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【1】
「納涼花火大会?」
相変わらず、崩れない事が不思議のほどの書類の山の隙間から顔を覗かせた中居さんが、
ちょいちょいと、立てた人差し指を2、3度、自分の方に向けて曲げる仕草をして見せて。
それが俺を呼んでいる意味だって事ぐらいは、分かり過ぎるぐらい察しがついたお陰で。
「なんですか?」
同じように机から少しだけ前に身を乗り出して、顔を近づけた俺に。
「バカかお前は!不精ぶっこいてねぇで、ちゃんと立って俺の机の脇まで来て話聞くんが、
社会人として当然の常識だろうよ!」
いきなり怒鳴りつけられて、ああ、そうか、と俺は席を立ち上がった。
あんな呼びつけ方がまさか、仕事の指示だとは思わなかったせいで。
何かちょっとした雑談なのかな、と思って、中居さんと同じようにしただけなんだけど・・・・
何て言い訳が言い訳以外の何物でもなくて。
内心でそう思ったとしても、それを口に出して言う事が、どれほど自分に不利益をもたらすかも、
さすがに分かっても来ていたから。
言われる通り中居さんの席の隣に立ち、その用件をお伺いする。
「で?何ですか?」
「今度な編集部主催で納涼花火大会をする事になってな」
「納涼花火大会?」
その何か近所の商店街の催しみたいな響きに、聞き返す声が若干、泳いだ。
「ま、普段、色々とお世話になってる作家先生方だとか、関係者諸々を招いて、その慰労会
っつーの?みてぇな・・・・毎年、ホテルの広間とかを借り切って立食パーティーだとかに
してたんだが、今年は少し趣向を変えてみるか、って事になってな」
「・・・・・はぁ」
「豪華掘り炬燵式屋形船を借り切っての納涼花火大会、カラオケ歌い放題つき慰労会を催す
事になったんだが」
「・・・・・ええ」
「で、お前の仕事、だが」
「はい」
「木村センセをお誘いしろ」
「は?」
「あのセンセ、な。ま、今更、言うまでもねぇけど、偏屈っつーの?あんなに見映え派手な
くせしてな、そう言う編集部主催の催し物になんか目もくれねぇっつーの?今まで何回、ご招待
申し上げても、1回もご参加下さらなくてな」
苦り切ったような、でも、呆れても見える中居さんの表情を上から見下ろす感じで。
「嫌がるものを何も無理強いしてまで、慰労も何もないんじゃないですか?」
でも、そう言うのは本当に好み、って言うか。
苦手な人は苦手だろうし、って。
苦手な事を強要される事は、自分がそう言う事が喜ばしくない性質の事もあって、つい、
そんな風に小さく反論を示してしまい。
「それじゃ、企画してるこっちの立場がねぇだろうよ」
「・・・・・・まぁ、それはそうかも知れませんが」
「毎年な、どうして木村センセはいらっしゃらないの?!ってな、大物女流作家先生方から
突き上げ食らって、マジ、胃が痛ぇっつーの?」
・・・・・・あー、そっち?
それなら、まだ、すっきり納得が行くかな?
確かに、木村先生は物凄くイケメンだし、普段、やっぱり、お互いに個々のお仕事だけに
そうした場でしか交流も出来ないとなれば、女流先生方の期待されるお気持ちは確かに理解
出来る気もして。
「だからな、今年は何が何でも木村センセを引きずり出してぇ訳だ」
・・・・・引きずり出す、ってまた、凄い言われ方だな、先生も・・・・・
「そこで、お前、だ!」
唐突にビシ!と擬態語がつきそうな勢いで鼻先に人差し指を突きつけられて。
俺はきょとん、と首を傾げた。
「いいか、先生をお誘いしろ」
「・・・・・はぁ」
「編集部主催って事は伝えなくていい。さり気なく個人的に「花火、見に行こうと思ってるん
ですけど、ご一緒にいかがですか?」で行け」
わざわざ俺の声真似までしてみせた中居さんの眼差しの奥に、油断ならない光がキラリ、と
灯った。
「え?編集部主催納涼花火大会って伝えなくていいんですか?」
「バカはお前は。んな事、言っちまったら、あのセンセの事だ。幾らお前からの誘いだって
蹴ってきかねねぇかんな。いいか?ぜってぇ、そこを悟られるなよ。あくまで個人的に、な。
ご一緒にいかがですか?だかんな!」
「・・・・・はぁ、って言うか・・・ですが・・・・俺が花火なんかにお誘いしたって、先生が
おいでになられるとは思えませんけど・・・・・・」
そして、試しに頭の中でそんなお誘いをするシーンを想像してみて。
「は?!何?お前と花火見物?!このクソ忙しいのに、しかも、暑さにうだってる真夏の夜に、
何が悲しくてむさ苦しいヤロウと二人で花火見物だとかやんなきゃなんない訳?!ふざけてん
じゃねぇぞ!」
とかね・・・・
剣もほろろにぶった切られる自分が、余りに簡単に想像出来て、既に、ちょっと悲しい気分に
見舞われてたりするんですけど?
