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【20】
ピンポーン♪
チャイムを鳴らして、いつものように「稲垣です」と名乗ろうとした途端、ガチャリと
ドアが開いて、正直、かなり驚いた。
「おぅ」
ドアの向こうに立っていたのは、当たり前だけど、やっぱりこの家の主の先生で。
そのタイミングが、でも、余りに良過ぎたから、てっきり。
「あ、今からどちらかへお出掛けですか?」
なんて。真っ当な質問が出来る程度に、中居さんの買ってくれたドリンク剤は即効性の
効果を見せてくれていて。
あんなにどうしようもない酷い痛みが、今は、少しズキズキする程度に治まっていて。
ほう・・・っと。
ずっと、痛みを堪えるせいで強張っていた身体の緊張を解きながら、この程度なら、先生の
お相手もどうにかなる、かな・・・・・
そんな思いでチャイムを押した矢先の事で。
「別に」
極めてシンプルに先生はそう答えて下さって、そのまま、俺を中へ招き入れて下さる。
「初めてですね、先生にこんな風に出迎えて頂けるなんて」
「おぅよ。大いに有難がってくれ。何せ、初めてっつっても過言じゃねぇぐれぇだかんな、
こうして、わざわざ出迎えてやる、なんてよ」
リビングに続く廊下の途中。
大仰な先生のセリフだけど、確かにそうなんだろうなぁ、と言う程度には想像がつく。
担当編集者をわざわざ、玄関まで足を運んで出迎える、なんて事は何があってもしなさそうな
先生だし。
「恐れ入ります」
丁度、リビングに到着して。
いつもより心持ち丁寧に下げた頭にシロシロと感じる視線。
「・・・・つか・・・」
言い掛けた先生の言葉が詰まって、その表情は見る間に端正なデッサンを崩して行って。
あ、別に先生の笑顔が崩れてる、って意味じゃあ、当然、ないにしても。
でも、徐々に目尻が下がって、唇がひくひくと痙攣を始めて・・・・・・
「おま・・・・どうしたの、それ・・・?」
必死に笑いを堪えてるのがありありと伝わって来る。
「・・・・・セットしてる時間がなかっただけです・・・・」
って言うか・・・・確か、先生もご存知のはずだけどなー、俺のこういう頭。
1回、先生んちのお風呂場で滑って気を失って、目が覚めた時、多分、こんな頭になってた
はず・・・・・
でも、あの時は頭が痛かったりだとか、その他、モロモロ、先生に振り回されてるうちに、
髪の事まで気が回らなかった気が・・・・・
それって、この俺にしては、限りなく珍しい事だったんじゃないか、って、こうやって
改めて思い出してみると、そう感じるけど。
「・・・・・つか、頭だけじゃなくて・・・・何かすげー恰好じゃねぇ?スーツ、ヨレヨレ
だしよぉ・・・いかにも寝起きです!みてぇな?んだよ、もしかして、昨夜、うち、帰ってねぇ
とか言う?昨日とまんま、おんなじ恰好だよな?これ」
言いながら、先生は真正面に立って、クイッとネクタイを引っ張って来る。
「あ・・・・あの・・・昨夜は中居さんちで・・・・」
「中居ぃ?」
ぴくっと先生の眉が動く。
「あ・・・俺、ちょっと酔っちゃって・・・一緒に居た中居さんが自分ちに泊めて下さって
・・・・・」
「へぇ?お前と中居ってそういう仲なんだ?」
「・・・・・・そういう仲、って?」
「互いの家に泊まり合う関係」
語調にどう表現していいのかは、ちょっと分かりかねるけれど、微妙な色が混じった気がして。
「い、いえ!そんな、違いますって!初めてって言うか、最初で最後って言うか・・・・・・
俺、普段、あんな風に正体なくすほど、酒に呑まれる事ってほんと、ないんですけど・・・・
でも、俺がそんな風に酔っ払っちゃって、俺の住所をご存じなかった中居さんが仕方なく
自宅に連れ帰って下さって・・・・・・」
少し焦って、必要以上に詳しく、事の経緯を説明してしまっていた。
「ふぅん?単なる職場の後輩に対して?えらく面倒見がいいんだな、中居は」
それでも、まだ、疑わしげな先生の声に。
「あぁ、そうなんですよ。何かね、意外に世話好きって言うんですか?そうなんですよね、
俺も知らなかったんですけど、何か甲斐甲斐しい奥さん?みたいなね?ネクタイ、結んで
くれたりだとかして」
思い出してちょっと笑いが込み上げて来る。
そんな俺を見ている先生の視線が、何か苦虫でも噛み潰したような険しさを感じさせない
でもなかったけど。
「あ、中居さんには俺がこんな事、言ってたって事、内緒にして下さいね?そんな事、俺が
思ってたって知ったら、絶対に、中居さん、俺の事、殴るに決まってるんですから」
「ふぅん?で?お前としても、まるで赤の他人みてぇな先輩にネクタイまで結んでもらって?
