|
翌朝。
台風一過と言うのはまさにこのことだ、と思えるほど、次の日は晴天に
恵まれた。
願掛けの意味・・・・・
クリフが言っていた言葉が蘇る。
オレは何かに急きたてられるようにして、牧場への道のりを走る。
ちょうど、息が切れかかってきた頃、上手い具合に牧場の入り口に着いた。
呼吸を落ち着かせるために少し、ゆっくり目に階段を上り家の前に立つ。
そして、ドアをノックしようとして・・・・・
低く押し殺すような嗚咽が家の中から聞こえて来るのに気付く。
それは、多分、クレアちゃんのもので・・・・
オレはノックしてもいいものかどうか、悩んだ。
本当はすぐにでも飛び込んで行って、その涙の訳を聞きたい。
そして、オレで何か役に立てるなら、彼女が囚われている悲しみや
苦しさから救い出してやりたい。
けれど・・・・・
朝の爽やかな空気はあっと言う間に、蒸せ返るような暑さに変わっていき、
じりじりと肌を焦がすような強い陽射しが、容赦なく照り付けてくる。
いつもの彼女なら、もうとっくに仕事にかかっている時間だった。
「なるべく朝の涼しいうちに仕事を済ませようと思って」
いつだったかに聞いた彼女の声が脳裏に浮かぶ。
やっぱり、例え力になんかなれなくったって、話を聞くくらいは
オレにも出来る。
もし、話してくれなければ、その時はその時だ。
オレは腹を括った。
コンコン・・・・・
ドアをノックする音が異様に響いた気がする。
間もなく嗚咽が止んで、細く開いたドアの向こうに彼女が顔を
覗かせた。
「・・・・・カイくん・・・・・・・」
弱々しい彼女の声がしたその刹那。
一瞬、オレは何が起こったのか解らなかった。
気付いた時には彼女の涙がオレの胸元を濡らしていた。
オレは彼女を驚かせないようにそっと背中に腕を回して、彼女を
支えるようにして弱く抱きしめる。
「・・・ビニールハウスが・・・・」
涙に声を詰まらせながら、懸命に彼女は何かをオレに訴えかけようとしている。
「・・・ビニールハウスが・・・・」
けれど、彼女の声はなかなか意味のある言葉としてオレの耳に届いて来ない。
オレはジッと彼女の言葉に耳を傾ける。
「・・・願掛け・・・・」
単語が聞き取れて、ふと、思い当たる。
クリフの言ってたことか。
どれくらいの間、彼女は泣き続けたんだろう。
ようやく落ち着いてきた彼女を椅子に座らせると、オレは台所を借りて
アイスティーを淹れて、彼女に勧める。
彼女はまだ僅かに鼻を鳴らしながら、それでも一気にアイスティーを
飲み干した。
「大丈夫?」
声を掛けるのは少し躊躇われたけれど。
「・・・・うん。ごめんなさい。驚かせちゃって」
思ったよりもしっかりした口調で、安心する。
「えっと・・・・聞いてもいいかな?なんで泣いてたのか」
彼女は少し視線を上げてオレを見ると、大きく息をついた。
そして、
「ビニールハウスのこと、カイくんに話したよね、今年、最初に
会った日に」
と、話し出した。
「私、カイくんが好きだって言ってたパイナップル、カイくんに
少しでも早くあげたくて・・・・カイくんの喜ぶ顔が見たくて・・・・」
さっきまで泣いていたせいで、目も鼻も真っ赤になってる彼女の顔に
また、紅く染まる部分が増える。
そのことを自分でも意識しているのか、彼女は両頬を包むようにして
手を当てながら、話を続ける。
「パイナップルって収穫までに結構、時間がかかるんだけど、
でもね、ビニールハウスって大雪とか、台風とかに凄く弱くて
収穫するまで、台風が来ませんようにって願掛けしてたの」
あぁ・・・と声が洩れそうになって、慌てて呑み込む。
口止めされてるって言ってたよな、確か。
「カイくん、願掛けって知ってる?」
クリフと同じ問い。
つまらないことだけど、ちょっと面白くない。
知ってる?と尋ねられたことじゃなくて、同じことを同じように
尋ねる二人の、そこはかとない繋がりのようなものを感じさせられて。
「ああ。何か願い事をする時に、自分の好きなものを断つってやつだろ」
けれど、当然、そんなことはおくびにも出さずに、普通の顔で答える。
「そう。でね、私・・・・・・」
そこまで言いかけて、彼女の口が止まった。
ん?
