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【2】
「なぁ、吾郎?」
お味噌汁を注いで俺が腰を下ろしてるテーブルに運んで来てくれて。
コト、と。小さな音と同時に置いてくれながら静かな声音で呼び掛けられて。
大学に復学してからもやっぱり拓にぃの家事分担はそれまでとほとんど変わってなくて。
比較的朝がゆっくり目なのを理由に朝食の支度や洗濯なんかも大学へ出掛ける前に済ませて。
夕飯の支度やなんかは大学から帰ってから、とか。
拓にぃの復学に際して家事分担はみんなですればいい、って俺の提案は、結局、あっさり
拓にぃ自身によって却下をくらっていたりもして。
「お前らに任せとけねぇ、っつーの?自分でやった方が早くて確実」
とか。確かにそれはその通りでもあって。
俺だって包丁だとかキッチン関係の調理道具なんて、必要に迫られて中学の頃に家庭科か
何かで年に1、2度触れるのが関の山だったし、それこそ手伝うつもりでヘタに手出しなんて
しようもんなら邪魔になる事請け合いで。
俺は俺で大学に進学してから、少し時間の猶予が出来た事もあって、一時期、活動を停止
していた執筆を再開したりもしてた。
「何?」
椅子に腰を下ろした位置から拓にぃを見上げる。
「お前、今日、抗議終わってから何か予定ある?」
「今日?ないよ、特に」
「だったら、ちょい俺に付き合わねぇ?」
「いいよ」
昨夜の事なんか何もなかったかのようにいつもと同じ調子で。
そんな約束を交わして。
そう言えば・・・・・・拓にぃはいつ、中国に経つんだろう・・・・・
救済ボランティア、って言うからには・・・・そんなに何週間も何ヶ月も先、って事はあり得ない
事ぐらいは考えるまでもなく想像出来る事でもあって・・・・・
ふ、と。
そんな事が脳裏を掠めもしたけど。
敢えて俺の方がその話題を振る勇気は持てなかった。
広にぃと剛、慎吾の3人分の夕飯の支度までを滞りなく済ませて既にテーブルにセッティング
してあるのを、講義後帰宅して目に留めた俺は、さすがだな、って感心するのと同時に、この
うちを拓にぃが留守にするようになった時の事を思って、青褪めないでもなくて。
こんな風にまともな食事にありつけるのも後ちょっとかも知れない、とか。
別に食事の心配だけじゃ、もちろんないにしても、それでも、やっぱり、その事は最も分かり易く
家族にダメージを与えてくれそうにも思えて。
そして、そんな事ぐらいはきっと、拓にぃ自身も他の誰よりも安易に想像つく事でもあって。
それでも、拓にぃはその決断をした・・・・
何が・・・・・・・
何が拓にぃをそんな風にかき立てたんだろう・・・・・・
何が拓にぃにそんな決断をさせたんだろう・・・・・・
俺が帰宅してから少しして拓にぃも帰って来て。
「お?早かったじゃん?もう出掛けられる?」
俺を見るなり拓にぃは少し慌てたように自分の部屋に向かい掛ける。
「え?あ、うん・・・・て言うか、拓にぃ着替えんの?」
「ん?あー、ちょい、な?すぐ支度すっから、もうちょい待ってろ、な?」
別にわざわざ改めて着替えなくちゃなんないような、そんな服装でもなかったはずなのに、って。
そんな疑問をほんの少し感じた俺は、着替えを済ませて現れた拓にぃの姿に一瞬たじろぐ。
「え?!って、ちょっと何か異様にリキ入ってない?って言うか・・・・・何でそんなにオシャレ
とかしてる訳?」
「ん?オシャレ?そっか?」
そっか?って拓にぃは笑うけど。
それって思いっきり拓にぃの勝負服って言うか・・・・
に、俺には見えるんですけど・・・・・・
第一、拓にぃがそれだけの恰好するんだとしたら、俺も幾ら何でももう少し・・・・・・
「俺もやっぱ着替えよう、かな・・・・?」
「ん?お前?そうか?別に今のままで全然OKだと思うけど、俺は」
「そかな?だって拓にぃがそんなにリキ入れるんだとしたらさ、やっぱ・・・・・・」
「大丈夫だって。お前はそのままで十分オシャレだからよ」
拓にぃはそのまま俺の肩に腕を回し玄関にいざなう。
戸締りをした後、駐車場ではなくそのまま駅へ向う方角へ進路を取った拓にぃに。
「買い物?」
「ん。ちょいな」
詳しい事はまだ秘密、みたいな雰囲気で拓にぃは軽く頷いて。
2人して肩を並べて駅までの道を歩く。
