|
【21】
「先生のお宅ってドライヤーとかありますよね?」
「は?」
「お借り出来ません?この頭だと落ち着かなくて・・・・」
前髪を一つまみして、上目遣いに摘んだ髪を睨むようにして、軽く溜息を洩らすと。
「つか・・・・お前のそのヨレヨレのスーツ見てっと、こっちが哀しい気分になんだけど?」
「と言われましても・・・髪はドライヤーとかね、お借り出来ればどうにか出来ますけど、
着替えまではね、さすがに・・・・」
「何なら、俺の、着る?」
「・・・・・・・・・・」
一瞬、脳裏をよぎる嫌な予感は、つい、今しがたの会話のせいばかりとは言えないと思う。
「あ、いえ、そんな。先生のをお借りするとかね、恐れ多くて。遠慮します」
「別にんな気ぃ遣わなくても構わねぇよ。ほら、ここの風呂場でぶっ倒れた時にもジャージ
貸してやっただろうが」
・・・・・・・・・そう言えば・・・勝手に着せて下さってたっけ、およそ俺の趣味とは
著しく遠い、真っ赤なジャージ?
それを思い出して、益々。
「やっぱりいいです・・・・別に俺、このままで・・・・・」
・・・・多分、先生とは洋服の趣味は合いそうにないし。
「まぁ、そんな遠慮すんな、って。来いよ」
先生はやおら俺の腕を掴むとリビングを出て、一直線に寝室に向う。
先生のお宅の寝室は壁一面が作りつけのワードローブになっていて、その扉の幾つかを
順々に開け放って。
「こん中から好きなん選べば?」
「うわぁ、先生ってお洒落なんですね?」
意外と言えば少し意外で。
職業柄、こう・・・イメージって言うの?
そういう事とは余り縁のないタイプの人かと思ってた。
「まぁ、スーツっつーのはほとんどねぇけどなー・・・・・えぇと・・・こういうの、どうよ?」
先生がハンガーの幾つかを取り出してはベッドの上に放り転げてくれる。
一面にデカデカと凝ったデザインのスカル模様が描かれたTシャツ、だとか。
ちょっと変わった色の組み合わせの、ニット素材のボーダーのパーカー、だとか。
「・・・・・・・・・・・・・」
下はもちろん、ジーパン類がほとんどで。
「あの・・・・やっぱり・・・・」
想像通り、趣味が・・・違う。
そりゃ、先生が着るんなら、いいかも知れない、けど。
俺は普段、そういう服装もしないし。
「じゃあ・・・・シンプルに」
どうやら、俺が趣味の相違を感じている事に気付いたらしい先生は、今度はシックな黒を
基調としたシャツに、同じように黒っぽいストレートのパンツを見せてくれて。
「こんな感じ、どうよ?」
「あぁ・・・・・・」
これなら、いいかも。
「よっし、そんじゃ決まり」
不意に先生は酷く嬉しそうに笑って。
何がそんなに嬉しいんだろう?
先生のそんな反応が一瞬、引っ掛かり。
その答えは数秒後に明らかになる。
「着替えろ」
それらを俺の手元に押し付けて、先生はこんな時にどうして?と思えるほどの真顔で、しかも、
かなり上から・・・・言えば、有無を言わせない口調で言い渡して来て。
「・・・・え?あ・・・はい」
別にそんなに慇懃無礼に申し渡されなくたってさ、着替えさせてもらいますけど?
受け取ったそれらを、一旦、ベッドの上に戻して。
ジャケットのボタンを外し始めて、ふと・・・・・感じる先生の視線。
「あの・・・先生?えっと・・・それじゃ、俺、これ、お借りします。ちょっと着替えたい
んで・・・・・・」
「おぅ、どうぞ?遠慮なく着替えろよ」
「・・・・・・・・・・・・・・・・」
「生着替え?」
手が止まった。
「別に今更、平気だろ?中居んとこで一晩、パンツ一丁で過ごしたんだし?」
「や、でもっ!でも・・・!中居さんはちゃんと着替えの時は席、外して下さいましたし!」
「そりゃあなぁ・・・一晩中、見続けた後なら、そっから服着るとこ見てたって、面白くも
なんともねぇだろうよ」
「・・・・・・先生、お願いですから、いい加減にして頂けませんか?意識飛ぶほど
酔っ払った挙句の奇行を、そんな風にいつまでも弄り続けられるのって・・・・俺、
それでなくても、正直、結構、堪えてるんですけど、これでも・・・・・・・」
へたり込むって言葉があるけど、ただでさえ万全とは言いかねる体調も手伝って、俺は
溜息をついて、そのまま、ベッドに座り込んでしまった。
基本・・・苛めっ子って言うのはさ・・・相手が泣くまで、って言うか・・・泣いても
やめないものだもんな・・・・・
原稿もらえるアテもなさそうなのに・・・・・なんで、俺、こんなとこでこんな風にしてさ
苛められてなきゃなんないの・・・・?
「おぉーい・・・んな露骨に落ち込むなよ。ちょっとしたジョークだろうが」
「・・・・・当事者としちゃ、笑えませんよ」
「ドライヤー?貸してやるから。好きに使っていいし。だから、機嫌直せよ、な?」
珍しい事に先生は、らしくもなくそんな風に俺の機嫌を窺うように、俺の前にしゃがみ込み、
顔を覗き込んで来たりだとかして。
・・・・・・また、何か企んでんじゃないの・・・・・?
