「おはよう。」
「……。」
「おはようってば。」
わざとらしく無視をする吾郎を木村が覗き込む。
昨日とは打って変わって、木村と目もあわせようとしない吾郎。
「何?今日はだんまり作戦?ま、いいけど。」
儀式のような検査の最中も、吾郎の視線はあらぬ方向に向いたまま。
「具合はどうですか?」
「……。」
「虫の居所が悪いですってね。」
自分の不機嫌を気にもしない木村に、より一層口を硬く閉じる。
「はい。はい。出てきゃいいんでしょ?出てきゃ。言われなくても出て行きますよ。」
そう言いつつ、飽きもせずに解いているらしい数学の問題に目を向ける。
「出てくけど…。ここ、間違えてるぞ。」
ようやく吾郎の視線が動く。
「ここ。問20。」
そんな事言って気を引こうとしても無駄。吾郎の視線が暗にそう言っていた。
「嘘だと思うなら、後で見てみな。間違ってるから。うーんと、正解は45・・・かな?
多分。公式の使い方まちがってんぞ。後で、ゆっくり見てみな。」
「……。」
それだけ言うと、木村はじゃぁと手を振りながら、白衣を翻し部屋を出て行った。
有り余る時間の中で、急いで解いてミスをするわけが無かった。
好きで解いてる中で、集中力を欠いてミスをするわけも無かった。
その中で、間違えるとしたら、それは理解していないためのミス。
吾郎にはそれが分かっていた。
「もう一度、ゆっくり」見てみたところで、正解に結びつけるのは難しいだろう。
IT社会だとは言っても、自分のノートを見せるだけで間違いをしてくれるソフトは無く、
先に進めないまま夜を迎えた。
「あ〜あ!」
大きく伸びをし、ベットに倒れこむ。
気が短いように見えても、一度のめりこむと何時間でも続けていられた。
とはいえ、流石に一日、頭を働かせ続けるのは体に堪えたらしい。
ちょっと頭が重かった。
間違いを指摘された悔しさ。
自分で解けない悔しさ。
教えて、とも言えない悔しさ。
思いっきり机を蹴飛ばすと、思っていた以上の大きな音がして自分でも驚いた。
「何?だんまりの次は、癇癪?」
「……。」
タイミング悪く入ってきた木村にため息をつく。
出来れば見られたくなかった。
「できた?問題。」
「……。」
「できてないじゃん。」
「……。」
「分からなかった?」
「……。」
木村の目にからかう様な色は無い。
次に何て言うだろうか。どうせ、教えてくださいって言え、とか何とか言うんだろうな、
と吾郎が視線を据えていると、木村がなにやらノートに書き出した。
「これ、この公式。知ってる?」
「……。」
「うんとかすんとか言わないと分かんないっつーの。ま、きっとその顔じゃあ、知らない
んだろうな。これ、使えばこの問題なんて、すぐできるんだけど・・・。まず、公式の
説明が必要かな?」
「…くい、なの?」
「あ?」
「数学、得意なの?」
「なんだ、口効けんじゃん。」
「……。」
黙りこくった、分かりやすい吾郎の反応を笑い飛ばす木村。
「まあ、一応医者だからな。理数系って感じかな?」
「……。」
「で、この公式だけど・・・。本とかみりゃ分かるかな?最近ではネットにも載ってんの
かな?分からないけど、」
吾郎の視線が熱心に注がれてるのを感じながらもったいぶる。
「ま、明日教えてやるわ。」
「ええ〜」
思いのほか子供っぽい抗議の声が出て、吾郎は眉をひそめ、木村は口角を上げた。
「熱が下がったらな。」
額に当てられた、洗い立ての手の冷たさに、吾郎は目を閉じた。
「やっぱりね、なんか顔が赤いと思った。こういうの、知恵熱って言うのかな。」
「……。」
「いい子で寝てたら、明日教えてやるよ。」
「……。」
「おやすみ。」
「…すみ。」
もう一度軽く額に手を当てて、木村は電気を消すとそのまま部屋を出て行った。
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