「折角のお誕生日なのに、何だか機嫌が悪そうね?」
キャンドルの光が柔らかい陰影を刻む、いかにも女性が好みそうな演出の施されたテーブルで、
向かい合わせた席から、婚約者が物言いだけな微笑を自分に差し向けて来るのを感じて、
木村はその視線を意識的に避けるようにワイングラスに手を伸ばして。
喉を湿らせてから、おもむろに彼女に視線を合わせ、笑みを浮かべた。
「んな事ねぇけど?こういう場所、あんま慣れねぇから、ちょっと緊張してっかな?」
「嘘ばっかり。父や母にそういう言い訳が通用したとしても、私までは誤魔化せないわよ?」
自信たっぷりにそう言い切られて、木村は逃げ場のないバツの悪さを抱えて。
「また、吾郎くん?」
更に添えられた言葉に、木村は明らかに動揺を見せる。
「確か、もう、吾郎くんの担当じゃなくなったはずでしょ?」
「・・・・おぅ」
「私、それを聞いて、正直、ほんとにホッとしたのに」
「・・・・・・」
「これでやっと、貴方も自分の事や・・・私との事に少しは熱心になってくれるんじゃ
ないかって」
「・・・・・・」
「凄く期待外れでガッカリしたわ。前よりも酷くなったわね、貴方の態度」
「・・・・んな事、ねぇだろ?一緒に居る時間は格段に増えただろうよ・・・・」
「貴方がずっと他事に気持ちを奪われたまま、私と一緒に・・・ただ、一緒に居るだけの
時間なら、ね」
そのセリフに添えられた冷たい笑みに木村は苦笑を返す。
「・・・・・・」
「吾郎くんが元気になって退院したら、貴方はその職務を全うして、その後は私との事とか
ちゃんと考えてくれるんだとばかり思ってたわ。だから、吾郎くんには何としても早く
元気になって欲しかった。貴方がそのために一生懸命になる事も主治医の責任として
当然の事だと思ってたのに」
「・・・・・・」
「主治医としてその責任を全うしようとしてただけじゃなかったみたいね?」
「・・・・・・」
「彼に何か、医者と患者の関係を超える、個人的に特別な思い入れでもあって?」
「・・・・変な風に勘繰るなよ。そう言うんじゃねぇから」
「あら?勘繰らせてるのはどこのどなたかしら?」
「あいつは・・・・俺の命の恩人だからな」
低く漏れた木村の言葉に玲子は少し、眉を上げ、驚いた表情を浮かべる。
「あら?それは初耳だわ」
「あんま、人に話した事、ねぇから」
「それじゃあ、今日はそのお話、詳しく聞かせて下さるの?」
「・・・あ、いや・・・そういうんでもねぇけど・・・・あいつに俺が何か個人的に
特別な思い入れがあるように見えるんだとしたら、そのせいだ、って事。俺は、あいつを
救ってやりたくて医者になったし、そういう方面の勉強もあいつのためにやった。ずっと、
そうして、あいつのためだけを考えて医者やって来たから・・・・なかなか、簡単に
あいつの事、切り離して考えたり、だとか出来ねぇんだよ・・・・」
「けれど、貴方はもう十分に彼を救って上げられたんじゃないの?彼が元気になったのは、
そういう貴方の思いが通じたからでしょ?」
「・・・・・・」
「彼が元気になって、まだ、これ以上何か彼にしてあげたい、と思うの?まだ、足りない、
と感じているの?」
「・・・・・・自分でも良く、分かんねぇ」
「ややこしい人ね」
呆れたように笑う彼女の笑顔を、どこか遠い世界のもののように感じながら。
そうして、12月の声を聞き、世間ではそろそろ、クリスマスだ、師走だと、慌しげな
空気に包まれる中で、いつものように訪れた吾郎の病室では、もうすぐ吾郎の誕生日だ、
と言う話に花が咲いていた。
「パーティーしようよ、パーティー!!」
慎吾が嬉しげに騒ぐ。
「やだよ。別に祝ってもらうほどの年でもないし・・・・」
「何、じじむさい事、言ってんの?!だって二十歳になるんでしょ?!酒もタバコも
大っぴらに呑んだり吸ったり出来るようになるんだよ?!」
「って・・・・そんな事、今更、改めて強調されなくったって知ってるけどさ。別に
そういうのに、そんなに興味ある訳でもないから」
冷めた視線でそう答えた吾郎に、慎吾は勝ち誇ったような笑みを浮かべ
