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【18】
所々にくっきりと皺の刻まれたシャツを羽織り、ヨレヨレになってるズボンに足を通しながら、
やっぱり、どうしたって気になるのは・・・・・何で、自分がよりよもよって先輩編集者とは
言え、赤の他人の家でこんな恰好で眠り込んでしまっていたか、って事で。
なんとかして、事の真相に辿り着きたいと思って、記憶を辿ろうとするのに、その作業は
二日酔いのせいで、ようとしてまるで捗らない。
衝撃の事実(?)を突きつけられて、その瞬間、薄らいだと思っていたはずの吐き気を伴う頭痛は、
ちょっと身動きするだけでも目が眩みそうに迫って来て。
こんなに痛いのに、二日酔いぐれぇで仕事休むなんて言語道断!とか、切って捨てちゃって
くれる中居さんは、二日酔いがどれほど苦しいものなのか、絶対に知らないだけなんだ、と
恨めしい気持ちが募って来る。
あー・・・・・でも、そう言えば・・・・
俺の歓迎会の次の日だとか・・・・
デスクにぐったりと突っ伏して、ほとんど一日、使い物にならなかった中居さんの姿が
思い出されて。
あれは、もしかしたら、二日酔いだったのかな、って言うか、確かに編集部の人達が中居さんの
事、飲み過ぎだの、二日酔いとかって言ってたっけ。
世の社会人の人達って言うのは・・・こんな過酷な状況でもちゃんと一応は職場に出勤
してるんだなー、って。
そりゃ、それ以前の自己管理の問題って点は否めないにしても、こんな時には妙に尊敬
だとかを感じないでもなくて。
それにしても・・・・・
・・・・・・・はぁ・・・・こんな体調で木村先生と顔つき合わせてるなんて、想像する
だけでも頭、痛いよ・・・・・
そんな事を思いながら、痛みを誤魔化し誤魔化ししつつ着替えてる最中。
「おら!服着るだけにどんだけ時間、掛かってんだよ!マジで時間、ねぇんだぞ!」
いきなり、ノックもなしにドアが開いて。
そりゃ、既にシャツは着て、ズボンも穿いてる状態ではあったけど、それでも咄嗟に
「きゃあ!」とか声が出ちゃったのは、着替えの最中だって意識が働くせいで。
「バ・・・っ?!おっかしな声、出してんじゃねぇよっ!何がキャア!だよ。おめぇは
女子高生かっ!」
今にも張り手が飛んできそうな気配に、慌てて、頭を庇う。
今、この状態でそんな目に遭ったりなんかしたら、本当に出社どころじゃなくなりそうで。
「なぁに、ビビってやがんだ」
ふと、間近で声が綻んで。
カッターシャツの襟を立てられたかと思ったら、ネクタイが引っ掛けられて。
「ほんっとに手ぇ掛かんだからよ」
独り言のようなささやかな苦情と共に、中居さんがネクタイを結んでくれてる。
ほんの少し自分よりも低い目線の先にあるアーモンド型の目が時折、瞬きする様を何となく
眺めたまま。
中居さんて、意外に細かいとこで面倒見がいいんだなー、とか。
そんな感想なんかも胸に抱きつつ。
シュッと衣擦れの音と同時に、襟元にいつもの微かな緊張感を感じて。
「ほい、これも、さっさと着ろ」
ジャケットも着せ掛けてくれて。
何か・・・・甲斐甲斐しい奥さんみたいだなー、とか。
そんな事を口にしようもんなら、今度こそ、絶対に張っ倒される事だけはリアルに確信が
持てたから、思うだけにしておいたけど。
「よし、行くぞ」
ご丁寧にジャケットのボタンも嵌めてくれて。
そのまま、袖口を掴まれて引っ張られる。
「あ?いや、あの、俺、まだ、顔、洗ってないですし・・・髪!髪も多分、ぐっちゃぐちゃに
なってる、って思うんですけど・・・・・」
「あ?ま、そりゃ、顔洗う時間ぐれぇくれてやっけど。頭、別にそんなおかしくもねぇぞ」
思いの他、真顔でそう返されて。
え?もしかして、今日って意外にマトモな髪型に落ち着いてんの?とか、一瞬、儚い夢を
描き掛けたけど。
「くるんくるんしてて、それはそれで可愛いべ」
・・・・・・・・・・・・・・・・
これは・・・・中居さん流のとっておきの嫌がらせなんだ、って気付く。
か、可愛い、って・・・・
同性の職場の先輩からそう真顔で言われて、俺は一体、どんなリアクションをすればいい訳?
