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【2】
タクシーが止まって、降り立った場所は洒落た概観のデザイナーズマンションで。
作家先生、と聞いて、どっしりとした構えの日本家屋を想像していた俺は、そっか、
最近はやっぱり、マンションなんだ・・・・と、妙な事に感心しつつ、アルコープを
抜けてエントランスに向かう中居さんの後を追う。
エレベーターに乗り込み、最上階のボタンを押して、壁に背中を預けた中居さんは、
相変わらず不機嫌丸出しのオーラを微塵も崩そうとはせず、俺は作家先生の所へお供
させてもらえるなんて初めての経験で色々と聞きたい事とかも山ほどあったのに、何も
話し掛ける事さえ出来ずに、ただ、一人、ワクワクと胸を躍らせていて。
目的の階に到着し、ゆったりと広めに設計された廊下の、戸建て感覚を思わせるポーチを
幾つか過ぎて、ある部屋の前で中居さんは脚を止め、インターホンを押した。
「中居です」
低く告げる声は堂に入って渋くて。
とても、俺よりたった1年だけ先輩だなんて思えないほど。
「開いてるから入って来れば?」
想像してたよりずっと若い、砕けた口調の返事が返って来て。
「失礼します」
インターホンにそう断って中居さんはドアを開け、室内に入って行く。
・・・・・えっと・・・俺もついてっていいのかな?
一瞬、玄関で迷って、足を止めた俺を振り返って中居さんは
「何やってんだよ、来いよ」
小声でそう呼び掛けて。
「・・・・お邪魔します」
極、小さく、呟くように口の中で言葉を漏らして、俺は恐る恐る中居さんの後に続いた。
勝手知ったる、と言った雰囲気で中居さんは躊躇いなく、目の前のドアを開けて、リビングを
抜け、更に奥へと進んで行く。
そうして、一際、重厚な作りのドアの前で足を止めて、その部屋のドアをノックした。
「どうぞ」
「失礼します」
入室を許可する言葉に中居さんがドアを開けて。
ドアの向こうに、こちらに背中を向けて、机に向かっている後ろ姿が見えて、その姿勢の
まま
「中居が出向いて来るって珍しいじゃん。何?締め切り?もう、そんな時期だっけ?」
声だけが投げ掛けられた。
「いえ。締め切りまでにはまだ少し時間があります」
中居さんはいつにない硬い声で律儀にそんな返答を返した後
「今日は、新しい担当をご紹介に上がりました」
そんなセリフを続ける。
「・・・・へぇ?」
俺達に背中を向けていたその人の声と、え?!って内心の俺の声が重なる。
回転式のチェアをゆっくりと回転させて、向こうを向いていたその人がこちらに向き直り。
「木村先生?!」
思わず俺は結構なボリュームで叫んでいた。
「・・・・何?俺の事、知ってんの?」
ちょっと見は楽しげに目を細めて、口元に笑みを浮かべたその表情が、けど、決して、
本気の笑みを湛えている訳ではない事は感じられたけど。
「はい!お、僕、先生のファンなんです!これまで発表された作品も全部、持ってます!
