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【31】
「今回も・・・色々と急に入用になったんで・・・中居さんに立て替えてもらって・・・」
「・・・・・・・・マジかよ・・・・・中居に借りだな・・・・」
それを聞いて、先生が呆れたような、痛みを堪えるような弱い声を吐いて。
「これ以上給料減ったら飢え死にするとか言う・・・あれ、マジだったって事かよ」
「あ・・まぁ、あれは結構、リアルに・・・・・」
「何で言わねぇの?」
ヒタ!と見据えられて、逸らそうとした視線が縫い止められる。
「・・・・え、あ・・・」
「経費で落とすんじゃねぇの?そういうのって」
「ええ、もちろん、経費で落せるものもあると思うんですけど・・・・それ、お給料と一緒に
振り込まれるはずなんで・・・・それまでは立て替えって言うか・・・・・・・」
「つか・・・俺、全然、これっぽっちも、んな事に気付いてすらなくて・・・・」
「あ、いや、別に先生の責任とか、そういうんじゃありませんから。俺に計画性がないだけの
事なんで」
「にしたってよ!何、それじゃ、俺1人分だけ?ちゃんとしたメニュー拵えて?自分は
パン齧ってたりだとかしてた、って事かよ?」
その温度が離れたこちらにまで伝わってきそうなほどに、先生の周囲に熱のオーラが立ち
上る。
「す、すいません・・・」
「何でお前が謝んだよっ!」
不意に声を高めた先生に、ビクッと身体が震えた。
「俺はんな事に気付こうともしねぇで、1人のうのうとお前が拵えたメシ、ずっと食ってた
って事かよ」
先生の表情が見る間に苦痛を堪えるそれに変わって行く。
「・・・・・・んだよ、それ・・・・・」
酷く打ちひしがれた様子を隠そうとさえせず、先生はずるずると力なく椅子に崩れ落ちて、
伏せた顔を手で覆った。
「・・・・・・何で言わねぇんだよ・・」
独り言のように力ない呟きが微かに2人の間の空気を揺らして。
「始めに見た時より、何かやつれたような気はしてたけど・・・ただ、寝不足で疲れてん
だろうって、勝手にそんな風に解釈しちまってて・・・・俺は何で、気付かなかったんだよ、
お前が一緒にメシ食ってねぇって事によぉ・・・・・・・」
「・・・・・・先生?あの・・すいません、俺・・・・・」
「だから。何でお前が謝ってんだよ」
酷く頼りなげな、困った顔を向けられて、俺もそれ以上、何も言えなくなってしまう。
先生がその事にこんなに心を痛めて下さるなんて・・・・・
何か、ちょっと前の先生からはまるで想像もつかないけど。
・・・・・・何か、さっきから、想像した事もなかったような、想像つかない事だらけで
凄く変な気分で。
「ねぇ、先生?あの頃の、って言ってもほんの数日前ですけど・・・の先生は本当に俺の
事なんかどうでもいいって言うか・・・ただの鬱陶しい新人編集者に過ぎなかったのは
本当でしょうけど・・・・今は、少しぐらいはそこから進んだ、って言うか・・・・・
俺に対する見方が変わって下さった、って事なんでしょう?だから、その事をそんなに
気に病んで下さるんですよね?」
「・・・・・・・・・・」
「だったら、俺、嬉しいですよ?ただ、単なる一編集者から、少しぐらいは格上げして
頂いたって事なんでしょう?」
少し下がり気味の綺麗な茶褐色の瞳に、真っ直ぐ視線を合わせて。
「それで十分ですから。編集者として一歩、レベルアップ出来たんだとしたら、それだけで
十分嬉しいですから。だから、もう、その事をそんな風に気に病まないで下さい。俺、折角
先生が作って下さった美味しい料理、まだ、最後まで食べ終わってないですし。え、と
・・・・・おかわりとかあります?」
ちょっと首を傾げて先生を覗き込むようにしたら。
「・・・・・ぷっ」
先生が吹き出して。
「お前って、マジでほんと・・・・・やべぇよ」
薄く頬に刻まれたシニカルな笑みが、段々、楽しそうなそれに変わって行く。
「おかわり、な。いっくらでもあっからよ。好きなだけ食え。もし、足んなかったら、
何でもお前の好きなモノ、作り足してやるし」
「ほんとですか?俺ね、モツ鍋好きなんですよ」
「は?」
「モツ鍋。塩ベースの凄いあっさりしてるんですけど、濃厚な味わいで・・・・・」
「矛盾してんだろうよ、あっさりしてんのに濃厚って」
「いや、先生も一度、召し上がってご覧になれば分かりますって。本当に表現するとすれば
そんな感じなんですから」
「いや、あり得ねぇし」
「ほんとですって。今度、一度、一緒に行きましょうよ」
「ま、な」
俺の申し出に先生は「まぁ、しょうがねーなー」って言う風な体を見せつつも、案外、素直に
同意して下さって。
「ところで、先生は?今日は先生は召し上がられないんですか?」
「俺、今日は一応、ホストだかんな」
「いいじゃないですか。折角、こんな美味しい料理、1人で食べるの勿体無いですもん。
一緒に食べましょうよ」
「って、お前、ほとんど粗方、食べ終わってから言うか?それ」
「だからね、お腹が空いてたんですってば。でも、もう落ち着きましたから。ここからは
ペースダウンしていつも通り、落ち着いた食事が出来ると思うんで」
「まだ、食う気かよ?」
「いけませんか?」
「太るぞ」
「大丈夫です。ちゃんとその分、カロリー計算して運動して消費すればいいんですよ」