こんな風にして一緒に歩く事は案外、滅多になくて。
前に一緒に歩いたのはいつだったんだろう、って。
あの時、かな・・・・・・
母の命日のお参りに一度、拓にぃと一緒に確か・・・・・
何となくそんな回想に仄かな記憶を遊ばせてる最中、
「寒くねぇ?」
「うん。大丈夫」
駅までのほんのちょっとの距離にも関わらず、そんな風に気遣ってくれて。
拓にぃはいつもそんな感じで自分の事より俺の心配ばっかりしてくれてた印象があって。
俺はいつもそんな拓にぃに甘えてばっかりだった気がする。
「拓にぃは?寒くない?」
「んー・・・・・今はまだそうでもねぇけど、これ、帰りだと結構、クるかも知んねぇな」
「拓にぃ、寒いのあんまり得意じゃさそうだもんね」
「お前は寒いの好きだろ?」
「寒いのが好き、って言うか・・・いや、嫌いじゃないけど、冬って季節が好きかな、とか。
冬生まれのせいかな?」
「って、俺も11月なんですけど?生まれたのは」
「ふふ。そう言われればそうなんだけどね」
こんな他愛ない会話がそれでも何となく楽しい。
拓にぃが俺を伴って訪れた場所は大型ショッピングモール内にある、最近割合俺がちょくちょく
買い物したりしてる店だった事にちょっと驚く。
元々は作家仲間の先生が誕生日のプレゼントにってペンダントをくれた事がきっかけで。
それまで余りそう言う感じのアクセサリーだとかには言うほど興味もなかったんだけど、
プレゼントしてもらったそのペンダントはシンプルな中にもキラっとセンスの光る、着け易い
デザインだったりした事もあって気に入って。
割とすぐにお店も教えてもらって。
何度か足を運ぶうち、店員さん達とも少し仲良くなったりもした。
俺が気に入りそうなものが入荷すると取り置きしてくれたりなんかもする感じの。
けど、拓にぃがこの店を知ってるとは正直、思ってなかったから。
「え?ここ?」
「ん、ここ」
「・・・・・あ」
頷きながら拓にぃはそれでも心持ち緊張した雰囲気で店に入って行く。
確かに始めは少し気遅れしそうな佇まいがないでもない、って言うか。
「明日、誕生日だろ?今日は俺がスポンサーになってやるからさ、何か好きなの選べよ」
「え?」
そう言われてやっと。
そう言えば・・・・明日は自分の誕生日だった事に気付く。
何か・・・・・完全にそれどこじろじゃなかった、拓にぃの例の爆弾発言のお陰で。
「・・・・あ、誕生日・・・・」
「明日はどうせ仕事先の人とかと約束あったりすんだろ?彼女、とか・・・・・?」
ほんの少しだけ唇にシニカルな笑みを纏って。
「だから1日早ぇけど、今日、な?ちょい?バースデー?」
「あ・・・・・うん」
それで、今日・・・・・・・
「最近、ここのお気に入りみてぇじゃん。これまであんまアクセとか興味なさそうだったのに、
ここんとこちょくちょく着けてるみてぇなの見て・・・・・」
「でも良く分かったね、ここのだって」
「・・・・・・・・まぁな。で?何にする?」
「んー・・・・・・」
拓にぃに促されて店内を散策するように、あちこちのショーケースやディスプレイを見て
回ったりしてるうち、店員さんの1人が声を掛けて来てくれた。
「吾郎くん、いらっしゃい。今日はお友達も連れて来てくれたの?」
「あ、こんにちは」
振り返って挨拶を返しながら。
「うちの兄です」
「お兄さん?」
同じように声を掛けて来た店員さんを振り返った拓にぃに、その人は少しだけ語尾を上げて。
「カッコイイね。仲いいんだね、お兄さんと。いつもこんな風にして一緒に買い物したりだとか
するの?」
親しい語調で話し掛けられて、こちらも少し笑顔しながら。
「いつもってほどでもないです。やっぱり趣味とか違ったりする部分もあるし。今日は誕生日
プレゼント買ってくれるって。連れて来てくれたのは兄の方なんです」
そんな説明をしてたら、脇腹を肘で少し強く押されて。
「え?」
拓にぃを振り返った俺に、拓にぃは微妙に困ったような顔つきに見えなくもない表情で。
「くっだらねぇ事までくっちゃべってんじゃねぇよ」
とか小声で苦言を呈した後で。
「適当に見させてもらうんで。決まったら呼びますから」
俺に話し掛けて来てた店員さんをまるで追っ払うような空気まで漂わせそうな勢いで、そんな
セリフを言ったりなんかもしてて。
「あ、はい。ではごゆっくり」