凄いなぁ・・・・本物だぁ・・・・中居さん、ここに来るまで何にも教えてくれないん
ですもん。心の準備とか・・・・・あ、何か嘘みたいだ・・・・凄い・・・・あの・・・
サイン、下さい!!」
思わず、カバンの中からファイルブック取り出して先生の目の前に、両手で押し出した俺に
先生はさすがに驚いたみたいで、きょとん、と俺を見た後、シニカルに唇を歪めて中居さんに
視線を移し
「何、これ?」
と、軽く何度か俺を親指で指す。
「新人の・・・・今後、私に代わって先生の担当を務めさせて頂きます、稲垣です」
「編集?」
「はい」
「マジで?」
「はい」
「へぇー。お前んとこ、俺の事、そういう扱いなんだ?こぉんな新人に俺の担当、させる
って?前の担当がお前に代わった時も大概だと思ったけどよ。まだ、てんでガキじゃん。
何、俺の事、ナメてんの?」
鋭い眼差しが中居さんにまっすぐ注がれる。
「もちろん、私も反対しましたよ。こいつに先生の担当は無理です、と。ですが」
そこで一旦、言葉を切った中居さんは、ゆるり・・・と冷たい光を瞳の中に忍ばせた。
「どこかの我が儘な作家先生がどうしてもあいつでなきゃ嫌だ。あいつを担当に出来ない
んだったら、1行も原稿を書かない、とかなんとか、仰ったとか仰らなかった、とか、
伺いましたが、私は」
「・・・・・ったく、どいつもこいつも口が軽ぃんだからよ」
軽く舌打ちをして、先生はおもむろにコチラに視線を投げて来て。
「俺のファン?っつったっけ?読んでんの?俺の書いたヤツ」
「はい!全部!」
「最近の・・・どうよ?素直な感想?聞かせてよ、生の声、ってヤツ?」
「え?あ、はい」
正直、俺なんかが感想を言う、とかおこがましい、とは思ったけど。
でも、折角だし。こんな機会なんかもう2度とないかも知れない、そう思って。
「それぞれのエピソードに対するキャラクターの心理描写が巧みで、どこにでもありふれた
話のようでいて、そのキャラクターの魅力を表現されている所がとても素晴らしいな、と。
ありふれた日常の些細な出来事の中に潜む無意識の悪意だとか、どんな人間も多かれ少なかれ
秘めている多面性だとか、いつもは見逃しているんだけど、すぐ、そこに潜んでいる恐怖
だとか、そういう事まで深く考えさせられるテーマで。ラストの主人公のセリフが含蓄に
富んでいて、読み手に委ねられた結末と言うのもとても興味深くて・・・・凄く面白くて、
とても、素晴らしかったです!!」
「・・・・・ふぅん」
「ずっと憧れてました。先生が新人賞をお取になられたおんなじ回に、実は僕も投稿してて、
僕は結局、掠りもしませんでしたけど・・・・凄い、期待の新人とか褒められて、一気に
ベストセラーになって、映画化とかドラマ化とか、凄かったですよね」
「・・・・・ふっりぃ話すんなよな」
「その時に先生の経歴とかも知って、自分と一歳しか違わない事も。何か改めて学歴だとか
経験だとか関係ないんだなぁ、って。才能のある人は違うんだなぁ、って」
「・・・・・才能、ねぇ?」
「はい!」
「お前、俺に才能とかあると思ぉ訳?最近のとか読んでても?」
「はい!」
確信を持って頷く俺を胡散臭そうに見た後、先生はおもむろに中居さんに視線を移して。
「こいつ、こんなんで編集として務まんの?」
「もちろん、私も精一杯サポートします。宜しくご指導のほど、お願いします」
「・・・・・俺がぁ?」
「一人前の立派な編集者に育ててやって下さい」
「・・・・・・・・・」
「とにかく、そういう事で私の後をこいつが引き継ぎます。ほんとのまだ、新人なんで
どうかお手柔らかにお願いします」
そう言って深く頭を下げた中居さんの眼差しが険しい色を含んで、先生に向けられるのを
少しだけ不思議な思いで窺いながら、俺も同じように頭を下げる。
「宜しくお願いします」
「・・・・・こちらこそ」
ちらり、と。
唇に薄い笑みを浮かべて先生は挑むように挑発的な視線を中居さんに投げ掛ける。
二人の間に微妙な緊張感を感じて。
「今日はご挨拶に伺っただけですので、これで失礼させて頂きます。貴重なお時間を
取らせてしまい、申し訳ありませんでした。連載の締め切り日は10日後です。ちょくちょく
こいつを伺わせますから、経過等お知らせ頂けますようお願いします」
入って来た時と同じ、深く頭を下げて、中居さんが先生にあっさり背中を向ける。
「あの・・・・失礼します」
それに同じように倣って、お辞儀して中居さんの後を追う。
先生はそんな俺達にはまるで興味なさそうに、また、体の向きを前に戻した。
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