「・・・・・・あっそ。っつーか・・・お前はもうちょっと肉つけたぐれぇの方が丁度、
いいのかも知んねぇけどな」
「そうですかぁ?・・・あ、ま、と言う事で、先生の分の用意して来ますね」
そうして、俺は既に勝手知ったるキッチンへ入り込み。
先生にも同じくセッティングして差し上げて。
「何か・・・飲み物、欲しいですね?ワインとか。ねぇ、折角、先生のこんな美味しい
手料理ご馳走になるのに、何かあるともっと素敵なのに」
「ワインって、おま・・・・・」
少し絶句したように、先生の口端が引き攣って。
「ま、じゃあ、次はワインぐれぇは用意してやるよ」
「ほんとですか?俺、ちょっとワインには煩いですよ」
「お前はいつも煩ぇよ」
「ちょ、何、それ?」
思わず、口調が砕けて、慌てて、掌で口元を覆った。
「ん?普段、そんな風にして喋んの?」
「あ、すいません、つい、調子に乗っちゃって」
「いいけどな、別に。お前のそういう普段の言葉遣い?ちょい新鮮で興味?あっし」
「あ、いえ・・・ほんと、すいませんでした」
「いいっつってんだろ。なぁ、吾郎?」
「へっ?」
不意に耳慣れない呼ばれ方をして、語尾が引っくり返る。
「んだよ、お前、吾郎っつーんだろ?」
「ええ、確かに俺の名前は吾郎ですけど」
「だったら、何、そんな驚いてんだよ」
「いや、ずっと、新人って・・・名前どころか苗字すら呼んで頂いた事がなかったんで
・・・・・・」
「あぁ・・・・・」
少し納得した風に先生が唸って。
「仕事が終わりゃ、作家とその担当編集者って関係は一旦はリセットされんじゃねぇ?」
「は?」
「一応、お前は原稿を編集部に届けて、今回の任務は完了した訳だ」
「・・・・・はぁ」
「だったら、今は作家と編集者でなくてもいいんじゃね?」
「・・・・・・・・?」
イマイチ、仰らんとしている事が分からなくて。
「俺はただの木村拓哉で、お前はただの稲垣吾郎で」
「・・・・・・はぁ」
「歳も近い事だし?」
「・・・・・・えぇ」
「いっちょ、タメ口でどうよ、って」
「え?あ、いや・・無理ですよ、それは。俺にとっては俺が編集者であろうがなかろうが、
先生が俺の尊敬する作家でいらっしゃる事には変わりないんですから」
「じゃあ・・・・命令」
「は?」
「今、この一緒にメシ食う間だけでいいからよ、タメ口な?」
「って、そんな?!だって・・そうする事にどんな意味があるんです?」
「意味なんかなくてもいいだろ。ただ、俺がそうしてぇだけなの」
「意味分かんないって」
「そうそう、そんな感じでぇ」
「すっごい違和感だらけなんだけど?」
「いいじゃん」
「先生ってほんと、可笑しな事、考え付く人だよね?」
「拓哉」
「え?」
「先生じゃなくて拓哉」
「・・・・た、拓哉ってさ・・ほんと変な事、思いつくね?」
「んな事ぁねぇだろ?つか、いい加減、メシ、食わね?」
「自分が邪魔したくせに。でも、ほんと拓哉って料理上手いね。これだけの料理の腕が
あるくせに何で俺にばっかりに作らせてたの?って当たり前か、それは・・・・拓哉は
偉大な作家先生なんだし?」
「バーカ。っつーか、人に作ってもらう方が美味ぇだろ?普通」
「あぁ、それは確かに」
「お前の料理、マジ、美味かったしな。編集者辞めて家政婦やれば?ってアレ、俺、結構
マジだったりもすんだけど?」
「何、まだ、そんな事言ってんの?俺はけど、やっぱりこの仕事辞める気ないからね。
俺、ほんとにマジで編集者になって良かったって、今は心の底から思ってるし」
「ま、そういう事なら・・・気長に口説くとして・・・・・。けど、今日、お前に料理
作ってみて。お前があんまり幸せそうに食ってんの、見てて・・・・・・何かこっちまで
幸せな気分になって来るっつーの?料理人てよ、そういう自分の腕一本で人を幸せにする
事が出来て、しかも、目の前でそれを実感として感じる事も出来て?すっげ、幸せな職業
だと思わねぇ?」
眼差しの中に羨ましげな、少し夢見がちな光を忍ばせて。
目を見交わして来る先生に。
「先生だって・・・目には見えにくいかも知れませんけど・・・・たくさん、たくさんの
人を幸せにしてらっしゃるんですよ?」
心を込めて、思いの丈を届けるように、確信を現実を唇に乗せた。
「・・・・って、何で戻ってんだよ」
「だって・・・やっぱり落ち着かないですし。俺にとって、先生は先生ですもん」
「・・・・・・・しゃーねーな」
不貞腐れて見せる顔が、それでも笑みを含んで綻んで行く。
俺の編集者としての知識も経験も、まだまだ、ほとんどその経験値は僅かに過ぎないけど、
これからも、色んな事を学んで、積み重ねて、いつか、一人前の編集者になりたい、って。
ただ、何となく入ったような会社で、ただ、なくとなく就いたような職業だったけど、今、
こんな風に思えるのは、きっと、この我が儘で利己的で横暴で、でも、意外に人情味の
ある一面もない訳じゃないこの先生のお陰なんだろうな、って。
今、このタイミングで口にするのは、きっと、頓珍漢だろうから。
心の中で言わせて下さい。
先生、ありがとうございます。
これからも宜しくお願いします。
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