
あ、これか。
それを手に目の前の半透明なすり硝子のドアに声を掛ける。
「木村先生?ありましたよ、これですよね?」
細くドアを開けて腕だけを突っ込み、手に持ったシャンプーを差し出し。
「あ?おぅ。持って来て」
・・・・・って。これ、このまま、受け取ってくれればいいんじゃ・・・・
って言うより・・・・よくよく考えると俺がリビングからこれをわざわざ届けに来るより、
先生が自分で取った方が絶対に早かった気がするのは、俺の気のせいなんかじゃないよね?
頭の中にクウェスチョンマークが飛び交う。
「お前も入って来いよ」
「はいぃぃぃ?!」
「お互いを良く知り合うのに、これ以上手っ取り早ぇ方法、ねぇだろ?裸の付き合いって
やつ?」
「はぁ?!」
「ついでに俺の背中、流して」
「あのっ!」
「んだよ?俺の言う事、聞けねぇの?」
不意に、それまでテンションの高かった木村先生の声が、低くドスを効かせて響いて来る。
「・・・・・分かりました」
渋々。
ジャケット脱いで、ネクタイ外して、靴下脱いで、ズボンの裾、捲くって、シャツの袖、
捲くって・・・・・
ドアを開けると、こっちに背中向けたままシャワー浴びてた木村先生が
「おぅ、サンキューな」
って、手を出しながら、こっちを振り返って。
一瞬、かなり、露骨に本気で驚いた表情を浮かべた時が、ちょっと可笑しかった、って
言うのはここだけの話だけど。
ほんとに、本気で驚いたらしくて。
「おまっ?!何だよ、そのカッコ?!」
って。ちょっと声とか、裏返ってるし。
「お背中、お流しします」
「じゃなくて!!なんで、服着たまんまなんだよ?!普通、風呂入るっつったらよ、脱ぐ
だろっ?!裸になんだろうよっ?!」
「あ、いえ。俺、じゃない、僕、先生のお背中、流しに来ただけですから」
「何?お前、ひょっとして、他人と一緒に風呂とか入れねぇタイプ、とか言う?!修学旅行とか
行って、海パン穿いて風呂入ったクチ?!」
「・・・・えぇ、まぁ」
図星を指されて、誤魔化す術さえ思い浮かばないまま、仕方なく頷く。
「お前なぁ・・・・そんなんでこの先、やってけると思ってんの?」
呆れた先生の声。
「いや、別に風呂とか一緒に入らなくても、お互いを知る手立ては他にも幾らでもあるはず
ですし」
「お前、入社してどんだけっつったっけ?」
「半年です」
「半年も社会人やってて、良くそういうノリで通用したなぁ」
「いや、ほんと、別に・・・・」
大体、普通、ほとんど初対面の相手と一緒に風呂に入ったりだとかしないでしょ?!
ほんと、意味、分かんないよ!!
理解出来ないって言うか。
ある種の秀でた才能のある人の思考回路って、凡人には遠く理解の及ばない部分があんの
かなぁ?
ほら、何とかと天才は紙一重とか言うじゃん?
「鍛え甲斐、ありそうじゃん」
キラン、と。
木村先生の目が、一瞬、獰猛な光を浮かべて。
「あ、いや、いいです。鍛えて頂かなくてっ!!俺、あ、違う、僕、これでもそれなりに
やって来れましたし、これからもこのままで・・・っ!!」
「これからも、このままで通用するとは思わねぇ方がいいぞ」
「やだっ!!俺、一人じゃなきゃ、風呂入んないもんっ!!」
先生の中の常識がどうなってんのかは、俺には理解出来ないけど、とにかく。
思わず本気で後ずさった俺に、木村先生は鼻白んだようにちょっとだけ口端を持ち上げて。
「・・・・・ま、しゃーねーか。そんじゃ、とりあえず、背中、流して?」
って。俺に背中を向けた。
スポンジを泡立てて、木村先生の背中、流しながら。
「木村先生ってスポーツとかやってらっしゃったんですか?」
何となく黙り込んでるのも気まずい気がして、適当にそんな問いを口にする。
「あ?」
「結構、日焼けとかしてて・・・・筋肉質な背中だなぁ、って」
・・・・・何か、小説家って言うよりスポーツマンって感じ、しないでもないんだよね。
「俺、脱ぐと凄いんです?」
首を回してこっちを振り返った先生が、にやり、と悪戯っぽい笑みを浮かべた。
「・・・・あぁ、何か、そんなCMありましたよね、昔。エステかなんかの。CMは
私、でしたけど」
マジメにそう返したら、木村先生は凄く面白くなさそうに
「そう言う常識的な切り返しとかしてくんなよな。白けるだろぉが」
って呟いて。
それじゃあ、一体、どういう切り返しをしたら良かった訳?