「ふふん。聞いたよ。つよぽんに強引に酒、飲ませろって我儘、言ったでしょ?」
参ったか、と言わんばかりに、鼻の穴を広げる。
「え?」
吾郎の視線がす、と剛に流れ。
「あ、ごめん。あの時の吾郎ちゃんの様子、ちょっと気になっちゃって、つい・・・・・」
「・・・・ふぅん」
微妙に翳った吾郎の表情に、病室の雰囲気もやや温度を下げる。
「合法的にお酒、飲める年齢になる訳だからさ、ちゃんと主治医の先生に許可とってさ、
当日は朝までどんちゃん騒ぎしようよ!!俺、吾郎ちゃんが酔ったとこ、見てみたい!!」
「慎吾?!」
剛が少し怒ったように声を高める。
「え?何で?吾郎ちゃんだってもうすっかり元気になったんだもん。もう、退院も秒読み
なんでしょ?」
「まぁ、ね。まだ、正式決定は出ないけど、そんなに先の事でもなさそうな雰囲気だよ。
慌しくなる年末前に、って感じで話し、進みそうかな、って」
「やったじゃん?!だったら尚更、お祝いも兼ねてさ!」
「お前、自分が飲んで騒ぎたいだけじゃん?」
呆れた苦笑を浮かべて剛が慎吾にそう突っ込む。
「当然っ!!」
余りにも自信たっぷりにそう言い切る慎吾に、その場に居た全員が笑いを漏らす。
「その日はさ、木村くんも当然、来るでしょ?」
剛のセリフに木村は吾郎の反応を窺うように無言の視線を吾郎に当てた。
パーティーの主賓がそれを拒めば、当然、自分がその場に赴く事はないのだから。
吾郎もまた、黙ったまま、木村に視線を返すだけで。特にこれ、と言ったコメントをする
気もなさそうで。
「あ?・・・まぁ、な・・・・吾郎が嫌じゃなきゃ・・・・」
思いの外、弱い声でそう返した木村に、吾郎は驚いたように目を見開き
「どうして?俺が嫌がるはずないじゃん。ぜひ、来てよ。みんなでさ、朝まで騒ごうよ。
俺、今までそういう事、した事ないからさ、凄い楽しみ。木村くんが居てくれればさ、
羽目外し過ぎて、もし、万が一の事があっても、安心だもんね?」
無邪気な笑顔を見せる。
ここ暫く、例のあの発作を起こして以来、吾郎ははっきり、自分とは距離を置いて、他の
人間にそんな風に笑い掛ける事はあっても、自分にはめっきり向けられなくなったその
笑みを、こんな風に突然、何の前触れもなく向けられて、木村はちょっと驚き、すぐには
どう反応していいのか、分からない自分が居る。
そんな木村を他所に、場所はどこで?だとか、他には誰を呼ぶ?だとか、そういう話で
盛り上がり。
にこにこと嬉しそうに笑みを浮かべ、その話を楽しげに聞いている吾郎を、木村はただ
黙って見詰めて。
去年の吾郎の誕生日の日。
漸く、再会を果たした吾郎は、子供の頃の面影はあるものの、凍った冷たい瞳をした、
自分の知っていた子供の頃の吾郎とは、まるで別人のように思える人間に成長していて。
本当にこれが自分の知っていた、例え、片時ですら忘れた事のなかった吾郎なのか、と
俄かには信じられない思いがしたほどで。
吾郎は当然のように自分の事など、まるで、記憶の片隅にすら留めては居なくて。
その事はさすがに少し、木村を寂しい気持ちにはさせたけれど。
でも、吾郎がなぜ、自分の記憶を留めて居なかったのか、その理由を知って。
自分が子供の頃、吾郎を更に傷つけていた、と言う事実には本当に打ちのめされた。
一人の人間を死に追いやろうとした、自分が犯した罪の意識に苛まれ、その季節が巡る
度に苦しみ続けて来た事実を知って。
記憶から消してしまいたいと願った相手が今、自分の目の前にいると言う現実を当然、
告げられるはずもなく、ただ、自分の出来る事は、吾郎がその罪の呵責から逃れ、普通に
当たり前な人生を送れる様になるよう、尽力するだけだ、と信じて、願って。
確かにその日は確実に近づきつつはあるけれど。
なのに、自分の中にわだかまる静かな不機嫌を木村は自分でも持て余している。
素直にその事を100%喜べない自分の存在を。
いつまでも、自分だけを頼りにして、自分だけにその弱みも甘えも見せる吾郎であって
欲しかったと、自分がそんな風に願っていたのだろうか、と。
