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【3】
「・・・・・ただいま」
そっと玄関のドアを押し開けて。
途端にそこに待ち構えるようにして現れた人影に、居る事は分かっていても、ちょっとだけ
怯む。
「中居、は?」
「え?」
「秘書なんだろ?自宅まで社長を送り届けて来たんじゃねぇの?」
「・・・・あ・・・うん、もう遅いから下で別れた・・・・・」
本当は会社でもなかったし・・・あ、いや、場所は会社の・・・ぼくの執務室ではあったけれど。
でも、仕事じゃなかったし、僕は結局、中居くんからは回答らしい回答も得られないまま、
勝手に分かれて来たようなもので・・・・・
でも、中居くんのペテンに賭けても、そんな事は木村くんに伝える訳には行かないし。
「・・・・こんな時間まで仕事、大変だったな。疲れたろ。風呂、沸かしてあっから、取り敢えず
ゆっくり湯船に浸かって少しでも疲れ、解せ」
「・・・・あ、ありがと」
中居くんの口から出まかせのペテンを完全に信じ込んで、そんな風に僕を気遣ってくれる
木村くんの思いやりに、胸が少し痛んで苦しくなる。
「顔色、悪ぃな。熱、は・・・?熱はねぇみてぇだけどな・・・あんま、長湯すんな、心臓に
負担来ても拙いしな」
いつもと同じように。
僕の額に触れた木村くんの掌は、僕の体温よりもむしろ、ほんの僅か温かなぐらいで。
そのまま、手首に移動した指先が軽く脈を確認して。
それでもまだ、心持ち硬い表情のまま。
「風呂は止めとく方がいい、か・・・・」
「え?あ、でも・・・入りたい、僕は」
「んじゃあ・・・・俺も一緒に入るか」
いつだったか・・・・あれはまだ僕が入院してた頃。
海へ半ば無理矢理連れて行かれて、膝の立つ浅瀬で、それでも、僕が滑って一瞬、海水の中に
頭まで沈んだ時も。
帰ってから病院でシャワーを使おうとしてる時に、確か似たようなセリフを木村くんは口に
してた記憶が蘇る。
同性同士、一緒に入浴したから、って、そんなのはそんなに特別な事でも何でもないんだろうけど。
木村くんは僕の体調を気遣って、そう言ってくれてるだけの事で。
でも・・・・・・
「あっ・・・いい!大丈夫!何でもない!平気だから!風呂ぐらい1人で入れるから!」
「だって、お前・・・・疲れてるせいかも知んねぇけど、何か・・・・・」
「何か・・・・・何?」
「あ、いや・・・・・もし、ちょっとでも、どっか何かおかしいって感じたら、すぐに知らせろよ」
「うん・・・・・・」
「長湯すんなよ。風呂、上がったら軽く腹に入れて、さっさと休んだ方がいい」
「・・・・・・・・」
木村くんのセリフに僕は返す言葉をなくして、ただ、木村くんをぼんやりと見詰めた。
木村くんは・・・・今日が何の日なのか、もしかして忘れてる、とか・・・・?
胸の中に浮かんだ疑問に少しだけ首を傾げ、それでも、取り敢えず入浴するために浴室に向った。
シャワーで全身を軽く流して、丁度いい温度に整えられた湯船にゆっくりと身体を伸ばして。
じんわりとしたぬくもりが全身を心地良く解して行く快感に、ほぅっと・・・・深く息を吐き
だして。
同時に溜息も吐く。
結局、何の助力にもなってくれなかった中居くんを恨めしく思いながら、それでも、そんな
時間にでもまだ開いているお店を幾つかは見て回ったりもした。
形に表わさなくても・・・・言葉だけでも、って中居くんは言ったけど・・・・・
そんな、木村くんに届けられるような特別な言葉なんて、僕には到底、持ち合わせているとも
思えなくて。
出来れば・・・・・
木村くんに喜んでもらえたらいい、なんて・・・・・
そんな気持ちに囚われると、もう、何を手に取っても、それが木村くんにとって必要なものなのか、
とか、木村くんが喜んでくれそうには思えなくて。
色々と。
一緒に生活する中で木村くんが最近、欲してしたようなものがなかったかも、必死で考えても
みたけど、別段、これと言って普段の生活の中で不自由してそうな部分なんて微塵も感じられ
なかったし。
経済的に・・・・
お互いにって言っちゃったらアレだけど、それでも、確かにそうした側面から不自由を感じる
ような経済力でも、お互いになくて。
物であがなえるようなそんな僅かな隙間さえも見つけられない気がする。
「・・・・・・・はぁ・・・・っ」
思わず、また、深い溜息が洩れて。
と、同時に浴室のドアをささやかにノックする音が耳に留まった。
「何?」
「・・・・あ、いや・・・・大丈夫かな、とか思って。そろそろ出て来た方がいいんじゃねぇ?」
続いた木村くんの言葉に驚きを通り越して唖然としてしまう。
もしかして、僕が浴室に入ってからずっと?