まだ、編集部の綺麗どころ?って言う言い方をすると、それこそ、セクハラだとか何とか、
煩い事を言われそうで怖いんだけど。
綺麗な女の人から誘われた方が先生も嬉しいんじゃないのかな、って。
女流作家の先生方にしたって、確かにお年は木村先生のお母さんぐらいの年代・・・・ま、
もしくはもう少しお若くていらっしゃる方達かも知れないけど、相応に綺麗な人が多い、
って俺は思うけど・・・・・・
「はぁ?来るに決まってんだろうが。原稿の締め切り落としてでも来る!」
頭の中でそんな風にごちゃごちゃと、下らない思考を弄んでる最中に中居さんの声が、いきなり
割り込んで来る。
その語調たるや、何を分かりきった事を言ってんだ?!って言わんばかりに、どうしようも
ないぐらいはっきり、きっぱり、そんな断言をしちゃってくれちゃったりもするけど。
「原稿の締め切り落としてでも・・・・って。どっからそんな発想が湧いて来んですか・・・・」
その余りに突拍子もない例えにガックシ肩を落としつつも、やっぱり、俺の中ではそんな事は
あり得ない事でしかなくて。
呆れ果てる、って言うのはこう言う事を言うんじゃないか、って心境にも陥りつつ、承服
しかねている俺に。
「そう言えば先生の新作のなぁ・・・・!」
不意に何を思ったのか、中居さんが声高にそんなセリフを口走り始めて。
「あのシチュエーションってぇ、もしかして、先生の実体験がぁ・・・・・!」
更に大声でそんなセリフを続けようとする中居さんの口を慌てて両手で塞ぎ、さっと視界を
巡らせて周囲の反応を窺う。
けれど、俺達の会話にわざわざ聞き耳を立てていた人もいなかったようで。
別段、これ、と言ったリアクションは何も感じられなく。
相変わらず、電話の音と、キーボードを叩く音、コピー機のコピーを吐き出す音や、そうした
雑多な音の溢れる空間に、他の編集さん達の声が時折、交じる。
「分かりました!分かりましたよ!お誘いすればいいんですよね?あくまで個人的に。分かりました」
例のあの新作の真相を、俺が想像した通り、中居さんはあっさり見破ってくれていて。
今もその時の悪しき記憶が、脳の中を一瞬のうちに走り回る。
「・・・・・・・ほぉん?この主人公?随分とまた献身的に?彼女の世話してやったりだとか
すんだな?ふぅん・・・・何?かぁいいなぁ、この彼女、な?「ねぇ、早く。腕、だるいんだけど」
ってか?へぇぇぇぇぇ」
海馬のどっか片隅に薄っすらと横たわっているような、拭い去ってしまいたい記憶を抉り出され、
ぼっと顔から火が噴きそうになる感覚を、決死の精神力で押さえる。
「ツンデレ、とか言うんだろ?こう言うの、な?今、流行の?普段、つれねぇ態度の彼女がなぁ、
風邪で弱って熱で朦朧として、普段だったら、そんな風にして甘えて来る事なんかぜってぇ
ねぇのに、なぁ、こう言うのって、かぁいくてしょうがねぇんじゃねぇの?」
「・・・・・・・・・さぁ・・・・?どうでしょう・・・・・」
「ま、当然なぁ、付き合ってんだもんなぁ。そんな風に弱ってるオンナ相手に、男がなー
指咥えて眺めてただけ、なんて事ぁ、あり得ねぇわなぁ」
「・・・・・・・・・さぁ・・・・?どうでしょう、ねぇ・・・・?」
「お前の風邪、俺がもらってやるよ、とかな。熱で朦朧として意識も記憶もぶっ飛んでんのを
いい事にな、ぜってぇキスぐれぇはしてんよな、こん中には出てこねぇけど」
「んな事ある訳ないじゃないですかっ!!!」
「あれぇ?吾郎ちゃんは何をそんなに興奮してんのかなー?俺はぁただ、先生の新作に関する
感想?を言ってるだけなんですけどぉ?」
思わず大声で完全、全否定する俺を見る中居さんの楽しそうな目、と言ったら。
「あん時なぁ、まさか、マジで彼女じゃなくてなぁ・・・・看病してくれてた人間が居た、とかなぁ」
嘯くように中居さんの声音が、それまでよりも一段、トーンが下がった感じがして。
