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それからはとんとん拍子に話が決まって、クリフはそれまでの
経験を生かして、職場でも結構、かわいがられてるらしいし、
私も社員寮の奥様方と仲良くなって、お友達も出来たし。
穏やかで優しい日々が幾つかの季節を過ぎてゆき・・・
けれど、私の中ではまるで砂時計の砂が落ちるように、少しずつ、
少しずつ、寂しさに似た、自分でもよくわからない感情が静かに
降り積もり始めていて。
そして、その頃からクリフも少しずつ変わり始めていったような
気がする。
それは、けれど、私の単なる思い過ごしかも知れないと思える程度の
微かな気配のようなもので、相変わらず、優しくて穏やかなクリフで
あることには違いなかったんだけど。
「クリフ?まだ、寝ないの?」
深夜0時を回る頃になっても、クリフは書斎にこもったまま、
一心に本を読み耽っている。
私はホットミルクを机の上に置きながら、チラッと何の本なのか
覗き込む。
「うん・・・ごめん。もう少し」
穏やかな笑顔は専売特許。その笑顔に偽りはないと思いたいけど。
「何の本?」
チラッと覗き込んだだけでは専門用語が並んでいることくらいしか
読み取れなくて。
「ワインの本だよ。ソムリエの勉強しようかと思って」
「ソムリエ?」
ちょっと意外で聞き返してしまう。
どうしてここへきて、ソムリエ、なんだろう・・・
「うん」
クリフの方から何か切り出すかと思ったけど、あっけなく一言だけで。
「・・・・そう」
私もそれ以上は何も聞けなくて。
第一、クリフがやりたいと思うことに対して「どうして?」なんて
聞けないし。
「ごめん、クレア。先に寝ててくれる?」
おでこに優しいキス。
「あんまり無理しないでね」
他には何も言えなくて。
二人の間に静かな沈黙が佇む。
安定した穏やかな日々の中で、それでも微かに感じる息苦しさ。
何かが少しずつずれていくような・・・漠然とした不安・・・
「よぉ!!クレアちゃんじゃん。何、一人?」
陽はすっかり落ちて、辺りは薄墨をこぼしたように、序々に夜の
闇が迫り始めていた。
そんな辺りの景色には少し不似合いな、聞き慣れた明るい声。
カイくんだった。
「こんばんわ」
ありきたりな挨拶を口にする。
「クレアちゃん、一人?クリフは?」
カイくんはもう一度同じ問いを繰り返して。
「私一人。クリフは仕事。この頃、毎日、遅くて」
私はちょっと笑った。と言うより、笑わなければ答えられそうになくて。
「って・・・残業のあるような職場じゃなかったと思うけど」
カイくんは少し訝しそうに眉をひそめる。
そう。仕事を紹介してくれたのはカイくんだから、その辺のことは
私よりも詳しい部分もあって。
「うん。なんか、ソムリエになる勉強してるんだって。
毎日、仕事終わってからワインのテイスティング」
「あぁ、なるほどね。始めからソムリエ欲しいって言ってたしな。
クリフはのめり込むタイプだから」
カイくんが肯いて苦笑する。
「で、クレアちゃんは?こんな時間にお買い物?」
「うん。そのつもりで出てきたんだけどね。ウロウロしてるうちに
時間ばっかり過ぎちゃって」
・・・・ってほんとは嘘。
だれもいない部屋で一人でいたくなかっただけ。
特に今日は・・・・
「良かったらメシでも一緒に食わない?って二人きりっていうのは
ヤバイか」
「別にいいんじゃない。友達なんだし」
私は笑みを浮かべて。
カイくんはそんな私を一瞬、驚いたように見て
「そうだな。よっし!!今日はオレのおごりね。何が食いたい?」
大層朗らかに言った。
「ラッキー。カイくん太っ腹!!」
私もふざけて、カイくんの腕にしがみついたりして。
え?
カイくんの視線がカイくんの腕にからめた私の腕に止まって、
そして、何かをいいかけて口を開きかけたけど、結局、カイくんは
そのまま何も言わなかった。
二人ともラフな服装だったので、そんなに格調高いレストランって
いうわけにはいかなかったけれど、それでもとてもおしゃれな
イタリア料理のお店に連れて行ってくれて。
ワインを飲みながらお食事。
「ソムリエ、案外、クリフ向いてると思うけどな、オレ」
ワイングラスを片手にカイくんは笑った。
「かもね」
私は目を伏せたまま、一口、その紅色の液体を口に含む。
芳醇な香りがふわん・・・と鼻に抜けて・・・
「このワイン、おいしい」
カイくんに笑いかける。
「お土産に持って帰る?」
「いい。クリフは仕事で嫌っていうほどワイン漬けになってるから、
うちでは全然、飲まないし」
無意識のうちに私の口調は酷く冷たく、切り捨てるような
言い方になってしまっていて。
「あ・・・そっか・・・」
気まずい空気が流れる。
「ごめん、私・・・」
「いいって。気にしてないから」
カイくんが小さく笑う。
「クリフは?いつも何時くらいに帰ってくる?」
ふ・・・と思い出したように。
「その日によって色々。早いときは8時くらいかな。遅いときは
日付が変わってる」
「じゃあ、そろそろ帰らないとヤバイかな」
カイくんは腕時計を私の方に向けて。8時過ぎだった。
「あ・・・うん」
二人揃って席を立つ。
「じゃ、私、これで。今日はご馳走様」
お店を出たところで。
「いや、送るよ。こんな時間だし。もし、何かあったらクリフに
申し訳たたないしな」
カイくんの申し出に私は素直に応じる。
「じゃ、お言葉に甘えて」
街灯に照らされた夜の町を何気ない世間話に花を咲かせながら歩く。
「なんか、こんな風にカイくんと話すの、初めてかもね」
私が笑うと
「そりゃ、そうでしょ。クレアちゃん、オレなんかてんで眼中に
なかったんだから」
カイくんがからかうように返してくる。
「そうかなぁ」
「そうだって。オレは・・・まあ、今だから白状しちゃうと、
クレアちゃんのことは結構、気になってて、それなりにアプローチ
してたつもりなんだけどな」
カイくんの口調は冗談なのか本気なのか分からないような口調で。
だから、私も
「そっか。気付けなくて残念。もしかしたら、今頃、玉の輿に
乗ってたかもしれないのにね」
笑って。
カイくんはそんな私に何も言わずに苦笑していた。
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