そんな事を望んでいたはずではなかったのに。
そして、辿り着く。
これは子供じみた独占欲なんだ、と。
何が何でも吾郎を健康にしてやりたい、と、今の現状から救ってやりたいと強く願う余り、
ずっと、ずっと、片時も忘れず、その事だけを念じ続けて来た思いの反動なのだ、と。
吾郎は自分と出会った頃よりも、想像以上の早さで成長しただけで、そんな吾郎の成長に
自分がただ、ついて行けないだけなのだ、と気付く。
「よぉっし!ちょっと気ぃ早ぇけど、吾郎の退院祝いもかねて、いっちょ、派手にやるか?!」
不意にそんな声を上げた木村に、その場に居た全員が驚いたように木村を見る。
「場所、俺んち提供してやるよ」
「えー・・・・木村くんちじゃ狭くない?」
途端に慎吾が不満げな声を漏らす。
「って、一体、何人集めるつもりなんだよっ?!」
「今ねぇ、簡単に見積もってみても、ざっと2、30人ぐらい」
「はぁっ?!」
自分の周囲で繰り広げられていたらしい会話に、ちっとも注意を払っていなかったせいで、
そんな話になっていた、なんて気付いてもいなかった木村はそのセリフに素っ頓狂な声を
上げた。
「折角、二十歳のお祝いだしね。退院祝いも兼ねるんだったら、看護師さん達とかもさ、
って事になるじゃん。だから」
「あぁ、まぁなぁ」
残念そうに言葉を濁す木村に
「それじゃあさ、退院祝いはまた、今度って事にすればいいよ。実際、退院してからの
方がいいしさ。だから、純粋に誕生日だけって事で・・・・ホラ、去年さ木村くんちで
クリスマスパーティー、やったじゃない?あの時、俺、まだ、慎吾の事とか全然、知らなくて
結局、発作とか起こしちゃってさ、あれだったけど。もう1回、あの時の仕切り直しみたいな
感じでさ、あの時とおんなじメンバーでやらない?」
吾郎がそんな提案を持ちかける。
「確かにね。退院祝いって退院してからの方がリアリティーあるよね」
剛がすかさずその案に承諾を示す。
「そっかぁ・・・・あれから1年になるんだぁ・・・・何か、早かった気もするし、まだ、
それだけしか経ってないの、って気もするし。吾郎ちゃんなんか、この1年でほんとに
驚くぐらい変わったよね?」
「うん。自分でもね、こんな日が来るとかね、想像もした事なかったんだよね。それも
これも木村くんのお陰。ほんと木村くんには感謝してるよ」
じっと、真っ直ぐに。
その深い闇色の瞳の中に自分が映し取られるのを感じて。
自分もまた、その目の中に真っ直ぐ、吾郎の姿を映し取って。
自分の瞳の中に居る吾郎を、吾郎自身が更に見詰めるのを感じる。
「ありがとう、ほんとに」
「んだよ、そんな事、急にマジんなって言うなよな。木村くんは俺の主治医なんだからさ、
それぐらいの事、して当たり前だよね、とか、もっと、お前らしいセリフ言えよ。何か、
そんな風に改まってお礼とか言われたりしたら、落ち着かねぇじゃん」
僅かに顔に朱を上らせ、吾郎から視線を逸らせた木村が早口でそんなセリフを綴るのを
聞いて
「木村くんてば照れてるよっ!!」
すかさず慎吾が面白そうに囃し立てる。
「うっせ!面と向かってそんなハズイセリフとか言われて見ろ?!だれだって、こうなっから!!」
焦ったように木村が更に言葉を繋ぐ。
「あ、そうだ。木村くん、どうせだったら玲子さんも連れて来なよ。吾郎ちゃん、玲子さんに
会った事ないでしょ?木村くんの婚約者ってどんな人か興味ない?」
突然、素晴らしく良い事を思い立ったように、慎吾が声を弾ませる。
「え?そりゃまぁ、全然ないって訳でもないけどさぁ・・・・」
曖昧に言葉を濁す吾郎に
「すっごい美人だよ。驚くから、ほんとに」
慎吾は更にダメ押しのように言葉を続けて。
「んな事ぁねぇよ。普通。普通だから」
軽くいなそうとする木村に
「木村くんはもう見慣れちゃってるからねぇ。あれで普通だなんて言ったらバチが当たる
からね。あんな綺麗な人、その辺にそんなにゴロゴロしてる訳じゃないんだから」
慎吾が熱心に言い募る。
「へぇ?そんなに綺麗なんだ?俺とどっちが綺麗?」
真顔で尋ねた吾郎に慎吾が一瞬、固まり、次の瞬間、大爆笑する。
