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「まーくん、今日、ちょっと寄り道して行こっか?」
いつもの通り、2時半に幼稚園にお迎えに来た吾郎のチャリの後ろに乗っかって。
顔に心地いい風を受けながら、何となくいつも見慣れた景色を眺めてた俺の耳に
いつもの吾郎の声が届く。
吾郎が寄り道って言や、行き先は大抵、ブラッサムと決まってて。
吾郎のお気に入りの店だかんな。
女好きな吾郎がセレクトするには、ちょっと意外なほど地味で・・・・
こう・・・熟年夫婦なんかが、午後のお茶を楽しむような落ち着いた雰囲気の。
可愛い女のウェイトレスが居る訳でもなく。
いつも、そこに連れて行かれる度に、紅茶が好きだから、この店なんか?と、ほんの少し
だけ、納得の行かないっつーか・・・何か、ちげーよな・・・って、妙に落ち着かない
気分にさせられる店で。
それでも、そこのチョコバナナプディングがこの世のものとは思えねぇほど、美味くて
堪んねぇから、俺もいつも、つい、ついてっちまうんだけど。
けど・・・・・
この店、他の兄弟とかは案外、知んねぇんじゃねぇか、って気ぃする。
前に俺が熱出した時「チョコバナナプディング、食べたい」っつったら、拓哉兄貴にも
慎吾にも通じなかったし。
そりゃ、吾郎だって何でもかんでも兄弟にくっちゃべってる訳でもねぇだろうから、拓哉
兄貴とかが知らなくてもそんなに不思議じゃねぇんだけどよ。
それでも、もしかして、俺しか知らない吾郎のお気に入りの場所なんかも知んねぇ、とか、
そう言う風に思ったりすると、何となく・・・・ちょっとこそばゆい感じがしたりしてよ。
って、んな事ぁ、どーだっていいんだけどよ。
「また、ブラッサム行くんか?」
吾郎の背中に尋ねる。
「うん」
返って来たのは意外に、シンプル過ぎるほどシンプルな返事で。
ちょっと拍子抜けした気分になりつつ。
「おめぇ、ブラッサム、好きな?」
何気なく投げたセリフにも
「・・・・そだね」
としか返って来ねぇ。
「んだよ?女にフラれたんか?」
何か吾郎の様子がいつもと違う感じがして、思い当たる節なんかを振ってみたりすんだけど。
「・・・・そうだねぇ・・・・そんなような、違うような・・・・」
とか。
意味、分かんねぇよ・・・・・・
いつもの帰り道とはちょっと違った道順を辿って、吾郎が目的の店のドアを押した。
カウベルの遠慮がちなウェルカムベルが響いて。
そのまま、ドアを押さえて、俺を先に通してくれて、自分もその後に続いて。
いつもおんなじ、窓際の通りを見渡せる席に座って。
「ロイヤルミルクティーと・・・・季節のフルーツのタルト。それから・・・フレッシュ
オレンジジュースとチョコバナナプデング」
オーダーを取りに来た結構、歳行ったおっちゃん・・・店のマスター、かもな?にオーダーを
通しながら、
「で、いいんだよね、まーくん?」
とか。
いつも同じに見える、ほんわりとした笑みを宿して。
「え?あ、おぅ・・・・」
答えながら、吾郎がケーキ、注文するなんて珍しいって・・・・・
腹、減ってんのかな?って。ちょっとそんな事を思って。
注文したものがテーブルへ届くまでの間、そんな事はほんとに珍しいけども、俺は今日、
幼稚園であった事を色々と吾郎に話して聞かせて。
何となく、黙ってると間が持たねぇ気がした。
吾郎はそんな俺の話を楽しそうに聞いてくれてて。
「そうなんだ?」
「すごいねぇ」
「あぁ、面白そうじゃん」
「いいよねぇ、そういうの」
適当に思える相槌の数々は、それでも、不思議と俺の口を滑らかにする効果を醸し出して
いて。
俺は吾郎が打ってくれる相槌に促されるようにして、喋り続ける。
窓から差し込む陽射しがグラスの中の水や氷の光を反射して、テーブルの上にゆらゆらと
した煌きを揺らして。
時折、遠慮がちな氷の崩れて、グラスにぶつかる音が小さく響く。
もうすぐ夏だなぁ・・・って。
突然、何の脈絡もなく、そんな思いが湧いた時、注文してたものが届いた。
目の前に並べられて行く紅茶かケーキとかをなんとなく眺めていたら、最後にマスターが
小さなグラスを窓辺に置いて。
その中には真っ赤なガーベラの花が一輪だけ活けられてあった。
その赤を見た瞬間、何かが、頭の中でプレイバックする。
「・・・・・・その花」
吾郎がミルクティーの入ったカップをゆっくりと口元に運んでいる途中で、俺の声に、ふと
動きを止めて。
「え?」
「・・・・・・その花・・・見た事ある気ぃすんだけど」
俺のセリフに吾郎は、ちょっと驚いたように目を丸くした。
「へぇ・・・?どこで?」
「・・・・多分、ここ。この店のこの席。今とおんなじ、窓際に飾ってあった気ぃする」
「・・・・・凄ぉい。まーくんて見かけによらず、記憶力、いいんだねぇ」
感心したように吾郎は薄く笑って。
見かけによらず、は余計だっつーの。
「そうだよ。前に来た時にも、この花が飾られてあった事があったと思うよ」
そんな言葉を続けた吾郎は、いつもに似たふわふわとした笑みを漂わせながら、けれど、
確かにいつもと違う空気を感じさせて。
そのまま、カップを口元に運び、ぼんやりと窓の外に視線を流す。
こいつが、こんな風にぼんやりと外を眺めている事は、案外、いつもの事で。
通りを通る人達を眺めてるのが楽しい、って。
