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【2】
「わぁ、凄い!さすがに木村先生、カッコイイですねぇ!」
逢う魔が時の、淡いピンクから薄紫色に色を変えつつある空をバックに背負って、待ち合わせの
場所に来られた木村先生の浴衣姿に思わず反射的にそんな言葉が迸った。
先生がお召しになってらした浴衣って言うのが、濃い茶色に艶やかな花牡丹を大胆に全体に
あしらった柄行に、渋いサンドベージュの帯が艶やかで。
ほんと、いざって時に嫌味なぐらいカッコイイ人だよね、って。
同性でありながら見惚れるって言うの?
そう言う先生を目の前にして、つい、テンションが上がってしまう。
そんな俺を先生は若干、冷めた眼差しで見た後で、ふ、と。
ん?って感じで眉根を寄せたかと思うと。
「お前、それ、もしかして自分で着た、とか言う?」
「え?あ、はい。自分で着たのって初めてで、って言うか、浴衣そのものを着たのが初めてで」
先生の質問にそんな風に答えながら、俺はどこかおかしいんだろうか?と自分の姿を見下ろして
みる。
「帯、おかしいだろうよ。それじゃバカボンみてぇじゃねぇ?」
呆れた風にシニカルな笑みを唇に貼り付けて、先生は少しの間、俺を眺めた後。
「ちょい、来い」
腕を掴まれ、引き摺られて行った先は公園のちょっとした植え込みの陰で。
「後ろ向けよ」
言葉と同時に掴まれた腕を引かれるようにして、くるり、と簡単に身体の向きを変えさせられて。
「え?あの・・先生?」
背後に回った先生の意図が分からなくて、少し首を傾げて後ろを振り返り。
「ちょっ?!せ、せんせっ?!な、何、してんですかっ?!」
思わず声が迸った。
俺の後ろに回った先生が手際良くスルスルと、つい、さっき俺が漸くどうなりこうなり結んだ
帯を解いてらっしゃって。
身体ごと向き直ろうとした拍子に前が肌蹴て、慌てて、前を重ね合わせ直しながら。
「こ、こんなとこで!だ、誰か来たらどうするんです?!」
「だから。誰か来る前にちゃっちゃと済ましゃいいんだろうが。んな時間、掛かんねぇよ。
すぐ終わっから」
先生は俺の言い分になんかは全く取り合って下さろうともせず、相変わらず手を動かし続けている。
「前立てもな。オンナじゃねぇんだから、こう、そんなきっちり合わせなくてもいい、っつーの?」
今度は前に回った先生が、前を抑えてる俺の手をあっさり払い除け。
「つか、お前・・・・・この色の浴衣にこの色の下着、って・・・・透けるんじゃねぇの?」
前立てを合わせ、そのまま後ろに手を回して帯を巻き付け直してくれながら、先生の視線の
先が一瞬だけ掠めた位置に目をやって。
「えっ?!あ、だって・・・・!」
顔に朱が上り、言葉が詰まる。
そんな事まで考えなかった、って言うの?
俺が選んだ浴衣って言うのが、オイスターホワイト地にグレーの細い縦じまの入ったものに、
濃紺の帯と桐下駄がセットになってる、って言うやつで。
お店の人が夜は暗いからそうした白っぽい色のものの方が映える、って教えてくれて言われる
まま、それに決めたんだけど。
下着はけど、ネイビーブラックのボクサーで・・・・・
「なぁ、知ってる?浴衣着る時ってぇ、下着のラインが映らねぇように下着はつけねぇのが
基本っつーの」
「は?!」
え?!嘘!だって、そんなの、幾ら何でも・・・・・・
「じゃあ、先生も?!」
「確かめてみるか?」
チラ、と浴衣の裾を大胆に割って膝頭を覗かせた先生の膝がトン、と軽く俺の膝下にぶつかる。
「みませんよっ!!」
慌てて視線をよそに投げながら、声高に異を唱え。
それでも、俺と先生との距離はそう言う距離で。
向かい合わせの状態で背中に腕を回されてるから、嫌が応でもちょっと身動ぎするだけで
互いの身体が触れ合う。
「え、と・・・あの、まだですか?」
「んー?」
視線を逸らしたまま尋ねる俺に返された答えは何の意味も為さないもので。
それでも、何だか凄く長くも感じられなくもなかった時間だったけど、きゅっと腰の辺りに
丁度いい感じの締め付けを感じて。
帯が結ばれた事を知る。
「ほい、完了!」
ポン!とそのまま軽くお尻をぶたれて。
確かにさっきよりも着心地が落ち着くって言うの?
