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(前編)
はぁ・ ・ ・
私は目の前に迫ってくるように広がっている天井の
様々な木目の模様を目でなぞりながら溜息をついた。
本当はとても起き上がりたいんだけど、頭が重くて体が
いうことをきいてくれない。
不覚だなぁ。
まさか、あれしきのことで風邪を引くなんて・ ・ ・
たった一日、雨の中で仕事しただけだよ。なのに・ ・ ・
まぁ、確かに春とは言っても雨の日はまだまだ寒くて、
町の人なんて誰一人として外を歩いている人すらいなくて、
もちろん、レインコートみたいなしゃれた物もあるはずもなく、
ずぶ濡れになって仕事してたけど。
それにしたって・ ・ ・
それにしたって・ ・ ・
おなか、すいた・ ・ ・
昨日は結局、一日何も食べられなくて、ただひたすら死んだように
眠っていたんだっけ。
何回かトイレに起きる以外は。
おなかがすくっていうのはいい兆候だよね。
回復に向かってる・ ・ ・
でも・ ・ ・起きあがれない。
ごはん、作れない・ ・ ・
不覚にも目に涙が浮かんできたその刹那・ ・ ・
コンコン・ ・ ・
木のドアを叩く少し鄙びたその音はこの時の私にとっては
まさに天使の足音にも感じられた。
「はぁい・ ・ ・」
声を出してみて自分でもびっくりした。
酷く掠れていてロクに出ていない。
この声じゃあ、当然、ドアの外の人の耳にまで届かないだろう。
ヤバイ。
留守だと思って帰られてしまう!!
無我夢中で起きあがろうとして、けれど、ぐにゃりと目の前の
景色は歪み、一瞬、真っ暗になる。
気がついた時、私は見覚えのある茶色い服をしっかと握り締めていた。
「クレア、どうしたの?真っ赤な顔してさ」
クリフはしっかりとその腕で私の体を支えたまま、不思議そうに
私を見下ろしている。
おぉ・ ・ ・天の助け・ ・ ・
「・ ・ ・なんか食べる物、作って・ ・ ・」
私は空腹と体調不良のダブルパンチで遠のきかける意識を
叱咤激励しつつ、かろうじてその一言だけを呟いていた。
「はい、出来たよ」
コトン、と頭元のサイドテーブルの置かれたお皿を見て思わず私は
「何、これ」
と冷ややかな視線を作り主に送る。
「見てわからない?目玉焼きだよ。ボクの唯一の得意料理。
サニーサイドアップだよ。半熟加減もちょうどいいし」
作り主はいたく満足げに微笑んでみせる。
あぁ、こんな時でもあんたのその笑顔は素晴らしく魅力的で。
和むなぁ・ ・ ・
ランちゃんが夢中になるのも無理ないよね。
って、そうじゃなくて!!
「って、そんなこと、見りゃあ分かるわよっ!!
私が聞きたいのは、どこのどいつが風邪で熱出して
寝込んでいる病人にこんなものを作るのか、ということよっ!!」
い、いかん・ ・ ・
いつもの調子でつい、大声を張り上げたら頭がクラクラしてきた・ ・ ・
「どこの誰が病人なんだか・ ・ ・」
せっかくの「唯一の得意料理」を剣もほろろに切り捨てられて、
露骨に不満げなその顔には、労わりの片鱗すらも見当たらない。
「大体、ドクターの忠告無視して雨の中で仕事してるのが
悪いんだろ」
「あんたには思いやりってものがないのっ!!仮にも病気で寝込んでいる
愛しの恋人に向かって、説教するなんて?!」
「誰が恋人なんだよ。しょーもない冗談言う元気があるんなら
ボク、もう帰るよ」
ゲンナリした顔でそそくさと帰り支度をしようとするクリフの腕を
ガッシと掴んで一言。
「・ ・ ・待って」
こんな体調の時に一人で食事をするなんて、ちょっと切ない。
弱気になってる自分に密かに溜息を付きつつ・ ・ ・
この際、クリフでもいいから一緒に居て欲しい。
でも、ほんとは・ ・ ・
ふっとある人を思い浮かべて顔が火照る。
「また、熱上がってきたんじゃないの。顔、赤いよ」
心配そうな瞳が私を捉える。
すっ・ ・ ・とその手を額に当ててちょっと考え込むような顔は
見方によってはカッコ良く見えなくてもなくて、ちょっと
しみじみしてしまう。
「クリフって結構、カッコいいんだね」
確認するように呟くと、クリフはギョッとしたように私を見て
「ほんとに大丈夫?ドクター、呼んで来ようか?」
と気味悪そうに眉をひそめた。
ふんっ!!人がせっかく褒めてあげてるのに。
かわいげないんだから。
「ランちゃんか誰か・ ・ ・」
言いかけるクリフの言葉を途中で遮って。
「間違ってもランちゃんに頼もう、なんてこと、考えないでよね」
「どうしてさ。目玉焼き、食べる気、ないんだろ。
大体、ボクが料理苦手なこと知ってるくせに頼むのが
間違ってるんだよ」
クリフの言うことは最もで、でも、あの時の私はそこまで
思考回路が働かなかったんだから、仕方ないじゃないよ。
それにしても鈍感なんだから。
どのツラ下げてランちゃんに頼むつもりなんだか・ ・ ・
「食べない、なんて誰も言ってないでしょ。食べるわよ。
よりにもよって、あんたなんかに料理を頼んだ私が
バカだったんだから・ ・ ・」
そうよ。あの時にもう少し、頭が働いてくれれば、
リックを呼びに走ってもらうって手もあったのに。
リックなら環境上必要に迫られてるから、病人食も
お手のものだろうし・ ・ ・
「キズつくよなぁ、その言い方。人が一生懸命作ったって
いうのにさ」
ふて腐れるクリフにニッコリ笑いかけて一言。
「恩着せがましい言い方、するんじゃない」
クリフは悔しそうに唇を噛み締めて、私を睨みつけたけど、
反論はして来なかった。
口で私と争うなんて無駄だと気付いたみたい。
いい判断よ。人間引き際が肝心なんだから。
とりあえずそれしか食べるものがないので、仕方なくフォークで
目玉焼きをつつきつつ・ ・ ・
唯一の得意料理、と言うだけのことはあって、味はそんなに
悪くはないけど、それにしても・ ・ ・つけ合わせの野菜も何も
ないなんて・ ・ ・
クリフは私が食べている間、つまらなさそうにイスに腰掛けて
「クレアの部屋ってさ、な〜んにもないんだよね、暇潰し出来るもの」
ブツクサ文句をのたまっている。
それでもまあ、間違っても「食べさせてあげる」なんてことは
言い出さなくてホッとしたけど。
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