「凄い!!面白過ぎっ!!吾郎ちゃんてば、いつの間にそういう冗談とか言うように
なった訳?!何、吾郎ちゃん、玲子さんと張り合おう、とか言う?!」
腹を抱えて笑い転げながら、それでも、慎吾はそんなセリフを繰り出して来る。
「俺、別に冗談とかじゃなくて、本気で聞いたんだけど?」
さも、心外だと言わんばかりに吾郎がうそぶく。
「いや、笑わせてくれてありがと」
目尻の涙を拭い、まだ、泣き真似なんかもやりながら、慎吾が肩を震わせる。
「俺はさぁ、いい勝負だと思うんだよねぇ、玲子さんと吾郎ちゃん」
そこへ剛が口を挟む。
「は?!」
「吾郎ちゃん、ほんと、綺麗だよ、うん。あんまり外に出ないせいか、肌とかも透き通る
みたいに白いしさぁ。肌理(きめ)とかも凄い細かくて。線、細くてちょっと中性的な
ニュアンスとかもあるじゃん?きっとねぇ、女装とかしたら凄い綺麗だと思う」
さっきの吾郎よりもまだ、真顔で熱心にそんなセリフを綴る剛に慎吾は、暫し、唖然とし、
今度は悪戯っぽい笑みを浮かべて
「何、つよぽんてば、嫌に吾郎ちゃんの事、褒めるじゃん?ひょっとして、つよぽんって
俺、今まで知らなかったけど、そっち系の人間、とか言う?え?何、この際だから、
吾郎ちゃんとくっついちゃう、とか?!」
面白可笑しく煽りを入れる。
「え?」
慎吾の煽りに吾郎が真顔で戸惑う様子を見せて、剛は慌てて
「ちが?!違う、って!!ちょっと、吾郎ちゃん?!真に受けないでよっ!!慎吾が
言った事は冗談だからねっ!!俺、絶対、全然、そういう趣味じゃないしっ!」
声高に必死に食い下がる剛に、慎吾は益々、笑みを深くして。
「そんなに必死になると余計に怪しいって。冗談じゃん、ってなんで軽く流せないの?」
「吾郎ちゃんが本気にし掛かってるからだろっ?!吾郎ちゃん、俺達と違ってその手の
ジョークとかあんまり慣れてないみたいだから!」
更に声高に言い募る剛に、今度は吾郎が
「俺、いいよ。剛、優しいしさ、恋人として理想的じゃない?俺の事だけを大切にして
くれそう」
なんて、真顔で言い出す始末。
そして
「剛ぃ。ねぇ、剛は俺の事、嫌い?」
目元にはっきり、悪戯っぽい笑みを滲ませて、吾郎はベッドの上から身を乗り出して、
ぎゅーっと剛に抱きつく。
「き、嫌いじゃないよ。好き、好きだけど」
慌てたように言い募る剛に
「やった!!やっぱり好きなんだぁ?!愛の告白ぅ!!ヒューヒュー!!」
完全に慎吾がノリノリでおふざけモードでぶち上げる。
その間も吾郎は剛にしがみついたまま。
「ちょっと?!何、言ってんだよっ!!そういう意味じゃないじゃん!!人間として、
友人として好きって言っただけでっ!!吾郎ちゃん、そういう意味じゃないからねっ?!
本気にしちゃダメだよっ!みんな悪ふざけしてるだけでっ!!」
一生懸命、吾郎から離れようと、身を引く剛に木村が呆れた声を漏らす。
「吾郎が1番、悪ふざけしてんだろうよ」
「あれ?バレてた?」
剛を解放して、吾郎が軽く肩を竦め、ちょっと笑って見せる。
「バレバレ」
慎吾も木村と同じく、呆れた笑いを貼り付けて頷く。
「って、嘘っ?!」
完全に驚いて、その細い眼を見開いて吾郎を見詰める剛に
「ごめんねぇ、俺、確かに入院生活とか長くて、ちょっと世間の常識とか通用しない
ようなとこ、あるかも知れないけど、基本的に色んな知識だけは豊富に持ってんだよね。
剛ほど純情じゃないよ、俺。期待裏切っちゃって申し訳ないけど」
吾郎は僅かばかりの申し訳なさを滲ませた瞳で笑う。
「悪魔みてぇなヤツだから」
木村が確信的に言葉を添える。
「それもこれも、木村くんのご教授のお陰って事で」
すかさずそう返した吾郎に
「ふざけんな。俺が来る前から既に、お前のそういう性格は出来上がってただろうよ」
木村は呆れた溜息を漏らす。
「あれ?そうだっけ?」
「そうだよ」
「そうだっけぇ?」
ふざけた口調で笑う吾郎を、全員が楽しげに見詰めていた。
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