ドアから中の気配を窺ってた、って事?!
何か・・・・・・・
どう表現していいのか分からない感情に囚われつつも、ふと、中居くんのさっきのセリフが
蘇る。
本音だとか弱音だとか見せてるか、みたいな。
もし、僕がそうした一面もちゃんと木村くんに見せてるんだとしたら、木村くんのこんな
過剰にも思える態度はなくなるんじゃないか、みたいな。
とにかく。
僕は意を決して、ざぶ、と湯船から立ち上がった。
結局、今、木村くんの誕生日に形として手渡せるものが何も見つけられなかった現実は、ここで
どんなにうじうじと考え込んでいたって、どうにも出来ない問題で。
もうこうなったら、正直にその事を木村くんに伝えて、直接、リサーチするだとか、そうした
方法に出るしかなさそうだ、って腹を括る。
「もう出るから」
ガラス戸越しにそう声を掛けて。
そこからどいて、と言外に匂わせる。
「あ?おぅ・・・・」
その場所から人影が見えなくなったのを確認して。
そこにちゃんと既に用意されている着替えに手を通しながら。
ふと。
結局、一緒に暮らし始めて、こうした細々とした色んな雑多な事も、その他、諸々の生活に
関する必要な事も全て。
木村くんがこなしてくれてる、って事に今更ながら気付かされたりなんかもしながら。
ただ、ただ、面倒なだけのはずなのに、それでも、どうして彼はやっぱりここに居るんだろう、
とか。
浮かんだ考えに、不意に落ち込みそうな錯覚にも囚われながら。
「ん?風呂上りのせいか?少し顔色が落ち着いたみてぇだな」
ほっと安堵したように優しげに緩められた眼差しに、こっちも心持ちほっとしたような気分に
見舞われながら。
「ほら、今のうちに。さっさとメシ済ませて、湯冷めしねぇうちに寝ろ」
まるで親が子供にするみたいに。
そんな風に子供扱いされる事が、僕の中で若干、勘に障って承服しかねる部分がない事はないに
しても。
現実に何から何まで世話されてる立場で不服を唱えられたものでもないか、って。
「あ、そう、なんだけど・・・・・」
さっさと僕をダイニングテーブルに追い立てながら、木村くんは僕が継ごうとした言葉に「ん?」
と声だけを返して来た。
「あの、さ・・・・今日」
「今日?」
「今日、誕生日、でしょ」
「・・・・・んー?あー・・・おぅ」
背後から届く声が若干の照れを含んで。
「あの・・・誕生日おめでとう」
追い立てられていた足を止めて振り返り。
木村くんに真っ直ぐ視線を合わせて。
思いっきりシンプルだけど、そんな言葉だけを取り敢えず伝える。
「え?あ・・・・・」
ぶつかっていた視線がふいっと逸れて。
口端が少しだけ、歪んだように持ち上がる。
「ま・・・サンキュ・・・・つか、もう祝ってもらうほどの年でもねぇし?」
シニカルに刻まれた笑みが、その言葉を裏付けるようでもあって。
そんな木村くんの態度に浴室で固めたはずの決意は、あっさり覆されそうにも感じながら、
それでも。
「あ・・・そう、・・・そう、だね、確かにそれはそうかも知れないけど・・・・ただ・・・・」
「ん?」
「いつも色々と面倒とか見てもらったりだとかするから、せめてこんな機会に何か、って
思って色々と探してもみたんだけど、イマイチ、ピンと来るものもなくて・・・・・」
「んー?」
「だから、その・・・・何かしたいって思うんだけど、何かない?」
自分の口から零れ落ちた言葉の語調が、自分で想像したより全然、温かみの感じられない、
ちょっと切りつけるようなそれになってしまった事に自分で微かな失望を覚える。
こんな風に・・・・
ケンカ腰とは行かないまでも、もう少し、こう・・・・
可愛げのある、って言ったら、それはそれで・・・・今更、可愛げのある年でもやっぱりない
だろう、って事は自覚はあるから、土台、それは無理な注文なんだとしても。
それでも・・・・・・
もう少しちゃんと・・・・・
感謝してるんだ、って事。
木村くんに本当は喜んで欲しい、とか無謀な望みなんかを抱いちゃってる事までは無理だとしても、
それでも、せめて・・・・・
本当はちゃんと正直に伝えられるといいのに・・・・・
もどかしさが募って。
自然と目線は下に下がり、同時に首も僅かに落ちた感じで。
足元の自分のスリッパと木村くんのスリッパが向き合うような形であるのを、何となく見詰めて。
ふっと。
木村くんが身動ぐ気配と同時に、自分の頭に触れて来る温度を感じて。
その温度はそして、ぐしゃぐしゃと、少し乱暴なぐらいに僕の髪をかき混ぜ、頭をぐらぐらと
揺すっても来て。
「ちょっ?!木村くんっ!何、すんの?!」
思わずその手首に手をやって、軽くシャツの袖口を握り。
慌てて顔を上げたそこには。
「な、何・・・?」
ちょっとこっちがたじろぐほどの会心の笑顔があって。
「サンキュー!!サンキューな!あ、ヤベ。マジで?マジでお前がそう言う事とか思って
くれてたりだとかすんの?いや、さっき、誕生日おめでとう、っつって?言われた時にも
正直、かなりキてたんだけどよ、けど、まぁ、んな事ぐれぇで何かバカみてぇに舞い上がって?
