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・・・・はぁー・・・・
朝から少なく数えても十数回目の溜息をついて、僕は窓の外を見上げ、また、溜息をつく。
・・・・はぁー・・・・
空は恐ろしいほどの青空。
雲一つない晴天。
ピーカン。
絶好の・・・・運動会日和・・・・
そして、僕は恨めしい思いで、窓の外に吊るしたテルテル坊主の頭をちょん!と突つき、
ふと、口をついて出たフレーズを小さく口ずさむ。
「そーなたの首をちょーんと切るぞー」
・・・って。童謡なのに凄い歌詞だよねぇ。
いや、まぁ、切られるのはテルテル坊主の首でさ、厳密に言えば痛くも痒くもないんだろうけど、
その歌詞は断頭台を連想させて、ちょっと背中が寒くなる。
元々は・・・・
本当はテルテル坊主を逆さに吊るすと雨が降る、って誰かが言ってたのを小耳に挟んで、
そういう他力本願なやり方は僕の主義に反するとは思いはしたけど、そうまでしてでも
僕は雨を願って止まなかった。
・・・・・運動会なんか・・・・この世の中からなくなっちゃえばいいのに・・・・・
なのに、うっかりリビングなんかでテルテル坊主作りを始めてしまった僕は、やっぱり、
普段以上に冷静な判断力を欠いていた、としか思えなくて。
「吾郎ちゃん、何やってんの?」
不意にテレビゲームから顔を上げて、慎吾がこっちを振り返った。
「え?」
一瞬、どう誤魔化そうか・・・という思いが脳裏を掠め、けれど、この末っ子の並外れた
粘り強さ、と言えば聞こえがいいけど、しつこさには、なかなかに辟易するモノがあって。
「・・・・テルテル坊主、作ってるんだけど?」
誤魔化すのも面倒で、一応、本当の目的は内緒にしたまま、それだけを返す。
「へぇ?!テルテル坊主?明日、運動会だもんね。凄ーい!!吾郎ちゃん、やる気
満々なんだ?!」
・・・・確かに額面通りの受け取り方をすれば、晴れを祈って吊るすモノなんだから、
やる気満々だと取られるのも当然かも知れないけど。
「凄ーい!!ねぇねぇ、拓にぃ、吾郎ちゃんてば、やる気満々だよ。テルテル坊主、
作ってるんだって!!」
そうして、わざわざ、言わなくてもいいのに拓にぃにそんな事を進言してくれる。
「・・・へぇ」
少しだけ間を置いて、拓にぃは低く一言だけ呟いた。
「当然だよなぁ!!明日はぜってぇ、赤組に勝つんだからよ!!」
そんな幾らか不機嫌加減の拓にぃを、これまた、わざわざ挑発するように、広にぃが
普段は滅多にしないのに、僕の肩を抱くようにして、拓にぃの顔を覗き込んだりしてさ。
「んだよ?!赤組が負けるわきゃ、ねぇだろっ?!」
広にぃの挑発に拓にぃはムキになって怒鳴り返して来るし。
「まぁ、明日のお楽しみってとこだよな」
いつになく余裕の笑みで広にぃは、いやに楽しげにぐいぐいと僕の肩に置いた手に力を
込めて。
「痛いよ、広にぃ」
僕ははっきり顔を顰めた。
拓にぃのこっちを見ている顔が凄く険しくて、慎吾と剛がリビングの隅でこそこそと頭を
寄せ合って何かを相談していたかと思ったら、急に
「ねぇ、一緒に作ろう!!テルテル坊主。どっちにしても明日晴れなきゃ意味ないもん」
と言い出した。
多分、それは二人なりのその場を穏やかに治めるための処世術なんだろう、と言う事に
気付いて
「そ、そうだね・・・・」
僕は慌ててそう答えて
「広にぃ、手、離してよ、剛と慎吾と一緒にテルテル坊主、作るからさ」
隣に張り付くようにして肩に手を乗せていた広にぃを見上げた。
「あ?・・・おぅ」
ふと、我に返ったように広にぃはおずおずと手をどけてくれて、俺は突き刺さるような
拓にぃの視線から逃げるように慎吾達に混ざった。
・・・・そうして、結局、一緒に作ったテルテル坊主は当然、一緒に吊るして・・・・
僕のささやかな他力本願な祈りは、それを天に届ける術すら失われてしまった。
「今年はぜってぇ、赤組に勝ーつっ!!」
小学校最後の運動会で広にぃは例年になくテンションを上げて、雄叫びを上げた。
場所はいつものリビング。
今年、最後の運動会で白組の団長になったせいで、余計にリキが入っている。
ちなみに、赤組の団長は拓にぃで。
「赤組が勝つに決まってんだろ!!」
速攻で突っ込む拓にぃに
「俺達、兄弟のうち3人は白組だかんな。人数で既に勝ってんだろ?!」
広にぃが負けん気を発揮する。
「お前、バカ?!とっれぇー吾郎とどんくさい慎吾とちっせぇお前の3人で、何に勝つ
つもりなんだよ?!吾郎は運動以外だったら、敵に回したくねぇヤツだけど、事、運動に
