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この町には夏になると、必ずと言ってもいいほど、一度は台風が
やって来る。
そして、何より驚くのは、この町の天気予報の正確さだ。
どんなに素晴らしい技術を駆使しているのか、とにかく100%
当たるんだから、すでに予報の域は越している。
「明日は台風が来るでしょう。戸締りには十分、注意が・・・・・」
夕食を済ませて、どちらともなく点けたテレビの天気予報を聞いて、
クリフの顔色が変わる。
「うそ・・・・」
酷くうろたえて、怯えているようにすら見える。
そして、慌てて部屋を飛び出して行こうとする。
「おい!!どこ、行くんだよっ!!台風が来るって言ってんだろ!!」
反射的にクリフの腕を掴む。
クリフはオレと目が合って、一瞬、何かを言いかけて言葉を呑み込み
「果樹園のブドウ、見て来ないと」
と呟いた。
違うだろ。
他の何かを言いかけて、けれど、言えずに誤魔化した。
「手、離してくれる?ボク、行かないと」
ヤツの言い方は穏やかだが、決して、拒否することを許さない、強い意志を
秘めていて、オレは仕方なく手を離し
「その代わり、オレも一緒に行く。手は多い方がいいだろ」
と提案していた。
「一人で大丈夫だよ。見てくるだけだから。カイは海の家の方はいいの?」
逆に問い返されて、グッと言葉に詰まる。
言われてみれば確かに。台風に備えて、多少の補強はしておいた方が
安全かも知れない。
結局、二人一緒に宿屋を出て、オレは海岸へ、クリフは果樹園へと
それぞれ別れた。
パラソルが飛ばないように閉じて2、3本ずつまとめて縛ったり、
窓ガラスが割れないように雨戸を閉めたりと、思いつくことを
大体終えて、ふと、クリフのことを思い出した。
ついでだから果樹園にも行って見るか。
軽い気持ちで思いっきり遠回りして果樹園まで来てみたが、それらしい
人影は見当たらない。
まぁ、見て来るだけって本人も言ってたし、多分、もう宿屋へ帰ってるんだろう。
そう思ってオレも一度は宿屋へ向かいかけて、不意にクレアちゃんのことが
頭に浮かんだ。
女の子一人じゃ何かと心細くないか?
男手があったほうがいいよな。
まるで自分自身に言い聞かせるように、そんなことを思いつつ牧場の
入り口の階段を上る。
そして、彼女の家・・・・・そう言えば去年に比べて、随分と立派な建物に
なってるよな、ちゃんと家って呼べる代物になってるもんな。去年はまだ、
小屋って感じだったけど・・・・・・なんてことを思いながらドアを
ノックしようとして、人の話し声がすることに気付いた。
声は家の中からじゃなくて・・・・・
辺りをすっかり覆ってしまっている夕闇に目を凝らすと、いつだったか
クレアちゃんが酷く嬉しそうにオレに教えてくれたビニールハウスの
そばに人影が見える。
はっきりとは解らないが、多分、二人。
「やっぱりゴッツさんに頼んだ方がいいよ」
・・・・・・・・・
オレの聞き違えでなければ、今の声は・・・・・
「でも、もうこんな時間だし・・・・・クリフくんもごめんね。
こんな時間まで手伝ってもらっちゃって・・・・・・」
申し訳なさそうに言っているその声は、クレアちゃんのもので、彼女が
口にしたのは、確かにヤツの名前。
「ボクのことはいいよ。でも、ボクじゃほんとに大して役に立ててないと
思うんだよね。なんとか明日、持ち堪えてくれるといいんだけど」
段々と強くなる風は台風の接近を確実に物語っている。
もうほとんどシルエットでしか確認出来ないような人影なのに、
クレアちゃんの金髪だけは微かに色を放っていて、風の吹くままに
いいように弄ばれているのが、見て取れた。
けれど、彼女は髪が乱れることなんて、全く気にも留めていない様子で
じっとビニールハウスの前に立ち尽くしている。
「風が強くなって来たね。そろそろウチに入った方が・・・・」
言いかけるクリフの声を遮ってクレアちゃんが口を開く。
「私、心配だから、もう少しここで見てる。クリフくんこそもう帰って。
帰れなくなるといけないから」
そんな二人のやり取りを目の当たりにして、オレは慌てて踵を返し、
元来た道を戻る。
そう。まるで二人から逃げるように。
・・・・・何が「ブドウ、見て来なくちゃ」だよ、ったく・・・・・
