|
【3】
帰りのタクシーの中で。
「どうして着くまで何も教えてくれなかったんですか?」
「あ?聞いたからって何か変わったんかよ?」
「だって、あんないきなり、突然なんて誰だって驚きますよ。第一、担当の話だって
聞かされてなくて」
「おめぇにはぜってぇ無理だと俺は思ってる。だから、かなり反対したんだけどな。
上からの通達だから、いかんせん、俺なんかが幾ら頑張ったって覆せるもんでもねぇし」
「何で無理だって決め付けるんですか?そりゃ、俺なんかほんとのまだ右も左も分かんない
ような新人ですけど・・・・」
「あのセンセでなきゃ、俺もこんな反対しねぇっつーの」
「木村先生が何か?」
「ま、追々おめぇも分かるようになんだろうけど」
中居さんはちょっと疲れたようにシートに身を沈めて。
「何がですか?」
「我が儘。超我が儘。すんげー、どうしようもねぇぐれぇ我が儘。作家先生とかよ、
大概は我が儘な人が多いけどよ、あのセンセは特別だぞ。半端じゃねぇから」
そのアーモンド型の瞳にちらり、といつものちょっと意地の悪さを含んだ、冷たい笑みを
仄めかせる。
「・・・・・・あのぉ・・・」
「んだよ?」
「ほんとなんですか?木村先生が、ですか?俺、何かそんなの信じられませんけど」
確かに・・・・・
第一印象はちょっと上から物を言うような感じの・・・そんな印象はあるけど、でも、
相手は先生な訳だし、それぐらいは普通だろうし。
第一、あんな素晴らしい小説を書く人が、そんな性格的に問題がある、なんて想像
出来ない。
「だったら自分の目で確かめりゃいいべ?俺がおめぇにそんなくっだらねぇ嘘こいて、
何かの得になるとか思うんだったらよ」
俺の反論が気に食わないらしい中居さんは、薄く目を細めて軽い睨みを俺に向ける。
「あ、いや・・・・中居さん、良くやるじゃないですか。ほんとか嘘か分かんないハッタリ」
「だから。そう思ってんだったらそれでいいべ?別に信じねぇんだったら、それはそれで
構わねぇよ。俺が困る訳じゃねぇんだから。俺もこれでやっとあのセンセから解放して
もらえんのかと思うと、今回ばっかはあのセンセの我が儘にちょっと礼、言いてぇ気分
でもあっし?」
そんなセリフを口にしながら中居さんは軽く両手を組んで、頭の上に伸ばし。
「・・・・・・どうして俺、なんですか?もし、仮に中居さんの今の話が本当だったとして、
そんな大変な先生だったら、俺なんかの手に負えるはずがないじゃないですか」
「だから、無理だっつってんだろ、始めっから」
にべもなく中居さんが切り捨ててくれる。
「中居さん!」
「縋るな、俺に。しゃーねーべ?ご指名らしいから。俺も正直、あのセンセにそんな力
あるとは思ってなかったけどよ。うちにはまだ、あのセンセの作品が必要って事なんかね?」
「中居さん・・・・」
「それに会社としちゃあよ、おめぇが何かヘマやらかしたとしても、おめぇのクビ、切っち
まうだけで済むから、痛くも痒くもねぇしな」
「・・・・・中居さぁん」
「泣きつくな。まともな仕事させてもらいたかったんだろ?ま、頑張れ。幾ら何でも
まさか、取って食いやしねぇだろぉよ」
「・・・・そんなぁ・・・・」
「あんまり、何でも真に受けて本気にすんじゃねぇぞ?8割り方は適当に聞き流しといても
支障ねぇ事だかんな」
不意にシートから体を起こして中居さんが正面から視線を合わせて来る。
「支障の出そうな後の2割をどうやって見極めるんですか?」
「そりゃ、それはもう、センセとのお付き合いん中で見極めてくしかねぇべ?」
「何かアドバイスないんですか?!中居さん、これまで担当だったんでしょ?!」
「俺とおめぇは基本的に持ってるモンが全然、違ぇから、俺のやり方をおめぇが真似ようと
思っても多分無理だぞ。おめぇはおめぇのやり方でセンセと付き合ってくしかねぇべ?」
「・・・・・酷い。何でよりにもよって俺なんですか?」
「・・・・・堂々巡りしてんぞ?」
「そんな事言ったって・・・・・・」
「ま、そんなに先走って心配すんなよ。案外、センセ、おめぇの事、気に入ってるみてぇ
だし、おめぇとは馬が合うかも知んねぇし」
「って、心配するような事、先に言ったのは中居さんじゃないですか?」
「だーーーー!うるせぇ!いい加減にしろ!いつまでもウジウジ抜かしてんじゃねぇよ!
