「おはよう」
「おはよう」
木村の挨拶に答える吾郎。
何食わぬ顔をしていても、机の上にはしっかり参考書とノートが拡げられてる。
そんな所が人生分かったような顔をしていても、まだ幼い証拠だろう。
その幼さが可愛いくもあったが、その顔の赤さに木村は笑みを引っ込めた。
「とりあえずチェックな。」
体温計を渡し、聴診器を当てる。脈を取り終えるまでがワンセット。
一応、お互いに神妙な顔付きになる。
「朝飯は食った?」
「食べてない」
平然と言う辺りは相変わらずだ。
「お前ね…」
「だって美味しくないもん」
「だからって…」
木村のお説教が始まりそうになり、吾郎は顔をしかめる。
ピピ
二人の間で体温計の音が響く。
それに調子を崩された木村を、吾郎は面白そうに見遣った。
「何度?」
「37.2」
言うと、すぐにオフのボタンを押した。
「ピッ」というその音に木村が焦る。
「おい!」
「何?」
「消すなよ、それ」
「なんで?俺、数字位読めるけど?」
生意気な視線で見上げる吾郎を暫く見下ろすと、額に手を当てた。
「これで37.2とは思えねえんだけど。」
「でもそうだったんだからいいじゃない?それとも、俺が高熱を出してる方がよかった?」
「そんな事言ってないだろ?でも、もう一回」
「え〜」
「挟み方が悪いんだよ。」
子供のように脇を上げられ、体温計を挟み混まれる。
その上、ギュッと腕を押さえられて吾郎は嫌そうにするが、力で木村に敵うわけもなく、
大袈裟に溜息をつき、諦めた。
三分後、
「ほら。どこが7度なんだよ。8度7分」
「あっそ。」
発熱にも慣れているせいか、「だから何?」とでも言い出しそうな口ぶりだ。
「ねえ、今日こそ教えてくれるんでしょ」
小首を傾げて言われた言葉に木村は表情を曇らせる。
「8度7分じゃ無理だろ」
「え!何?ちょっと待ってよ!明日になったら教えてくれるって言ったじゃん!」
見掛けよりもずっと楽しみにしていたのだろう。咳き込む背中に手をかける。
「熱が下がったらって言ったつもりなんだけど。別に意地悪で言ってるわけじゃなくてさ。
今聞いても分からないだろ。」
「分かるよ」
「無理だろ」
「分かる!8度位よく出るもん!」
「そうなの?それはよくないなぁ」
わざとらしい木村に吾郎は墓穴を掘った事を知る。
背を向けたまま自分の方を見ようとしない吾郎。幼い反抗の仕種に苦笑する。
「じゃあ解熱剤出すから、それ飲んで8度より下がったらやるっていうのでどう?」
譲歩の案に頑なだった背中が動く。
本当だろうね?と見定めるように視線が木村を射る。
「でもさぁ、誰かさん、朝ごはん食べてないから薬出せないんだよね」
木村お得意のからかう表情。目が面白そうに輝き、口の片端が上がる。
「だって」
「だって?」
「……」
「まぁな。熱が高い患者にパンにジャムつけて食べろって言ってもな。可哀相だよな。」
吾郎は下手な反応をしないように木村の出方を探っている。
「ちょっと待ってな。いい物持って来てやるから」
木村はそう言うと、吾郎の背中を布団の上から叩くと白衣を翻した。
「ちゃんと寝てろよ」
物音に気付き吾郎が目を開けると、湯気が出る物を捧げ持って木村が部屋に入って来た所だった。
「悪い。起こしたか。」
「んー。」
寝ぼけ眼の吾郎はうつらうつらと眠りの世界を出たり入ったりしている。
「これ食べてから寝な」
「なに?」
「木村先生特製おじや」
「ふ〜ん」
興味がなさそうな声の割には目が器を追っている。
「はい。あ〜ん」
「え゛?!」
差し出されたスプーンに戸惑う顔を木村は面白そうに見ていた。
「ん。あ〜ん」
「いいよ。自分で食べる!」
「赤くなっちゃって可愛い〜」
「やめてよ」
抵抗すればする程木村が面白がる事にも気付かない。
暫く遊んでいようかとも思ったが、自分のせいで熱が上がったら洒落にならない、と
木村はスプーンを吾郎に渡した。
「ふ〜ふ〜しろよ」
の言葉に一生懸命息を吹き掛ける吾郎。
もういらないと体を背もたれに預けたのは、ちょうど半分を食べ切った所だった。
「こんなに残すの?俺、結構ショック」
「なんで?」
「なんでって。せっかくお前の為に作ったのに」
黒目がちな瞳は言葉を濁す木村をキョトンと見上げる。
「でも、これくらい食べたら薬飲めるでしょ?」
首をカクンと傾けた仕種に他意はない。
木村の好意をはねのけているわけではなく、本心から出た言葉なのだろう。
嫌がらせで残すのと、どっちがたちが悪いだろうかと複雑な表情になる木村。
吾郎はその理由が分からず早く薬を、とねだる。
「はい、じゃあこれ」
「ん」
ぬるま湯で飲み込む様子を複雑な顔のまま木村は見ていた。
「これで8度より下がったらいいんだね」
「ああ」
「ちょっと木村君、本当に教えてくれるんだろうね」
浮かない表情の木村に吾郎が声を高くした。
「ああ、分かってるって」
「それじゃあ、俺、寝るから、木村君出ていって」
追い立てられるように木村は病室を後にした。
|