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(前編)
つい最近までコートに手袋、マフラーで完全防備していたなんて
まるで嘘のように、不意に春が訪れた感じ。
2日ほど続いた雨が上がると、桜の花が一気にその柔らかな
うす紅色の蕾をほころばせ始めていた。
あぁ、なんて麗らかな春の日。こんな日には近所の公園の桜の木の下の
ベンチで、ゆっくりと空なんかを眺めてのんびりしていたい。
なのに!!
よりにもよってこんな素敵な日に、何が悲しくてわざわざ、学校なんかへ
出向いて行かなくちゃいけないんだろ・・・
ってわかってるけど。
今日はウチの学校の入学式。
初々しい一年生達が真新しい制服に身を包んで、希望に胸を膨らませ
志望校の門をくぐる晴れの日。
私達、生徒会役員と各クラスの学級代表が全校生徒を代表して
式に参列する決まりになっていて。
玄関を出ると春の匂いをまとった風が、そっと襟元をくすぐって
通り過ぎていく。
絶好の入学式日和よね。
2年前の光景がふと脳裏をよぎって、そのときの晴れがましいような、
くすぐったいような、嬉しかった気持ちがじわり、と胸の中に広がる。
感傷に浸るほどの歳でもないけど、2年という月日は確かに流れていて
あの頃に比べれば、少しは自分もオトナに近付いている気がする。
「クレア、おはよ!!」
ちょうど校門をくぐろうとした時に、背後からポンと肩を叩かれる。
「おはよ、カレン」
カレンは同じ生徒会役員。副会長。
「いい天気になったね」
カレンは手をかざして空を仰ぎ見る。
「うん」
私も同じように空を見上げて。
希望に胸を膨らませる新入生達を祝福するかのように、桜の花びらが
風に踊りながら空から舞い降りてくる。
「今年はかわいいコ入って来るかな」
いたずらっぽいカレンの笑顔にちょっと、わき腹をつついて
「行こ。式の準備」
カレンの横をすり抜ける。
うずうずするような新しい出会いの予感に、胸が締めつけられるような
甘い痛みが私の中に広がって行く。
それにしても・・・・
式、と名のつくものはどうしてこんなにも窮屈で退屈なんだろう。
私は、延々と続く祝辞やら告辞やらを聞きながらあくびをかみ殺す。
「涙、出てるよ」
小声でわざわざ突っ込んでくるカレンは無視して。
「新入生代表挨拶。クリフくん」
教頭先生の声に眠気が一気に吹っ飛ぶ。
クリフ?!クリフって、あの、クリフ?!
返事をして壇上に向かう少年の端正な横顔に目を凝らす。
やっぱり・・・間違いない。
この頃はたまにしか会わないけど、小さい頃から見慣れた顔。
でも、どうして・・・?
クリフが壇上に上がった途端、あちこちからさざめくように
ささやきあう声が聞こえてくる。
「ねぇ、ねぇ。ちょっとカッコイイよね」
「何組?」
「やっぱり彼女とかいるよね、きっと」
何が何だかわからなくて、ボーッとクリフを見詰める私の耳元に
カレンの声が届く。
「あれ、クリフ、よね。クレアの幼馴染みの」
カレンとは小・中学校から高校までずっと一緒の親友同士。
小学校の頃からウチにしょっちゅう遊びに来てたから、クリフのことを
覚えていたみたい。
「みたい、ね」
「って、彼がこの学校に入学すること、知らなかったの?ひょっとして」
「・・・・うん」
そう。全然、知らなかった。
小学生の頃はしょっちゅう一緒に遊んだけど、私が中学に入ると帰宅時間も
随分遅くなって、夏休みなどのまとまった休み以外には、あまり一緒に
遊ばなくなり、彼が中学に入る頃にはさすがに一緒に遊ぶ、なんてことは
皆無になっていた。
たまに顔を合わせることはあっても、当たり障りのない挨拶を
交わす程度で話すこともなくなっていて・・・
そうならそうと一言くらい教えてくれてもいいのに・・・
ちょっと悔しくて、胸にチクリと小さな刺を刺したような痛みが走った。
式が終わると同時に私は体育館の片付けもそこそこに、校門近くの
掲示板に張り出されたクラス編成表を見に走った。
クリフのクラスを確認して1年生の教室に向かう。
簡単なホームルームを終えた教室には、まだほとんどの生徒が
残っていて、あちこちで固まりを作っては談笑していた。
「クリフ〜!」
教室の入り口から中の一つの固まりに向かって呼びかける。
クリフはグルッと周囲を女のコ達に取り囲まれていて、質問攻めに
あっていることが容易に見て取れた。
女のコ達は一斉にこちらを振り返って「誰よ?!あのオバサン」的な
視線を投げつけてくる。
そりゃ、あなた達から見れば、3年生なんてオバサンでしょうよ。
クリフは彼女達に二言、三言、言葉を返して、ゆっくりとした
歩調でこちらに向かってくる。
落ち着き払ったその態度が憎らしい。
私は驚きでまだ、こんなにドキドキしてるっていうのに。
「やあ、クレア。久し振り、っていうのも変だけど」
そう。すぐ隣に住んでいるのに、久し振りって挨拶になるくらい
私達の間には、既に行き来がなくなっていて。
「何か用?」