すっきりとした気がして。
「あ、ありがとうございます」
他人と接するには余りに近過ぎる距離から漸く、解放されて、照れて朱の滲んだ頬を隠す
ように丁寧に頭を下げる。
「ま、暗くなって来ればパンツの色もそんな目立たねぇんじゃねぇ?」
ニヤリ、といつもの意地悪い笑みが顔を上げた俺を迎えてくれて。
えー、でも、屋形船って確か、そんなに暗い訳ないよなー、って。
す、座ってれば目立たない、かな?
けど、仮にも接待側であろうはずの自分がそんなにどっかりと腰を落ち着けてる事を許される
はずもなく・・・・・・
まだ、先生はご存知じゃないその現実を思って俺は微妙に青褪めていた。
「まぁ!木村先生〜〜〜!」
編集部主催 納涼花火大会が行われる屋形船の船着場付近まで先生をお連れした辺りで。
先生の姿を認めるや否や、随分と若作りした声音に感じられなくもない、黄色いとまでは
行かないまでも相応に色めきたった声が俺達方面に突き刺さって来て。
反射的に先生はまるで俺を楯にするかの如く、俺の陰に身を潜めた。
と、間もなくその声の持ち主達はあっ!!と言う間に俺達、って言うより主に先生を取り囲んで。
「お珍しいですわ、先生が編集部主催のこうした催しに参加して下さるなんて」
「そうですわよね。いつも、いつも、そりゃあお忙しくなさっておいでなんでしょうけど、
それでもねぇ、お付き合い、と言うのもございましてよ?」
「さすがに先生、浴衣姿も艶やかでいらして。もっと色んな場にお出になられれば宜しいのに」
わいわいと先生を囲んで盛り上がるその最中。
「おぅ、やっとご到着か。稲垣、お前はこっち。裏方手伝え」
中居さんの声が俺を呼んで。
女流作家先生方に囲まれた、その一つ飛び出した頭から射るように鋭い視線が俺と中居さんの
両方に突き立てられた。
「これはこれは木村先生。本日はお忙しい中、わざわざ編集部主催 納涼花火大会においで
下さいましてありがとうございます」
中居さんはそんな視線を真っ向から受け止めたのみならず、事も無げにそんな挨拶の言葉を
口にして深くお辞儀をして見せて。
「今日はどうか、日頃のお仕事の疲れを癒して頂いて。カラオケ歌い放題もございますし、
どうぞご存分にお楽しみ下さい」
にっこりと浮かべた社交辞令の笑顔が怖い。
「・・・・・・てめ・・・」
唸るように一言、低く声を発した先生は一瞬だけ俺に視線を向けられてすぐ。
それはまるで俺を映さなかったように、逸らされた。
会が始まってからも、ずっと先生の傍らには女流先生方がへばりついておられて。
先生がそれに辟易して、どうしようもなく不機嫌になっていかれるのが、離れた位置からも
ありありと窺えて。
仕事だって中居さんから言い渡されて、言われるまま先生にあんなお誘い方をしてしまった
けれど。
今になって、それって物凄く拙い事をしちゃったんじゃないか、って。
言えば、はっきり先生を騙し討ちにしたのも同然だし。
あれから先生は一度たりとも、こちらを見ようともなさらない。
・・・・・・これって・・・・・もしかして、いや、もしかしなくても、今後の俺の仕事が
物凄くやり難くなる、って事なんじゃないの?とか。
背中を嫌な汗が伝って行く。
ちゃんと・・・・・
ちゃんと本当の事を伝えて、その上でご意向を確かめるべきだったんじゃないか、って。
今更、遅過ぎる後悔の念に苛まれたんだとしても。
これじゃ慰労も何も、先生にとってはただ、ただ、ストレスが溜まるだけの会で。
自分が考えなしにしでかしてしまった事の結果が悔しくて、また、目の前がぼんやりと滲み
掛ける。
「んだよぉ、なーに暗くなってんだよ」
ふと、隣に人の気配を感じて。
顔をそちらに向けると、中居さんがそこに腰を落ち着けようとしている様子が見て取れて。
「んだよ、全然、食ってねぇんじゃん。俺ら確かに接待側だしな、挨拶だとか色々?も