当たって砕けろ、だ。もし、何かヘマしでかしたら、再就職先とまでは行かなくても、
バイト先探しぐれぇは手伝ってやっから」
カカカカ、と最後にはいつもの特徴的な笑い声を立てて、その話はそこで打ち切られて
しまった。
「おめぇ、あれからセンセんとこ、ちゃんと顔、出してっか?」
いきなり、何の前触れも説明もなく、木村先生の担当を中居さんから引き継いで3日ほど
経った日、朝から中居さんがいきなりそう振って来た。
「いえ・・・まだ・・・」
「締め切りまでそろそろ1週間だかんな。ちょくちょく、進行状態ぐれぇは確認しといた
方がいいぞ。極稀にこっちがなぁんもしなくても、ちゃあんと締切日に原稿上げてくれる
センセも居っけど、そんなセンセは滅多にいねぇから。せっせとこっちからコンタクト
取って、尻叩かねぇと締切日なんか簡単に忘れられちまって、ヘタすっと海外逃亡とか
されちまう事だってあんだから」
「まさか」
「いや、冗談抜きで。特に木村センセとかな、いっちばん、危ねぇタイプ」
「もし、締切日に原稿、上がらなかったらどうなんですか?」
「そりゃ、おめぇ、始末書に、減給だろぉ。痛ぇぞぉ、結構」
にやり、と。
どう見ても楽しんでいるようにしか見えない笑みに目を細めて、中居さんが指を折って
見せてくれたりして。
「減給、って・・・・減給されるほどお給料、もらってません、て」
知らず知らずのうちに溜息が漏れる。
「んなの、俺だっておんなじだっつーの」
相変わらず中居さんは楽しそうに笑ってるだけでちっともアテになりそうにない。
人の苦労を喜んでるんだよね、絶対。
「中居さん、一緒に行って下さいよ。俺、一人でなんて無理ですって」
「バカか、おめぇ。自分でやって見もしねぇうちから、無理だとか何だとか抜かしてんじゃ
ねぇよ!おめぇもよ、子供じゃねぇんだから、ちゃんと自分で自分の責任ぐれぇ果たせよな」
「・・・・・・・・」
「ほら、さっさと行けって」
ほとんど無理矢理、背中を押し出されて、渋々、社を出て表通りでタクシーを拾って。
マンションに着き、エレベーター脇に設置されたセキュリティーボードに中居さんから
譲り受けたカードキーを通してエレベーターに乗り込み。
自然と早くなる鼓動を深い息で抑える。
玄関前に到着し、チャイムを押して返事を待つ。
けど・・・・・・
返事がない。
もう1回。
・・・・・やっぱり返事はない。
え?!嘘っ!!もしかして、もう、海外逃亡、図られちゃった後だとか言う?!
えっ?!そんなっ!!俺、どうしたらいいんだよっ!!もしかして、クビっ?!
クビになっちゃう訳?!
そりゃ、決して、満足出来る職場環境ではなかったけど、でも、クビって結構、ヤな響き
あるし・・・・親とかに何て報告すればいい訳?!
一瞬、パニックに陥り掛けて、ある事が閃く。
あっ!!そうかっ!!直接、先生に連絡取ればいいんじゃん?!
携帯っ!!先生の携帯っ!!
ポケットの中から携帯取り出そうとして、慌てて、足元に落っことして。
拾おうと腰を屈めた所に
「ひゃひゃひゃひゃ!!」
って・・・・何か妙に独特な笑い声が降って来て。
慌てて頭を上げたけど、そこには誰もいなくて。
笑い声はまだ続いている。
「マジかよ・・・・あ、腹、痛ぇ・・・・やべ・・・堪んねぇよ、こいつ・・・・」
笑い声の合間にそんなセリフが漏れ聞こえて来て。
散々、きょろきょろと辺りを見回して、その音源がインターフォンだと、漸く気付く。
「き、木村、先生・・・・・?」
恐る恐る、インターフォンに話掛けたら。
「やっと気付いた?お前、面白過ぎ。あー、腹、痛ぇ」
案の定、インターフォンからはそんな返事が返って来る。
「あの・・・・一体、いつから・・・・?」
あんまり、聞きたくはなかったけど。
「2回チャイムが鳴った辺から。ここはセキュリティー厳重だからな、玄関先まで到着
出来るヤツっつーのは、一応、こっちから許可出してるヤツなだけな訳よ。でな、そういう
ヤツでチャイム2回鳴らすヤツって居ねぇんだよ、普通。1回鳴らして、名乗る」
・・・・・そう言われれば・・・
1度だけ中居さんに連れられて来た時、確かに中居さんはチャイムの後、返事を待たずに
名前を名乗ってた。
けど、あれは中居さんだから許されるんであって・・・・
そう思ってて・・・・
「なのに2回鳴るから、誰だよ、って。モニタ見たらお前が映ってて」
そうして、また、声が笑いを含んで震える。
「ずっと・・・・そうやってご覧になられてた、って事ですか?」
・・・って言うか、今も、俺からは先生の顔とかは全然、見えないけど、先生からは俺が
ばっちり見えてる、って事なんだよな・・・・・
何か、それってちょっとアンフェアでヤな感じ・・・・
「おうよ。玄関の前で一人で百面相とかしてよ。ひっさびさ、マジで腹の底から笑わして
もらったわ。お前、面白過ぎ。編集なんか辞めて、お笑いに転向しろよ。ぜってぇ、売れっから。
俺が保証してやるわ」
「・・・・・結構です」
って言うより・・・・・
いつになったら中に入れてもらえる訳?
もしかして、このまま、玄関先で追い返されるって事?
「あの・・・・お邪魔させて頂いても宜しいですか?」
「あ?入るんだったら入って来れば?開いてっから」
・・・・・・何、それ?だったら始めっからそう言ってよ。
何か、既にして・・・・いいようにあしらわれてる気がする・・・・・
暗雲が立ち込める思いで・・・・
中居さんが言ってた事はあながち、嘘八百でもなさそうだ、と。そんな確信が胸を重く
塞いで行く。
|