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(後編)
1ヶ月もしないうちにクリフの存在は、学校中の知るところとなり、
いつ見かけても女生徒が数人まとわりついていた。
「お〜お〜。相変わらず派手にモテてますなぁ」
カレンが廊下の窓から下を見下ろして、面白そうにうそぶく。
何気なく覗くと1階の渡り廊下を歩いているクリフが見えた。
確かに何人か女生徒の姿も見える。
「気になる?」
カレンのいたずらっぽい視線に、ニッコリ笑い返して。
「全然」
「かわいくないなぁ。もっと素直になりなよ」
カレンはちょっと溜息をついて。
素直に、か・・・
カレンの言葉が私の中の何かを捕まえようとする。
自分でも捕らえどころのない、モヤモヤとした思いを。
「けど、あのクリフがあんないいオトコになるなんて、さすがの
あたしも想像出来なかったなぁ。何かっちゃ、クレア〜って
べそかいて、後ついて歩いてたのに。あの頃に唾つけとけば
よかったかなぁ」
カレンの口調からは、それが冗談なのか本気なのか、わかりかねたけど。
「別に今からでも遅くないと思うけど。特定の彼女がいる風でも
ないし」
カレンを励ますつもりで言ったのに
「なんだ、やっぱり気になってるんじゃん。まだフリーっぽいって
リサーチしてるところがさ」
逆に突っ込まれて。
「噂よ。そういう噂が耳に入ってくるだけ」
「で、安心するわけだ、クレアとしては」
「怒るよ、いい加減」
私はふざけて頬を膨らませて見せる。
「しかし、見かけも変わったけど、セーカクもかなり変わったよね。
あんな風に女のコ、侍(はべ)らせるタイプになるとは思わなかったよ」
「女のコ、侍(はべ)らせるって・・・まぁ、そうだけど。でも、
昔っから『嫌だ!!』って強く言えないとこ、あったじゃない。
なんだかんだって雑用、おしつけられちゃって」
「そうそう。それで、いつもあんたが手伝ってた」
カレンと顔、見合わせてプッと吹き出す。
笑いながら私は、その頃の情景が胸に押し寄せて来て、ふと涙ぐみそうになる。
グズだのなんだのと罵りながら、ほんとはとても嬉しかった。
クレア〜って頼られることが。自分はクリフに必要とされてるんだって思えて。
それはままごとのように他愛ない日々のほんのヒトコマに
過ぎなかったのだけれど。
「やっぱりクレアか」
背後から声がして振り返るとクリフが私を見下ろしていた。
振り返らなくても、声だけでわかってたけど。
「何か用?」
ちょっと見上げて。
ふわり・・・
ひらひら・・・
くるくる・・・
桜の花びらが降ってくるのが目に入る。
「別に」
クリフはちょっと肩をすくめて、困ったように笑って。
校門前の歩道はなだらかな上り坂になっていて、両脇に植えられている
桜並木は両側から手を伸ばし合っている恋人同士のように頭の上に
アーチを作っている。
あと一回雨が降れば全部散ってしまうだろう・・・
私はそんなことを思って。
「用がないんなら、お先に」
私は足を速める。
話しかけるなって言ったのは、自分のくせに。
そっちから話し掛けてくるなんて反則・・・
クリフの声に反応して跳ね上がった鼓動に、私はひどく動揺していて。
私が早足で歩いていても、クリフはつかず離れずの距離を
保って後ろからついて来る。
帰る方向が同じで、一本道だから必然的にそうなるんだけど・・・
前を向いていても意識のすべてが後ろに集中する気がして
どうにも落ち着かない。
私は大きく息をついて足を止める。
クリフが追いつくのを待って。
「後をつけられてるみたいで落ち着かないから、先に行って」
「あ、そ・・・」
なのにクリフの歩調は酷くゆっくりで、どんなに気をつけていても
すぐに追いついてしまう。
一体どういうつもり?!
