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【おまけ】
「・・・・・中居さーーーん・・・・」
なっさけねぇ、普段よりも若干、掠れた声が耳に当てたちっこい機械を通して鼓膜を震わせ。
ほとんど骨髄反射的に眉間に皺が刻まれた事は自覚出来た。
そのたった一言の声音だけで、今、その相手の様子がただならぬ感じなのを察知しちまった
せいで。
さほど長い付き合い、と言うんでもない、この職場の後輩に対して、自分がその相手の事を
自分で思う以上に把握出来ちまってる気がすんのは、偏に己が優秀さの為せる技以外の何でも
ねぇんだ、って。
わざわざ頭ん中でそんな言い訳までを拵えちまってる事自体が、自分でどうよ?!ってはっきり
思わなくもねぇ。
そして、そんなたった一言に・・・・
たかが、職場のイチ後輩でしかないはずのそいつのために、今、自分が置かれてる立場や
状況のナンもかんもを擲って、そいつの元に、ただ無事な様子を確認するためだけに、馳せ
参じよう、と思い掛けちまう自分に力一杯、喝を入れる意味でも。
「んだよ、おめぇ、ひっでぇ声だな?何?風邪か?もしかして?今、流行りの新型インフルエンザ、
とか言うんじゃねぇよな?何かこうやって電話で喋ってるだけでも伝染されそうな勢いで
怖ぇんだけど。頼むから、今だけは止めてくれな。担当作家先生の締め切り3日前の、にっちも
さっちも行かねぇ修羅場の真っ最中なんだよ。おめぇも編集者の端くれなら分かんべ?落ち
着いたら様子、見に行ってやっから」
そこまでをほとんど一息っつっても過言じゃねぇ勢いでもって捲くし立て。
途中で、何かもし、また、そんな弱りきった声を聞かされたりなんかした日にゃあ・・・・
そんな想像をする事すら恐ろしくて。
ブチっと回線をぶち切った暫く後、それでも俺はまた、そのちっこい機械の細けぇボタンを、
人差し指や親指を右往左往させながら、慣れねぇ動きで以って、愛想もへったくれもねぇ
文面を拵える。
>手が空いたら様子を見に行ってやるから、住所を教えろ
幾分、一方的過ぎっか、だとか、恩着せがましいか、って思わなくもなかったが、けど、別に
何もこっちが下手に出て頼む必要なんかはねぇはずだし、って思って。
返信があったら、担当の先生には適当に買出しにでも行って来ます、とか何とか、何とでも
理由はこじつけられっから、その手で様子ぐれぇは見に行ってやるべ、って。
けど、そうして、様子を見に行った挙句、もし、万が一、のっぴきなんねぇような状態だったと
したら・・・・・とか、そんな懸念とも闘いつつ、チラチラと携帯の着信を気にし続ける俺が
居て。
「・・・・・気が散るわねぇ。傍でそんな風に携帯ばっか気に掛けられてると。何?大事な
緊急連絡でも入る予定でもあんの?いいのよ、他の仕事を優先させてくれたって。どうせ、
締め切りになんか到底、間に合いそうもないんだしね。いいわよ、今回は落とすから。けど、
もし、そうなったとしたら、アナタの責任も免れないんですからね!」
パソコンを叩いていた手を止めて、顔を上げた先生の表情が憔悴しきってて。
自分がそんな風にして、例え、ほんのちょっとの、一瞬の隙をつくようなそんな時間でさえ、
そうして他事に気を取られる事が勘に触るぐれぇ、先生は確かに追い詰められても居て。
そして・・・・・そんな風にして、そう言う大事な局面である事を重々、承知してるはずのま
自分が、他事に囚われしまいかけちまってた、そんな失態も本当に珍しい事でもあって。
「大丈夫ですよ、先生。原稿は必ず、締め切りまでに間に合います。俺が間に合わせますから、
先生は安心して、何もお考えにならずに、その頭の中に描き出される風景を、ただ、文字に
打ち出して下さればいいんです」
「・・・・・偉そうに。アナタに何が出来るって言うのよ」
「先生のお力になれる事でしたら、何だってさせて頂きますよ」
「口だけは本当に上手いわよね、アナタは」
「お褒めの預かり、有難うございます」
「誰も褒めてないわよ」
「お探しのアマルフィの資料、見つかりました」
「それをさっさと出しなさいよ」
「そろそろその辺りに差し掛かられるかな、と思いまして」
「アナタに分かる訳がないでしょっ!」
とか何とか。
そんなやり取りをするうちに頭の中は完全な仕事モードに切り替わり。
俺は後輩から入った電話の事は、思考の中から一端、オフした。
結局、その日、夜になってもメールの返信はなく。
俺はトイレに入るその時間にだけ頭の中でそいつの事を取り出すようにして。
便器に腰掛け、着信のあった履歴に発信してみる。
呼び出し音が10回を過ぎる頃、漸く、俺はまた、そのボタンをオフし。
やっぱり眉間に深く刻まれる皺を指先で軽く解して。
・・・・・んだよ、何で返信、寄越さねぇんだ?