もちろんして回んなきゃなんねぇ部分もあっけどよ。おめぇの場合、幸い、まだ、そう
大した仕事してる訳でもねぇしな。つか、食える時間にちゃんと食っとかねぇと、いつまた、
雑用だとかで借り出されっかも知んねぇしな」
そうして、中居さんは目の前のグラスにウーロン茶を注いでくれて。
「ま、俺達ゃビールって訳には行かねぇかんな」
薄い苦笑を浮かべて、それでもそのグラスをこっちに差し向けてくれる。
「ほら、ちゃんと食っとけって」
そうして、お膳に置かれたまま、まだ、割ってもなかった割り箸を割って俺の左手に渡して
くれたりもして。
何か・・・・この微妙なサービスが実は、ちょっと怖かったりするんですけど・・・・
とは思わなくもなかったけど、それを断る理由なんかもどこにもなくて。
「あ・・・すいません、ありがとうございます」
受け取って、お刺身だとかに箸を伸ばす。
料理は割合、本格的な会席料理で味付けなんかも凄く上品で好みで。
気がつけば、さっきまでの気持ちの中を占めていた暗い気分は一時、少し隅に寄せて。
つい、一生懸命になって箸を進めてしまっていた。
こんな美味しい料理、そうそう食べられるもんでもないし・・・・とか。
そんな俺の様子に時折、隣から中居さんの視線が投げ掛けられる。
「つか、おめぇ・・・・ポロポロ零してんじゃねぇぞ」
ちょっと呆れたような口調が投げ掛けられたのと、丁度、口元に運ぼうとしていたお箸から
刺身のツマの幾本かが零れたのとは同時ぐらいで。
「ほら、言ってる傍からおめぇは・・・・」
丁度、先生に着付けてもらった浴衣の前立ての途中に引っ掛かったらしいそれを、中居さんは
指で摘んでそっと、手近にあったおしぼりに包む。
「・・・あ、すいません」
その中居さんの手をよけてグラスに伸ばした手が、グラスを掴もうとして。
けど、微妙な目算のズレって言うか、とにかく、グラスに手がぶつかって、今度はお茶の
入ったグラスが倒れた。
「だーー!ったく、おめぇは何やってんだよぉ!」
怒声、と言うよりは、ちょっと呆れて、情けなさそうな、しょうがねぇなぁ・・・って感じの
響きと共に、中居さんが素早く倒れたグラスを起こしてくれて、更に、丁度、反対側の手に
していたおしぼりでその辺を拭き取ってもくれて。
・・・・・そう言えば・・・・中居さん、て意外にマメな世話女房タイプのとこ、あったん
だよな・・・と。
ふと、いつだったか一晩だけお世話になった翌朝の記憶が蘇り。
今もそうして、汚れたお膳をせっせと綺麗にしてくれている中居さんの姿は正にそれ、で。
「・・・・・・・悪かったな。おめぇにヤな役、押し付けちまって」
俯いたまま、せっせと手を動かす傍らで、中居さんがぼそり、と低くそんなセリフを吐き出した。
「・・・え?」
思わず、俯いたままの中居さんを覗き込むようにして。
ほんの一瞬だけぶつかった視線は、すぐにさっと逸らされ。
「木村センセ、酔い覚ましにデッキに出られたみてぇだぞ」
中居さんの言葉に顔を上げて、さっきまで先生の座ってらした席辺りに視線を投げると、
確かに先生の姿はなくなっていて。
「・・・・・・・センセんとこ行って来い」
「・・・・・・・はい」
デッキには川を流れる緩やかな湿気を纏った風が、ぼんやりと佇むように緩く頬を撫でていて。
ほんの少しだけ周囲の温度よりも低く感じられるそれが心地良い。
ま、けど、そんな湿気を帯びた風が自分の髪に及ぼす影響をほんの少しだけうらめしく思わなくは
ないけど、それでも。
デキの突端部分で挑むように前を見詰める先生の眼差しが、それでも、ふ、と空に泳いで。
目の前で弾けた光にその端麗な横顔が描き出される。
パパパパッ!!と。
音の洪水が降り注ぐように。
光の粒が零れ落ちるその僅か後から響いて来て。
続けざまに空を彩るそうした光と音に心奪われるように。
注がれた先生の眼差しが綺麗で。
不意に。