その人のちょっとした表情だとか、服装だとか、雰囲気だとか、読み取れるそういう情報から、
その奥に隠し持ってる何かを想像するのが楽しい、とか。
いつだったか、そんな風に説明された事があった。
いつも、何、見てんの?って。
何か、面白ぇもんでもあんの?って聞いた時。
さすが、物書きだなぁ・・・・なんて、妙に感心させられるような、けど、それって、
一歩、間違えば、すんげー、危なくねぇ?って思えるような、そんな事思った気はしたけど。
そうして、いつもと同じに見える吾郎の行動は・・・・けど、何かどこかがいつもと
違うような気がしてなんねぇ。
いつも違う、と言えば・・・・この花。
そうなんだよな。
何で俺がその花に気付いたか、って。
普段は飾られてねぇからなんだよな。
たった一輪の真っ赤な花。
ガーベラって名前を知ってんのは、庭にしこたま植わってて、何かの拍子に吾郎に名前を
聞いたからだ。
うちにあんのはピンクとか黄色とか、どっちかっつーと淡い色合いのヤツが多くて。
だから、血の色を模したような・・・その赤が妙に印象的だったんかも知んねぇけど。
「今日ねぇ・・・・」
通りに視線を移したまま、吾郎はほわほわと頼りない声を零す。
「あ?」
「今日ねぇ・・・・ママの誕生日なんだよねぇ」
「・・・・・・・・え?」
「ママの誕生日なんだ」
「・・・・・って」
何をどう言っていいのか分かんなくて。
「人が死んじゃったらさ・・・・・命日に供養するんだけどさ・・・・・誕生日って
みんな気にも留めなくなるんだね・・・・・当たり前なんだろうけど。肝心の祝って
もらう人はもう居ないんだからさ・・・・・」
いつもと同じに見える、ほわほわとした声音と、ちょっとどこ見てんのか、分からない
ような夢見がちにも見えなくない眼差しが・・・・・いつかの吾郎の表情を俺に思い
出させる。
それは・・・・・
初めて、この店に連れて来られた日の事。
真っ赤なガーベラの花が飾られた席で、今日とおんなじように吾郎と向き合ってた事。
あの日も・・・・・
あの日も、こんな・・・・
どこかに何かを隠したような・・・・感情の伴わないガラスの表情・・・・を、見てた
気がする。
通りの外を見る目は、そこにある何かじゃない、もっと別の何かを探すように投げ掛けられて
んだって事。
それと同時に蘇って来た記憶。
あの頃、吾郎は笑わないヤツ、だったんだ、俺の印象の中で。
怒る、とか、泣く、とか、笑う、とか。
そういう感情の一切をほとんど感じさせないお人形みたいな表情で。
毎日保育園まで送り迎えしてくれて。
余所行きのうっすい愛想笑いは、時折、外の人間にも見せたりしてたけど。
俺はその頃、笑った吾郎って言うのを見た事がなかったんだ。
だから・・・・・
女とデートして、笑ってる吾郎がショックだった、っつーか。
そんな風に吾郎に笑顔を取り戻させる人間が俺らじゃなかった、って事・・・・・
思い出したくもなかった記憶に、ぎゅっと目を瞑って、ただ、ただ、目の前の、いつも
だったら、こんなに美味ぇもん、ねぇ、っつーぐれぇ大好きなそれを、ただ、一心に
かっ込みながら、胸の中に重いなんかがのし上がって来る感じがして。
「けどさ・・・・俺はやっぱり・・・・忘れたくないって言うかね・・・・お祝いして
あげる相手の人が居なくても、でも、今日がその人がこの世に生を受けた日なんだ、って
事、忘れたくないな、って」
幸いな事に、っつーべきなんだろうな。
吾郎はどうやら自分の世界に篭っちまってるみてぇで、俺の様子に気付く気配は見せずに、
そんなセリフを綴っていて。
吾郎の言う事が分かるような気もすっし、分かんねぇ気もすっし。
俺は吾郎じゃねぇし、そんな風に母親に対する思い入れ、みてぇなモンも残念ながらねぇし。
「この店さ、ママが好きだったんだよ。時々、連れて来てもらっててね。吾郎とママだけの
秘密ね、って。俺だけが特別って、何か凄い嬉しくてさ。ママを独り占めしてる気がして」
・・・・・いっつも、おめぇが独り占めしてたんじゃねぇの?
なんて突っ込みは口に出せるような雰囲気でもねぇけど。
「だったら・・・・何で俺の事、連れて来んの?何で俺の事、連れて来たりしてんだよ?」
「・・・・・・多分・・・・独りで来るのは・・・怖かったんだよね。そこにママが
居ないって何度も、何度も、突きつけられる事とたった一人で向き合うのは嫌だったんだ、
と思う・・・・・」
そこにママが居ない事を何度も、何度も・・・・突きつけられて来たんだろうな、って。
事ある毎に。
何かの拍子に。
繰り返し、繰り返し。
人が死ぬってそういう事じゃん、って。
・・・・・だったら、わざわざ来なきゃいいじゃん。
そう言ってやりてぇ。
そう言ってやりてぇのに、俺の口は貝になっちまったみてぇにそのセリフを吐き出せずに
いて。
「他の兄弟には、ここの事はやっぱり、ちょっと知られたくなかったしね・・・・」
そうして、吾郎はやっと、俺に視線を戻して。
「まーくんの事、利用しちゃったね、俺」
口ほどにもない表情で俺を映したその眼差しは、いつもの吾郎のそれだった。
今じゃこうして、俺らの前で笑うけど。
その笑顔をこいつに取り戻させたのは・・・・・
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