「・・・・な、何の話ですか?」
「・・・・・・別にぃ。風邪、治って良かったな」
じ、と、真っ直ぐに当てられた視線には、何とも説明し難い色が見え隠れてして。
何を言っても得策ではない気がして、ひたすら沈黙を守る。
「この主人公の彼女、な?」
そんな俺に酷く楽しげに眼差しを細めた中居さんに。
「・・・・・・・・・そうですねっ!」
某お昼の超長寿番組の合いの手みたいに。
吐き捨てるように言葉をぶつけて。
「分かったらさっさと行け」
そう言って中居さんは用は済んだ、とばかり、また、手元の原稿の束に目を落とした。
あれだけ散らかった机の上で、良く大切な原稿がどこにあるのか、行方不明になったりしない
もんだよな、って。
そんな事に感心と言うか不思議を感じながら、俺は軽く一礼して、また、自分の席に戻り腰を
下ろそうとして。
「何、落ち着いてんだよ?さっさと行けっつってんべ?」
原稿に視線を落としたままの中居さんが、それでも、声だけでそう凄んで来る。
「と言われましても・・・今、特に先生の所にお伺いする用もないですし・・・・・」
「・・・・・は?」
視線を上げた中居さんの眼差しが、痛いほど俺を射る。
「あ、だって。仕事じゃなく個人的にお誘いするんだとして・・・・何の用もないのに、わざわざ
お宅までお伺いするのっておかしいじゃないですか。第一、就業時間中でもあるんですし」
的を得た俺の返事に中居さんは一瞬、眉間に皺を刻み。
「・・・・・おめぇにしちゃあ、珍しくまともな事言うじゃねぇか」
と、相変わらず、声音は頭にヤのつく某自由業の人を思わせるような迫力で、そう口にした後、
「んじゃ、あれだな。メールだ、メール。ご一緒にいかがですか、の後にハートマーク散らしてな」
普段、メールなんか面倒がってまるでしないはずの中居さんが、そんな細かな事にまで気が
回るのが、ちょっとだけ不思議で。
いや、それより、同性からのメールにハート散らされたら、受け取る側は引くよね、と、至極
一般的な感想は胸に零しつつ。
「先生のメアド、俺、知らないです」
「だーーー!!使えねぇヤツだな、おめぇは相変わらずっ!!センセーの原稿取って来る
以外には、相変わらず、なーーーんの役にも立たねぇんじゃねぇかっ!!」
ここ暫く、先生の原稿取りって言う大役を果たさせてもらえてたお陰で、こんな風に中居さんから
怒鳴られたのは久し振りな感じがして。
「何か懐かしいですね?」
なんて、つい、そんなセリフが零れて。
露骨にギロリ、と迫力ある眼差しが容赦なく俺を攻め立てた。
「メールがダメなら電話でも、だ。機転を利かす、とかな、頭を使う、とかよ。んな事まで
一々、指示されなきゃ出来ねぇの?」
不意に。
怒りに強張っていた中居さんの表情がもの悲しげなそれに変わり。
それが意外に、余りにも中居さんの今、感じているらしいもどかしさや痛みを俺に伝えて。
「あ・・・そう、ですよね・・・はい、すいません」
懐かしがってる場合じゃなかった、って。
もういい加減、本当に、一々、1から10まで指示されなきゃ出来ないような事じゃ、どうしようも
ないんだ、って。
分かりきった当たり前の事を、今更、噛み締めてうな垂れた俺に。
「あ、や、な。分かりゃいいんだよ、分かりゃ。とにかくな、アポ取って、さっさと了解の
返事貰え、って話だ」
「はい」
途端に、僅かにうろたえるように語調を和らげた中居さんの言葉に、俺は慌てて、携帯を耳に
当て。
中居さんに指示された通りに先生をお誘いしてみた。
「花火?ふぅん・・・・え?いつって?・・・あー、そう?花火、ね?わーった。楽しみに
してっから」
「え?」
余りにとんとん拍子な展開に、ついて行けない俺がいて。
しかも、最後に添えられた、とても先生の言葉とは信じ難い言葉に、思わず素っ頓狂な声が
洩れる。
た、楽しみにして、る・・・?
え?花火大会を?