満更でもなかった、ってか?」
「満更でもって言うか・・・・いや、俺、その時、凄い二日酔いに苛まれてまして、何かねー、
こう・・・あんまり正常な意識が働いてなかった、って言うか・・・・・・ほんと、今、
先生も仰いましたけど、赤の他人の先輩の家でね、自分でどんどん服脱いじゃって、下着
一枚で眠り込んでた、とかね・・・・もう、自分の仕業と思えないほどですもん」
「・・・・・ふん、パンツ一丁、って話、マジだったって事か・・・・・」
「え?」
低い低い呟きを口の中で洩らした木村先生の言葉までは聞き取れなくて。
「何、お前、俺の前ではあんなに頑なに脱ぐの、拒むくせして、中居の前だと平気で脱ぐんだ?」
「じゃなくてっ!あの時はほんとに、俺であって俺じゃなかったって言うか!何をどう考えても
あり得ないんですもん、自分から人前で服、脱ぐだとかね」
「・・・・・・自分で脱いだ事、覚えてんの?」
「まさか。覚えてるぐらい意識が残ってたんだとしたら、絶対に脱ぎませんよ」
「だとしたら、中居のでっちあげ?って事も考えられんだろ?」
「・・・・・・その可能性も疑っては見ましたけど・・・・中居さんがわざわざ俺の服、
脱がす理由がないですからね」
「ねぇの?」
「は?」
「理由、ねぇの?」
「あったら怖いじゃないですか」
「・・・・・お前、身体のどっかにこう・・・違和感とかねぇ?」
真顔で尋ねられて、一瞬、先生が俺の事を心配して下さってるような錯覚に陥り掛けたけど。
「痛み、だとか・・・・」
「頭、痛いですよ?吐き気もまだ、少しありますし」
「じゃなくて」
さっきの中居さんと本当に良く似た・・・・・意地悪くキラキラと煌く瞳が、いっそ、こんな
時なのに悔しいほど美しくて・・・・
苛めっ子って言うのは・・・・どうして、こう、人を苛める時に輝きを増すんだろう、って。
素朴な疑問に突き当たる。
人間、自分が楽しい、と感じている事をしてる時っていうのは・・・・それが例え、どんな
悪行であったとしても、こんなに輝くものなんだろうか・・・・・
「一晩中、一緒に居たんだろ?」
「変な言い方、しないで下さい」
「で、お前はまるで、意識がなかった、と」
「・・・・・木村先生」
「しかも、下着一枚で」
「・・・・・いい加減にして下さい」
「これで何もねぇ方がぜぇぇぇぇってぇ、おかしいだろ?!」
「おかしくなんかありませんよっ!何があるって言うんです?!仮にも同性同士なんですよ?!」
「は?お前、知らねぇの?このご時勢、BL、同性愛なんざー、その辺に転がってる石っころ
並みにごろごろしてるっつーの!」
「石っころが何万個転がってようが、何十万個転がってようが、俺には無関係です!!」
ぜぇぜぇと肩で息を弾ませるほどに、喚いて。
「・・・・っつーか、お前ってほんっと、何でもすっげー真に受ける体質だよなー・・・・」
そう言って、一拍の呼吸の後、先生はまた、いつもの例の特徴的な笑い声を響かせてくれる。
・・・・・また・・・・
分かってるのに・・・・
単なる悪ふざけで、俺がソレに対して起こすリアクションをただ、ただ、面白がってるだけ
なのに。
そう分かってて、どうして、俺はいつも、こんなに素直に先生を悦ばせてしまうリアクションを
返してしまうんだろう・・・・・
ほんの僅か、落ち込み加減な気分は、けど、楽しそうな先生の笑顔を見てると、何となく
どうでも良く感じられて来て。
慣れって恐ろしいな、って。
先生にこんな風にして振り回される事に、段々、少しずつだけど、慣れを感じ始めている
らしい、自分に驚くけど。
「・・・・・先生と中居さんって、似てますよねー・・・・・」
「どこが?!」
一瞬のうちに鋭く食いついて来た先生に。
「俺、苛めて喜んでる所が」
けど、そう言いながら、俺もちょっとだけ笑っていた。
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