何か言いかけて止めたのは、ここに来ることだったわけだ・・・・
で、うまくオレをかわして・・・・・
オレは独りでに浮かんでくる薄笑いに気付き、こういう時、本当に笑いが
こみ上げてくるものなんだ、と言う事を酷くはっきりと認識している
自分になんだか可笑しさを感じていた。
ヤツは結局、宿屋が閉まる9時直前にギリギリ滑り込むように
帰って来たかと思うと、そのまま物も言わずにベッドに潜り込んだ。
オレは・・・・・
サイドテーブルの明かりだけを小さく灯して、取り敢えず横になる。
当然、眠れるはずもなくて・・・・・・
意識するまいと思うほどに、隣のベッドが気になって。
ヤツもどうやら眠れないらしく、何度も寝返りをうっているのが気配でわかる。
結局、二人ともほとんど一睡もしなかったように思う。
雨戸を閉め切ったままの、朝日の差し込まない朝は、まさに今のオレの
心境そのもので、オレは知らず知らずのうちに溜息を洩らす。
「そんなに心配なら、ずっと彼女のそばについててやればいいだろ?!」
バン!!と思いっきりサイドテーブルに拳をぶつけてオレは叫んでいた。
朝からずっと、落ちつきなくうろうろと部屋の中を歩き回っていたクリフの
足が止まり、その目がオレを捕らえた。
もうとうに昼を過ぎていると言うのに、こうしてお互いが目を見交わしたのは、
今日はこれが最初だった。
台風のせいでお互い、どこに行くことも出来ず、ずっと部屋に篭っていたにも
関わらず。
そして、ヤツは初めてオレの存在に気付いたように、ジッとオレを
見返してきた。その目には驚きと、訝るような表情が浮かんでいて。
「どういう意味?彼女って誰のこと?」
問い掛ける口調は無理に感情を押し殺そうとしているのか、低く沈んでいる。
「昨日、ブドウ見に行っただけのわりには遅かったな」
オレの言葉にクリフは一度だけ大きく目を見開いて、
「ひょっとして、牧場に来たの?」
解りきったことを確認するような口調で尋ねた。
「・・・・・・・・・」
オレは黙っていたが、無言の肯定と受け取ったらしいクリフは
さっきオレの言った意味を理解したらしかった。
「・・・・・・そんなことが出来るくらいなら、やってるよ・・・・」
オレをまるで睨むように見返してきた視線の強さからは、到底想像も
出来ないほど、その口調は弱いものだった。
どういう意味だよ・・・・
一瞬疑問が浮かんで、けれど、そう出来ない理由が何かあるんだろう
ということに気付く。
そして、大きく息をついて、ヤツはベッドに乱暴に腰を下ろした。
「願掛けって知ってる?」
長い沈黙の後、辺りに充満している息詰まりそうな重苦しい空気に、
風を起こしたのはクリフだった。
何か諦めたような、どうでもいいことを尋ねるときのような、ボンヤリと
した口調でヤツは言った。
急に話し掛けられて、ちょっと驚き、反応が少し遅れる。
「・・・・・・願掛けがどうしたんだよ」
「クレアさんから口止めされてるから、詳しいことは言えないけど、
彼女、願掛けやってたらしいんだよね」
「やってたって過去形か?」
どうして急にクリフがそんなことを言い出したのか、真意は計り兼ねたが
口止めされてたっていうのは、オレに話すなって口止めされてたって
ことだろうし、そうなると願掛けってオレに何か関係があることになってくる。
「さぁ・・・・・微妙なとこだよね」
多分、これは『過去形か?』の問いの返事だとは思うが、それにしては
妙な答えで
「微妙って何だよ」
思わず問い返さずにはいられない。
クリフはチラッと視線を上げてオレを見て、また、すぐ視線を戻した。
ボンヤリと斜め下に落としたヤツの視線の先には、ただ、木の床があるだけで
ヤツは何かを見ていると言うよりは、単にオレから視線を外しただけだと知る。
再び訪れる沈黙。
「明日・・・・・・」
沈黙を破ったのは、また、クリフの方だった。
何気なく向けたオレの視線とぶつかったヤツの目に一瞬、カチリと鋭い光りが
浮かぶ。
「クレアさんのとこに行って見れば?願掛けの意味が解ると思うよ」
そして、クリフはベッドから立ちあがり
「グレイでもからかって遊んで来ようっと」
そう言って、部屋から出て行ってしまった。
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