だから先生の描き出される世界はあんなに素晴らしいんだ、と心が納得する。
態度や言葉に問題が感じられないでもないけど、きっと、こんなに真っ直ぐで綺麗な眼差しで、
先生の見詰める先には、そんな風に捉えられる世界があるから。
だから、それを映し出す先生の世界は人の心に、そっと触れる事が出来る。
そんな先生の事、俺は・・・・・・・
たちまち痛い悔いが喉元を駆け上って来て。
「・・・・・せ・・」
呼びかけ様とした刹那。
「中居のヤロウに・・・・・」
先生の唇が動いて。
音の洪水の中で、それでも、その声を俺の鼓膜はしっかりと捉えていた。
「してやられたな」
横顔に苦笑が浮いて。
「唐突過ぎる、とか。何か、んな事まで頭、回んなかったんだよな、お前の方から誘って来た、
って思ったら」
「・・・・・・え?」
「だって、あり得ねぇだろう?普通。普段、職場で煙たがられてんだろうなぁ、って薄々
感じてる相手の方から誘って来る、なんて」
「・・・・・・・・・」
「だから・・・・逆に言やぁ、ちょい、考えりゃあ分かりそうなもんだったのにな」
「・・・・・・・・・すいませんでした」
「ま、1回ぐれぇは?中居の顔も立てといてやるよ。それなりに世話にはなってっし。けどな、
2度とおんなじ手が通用するとは思うなよ、って伝えとけ」
「・・・・・・・・・はい」
花火の音に交じって時折、カラオケの声が切れ切れに流れ込んでも来て。
何となく黙り込んでいるのは落ち着かない気がして。
「先生はカラオケとかは・・・・・・」
ふっと口に上らせた質問とも言えない問いに。
「最近は全然、行ってねぇな。高校生時分?はダチとつるんで、だとか行ったりもしたけどな。
大学時代、合コンで行ったりした事もあったけど、この仕事始めてからはさっはりって感じ?
今、どんなのが流行ってんのかすら、分かんねぇぐれぇだもん」
先生は少し肩を竦めてさほど興味もなさそうに答えて下さって。
「久し振りにどうですか?ナツメロもねぇ、結構、ウケますよ。ご一緒にいかがです?」
「お前と?何、デュエットとか言う?」
・・・・・デュエット?え?男2人で歌ってもデュエットって言うの?
一瞬、その言葉に大いに引っ掛かりは覚えたものの。
「SMAPとかいかがです?ご存知ですか?」
取り敢えず、当たり障りのない所でそこそこに有名な国民的人気アイドルグループ名を挙げて
みたりして。
「世界〜とか?あ、シェイク、とか言うの、あったっけか?あれは割とノリ良くて好きだけどな」
「バラードとかどうです?夜空ノムコウとか」
「あれから〜・・・ってやつ?」
「はい」
「ちょい、曖昧・・・だけどな」
「字幕出ますし、そんな難しい曲でもないですよ。何となく歌えちゃったりするんじゃないですか?」
あの時・・・・さほど興味もなさそうだった先生を、どうして、そんな風に誘ってしまったのか、
俺はその数十分後、はっきりと後悔する事になる。
一旦、カラオケのマイクを握られた先生はそこからは独壇場で。
そして、当たり前のようにその隣に立たせた俺の腕をしっかり引っ掴んだまま、何曲歌い終わっても
解放して下さる気配すら感じられずに。
始めの何曲かは、先生の歌って事で、もう並居る女流作家先生方を始めとして、編集部の
篠原さんや戸田さん達だとか、関係各位までわーきゃーもので盛り上がって。
先生がまた、これ見よがし、って訳でもないんだろうけど、バラードとか、しっとりと歌い
上げる最中にこちらに視線を向けられたりだとかして。
そこで知らん顔するのも失礼かと思って、こちらからも視線を返すようにすると、ぱっと見は
見詰め合ってるように見えたりなんかもしたようで。
何がそんなにウケるのか、そんな風にして視線を見交わせる度に「きゃーーーっvv」とか
って、一段と大きな声援?が沸き上がったりなんかもして。
途中、何度か救いを求める、って言うの?