「・・・・・・そうですか・・・それはどうも・・・・・」
形ばかり、ほんの僅かに頭を下げて。
「洗面所、そこだから」
引き摺られるようにして部屋を出て、中居さんは廊下の奥を指差す。
「5分な」
時間を区切る事も忘れずに。
俺は目的の場所に立って。
鏡に映った、やっぱり、いつもの、ものの見事にくるんくるんにカールを描いている髪を
一摘みして溜息をついた。
5分でなんか、絶対にセット出来ない・・・・・
第一、ここ、多分、ドライヤーなんかもないだろうし・・・・・
四面楚歌、ってこういうの、言うのかなー・・・・・・
取り敢えず、最低限の洗面等を済ませて、約束の5分で中居さんの所に戻って。
「お?意外にちゃんと時間通りじゃん。何、やれば出来んじゃん」
出来の悪い子がたまに言いつけを守った時のように、中居さんは案外、素直に笑みを見せて
くれて。
「あの・・・・朝ご飯とか・・・」
「へ?おめぇ食えんの?」
つい、習慣性でそんな質問をしてしまい、逆に問い返されて、あぁ、確かに食欲はまるで
ない事を思い出す。
「途中で二日酔いに効くドリンクとか買ってやるよ」
「・・・って言うか・・・こんな頭で人前になんか出られないんですけど、俺・・・・・」
「んだよ、まぁだ言ってんのか、おめぇは。かぁいいっつってんべ?」
・・・・・・・・そうか・・・これは、俺に髪を弄らせないための中居さんの戦法?
「せ、せめて何か帽子、とか・・・・・」
「帽子っておめぇ、スーツで帽子って、その方がよっぽどおかしい気ぃすっけど、俺ぁ」
確かに・・・・
どんなにファッションセンスが優れてるんだとしても・・・・スーツに帽子を映えさせる
って言うのは・・・・なかなかに至難の業かも知れない。
「んじゃあ・・・ここ出たら下で速攻、車、拾ってやるよ。そんで木村センセんとこまで
行きゃあ、道中、そんなに人に会う事もねぇべ?後はセンセん家ん中に居りゃあ問題解決」
「木村先生の前で、ずっとこの頭で居ろって言う意味ですか?」
「あぁん?センセだって別にんなもん、おめぇの髪型までどうこうって言わねぇだろうよ?」
「じゃなくて、俺が嫌なんですってば。ねぇ、中居さん、お願いしますよ、半休でいいですから。
うち帰って髪、セットさせて下さいよ・・・・・」
「甘ったれた事、抜かしてんじゃねぇよ。だったら、もっと早く起きりゃあいいんだろうが」
「だったら、もっと早く起こして下されば良かったじゃないですか」
「少しでもゆっくり寝かせてやるべって、俺の心遣いが裏目に出たって言いてぇ?」
「・・・・・・・それは・・・・・・」
「仕事舐めんのも大概にしろ」
不意に先輩社会人としての厳しい顔つきを見せられて、さすがにそれ以上は何も言えなくなる。
玄関を出て鍵を掛けている中居さんの少し後ろに立って。
「何か・・・不思議な感じですよね?こんな風にして家族でもないのに、おんなじ家から
一緒に出社するとかってね?」
何となくそう口にした俺の言葉に中居さんは振り返り様
「くっだらねぇ事、抜かしてんじゃねぇっ!てめぇが!てめぇが前後不覚に酔っ払ったり
するから悪ぃんだろうがっ!」
って、それこそ、ご近所迷惑なほどに声を張り上げて。
露骨にその声がまた、頭痛を直撃してくれて。
言うんじゃなかった、って後悔したって後の祭り。
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