なんて。心の中でそんな不平をもらしつつ。
当然、そんな俺の内心の声なんか聞こえようはずもない木村先生は、気を取り直したように
「小学生ん時はサッカーやってて、中学で器械体操やって、高校でバスケやって、大学
入ってからサーフィン始めて。ガキん頃から剣道はずっと続けてた」
そんな説明をしてくれた。
「凄い。多趣味なんですね?」
「多趣味?」
「あ・・・趣味とは言わないのかな?スポーツマンなんですね?何かそういう方が小説
書いてらっしゃるとか、ちょっとミスマッチな感じがして不思議な気がしないでもない
ですけど。でも、そういう様々な経験が先生の小説に益々、深みや魅力を増して、影響を
及ぼしてるんですよね」
そうだよね。
先生の言動には色々と意味不明な部分がない訳でもないけどさ、先生の作品はほんとに
非の打ち所がないもんな。
「・・・・・・・・・」
先生は俺を振り返って、何か珍しい生き物でも見ているようなそんな目つきで俺を見たまま、
何か言いたそうに口を開き掛けて。
「・・・・・お前は?」
「え?」
「そういうお前は?」
結局、先生の口から出た言葉はそれだった。
「スポーツとかはあんまり。団体競技は特に苦手です。自分のミスがチームの勝敗を左右
するとか、連帯責任だとか、そういうの、ダメで。マラソンとかそういう個人競技だったら
少しやります」
「ふぅん」
「でも、どちらかって言うと本読んだりだとか、映画見たり音楽聴いたり、そういう事して
時間を過ごす方が好きですけど」
「だな。そんな感じするわ。インテリっつーの?インドア派、みてぇな?色、白ぇもんな」
「・・・・はぁ」
そんなこんなの会話をしながら、背中、流し終わった俺に
「あぁ、ついでに頭も洗って」
とか言われて。
言われるまま素直に先生の髪、洗いながら、ふと、頭の中に疑問が過ぎる。
・・・・・・俺、何、やってんだろ・・・・・
漏れそうになる溜息を呑み込んで、シャワーで泡を洗い落として。
「サンキュ」
軽く言って先生はバスタブを跨ぎ、湯船の中で体を伸ばして。
「それじゃ、俺、これで・・・・・」
「あ?帰んの?」
・・・・・・は?帰る、って・・・・
何で?!それじゃ、ほんとに俺がここに何しに来たんだか分かんなくなっちゃうじゃん?!
わざわざ、先生の背中、流すために来た訳じゃないんだからねっ!!
「い・い・え!!リビングの方で待たせて頂きます!!」
そうだよ、原稿!せめて、原稿の進み具合ぐらい確認させてもらわないと。
中居さんにまた、バカにされるよ。何やってんだ、って。
「ふぅん・・・・それは一向に構わねぇけど、そのビショビショのカッコで、部屋ん中、
ウロウロすんなよ」
軽くひとさし指を向けられて。
ふと、自分の服を見下ろして見れば。
確かに。
シャツもズボンもそこそこに水気を含んで濡れてる。
シャワーで流す時とか、お湯が掛かっちゃってたんだろうけど。
「折角だからよ、ついでに入ればいいんだよ、お前も」
「え?!あ、いや、それは・・・・」
反射的に先生に背中を向けたその瞬間、腕を掴まれて後ろに引かれ。
同時に足を滑らせて、一瞬、体が空に浮いた感覚を感じた次の瞬間、目の前が真っ暗に
なった。
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