目線で中居さんを探して。
交代してもらおう、とか思ってたのに、肝心の中居さんは俺と目が合った途端、睨み返すように
鋭い視線を投げ返して来たかと思ったら、さっさとどこかへ出て行っちゃって。
あれは・・・5曲連チャンで歌い終えた辺りで。
幾ら何でもそろそろ舞台を降りようと、先生にそれをどうにかして伝えるべく、少し先生の
腕を引いた刹那。
正にグッドなタイミングで。
「先生、今度は私とデュエットして頂けません?」
とか。
女流作家先生の中でも大御所の先生がそんな名乗りを上げて下さって。
やれやれ、助かった、って。
これで交代してもらえる、って。
そう安堵したのも束の間。
「や、すんごく申し訳ないんすけど。今日はぁ、こいつが全面的に徹底的に、誠心誠意、俺の
接待に当たってくれるって言ってくれたんでぇ」
・・・・・・えっ?!
「うちに帰り着くその瞬間まで完全密着状態でぇ・・・てな訳なんで。俺、今日はこいつとしか
歌わないんで」
とか。
マイク握り締めて、屋形船中に響き渡るような・・・・
ヘタすれば、凄く近い位置に停泊してる他の船にまで届くんじゃないか、ってぐらいの勢いで、
先生が力強く断言下さって。
聞いてませんよっ!!
って言うか、俺、そんな事、一っ言も言ってませんっ!!
って。本当は声を特大にして訴えたい所ではあったけれど。
それをすれば、そんな宣言をした先生のお顔を潰す事は火を見るより明らかで。
それは、やっぱり・・・・・しちゃ拙いだろう程度の思考は辛うじて働いたお陰で。
「・・・・・あの・・・先生・・・俺、そろそろ、喉、枯れて来ちゃってるんですけど・・・」
恐る恐るそんな進言をしてみると。
「んじゃあ、そろそろ帰る?あー、俺、酔っ払っちゃってまともに歩けないかも・・・・・
ちゃーーーんと責任持ってうちまで連れて帰ってくれよな」
とか、物凄く分かり易く芝居臭くよろけて、身体ごとぶつかって来たりだとかされて。
その反動でこっちが転びそうになったのを支えて下さったのは、やっぱり、先生だったんだけど。
その支え方がでも・・・・
そりゃあ、他に方法はないのも分かるけど。
これって傍目には抱き合ってる風にしか見えないんじゃないか、とか。
「稲垣くぅん。いつまでもそんなとこで見せ付けてくれてないで。さっさと送って差し上げたらぁ?」
とか。気だるそうな篠原さんの声が鼓膜を震わせて。
「み、見せ付けるって何なんですかっ?!」
つい、声が裏返る。
「あー・・・・宴もたけなわではございますが、そろそろ船も岸に到着するようです。皆様、
本日は誠にありがとうございました。今後とも益々のご健勝とご活躍をお祈り申し上げまして、
この辺でお開きにさせて頂きたいと存じます」
舞台の本当の端の方で、いつの間にかマイクを手にした編集長が額から滴る汗を拭いつつ、
完全にこっちからは視線を外してそうのたまう声が響いて。
船は無事、船着場に到着し。
岸に手配されてあったハイヤーに、三々五々、先生方が帰路に着かれるのを本当はお見送り
させて頂かないといけない立場のはずの俺は、それでも、あれから結局、一向に俺を解放しようと
して下さらない先生のお陰で、いち早くハイヤーの後部座席に先生と一緒に押し込められていた。
「それでは木村先生。今後ともどうぞ、稲垣共々宜しくお願い致します」
編集長が開いた窓の向こうで平身低頭してる。
・・・・・稲垣共々?何、それ・・・・・
意味不明な編集長の言葉を問い質す間もなく、ハイヤーは滑らかに走り出し。
「カラオケもたまには悪くねぇな」
1人ごちて呟く先生の声は聞かなかった事にする。
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