次の言葉を促すオレと目が合って、彼女の頬に益々赤味が増す。
「私、一番、大切で好きなもの・・・・カイくんだから、パイナップルが
収穫出来るまで、カイくんに会わないようにしようって決めて・・・・・」
オレの中で突然、何かが弾けた。
ちょ、ちょっと・・・・・
それって・・・・・・
「でも、クリフくんの誕生日プレゼント渡しに行った時に、カイくんに
会っちゃったから・・・・・願掛け、叶わなくて・・・・・」
「そんなの・・・・違うって!!ほんの一瞬だったじゃん」
思わず声が出た。
「でも、ほんとはカイくんにとっても会いたかったんだ。クリフくんは
私が願掛けしてること知ってたから、明日でも良かったのにって言って
くれたんだけど、私、クリフくんの誕生日にかこつけて本当はカイくんに
会いたかったの。だから、願掛け、叶わなくなるの、仕方ないよね」
彼女の顔に淋しそうな笑みが浮かぶ。
あの時、本当はオレに会いに来てくれてたなんて、想像もしてなかった。
オレはただ、驚いて。
本当に驚き過ぎて。
「でも、カイくん完全に誤解してたでしょ」
クレアちゃんはちょっと悪戯っぽく笑って。
けど、普通、誤解するだろ、ああいうシチュエーションの場合は。
「いい雰囲気だった、クリフと」
嬉しい反面、少し、悔しい気もして。
オレ一人が何も知らずに落ち込んで、嫉妬して、心の中、グチャグチャに
なって・・・・
「クリフくんはいつも色々と相談に乗ってくれて・・・・お互いに少し、
似てるとこあって、なんだか他人のような気がしなくて」
・・・・まぁ、確かに境遇に多少、似た所はあるかも知れないけど。
「クレアちゃんはそうかも知れないけど、クリフがクレアちゃんと同じように
思ってるとは限らないと思うけどな、オレとしては」
クリフのことなんてどうでもいいはずなのに、気がつくとオレの口からは
そんな言葉が零れていて、その言葉にクレアちゃんの目に、少しだけ
困ったような色が浮かんだ。
「・・・・・プロポーズされた・・・・・」
酷く小声で早口に彼女は呟いた。
ひょっとしたら、オレに聞かせたくはなかったのかもしれない。
「へ?!」
一瞬、言葉の意味を理解するのが遅れて、マヌケな声が出た。
あいつ・・・・
おとなしそうな顔して、いつの間に・・・・
「でも、私はカイくんのことが、初めて会ったときからずっと好きだったから」
彼女はじっとオレの目をみて、何かから解き放たれたように、輝くような
屈託のない笑顔で言った。
オレは彼女のあまりにも堂々とした潔い告白に度肝を抜かれて・・・・・
そして、改めて思った。
さすが、天涯孤独の身の上で、それでも気丈にたった一人で、牧場みたいな
大変なとこ、再建させようって思うコだけのことはあるって。
そう。
彼女はそうして、いつも、前向きでひたむきで、眩しくて、愛しくて。
「サンキュ。オレもクレアちゃんが好きだ」
思わず抱きしめたオレの腕の中で彼女の細い肩が小刻みに震える。
泣いてる?
ちょ・・・なんで?
「すっごいドキドキしてたから。カイくんにそんな風に言って貰えるなんて
思ってなくて・・・・・」
涙に詰まりながら、それでも彼女の口にする言葉が耳に届く。
女のコなんだ、やっぱり。
こんなに弱くて脆い。
彼女の震えを止めたくて、抱いた腕に力を込める。
金色の柔らかそうな髪がオレの鼻先で揺れて、少しくすぐったい。
そんな彼女の髪を見ているうちに、不意にある光景が目に浮かんだ。
それは夏の白い朝。
海面にその光りを零して、煌かせながら昇って行く金色の朝日。
辺りを叙々に白く染め上げながら、1日の訪れを告げて行く。
そう。
オレ達の時間は今、始まったばかり。
これから、どんな未来が二人に訪れるのか、それは誰にも想像出来ないけれど、
いつでも前に向かう二人でいよう。
お前とだったら、それが出来そうだよ。
な、クレア。
fin
|