喜んでる、なんつー事?お前に知られたりだとかしたら、何かまた、バカにされそう、っつーの?」
「・・・・・・僕、そんなに木村くんの事、バカになんかしたりしない、と・・・・・」
思うけど、とは思ったけど、それを口に出すのは憚られた。
「けど、お前にそこまで言われちゃあ?もう無理!っつーの?大体、お前が俺の誕生日を
ちゃんと記憶してくれてた時点で既に?やべぇ・・・って」
・・・・・・何がどうやべぇ、んだか・・・・・
第一、僕は今、そんな風に木村くんが喜ぶような事は何も言ってないはずで。
一体、僕は木村くんからどれぐらい木村くんに関する事に対して、興味だとか関心だとか、
記憶だとかがない、と思われてる訳?
木村くんの誕生日ぐらいは記憶してるし・・・・・
木村くんの休日だとか勤務形態だとか、そうしたものも、木村くんから説明される範囲内で
ちゃんと・・・・・
「それだけで?もう十分っつーの?」
「へ?」
「お前が誕生日おめでとうっつって?そう言ってくれただけで?あ、んで、俺が勝手に?
好きでやってる事なのによ、それをお前がそんな風にして気に留めてくれてる事?それだけで
マジ、もう・・・・・・」
「けど!けど、それじゃあこっちのさ!こっちの気持ちがさ!」
「ん?お前のどんな気持ち?」
「そ、それは・・・・・・・」
「言ってみな」
「いい!別に何でもない」
「遠慮すんなよ。折角のバースデー?な訳だし?思い切って言ってみな?」
「何かもうねぇ、色々と?木村くんの誕生日を思い出してから今まで思い悩んでたのが
バカバカしく感じられて来るって言うの?」
「思い悩んで?」
それまでの満面の笑みが、ま、多少は人をバカにした風にも見えなくもない色も見え隠れも
させてたのが。
不意に。
真面目な顔つきになって。
真っ直ぐにその少し色素の薄めな瞳に捕らえられて。
ちょっとだけたじろぐ。
「サンキュ」
先ほどとは違った真面目な、とても真摯な声音で。
改めて一言、伝えられる言葉にほんの僅か、ドキ、と心臓が跳ねる。
「勝手に理由こじつけて、勝手に押し掛けて来て・・・お前がそう言うお前のパーソナル
スペースを侵害される事をほんとは迷惑に思ってるかも知んねぇ、とか気付きながら、それでも
そうしたかったのはこっちのエゴかも知んなかったのに」
「・・・・・そんなの・・・・・」
「なのに、そう言う事とかを受け入れてくれてるばかりか、そんな風に気にしてくれたりだとか
して、誕生日だからって気ぃまで遣ってくれて?お前がそんな風にして思ってくれてるって
分かっただけで俺・・・・・・・」
ちょっと言葉を詰まらせた木村くんが、少し視線を逸らし、また、合わせて。
「ただこうして、同じ空間だとか時間だとかを共有出来てる事だけで俺にとっては十分
過ぎるぐれぇ十分っつーの?お前がここに居てくれて、ほんとマジでそれだけでいいから」
良く分からないけど・・・・・・
それでも、木村くんがその現状に満足感を覚えてるんだとしたら、それはそれでいいのかも
知れない、って。
「だから、ま、これからも宜しく、っつー事で」
にやり、と。
さっきまでの天真爛漫っぽい綺麗な笑顔とはまた、少し異質の。
けど、僕にとってはどちらかと言えば、こっちの方が馴染みがあるかも知れないシニカルな
笑みを刻んで。
ちらり、と流してくる視線は、まるで流し目のようでもあって。
・・・・・・・・無駄に色っぽいんだよね、こう言う表情だとかして見せるとさ
そんな感想なんかも胸に抱きながら。
「こちらこそ、宜しくお願いします」
ま、家主はこっちだけど。
家事労働その他は木村くんが賄ってくれてる部分でもあるから。
少し芝居がかって頭を下げた後で。
目が合って。
同じタイミングで、ぷ、と噴出したりなんかもしながら。
それでも、やっぱりまだ、心のどこかで、何かプレゼント出来そうなものはないのかな、って。
これからは今まで以上にもう少し、木村くんを詳しく観察してみようかな、とかそんな思いも
胸に描いて。
プレゼントを選ぶって事が・・・こんなにも難題に満ちた事だって事を、僕は身を持って
知らされた心境だった。
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