電話にも・・・・出れねぇような状態、とか言う事は・・・・まさか、ねぇ、よな?
暗雲が立ち込めるっつーのは、こんな気分なんか、って。
居ても立ってもいられないような焦燥が募って来て、けど、今、自分がそれを許される立場
でもなくて。
くっそぉ!
大体、あいつもよぉ、なーーーんでわざわざ俺んとこに、んな電話、寄越してきやがんだよっ?!
とか。
不安は怒りに取って代わられて、その矛先は当然、その本人に向けられる。
電話にも出られねぇぐれぇ・・・・弱ってんだとしたら・・・・・
そんな不安を打ち消すように・・・・・
ま、あいつの事だかんな、きっと、俺に電話をぶち切られた後、速攻で彼女でもダチでも
何でもに電話して・・・・・
とか、思い掛けて、ふと。
それって、俺にそいつらより先に電話して来た事になんだろうよっ!って。
そんな想像が逆に俺を苦しめる結果になり。
イライラと。
トイレの中で纏まらない感情を、無理矢理押し込めて。
数回、深く呼吸を繰り返し、俺はまた、仕事場に戻った。
どうにか原稿を手に入れ。
それを社に持ち帰り、急いで校正業務に励んでるとこへ。
こんなタイミングで?って思わされるぐれぇタイミング良く、その人が現れる、とかな。
年に数回、本当に数えるほどしか、この場所でお顔を見る事のねぇはずの、その人がどう言う
訳か、今、俺の目の前に突っ立って、俺を見下ろしてる。
で、当然のように、お尋ねになる訳、だ。
その新人の事を。
そうして、案の定、そう来るか、って。
居丈高にその新人の住んでるとこを、個人情報漏洩も何のその、当然のように聞き出して。
・・・・・・俺には出来ねぇ、んな、非常識な事、ぜってぇ・・・・・
で、おいでになられんだろうな、当然な。
そこまでして行かなきゃ嘘、だわな。
ま、そんな風に敢えて、先生がそいつんちへ向わざるを得なくなるように、無意識のうちに
仕向けてた、って事は自分としては当然の事でもあって。
「・・・・・・冷てぇんだな」
ぼそっと一言。
先生が仰られた一言が耳に届かなかったはずもねぇ。
冷てぇ、か・・・・・・
確かにな。
俺には出来ねぇもんよ。
そいつの住所を勝手に調べ上げて押し掛けるような真似も、自分に課せられた責任を放り
出したりするような事も。
それからも相変わらず、その後輩からの返信や着信はなしのつぶて、で。
んだよ、結局・・・・ヤツにとっちゃあ、1回、断られちまったら、後はもう返信する気にも
なんねぇ、って事かよ、って。
そんな風にして不貞腐れそうになる自分もまだ、そこまでそいつに囚われてんだ、って証明
にも思えて。
朝んなって、も1回、電話してみる。
これで、何回目なんだろうな、って。
ふっと、発信履歴に並び続ける同じ名前に何とも言えねぇ、ヤな感じを感じながらも。
しかも、やっと繋がった、と思ったら、俺からの差し入れなんか要らねぇ、ってか・・・・?
んな事で途方もなく落ち込みそうになり掛けてる自分なんか、ぜってぇ、認める訳には行かねぇから。
ふざけた内容、ふざけた口調に全てを誤魔化して。
金輪際、あいつがどんなに泣きついて来やがったりだとかしても、ぜってぇ、何らかの力に
なってなんかやんねぇっ!!って。
そんな事を意地みてぇに考えてる自分が滑稽で堪んなかった。
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