関してはからきしだもんな。慎吾だって、未だに自転車にも乗れない根性なしだしよ。
その点、こっちは運動神経抜群の剛が一緒だからな。少数精鋭って言葉、知らねぇの?」
はっきりとバカにした態度で拓にぃは、ニヤニヤと嫌な笑いを浮かべる。
いや、でもさ・・・運動会って僕達兄弟の個人的能力云々だけで勝敗が決されるもので
なんか絶対にあり得ないに決まってる、と僕は内心で少しだけ呆れた溜息をついたりも
したけど。
でも、ここでそれを言ってみた所で・・・既に完全に盛り上がってるっぽい2人から
同時に攻撃だとかされても、堪んないし。
「う、うるせぇ!!」
図星を差されて、広にぃは真っ赤になって怒鳴り返して。
それでも、僕が思わず溜息を洩らしてしまったような方向には思考が動かなかったらしい
広にぃは、ある意味、余りにも的を得過ぎていた拓にぃのセリフに何も言い返せずにいる。
「やる前から勝負の行方なんか見えてんだよなぁ」
拓にぃはそんな広にぃに挑発的に微笑んで。
広にぃは悔しさの余り、唇を噛み締めて拳を震わせている。
・・・・・なんか・・・ヤな予感がする・・・・・
拓にぃの負けず嫌いは兄弟内でもそれなりに有名だけど・・・・広にぃだって表にそういう
態度を余り見せるのが嫌いなだけで、・・・意外に陰で真面目に努力するタイプの人で。
それを分かってて煽ってるんだか・・・・・
僕はチラリと拓にぃに視線を投げて、また、少しだけ溜息をついた。
その夜。
案の定、嫌な予感は的中して、普段は本当に滅多に僕の部屋になんか来ないはずの広にぃが、
やって来て、ざっと室内を見回した後、おもむろに勉強机に少し弾みをつけて飛び乗るように
して腰を下ろした。
「ちょ・・・・机に座らないでよ」
一応、その事に苦情を申し立てたけれど、広にぃはそんな僕の言い分にはお構いなしで、
いとも容易く無視してくれて。
「5、6年合同団体競技の騎馬戦で赤組に勝つ作戦、教えろ」
勉強机の上に腰掛けた広にぃが。
机を椅子代わりにされてしまったせいで、そのすぐ傍の椅子に座る気をなくしてしまい、
仕方なくベッドに腰掛けた僕を少し見下ろすようにして、真剣な顔で唸った。
「え?」
「5、6年合同団体競技の騎馬戦は勝てば得点が2学年分入るからすげーんだよ。この
競技で勝てれば、かなり有利になる」
・・・・凄い。マジだ・・・・
いつもおちゃらけている長男の、年に何度かしか見ない真剣な表情に、僕は丸まっていた
背を微妙に伸ばす。
「拓、言ってただろ?他の事でおめぇを敵に回すと怖ぇって。運動会ってただ、がむしゃらに
頑張りゃ勝てるってモンでもねぇだろうと思ってよ。お前、作戦参謀やれ」
「・・・・・・」
どうして、たかが運動会にここまで熱くなれるのか、運動会なんかこの世の中からなく
なっちゃえばいい、と思っている僕にとっては、到底、想像すらつかないけど。
「何か作戦、あんだろーよ。考えろ。おめぇ、そっち方面は得意だろ?」
得意って・・・・苦手じゃないけど・・・・・
そこまでして勝ちに行きたいモノなのかなぁ・・・・・
「そんなにムキになるほどの事でもないと思うけど・・・・」
一応、遠慮しいしい進言してみると
「兄弟が全員揃う最後の運動会なんだぞ。しかも、拓とは兄弟で敵同士の団長同士だからな。
負けたくねぇの、何があっても」
広にぃはそう力説して少し鼻の穴を膨らませた。
「それは拓にぃにしても同じだと思うけど・・・・」
「ま、おめぇは普段から、何かっちゃあ『拓にぃ、拓にぃ』だからな。その拓を負かす
作戦ってのは、正直、気乗りしねぇんだろうけど。二分の一の確率であいつと同じ組に
なれなかった自分の不運を呪うんだな」
広にぃも・・・・拓にぃと同じで、一旦、こう!と言い出したら聞かない人だからねぇ。
僕ははっきり溜息をつく。
ここでどんなにうじうじと繰言を繰り返した所で、納得の行く回答を得られるまでは、
広にぃがこの部屋から出て行く事は考えられなかったし、その辺のしつこさは慎吾と
似た所があって。
かと言って考える時間を頂戴、なんて曖昧な物言いに納得してくれる人でない事も十分
承知していて。
僕がその程度の作戦を何日も練る人間じゃない事ぐらいは、この長男には恐らく完全に
見破られてもいるだろうし。
僕はベッドからゆっくりと立ち上がり、広にぃが腰掛けている勉強机のペン立てから
シャーペンを手に取り、仕草で広にぃを勉強机から下ろさせるとノートを広げた。
「拓にぃは余計な画策をしてくる人じゃないからね、誰かさんと違って」