店員さんは見事な営業スマイルで丁寧に頭を下げて俺達の傍から離れて行く。
「ちょー・・・拓にぃ。今のはさー・・・・・」
思わずそんな不満を洩らしかけた俺のセリフを「これとかどうよ?」とか、拓にぃはあっさりと
遮って来たりなんかもして。
そんな拓にぃの態度にはちょっとムッとしないものを感じないでもなかったけど、拓にぃが
「これとかどうよ?」って示したアイテムにはちょっと心を奪われた。
ホワイトコードに小さなシルバーのキューブタイプのアクセントのついたブレス。
ブレスはけど、これまでほとんど身に着けた事がなくて、これからも・・・・着ける事があるかな、
って少し想像を巡らせてみる。
「1回着けてみれば?試着OKなんだろ?ここ」
とか言いながら拓にぃはもうそれを手に取っていて。
別に難しい着け外しの要らないタイプの。ただ、手を通すだけのお手軽さと、手首で遊び過ぎない
適度なフィット感はコットンコードの為せる技なのかなー、とか思ったりもしつつ。
硬質なシルバーのアクセントと、それを彩るコットンの柔らかな質感が想像したより全然良くて。
「あ、結構いいかも」
手首を彩る控え目な色使いも断然気に入ってしまった。
「けど・・・・ちょっと女性っぽくない?」
「んー?そっか?悪くねぇと思うけど、俺は。第一、サイズはメンズなんじゃねぇの?お前の
手首に嵌んだから」
「それもそっか」
「んじゃ、俺はこっち、と」
って言いながら拓にぃが手にしたのは同じデザインの色違い。
黒のコードにゴールドのキューブの。
「何かそっちの方が男っぽくてカッコ良くない?」
すかさずそれを手首に嵌めた拓にぃの雰囲気が凄くキマってて。
ちょっと悔しい・・・・ってほどでもないにしても。
「けど、お前にはそっちの方が似合ってんだろ?」
「って言うか・・・・拓にぃも買うの?お揃いの色違い」
「嫌か?」
「別にヤじゃないけど」
「じゃ、いいじゃん」
ふわっと。
ちょっと子どもの頃みたいな無邪気な笑顔を向けられて。
兄弟で色違いで同じのを持ってる、ってちょっと恥ずかしかったりしない?って思わなくも
なかったけど、でも、そんな拓にぃの笑顔を見ると、そう言う気恥ずかしさみたいなのも、
ま、いっか、って思える。
レジでわざわざプレゼント用にラッピングしてもらってる拓にぃの律儀さが嬉しさ半分、恥ずかしさも
少し、って気持ちもしないでもなかったけど。
でも、目の前で買ってても、そう言う事には拘りたい拓にぃの性格は分からないでもなかったから。
「で、買い物の後は腹ごしらえ、って事で」
そうして拓にぃが連れて行ってくれたパスタ専門店はワインとの組み合わせも凄く相性が
良くて。
そして何よりも道路を挟んだ向い側には教会があって。
ライトアップされたステンドグラスがどこか異国情緒を誘う幻想的な佇まいで。
思わず魅入ってしまうほどの美しさに圧倒されそうになる。
さすがにいいお店知ってるなー、って。
「彼女とか連れて来たりだとかしたら凄い喜ばれそうだよね?ワインも美味しいし」
「んー?純粋にお前の好きそうな店だって思って連れて来たつもりだけど、俺は」
「そうなの?普段、デートに使ってるお店かと思っちゃった」
ほんとに女の子を連れて来てあげたら喜びそうな。
「これ・・・・1日早ぇけど・・・・バースデープレゼント」
その席でさっき丁寧に包装してもらってた例の小箱を取り出し、目の前に差し出された。
「あ、ありがと」
「着けてみろよ」
「今?」
「今」
「うん」
外してしまうのが勿体無いぐらいのシックなプレゼント包装を、一応、自分なりに丁寧に
解いて。
一度、お店でも着けてもみたそれを、今度は自分のものとして身に着ける。
「どう?」
手首を軽くかざして見せて。
「ん。似合ってる」
ほんのりと浮かんだ笑みがはにかんだように揺れて。
綺麗な明るめの瞳の色が柔らかく綻ぶ様の心が和んだ。
「拓にぃも着けてみてよ」
「ん?」
俺のセリフに少しだけ首を重ねた拓にぃは、それでも
「いや、俺はいーんだ」
とかって。どう言う訳かそれを身に着けようとはしなくて。
「え?何で?」
「ん・・・・・まぁ・・・・・」
曖昧に濁して視線を外してしまった拓にぃの態度は大いに不可解ではあったけど。
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