「どうせ同じ方向に帰るんだから、一緒、しようか」
不意にクリフが立ち止まって振り返る。
「私なんかと誤解されるの、嫌だって言ってたんじゃないの」
「クレアなんかと、なんて言ってないけど」
「私は誤解されると困るから」
「彼氏に?」
「そ、そうよ」
「相変わらず、嘘、つくの下手だよね」
クリフがちょっと笑って言った。
「う、嘘って何よ」
「クレアは昔から嘘つくとき、つっかえるからすぐにわかる」
笑った顔だけは小さい頃と変わってないね、クリフ。
心の中で呟く。
いつまでもその笑顔、見ていたいけど・・・
「とにかく・・・話しかけるなって言ったのはクリフなんだから、
帰る方向が同じであろうが、無視して通り過ぎればいいでしょ」
私のその言葉にクリフの瞳が揺れて、柔らかい笑みが、苦味を
帯びたそれにスーっと変わって行く。
言わなきゃ良かった・・・
折角、クリフの方から話かけて来たのに・・・
私はクリフの笑った顔をとても好ましく思ってるのに。
「クレアがそんな風にボクの言ったこと、いつまでも気にするなんて、
ちょっと意外だな」
けれど、クリフの声は思ったよりもずっと穏やかで、私の言ったことで
気分を害したという風でもなくて、ちょっとだけホッとする。
「いつも散々ボクのこと、苛めて喜んでたくせに、ボクが
ちょっと意地悪しただけで、いつまでもさ・・・」
あ、こういう少し拗ねたような言い方も変わってない・・・
そんなことを思って、ちょっと嬉しくて。
・・・・・・・・・・
って・・・・
え?
あれっ?
今・・・
「ちょっと意地悪・・・?」
クリフは今、確かにそう言ったわよね。
「そう。意地悪」
クリフはわざと私を挑発するように、ニッコリと。
「わざわざクラスに乗り込んで来てさ、小さい頃はどうだった、とか
言い出して、いつまで経ってもクレアの中では、ボクはあの頃の情けない
ボクのままなのか、って思ったら、なんだか悔しくてさ」
クリフはそのときのことを思い出したのか、ちょっと笑みを
引きつらせて。
「ねぇ、クレア、彼氏なんていないよね」
唐突な問いかけ。
クリフの顔からはいつの間にか笑みが消えて。
真剣な瞳が私を見つめている。
「ク、クリフにそんなこと、関係ないでしょ」
私は強引にクリフを押しのけるようにして、歩き出そうとした。
「関係あるよ」
クリフの手が私の手首を掴む。
その思いがけない力にちょっと驚いて。
「ねぇ、クレア。ボクはクレアの中ではいつまでたっても、
あの頃のボクのままなのかな」
私には答えられない。
いつまでもあの頃の面影を追っているのは私。
どんどん成長して、私の知らない男の人に変わって行くクリフを
自分が置いてきぼりをくったような気がして、受け入れられないのは私。
「ボクは恋愛対象にはならない?幼馴染みのまま?」
クリフの問いが続く。
そうじゃない・・・
そんなんじゃない・・・・
心の中ではそう思っていても、言葉が出ない。
本当はずっとずっと、小さい時から、いつも・・・
クリフのことが好きなんだって気付いてからは、そのことを
クリフに知られるのが怖くて。
今までの関係が壊れてしまうのが怖くて。
必死で隠して・・・
なのに、急にそんなこと、言われても・・・
「ボクはずっと小さい頃からクレアのこと、好きだったよ」
突然、強い風が二人の間を通り過ぎて、私はあわててスカートの裾を
押さえる。
目の前で桜の花びらが狂ったように舞って、『桜吹雪』そんな
単語が頭に浮かぶ。
風が通り過ぎた後には、舞っていた花びら達が静かに地面に降りて
辺りは一面に桜色の絨毯を敷き詰めたように、花びらで埋め尽くされて
しまった。
さっきまで、その柔らかな色合いで枝先を彩っていたのに・・・
そんな思いが不意に季節の移ろいを感じさせる。
そう。
そうして、自然は刻一刻と移り変わって行き、一瞬たりとも
同じところに留まってはいない。
それは多分、私達も同じで・・・・
「あ〜あ、クレア、髪がぐしゃぐしゃだよ」
そう言ってクリフは私の髪をなでつける。その仕草は幼い頃と
ちっとも変わってなくて。
私は髪が乱れることなんて、頓着がなくて色んな所に入り込んでは
すぐに髪をくしゃくしゃにしてしまって、男のコのくせにやたら
身だしなみにうるさいタイプだったクリフは、いつも、
そんな私の髪を直してくれて。
思わず私は笑ってしまった。
変わって行くクリフ。
変わらないクリフ。
変わって行く関係。
新しく築いていく関係。
いつまでも、同じ所で留まっていることなんて出来ないんだから。
「私も好きだったよ、ずっと」
やっと言えた。
胸の中でどんどん膨らんで、そのことを認めるのが怖くて、
知られてしまうのが怖くて、隠し続けることでずっと
私を苦しめていた想いを。
クリフが驚いたように私を見て、そして、弾けるように笑った。
幼い頃から変わらない、けれど、初めて見せるような嬉しそうな顔で。
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