一言、皮肉を添えて、僕は策を伝授する。
「だから、まっすぐに大将の広にぃを狙って来ると思う。大将の帽子が取られちゃったら
後はどんなにたくさん馬が残ってても、どんなにたくさん、帽子を取ったとしても、
結局、負けでしょ?だから、一騎打ちを仕掛けて来ると思う」
そんな真っ直ぐな拓にぃの姿が脳裏に浮かんで、僕は寸時、言葉を詰まらせた。
「で?」
そんな僕を見透かすように広にぃはすかさず、続きを促す。
「一騎打ちになれば当然、リーチの長さから言っても広にぃに勝ち目はないよ」
「おめぇなぁ・・・俺は味方なんだぞ。そういう身も蓋もねぇ言い方すんなよ」
気分を害したように広にぃは頬を膨らませる。
「事実を言ったまでじゃない?己を知る事がまず、勝利への第一歩なんだから」
「わーった。わーったから、続けろ」
「だから、こっちは団体で勝負を賭ける。拓哉にぃの馬に一気に5、6騎で四方から
攻めさせる。そうして、拓にぃの馬が防戦一方になっている一方で、他の馬には他の
敵を攻めさせる。広にぃはあんまし動き回らないで周囲に最低でも4、5騎は護衛を
つけといて、もし、敵が攻めて来たら、その護衛に守らせる方が安全だよ」
「・・・・んだよ、それ。俺の活躍するとこ、全然、ねぇじゃん」
「勝ちたいんでしょ?」
僕の一言に広にぃは不貞腐れた顔で僕を睨みつけた。
「僕は別にどっちでもいいんだよ。どうしても勝って欲しいなんて思ってる訳じゃないん
だからさ」
僕は軽く肩を竦める。
こんな風に睨みつけられる覚えなんてないもん。
「ほんっとーに、そんな作戦で勝てんだろーな?」
どうにも納得行かないらしい広にぃが、声に凄味を混ぜて威嚇して来る。
「まだ、続きがあるんだけど?」
冷たく付け足した僕のセリフに、広にぃは少しだけ表情を和らげて
「んだよ、だったら早く言えよ」
続けてまた、ノートを覗き込んで来る。
「一回戦、これで引き分けちゃったら・・・後はないと思ってね。もし、これで、一回戦
勝てたら、二回戦は広にぃが先陣切って攻め込んで行けば?拓にぃとの一騎打ちは
避けた方が無難だろうけど、もし、やりたければやっても構わないよ。大将同士の
一騎打ちってやっぱり、見てる方には見応えあって盛り上がるもんね。ファンサービスも
ちょっとはしてあげていいんじゃない?」
「ファンサービスって何だよ?」
「拓にぃのファンの人、結構、居るでしょ。だから」
「・・・・・気に入らねぇ。なんで俺が拓の見せ場、作ってやんなきゃなんねぇんだよ?」
「だから。別にどっちでもいいんだって。広にぃが一騎打ちやりたいんじゃないかって
思っただけだから。これで運良く二回戦も勝てればしめたモノだし。ダメだったら、
三回戦は一回戦と同じで、徹底的に防戦に回る」
「なぁ・・・・先手必勝って言うじゃん。防戦一方で勝つってなんか地味過ぎんだろー」
やっぱり、その勝ち方はお気に召さないらしい広にぃがブツブツと言い募る。
「何がなんでも勝ちたいんだったら仕方ないよ。我慢しなよ。ほら、野球でもさ、強打者に
対して敬遠したりするじゃん。あれって勝つためでしょ?正々堂々と勝負して負けても
いいって思う時は真っ向勝負するんだろうけど、どうしても勝ちたい時は敬遠する方が
確実じゃない。それと一緒。拓にぃを敵に回して、広にぃが真っ向勝負で勝てるとは
思えないよ」
野球の例えが効いたのか、広にぃは苦虫を噛み潰したみたいな顔で、渋々頷いた。
「おめぇ、この作戦でもし、勝てなかったらひでぇぞ」
それでも、部屋から出て行く時にそういう脅しを残す事は忘れない。
「あ、一言、言っとくけど。練習の時にその作戦、使っちゃダメだよ。練習の時には、
なるべく一騎打ちやって拓にぃに勝たせてあげときなよ。人間、油断も大きな敗因に
成り得るんだからね。何回やっても広にぃは拓にぃには勝てないって、相手チームにも
印象づけとくと尚、いいよね」
「・・・って、それで本番、防戦一方に回ったら、いい物笑いのタネになんじゃねぇの?」
「・・・・それは否定しないけど。それでも、広にぃが万に一つ、勝てる可能性に賭けると
したら、その方法しかないね。僕は別に強制するつもりなんて全然、ないよ。広にぃが
考えろって言ったから考えただけだもん」
広にぃの顔に見慣れた怒色が広がって行く。
それでも、無言のまま、物凄い勢いで広にぃはドアを閉めると、ドタドタと足音を響かせて
自分の部屋に戻っていった。
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