すっかり背が伸びて、問い掛けるその声が頭の上から降って来る。
「何か用?じゃないわよ!!どうして教えてくれなかったの、
ウチを受けること」
「落ちたらカッコ悪いし。クレアのことだからもし、落ちたこと知ったら
バカにしに来るに決まってるから」
「新入生代表挨拶って、毎年、入試トップのコがやるって決まってるのよ。
そんな人間が落ちるわけないじゃない。嫌味よね。もし、落ちたら、
なんて」
あぁ・・・違う。私が言いたいのは、こんな事じゃなくて・・・
こんな風にケンカ腰な、憎らしい言い方じゃなくて・・・
「合格発表があるまでは絶対、なんてことないよ」
クリフの瞳に僅かに挑発的な色が覗く。
「そりゃ、そうかも知れないけど。じゃあ、どうして合格してからも
黙ってたのよ?まさか、クレアを驚かせたかったから、なんて
子供じみたこと言うつもりじゃないでしょうね」
だから・・・どうしてこんな風にしか言えないんだろう。
本当に言いたいのはもっと他のこと・・・
「まさか。直前まで迷ってたからだよ。本命でもう一校受かってて
どっちに行こうか迷ってて。でも、どうしてこの学校に
来ること、わざわざクレアに報告しなきゃいけないのさ」
クリフの顔にちょっと人を小ばかにしたような生意気な
表情が浮かぶ。
「どうしてって・・・そりゃ・・・」
私は答えに詰まってしまった。どうして、と聞かれても・・・
教えて欲しかった?知っていたかった?クリフのことを?
自分の中の奥底に仕舞い込まれていた何かが、顔を覗かせようとしていて、
けれど、その何かを知るのがとても怖くて、私は戸惑う。
「隣に住んでるのに、そんなことも知らないなんて、なんだか
情けないじゃないの」
慌てて、そんな風に言い訳する自分を、黙って見詰めている別の
自分がいる。
「だいたいね、小さい頃はいつでも、何でも、クレア、クレアって
言ってたくせに・・・」
言いかけて途中で言葉を呑み込む。
不機嫌そうに私を睨みつけるクリフの鋭い視線に気付いて。
「悪いけど、ボクもいつまでも5才や6才の子供じゃないんだからさ、
そういう風に子供の頃のこと持ち出して来るの、やめてよね。
不愉快だよ」
口調はとても静かだけれど、本気で怒っていることが
痛いほど感じられて、私は唇を噛み締めた。
そうでもしないと、目の奥に突き上げてくる熱い痛みを
堪(こら)えることが出来ないような気がして。
『ちょっとふざけてみただけじゃない。ムキになんないでよね。』
声に出せない言葉が胸の奥に重く沈んで行く。
そんな軽口も言い合えないほど、私達は酷く他人になってしまって
いたことを不意に私は思い知らされる。
幼い頃、ちょっとからかうとすぐ真に受けて、メソメソするクリフのことを
私はそれでもとても、愛しく思ってたのに。
屈折してる、と言われればそうかも知れないけど。
いつも自分は彼よりも優位にいて、それが当たり前だと思っていた。
俯いている私に聞かせようとするみたいに、クリフはわざとらしく
息をついて
「それと、もうこんな風にわざわざ呼びつけるようなこと、
しないでくれる?幼馴染みだからってじゃれ合うような歳でも
ないし。クレアも彼氏くらいいるよね。お互い変に噂されるの、
面白くないでしょ」
私の顔を覗き込み、嫌味なくらいニッコリと笑いかけた。
「あ、当たり前でしょ。か、彼氏くらいいるわよ」
心臓がバクバクと波打って、上手く話せない。
突然、閃くように気付いてしまったから。
クリフは確かに悪意をもって私に接している、ということに。
今、目の前にいるクリフは、私の知っている幼い頃のクリフじゃないんだ。
「ご心配なく。もう2度とわざわざ1年の教室に来たりしないから」
私は自分が思っていたよりも遥かにショックを受けていることに、
酷く驚いて、驚き過ぎて、けれど、そのことをクリフに知られてしまう
ことだけは、どうしても避けたくて、努めて冷静に微笑んでみせた。
「うん」
肯くクリフは相変わらずにこやかに笑っていて、会話さえ聞こえて
いなければ、随分と親しげな雰囲気に見えるに違いなかった。
私も精一杯微笑んでいたし。
その証拠に私達二人を遠巻きに見ていたクリフのクラスの女のコ達の
視線は、さっきとは明らかに違っている。
相変わらず敵意に満ちてはいるけれど、どこか羨んでいるのも
明らかで。
そんなんじゃ、ないのに。
ほんとは思いっきり笑ってやりたいのに、顔も心もこわばって
自分の思っている通りには、まったく動いてくれそうになくて。
「あ、そうだ・・・入学、おめでとう」
そう。本当に言いたかったのはたった一言だったのに。
一瞬、クリフは私の言ったことを理解しようとするかのように
間をおいて
「ありがとう」
嫌味なくらい丁寧にお礼を言った。
「どう致しまして」
私はクルッと踵を返すと不自然なほど、まっすぐに前を向いたまま
息をするのも忘れるくらい懸命に歩いていた。
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