ずっと、いつも苛められ続けて来たお陰で、もしかしたら、先生が少しは本気で反省して
くれたんだとしても、そうは受け取れなくて、疑心暗鬼に陥るのも仕方ない事だと思う。
「・・・・・・いいですよ、どうせ、また、その代わり、とか何とか仰るおもつりなんでしょ?」
別に本気でそんな事を思った訳でもないけど。
少し、本気で落ち込み加減の分、拗ねてみたい気もあって。
「んだよ、親切で言ってやってんのに、そーゆー態度な訳?」
途端に。
掌を返すようにって言葉があるように。
そう、先生は元々、驚くほどプライドの高い人でもある訳だし。
そんな先生が例え、ほんの一瞬でもしたでに、って言うか、折れて出てくれた事自体が
奇跡みたいなもので。
あ、っと思ったけど。
でも、こういう事は凄くタイミングが大事で。
言葉を飲み込んでしまった瞬間に、先生はサッ!と勢い良く立ち上がっ・・・・て?
「あっ・・・・っつ・・・!え?」
ガクリ、と腰が折れて。
そのままの勢いで俺に覆い被さるように突っ伏して来て。
一瞬、いつもの先生の悪ふざけ、かと思ったけど。
その、突っ伏して来る瞬間の先生の驚愕に歪んだ顔を間近に捉える事が出来たお陰で。
先生は自分でも何が起こったのは分からないように。
それでも、表情を苦しげに歪めたまま、辛うじて、俺の肩に縋りついたまま、完全に膝から
下が崩れ落ちて行く。
「先生?!先生!どうしたんですか?!」
先生の身体を支えるつもりで腰の辺りに回した腕に
「いっつぅ!!いてぇ!ちょっ!何なんだよ、これ?!」
飛び上がらんばかりに先生の身体が震えて。
「大丈夫ですか?取り敢えず、このまま、そっと・・・・ベッドに・・・動けます?」
先生の脇を支え、ゆっくり、ゆっくり、静かにベッドの上に先生の身体を引っ張り上げる。
「ぅわ・・・ってぇ・・・!ちょ・・・!もっと、そっとやれよ!」
「やってますよ!」
痛みのせいで、ただでさえ高飛車な先生の態度は益々、その度合いを増してはいるけど。
どうにか、うつ伏せに先生をベッドに横たわらせて。
「これって・・・・・魔女の一撃、とか言われてる・・・所謂、ギックリ腰ってやつ、
ですよね?」
・・・・・初めて見た・・・・・・
凄い・・・・ほんとに何の前触れもなしに、突然、なんだ、これ・・・・・・
「バッ?!ギックリ腰って何だよっ!んなのはなっ・・・ジジババのなるモンだろぉがっ!」
ギックリ腰って言うネーミングがきっと、いけないんだろうなー、とは思う。
そういう印象を持たれがちなのはさ。
「いや、そうでもないみたいですよ」
俺は先生をベッドに寝かせた後、速攻で、まず、何をしたか、って携帯でぎっくり腰についての
検索をしてて。
「んだよ?」
「10代20代にも割りとあるみたいです。突発的な筋肉疲労によるぎっくり腰。スポーツを
してる時だとか」
「・・・・・何もしてねぇじゃんよ、ただ、立ち上がろうとしただけで」
「先生の場合は・・・・慢性筋肉疲労によるものの方が大きいんじゃないのかな、って思いますけど。
特に現代は多いみたいですけど、長時間同じ姿勢で、パソコンに向う事によって慢性筋肉疲労状態に
陥っている身体が悲鳴を上げた状態?」
「・・・・・・・・・・」
そうして、せっせと検索を進めながら。
「ちょっと失礼しますね」
横になった先生のシャツの裾を捲って腰の辺りに手を触れてみると、確かに凄く熱を持っていて。
「あぁ・・・・これか・・・・・」
筋肉が炎症を起こした際にはその箇所が熱を帯びて、それの対処法として、やっぱり、まず、
冷やす事、と・・・・・・
「先生?先生のお宅に冷湿布とかあります?」
「湿布?冷蔵庫のどっかに眠ってっかも知れねぇけど・・・・・」
曖昧な記憶を辿るように呟いた先生の返事は、残念ながら、つい、最近、冷蔵庫の中を確認
した俺の記憶によれば、外れていて。
「冷蔵庫にないとするとない、って事ですね?」
「・・・・・・まぁな。冷湿布を薬箱には仕舞わねぇはずだから・・・・・」
言いながらも、先生は痛みを堪えてる風でもあって。
「ちょっと必要なもの、買出しに行って来ます」
痛みが引くまでは絶対安静でないといけないみたいだし・・・・・
程度にもよるんだろうけど・・・・体験した人の話によると、寝返りさえ辛いみたいだし
・・・・・
早くても2、3日?
長ければ、もっと、って事になるんだとしたら・・・・・・
頭の中で可能な限りのシュミレーションを繰り返しながら。
必要なものをメモに打ち込みつつ。
「え?あ・・・・ちょ・・・おま・・・」
さっさと立ち上がった俺に、先生はほとんど反射的にベッドから手を伸ばし掛けて、途端に
「いでででで・・・・・」
と呻いている。
「大丈夫ですよ?なるべく早く帰って来ますから。絶対安静が第一条件らしいんで。絶対に
無理に動こうとしたりなんかしないで下さいね」
そう念を押すと
「動きたくても動けねぇ・・・・・」
苦しげな表情の下で、弱く洩れた声が、こんな先生でもやっぱり、可哀想に思えて。
「じゃあ、大人しくしてて下さいね」
財布と携帯を確認して、先生んちを飛び出すような勢いで後にする時には既に、自分の髪の
事だとか、ヨレヨレのスーツの事だとかは消えていた。
|