「あ・・・もしかして先生、花火、物凄くお好きなんですか?」
「ん?まぁ、別にキライじゃねぇよ?」
一縷の望みを託すように、って言ったら明らかに大袈裟ではあるけれど。
でも、物凄く花火が好きで、だから、楽しみだって仰って下さったんだとしたら、納得も
行く話なんだけど。
でも、先生から返って来た返事は、俺をそうした納得に導いてくれるものには遠く感じられて。
楽しみに、って・・・・・・
試しに友達から花火に誘われた状況を想定して想像も働かせてみるけど・・・・・・
うーん・・・・・・
社交辞令でそう言う可能性はない訳じゃないけど、あの先生に限って、しかも俺相手に
社交辞令を仰られる必然は、当然、まるで感じられなくて。
納得の行かないまま、それでも。
「あ、じゃあ・・よろしくお願いします」
そうして、電話を切ろうとした俺の耳に。
「あっ!ちょい待ち!花火見物っつったら当然、浴衣だよな?」
先生の声が続いた。
「は?」
「昔っから花火見物っつったら、浴衣って相場が決まってんだろうよ!」
「え?あ、あぁ・・・・そう、ですか?」
まぁ、彼女が浴衣とか着て来てくれたとしたら、普段の装いと違った一面を見せてもらえるって
嬉しいだろうとは思うけど。
でも、男も着る、かな?浴衣?
凄く粋な、って言うか、オシャレな人なら着たりするかも知れないけど、第一、持ってないでしょ、
普通、今時の若い男が、浴衣?
「ぜってぇ、浴衣!」
電話の向こうで、声を大にして先生が力説して下さるけど。
「はぁ、浴衣でお越し頂いても全然、構わないと思うんですけど・・・・・」
服装に関して特別に指示があった訳でもないし。
「じゃなくて!お前も着るに決まってんだろうがっ!」
「俺も、ですか?浴衣?!や、それは・・・ちょっと・・・・」
口篭りつつ、目でその内容を中居さんに必死で伝える。
目が合って、中居さんは意味が分かってるのか、うん、と頷いてみせて。
「あ・・・・え、と、分かりました。俺も浴衣、で・・・・・」
「うっしゃ!」
低く電話の向こうで気合が入る時のような声が聞こえて。
「浴衣、忘れんな!」
言葉と同時に電話は切れた。
「どうだった?」
回線の切れた携帯を呆然と見詰める俺に、すかさず中居さんがその返事を促してくる。
「了解頂きました。浴衣、忘れるな、だそうです。けど、俺、浴衣なんて持ってませんよ?」
問題はそこで。
そんなものを買うような余裕なんて、俺には当然ない。
だって。
それよりももっと欲しいもの、山のようにあるし。
今度出た新作のコートも凄く色合いが綺麗だったし、後、お気に入りのソイアロマもまた、
そろそろ買い足しとかないと。
消耗品だから、結構、それはそれで掛かる、って言うか・・・・・
ほんと、何かお給料が一気に3倍ぐらいになるような仕事、ないかなー、とか。
バカな事、思っちゃったりもするんだよねー、この頃・・・・
「ま、これも所謂、一つの接待だかんな。経費で落とせるだろ。適当に見繕って買って来い」
そう言われて俺は思わず掌を中居さんに向けて差し出していた。
「んだよ、この手は?」
「先に経費、前借したいんですけど。生憎、持ち合わせがなくて」
「バカかおめぇはっ!どこの世界に領収書もらう前から経費出す会社があんだ?!」
「え?出張費だとか取材費だとか、そう言うのって前以て出たりだとかしません?」
「するかっ!航空券だとかな手配出来るもんは手配してくれたりもすっけどな。普通、立替だ」
「じゃあ・・・・適当なのでいいです。現物支給でお願いします」
「・・・・・・ったくよぉ・・・・いつんなったら、おめぇのその経済観念のなさっつーのは
改善される訳?」
「・・・・・・っと・・・一応、これでも日々努力中、と言いますか・・・・」
「日々努力中、ねぇ・・・・・」
はぁ、と。
これみよがしに溜息をついて。
中居さんはおもむろに財布から福沢諭吉を2枚取り出し。
「これで買えるもん、買って来い。下駄と帯も忘れんじゃねぇぞ」
「今から行って来てもいいんですか?」
「・・・・・・行かねぇと店、閉まっちまうだろうよ」
「あ、そうですね」
「領収書、ぜってぇ、忘れんなよ」
中居さんのその声に見送られて、俺はバックを手に携帯で近場の呉服屋さんなんかを検索しつつ、
フロアを後にした。
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