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【1】
拓にぃの撮る写真の傾向が変わって来たな、って。
そう感じ始めた頃に、本当はその事を極僅かにでも・・・・せめて、ほんのその片鱗ぐらいは
予想すべきだったんだ、って・・・・・・
そんな事を思ったのは、拓にぃから告げられたその思いを、思いっきり個人的な感情だけで
力一杯否定してしまった後だった。
「俺、今度、ボランティアでぇ・・・・ちょい中国?行ってこようって思ってっから」
夕飯後。
いつもみたいに片付けの済んだダイニングテーブルにノートパソコンを広げ、家計管理の
合間に独り言みたいな空気で、拓にぃがそんなセリフを口にして。
その言い方が余りにも何気ないものだったから、何となくふぅん・・・・みたいな感じで
聞き流しそうにもなったけど。
「中国?」
その地名が余り拓にぃの印象にそぐわなかった事と・・・・・・
「ボランティア、って・・・・・・・」
その言葉が頭の中である一つのシーンを描き出す。
「え?ボランティアで中国、って・・・・・」
改めて、その2つの単語を一つの事柄として理解した瞬間、それを口にした俺の声は若干の
震えを帯びたのが分かった。
「中国、って・・・・・・・」
折りしもニュースではつい先日起きた中国大震災のニュースを大々的に報道してる最中でも
あって。
「まさかボランティア、って・・・・・・」
「ユニセフから派遣される救済ボランティアに参加申し込んだ」
ニュースではまだ余震が続いていて、予断のならない救助活動もままならない状態を、リアルな
映像を交えて生々しく報道してる。
瓦礫の山。
寸断された道路。
黒煙と火の手の立ち上る町の様子と、避難所の人達。
けれど、それはどんなにリアルであっても、やっぱり、どこかある種、他所の事、で。
とてもお気の毒で大変そうで、自分達にも出来る何かがあれば、って、確かに普通に考えたりも
するけれど、じゃあ、それを現実にどんな形で、だとか。
俺はせいぜいが募金をするぐらいが関の山かなー、ぐらいの。
出版社の方から纏めてしてもらえれば、何がしかにはなるだろう的な事ぐらいしか考えてなくて。
「ちょ・・・っ!ちょっと待って。救済ボランティア、って・・・・だって、でも、ほら!
今もまだ余震が続いてて予断のならない状態で救助活動もままならない、とかってテレビでも!」
「ん?おぅ・・・・」
ちら、とその画面に視線を走らせて、けど、拓にぃは一言そう唸ったっきり、それ以上の言葉を
続ける気配はない。
「だって、そんな危険な場所に・・・!ボランティア、って、だって・・・!もし、何かあったら
どうすんの?!って言うか、それってまさか、もう決定?そんな風に思うんだけど、どう?
って言う感じには受け取れなかったんだけど、今の拓にぃの言い方だと」
「相談してんじゃねぇから。報告?」
「何、それ?!報告?!通告の間違いじゃないの?!そんな事、1人で勝手に決めて?!何の
相談もなしな訳?!」
声を荒げて拓にぃに食って掛かる俺を、けど、同じリビングに居る誰も・・・・慎吾も剛も、
広にぃでさえが止めようとして口を挟んで来る様子はなかった。
「もう決めちまったから」
そんな俺に拓にぃはまた一言だけ呟く。
「そんなのって!何で?!何で拓にぃがそんな危険を冒してまでボランティアに参加しなくちゃ
なんないの?!大学で何かそう言う働きかけでもあった訳?!」
そんなセリフを口走りながら、そんな事はあり得ない、って確証だけは確かに胸の中に握り締めてた。
仮にそんな働きかけがあったんだとしても、拓にぃはそう言う形で何かを決める人じゃない
事ぐらいは分かりきってた。
とても尊い、大事な事をしようとしてる事も分かり過ぎるほど分かりきってて、それでも、
そんな拓にぃの英断を俺は素直に素晴らしい、頑張って来て、って受け入れてあげられない。
「ねぇ、拓にぃ、拓にぃのしようとしてる事は本当に尊い素晴らしい事だって分かるよ。けど
・・・・・・・!」
気がつけば俺は両手で拓にぃの両腕を思いっきり握り締めてた。
言葉にするにはさすがに憚られる思い、気持ちを、それでもどうにかして拓にぃに伝えたかった。
それはほとんど意識の行動でもあって。
・・・・・・・そんなのは俺、許さない!!
声に出せない思いが身体中を走り回って、酷く息苦しさを感じる。
「ねぇ、心配なんだよ。もし、拓にぃに何か、って思ったらどうしようもなく・・・・・」
「俺は大丈夫だから」
俺に両腕を掴ませた状態のまま、それでも拓にぃは右手を俺の頭の高さまで持ち上げて、俺の
頭に手を置き、ゆっくりと2度ほど撫でて。
「そんな保障がどこにあんのっ?!」
その拓にぃの手の動きを遮るように俺は掴んだ手に力を込めた。
爪が薄手のトレーナーに食い込んで、きっと、皮膚には痕がついてるだろうな、って。
手の甲に露わに浮き出た血管が、俺がどれほどの力でその腕を握り締めてるかを物語っても
いるようで。
「ねぇ、拓にぃ・・・・・考え直す事は出来ないの?何かもっと他の方法があるかも知れない・・・・・」
しつこく、みっともなくそんな繰言を繰り返す俺に、けど、拓にぃから返された眼差しは潔く
真っ直ぐで。
もうその決断を変える気なんて微塵もない事を余りに如実にこちらに伝えて。
「ま、諦めろ、吾郎。おめぇがそんだけ食い下がっても決心、変えるつもりがねぇんなら
本物なんだよ、それは」
ぽふ、と。
後ろから広にぃの掌が俺の頭に乗せられる。
そのまま、ぽふぽふ、と2、3度頭の上で跳ねた手が、俺のきつく拓にぃのシャツを握り締めてる
袖口をクイクイ、と2度ほど引いた。
それが合図、と言うのでもなかったけど、俺の手は脱力して拓にぃの腕から離れ、だらり、と
自分の両脇に垂れ下がり。
「俺は大丈夫だから」
もう一度こちらに向けて伸ばされかけた拓にぃの手を、それでも俺は音がするほどの勢いで
払い除けていた。
「だから!どこにそんな保障があるって言うんだよっ?!」
ほとんど怒鳴り声に近い声が迸って。
拓にぃの手を払い除ける音と混ざり合って、それは酷くみっともなくリビングに響いたけど。
それをかっこ悪いとも、弟達の前で恥ずかしいとも、思えるだけの気持ちの余裕も持てなくて。
拓にぃのさすがに寂しそうな、ちょっとだけ悔しそうな瞳の意味も分かり過ぎるぐらいに
分かって。
それが余計に自分をどうしようもない愚か者に思わせて悔しかった。
分かってる。
分かってる。
分かってる。
理不尽な我が儘をただ、ただ、感情のままにぶつけてるのは俺の方だ。
拓にぃのしようとしてる事をあんな風に止めるなんて、とんでもない愚行だ。
分かってる。
頭ではこんなに分かってる、のに・・・・・・・
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