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(4)
「ボクさ、旅に出ようと思ってるんだ」
クレアはボクの真意を計り兼ねているようで、その美しい蒼い瞳で
ボクを射るように見詰めた。
「どうして」
尋ねるその声は少し震えている。
「ちょっと考えたいこととかあって」
「せっかく仕事も見つかったのに。果樹園はどうするの?!」
クレアの口調は詰問に近い。
「アージュさんが帰って来たからボクはもう・ ・ ・」
「そんな・ ・ ・!」
「デュークもマナさんも本当はアージュさんとその旦那さんに
ワイナリーを継いで欲しいと思ってるんだよ」
ほんとは二人がどう思っているかは分からないけど。
でも、本当の理由をクレアに説明するわけにもいかなくて。
「ボクはアージュさんと結婚するつもりはないし」
「私は・ ・ ・?私のことはどう思ってるの?!」
息をつめてボクを見詰めるクレアは酷く美しくて、ボクは切なくなる。
「好きだよ」
クレアを抱きしめて。強く。
「クレアが好きだ」
「だったら!どうして?!」
クレアの声はまるで悲鳴のようで、ボクの心の一番深いところに突き刺さる。
「一緒に来て欲しい、なんて言えないんだよ、ボクには。
せっかく頑張ってあんなに立派になった牧場を投げ出してまで
ボクについてきて欲しいなんて言えない。だから」
パシッ!!
頬がなった。
細くて冷たい指や、すべらかな手の平の感触が不思議と
はっきり感じられる。
驚いたようにクレアは、今、ボクの頬を打った手を
反対の手の平に包んで隠してしまった。
ぶたれたボクより、ぶったクレアの方が痛そうな顔をしている。
「クリフのバカ!!」
こういう場面でのお定まりのセリフを投げつけて、クレアは
ボクに背を向けて走り去ってしまった。
ボクが町を出るらしいという噂がどこからともなく流れて
町の人達は大層驚いて、色んな人が変わる変わる引き止めにきてくれた。
ちょっと意外だった。
こんな風に町の人が引き止めてくれるとは正直なところ思ってなかったから。
ランちゃんはポロポロ泣きながら。
グレイには・ ・ ・殴られた。
本気で怒ってるみたいだった。クレアのことはどうするのかって。
ボクがずっと黙り込んでいたせいで、とうとう帰ってしまったけれど。
クレアとは・ ・ ・
あれから一度も会っていない。
ボクの方からも彼女の方からも、お互いに訪ね合うこともなく。
いよいよ明日立つという日の夜。
初めてアージュさんがボクの部屋を訪ねて来た。
ボクの勧めるままにイスに腰かけたアージュさんは、しばらくの間
まじまじとボクの顔を眺めた後
「正直に答えなさいね」
と前置きして
「あなたがここを出て行くの、私のため、ね?」
質問していると言うより、完全に決めつけた言い方だった。
ボクはちょっとだけ迷って、結局、肯いていた。
嘘をついて誤魔化してもしようがない気がして。
「君の気持ちが落ち着くまで、少しの間と思っていたんだけど。
なんだかもう永久に戻ってこないみたいに受け取られてるみたいで
帰ってきにくくなっちゃった」
「あなたがはっきり言わないからでしょ。ほんとは帰ってくる気なんて
ないんじゃないの」
アージュさんは突き放すような冷たい口調で言った。
この人はボクと話すときにはいつもファイティングポーズをとっている。
まあ、仕方のないことかも知れないけど。
自分を振った人間と話してるような気になるのかな。
「どうかな・ ・ ・」
ボクはどうでもいいことのように呟いた。
そう。出て行ったあとのことなんて、正直自分でもよくわからない。
「クレアさん、恋人なんでしょ。一緒には行かないみたいだけど」
アージュさんの紅い瞳は、まるで全てを見通そうとするかのように
鋭く光っている。
ボクは黙っていた。
「・ ・ ・あなた、バカよね」
黙っているボクに向かってアージュさんは、聞き様によっては
優しく聞こえなくもない言い方をした。
「クレアにもそう言われたよ。あと、グレイにも」
ボクは溜息をつく。
「私はもう平気だって言えば、あなた、出て行かないの?」
いつもまるで切りつけるような口調だったアージュさんが、初めて
ボクを気遣うような声色で尋ねかけてきた。
ボクは首を横に振る。
そう。
ボクはずっと探していたのかも知れない。
ここを出て行く理由を。
クレアに自分についてきて欲しいと言えるだけの自信がなくて。
いつまでもこのままじゃいけないと思ってた。
悪戯に時を重ねればキズは深くなるばかりだから。
ボクがクレアと結婚しないことを町のみんなも口には出さないけど
不審に思ってるのは分かっていたし、そろそろ結論を出さなきゃ
いけないと、ずっと考えてた。
アージュさんが帰って来てくれたことは、タイムリーだった。
「さっきボクがここを出て行くのはアージュさんのためだって
言ったけど、やっぱり本当は違うな。だから、アージュさんが
気にすることなんてないよ」
ボクのセリフにアージュさんはわざとらしく驚いてみせて
「私があなたのこと、気にしてるとでも思っているの?
そんなことある訳無いでしょう。本当にバカね、あなた」
と、またいつもの優しさのかけらもない口調で言った。
「ただ、パパもママもあなたが出て行ってしまうと知ってから
なんだか酷く沈み込んでしまって、ウチの雰囲気が悪くて
堪らないから・ ・ ・って何笑ってるのよ」
怒ったアージュさんの声で自分の顔に笑みが浮かんでいたんだと
気がついた。
なんだかんだ言ってもやっぱり親子なんだ。
デュークやマナさんは確かにボクがこの町を出て行くことを
誰よりも悲しんでくれて、何度も考え直すように言ってくれていた。
それでもボクの気持ちが変わらないことを知ると、今度は
いつでも帰っておいでって言ってくれて。
そんな両親の悲しみにアージュさんもキズついてる・ ・ ・
「デュークやマナさんには本当に良くしてもらって、言葉では
言い表せないくらい感謝してるよ。今度はアージュさんが
大切にしてもらう番じゃない。それに、アージュさんも二人のこと、
大切にしてあげて」
「よ、余計なお世話だわ。あなたに言われなくても・ ・ ・」
アージュさんは真っ赤になって言葉を詰まらせた。
「わ、私、帰るわ。もちろん見送りになんか行かないけど、
とりあえず元気でね」
まるでドアをぶち破るような勢いで飛び出していくアージュさんの
後ろ姿を見送りながら、意外なアージュさんの一面を覗き見たような
気がして、ボクは少しだけ笑っていた。
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