|
まだまだ夏の余韻の残る、陽射しを遮るものなんて何一つない晴天の空の下で、土煙と
砂埃にまみれて、毎日のように繰り返される『運動会の練習』っていうのは、本当に
僕の性には合わない。
なんとかして見学する口実を探ろうとするんだけど、そういう僕の後ろ向きな姿勢を
完全に見破っているらしい先生は、頭が痛い、だとか、お腹が痛い、だとか言う僕の
口実を真剣に聞き入れてはくれない。
見かけのひ弱さと相反して、意外に丈夫に構成させている僕の体は、ちょっとやそっとの
事じゃ貧血なんかも起こしてくれそうになくて、僕はその暑さに辟易しながら、ダラダラと
体を動かす。
「須磨くんっ!!もっとシャキっと!!」
すかさず先生の叱責の声が飛んで、普段、滅多に先生に名指しで注意される事のない
僕がそんな風に注意されるのを、クラスの男子は少しだけ面白そうに、女子は不思議
そうに見てきて、僕のプライドをいたく傷つけてもくれて。
大体さ・・・・人間、得手不得手って言うものがあって・・・・・
不得手な人間に不得手な事を強制するような学校のやり方に、僕はいつも疑問を抱いている。
例えば、冬。
暖を取る手立てすらない校庭に、これまた防寒具もなしに出て行く事を余儀なくされる
休憩時間だとか。
『子供は風の子』なんてふざけた事を言い出した人の顔を見たい。
体を動かせば温まる、なんて先生は簡単に言うけど・・・・・体を動かす事が苦手な僕は
完全に冷え切ったまま、かじかんだ手に息を吹きかけるのが精一杯で。
・・・・って、冬の話をしてる場合じゃなかった。
今は秋、って言っても残暑厳しい夏みたいな秋、だけどさ。
なんでこんな季節に汗かいて砂まみれになりながら、練習なんかしなくちゃいけない
のかなぁ・・・・・
そうして、僕はまた、溜息をつく。
そんなこんなで、運動会気運が否が応でも高まる中、ある日、慎吾が浮かない顔で僕に
近づいて来た。
「吾郎ちゃぁん・・・・」
今にも泣きそうになりながら、慎吾はジッと僕を見つめる。
「な、何?」
なんとなく、ただならぬ雰囲気に思わず、半歩後ずさって、一応、後のセリフを促す。
「どうしても玉入れで赤組に勝てない・・・」
思い詰めたように必死の顔で詰め寄って来る慎吾を、僕は不思議な思いで見ていた。
別にいいじゃん、勝ったって負けたって、その事で慎吾の人生に何らかのダメージが
もたらされる訳でもないと思うし、勝てれば、その時だけ気分がいいだけの事で、
運動会が済んじゃったら、そんな事はもう誰も思い出しさえしなくなるんだよ。
そんな思いで口を開こうとした瞬間。
「広にぃが・・・何が何でも赤組になんか負けんじゃねぇぞ!!って、凄い剣幕で
怒鳴るんだよ。もし、負けたら広にぃが自分のお小遣いで買ったゲーム、二度と僕に
やらせてくれないって言うの」
広にぃはリトルリーグなんかにも入ってる根っからの野球少年で、テレビゲームなんて言う
ものはほとんどやらない。なのに、なぜか山ほどゲームソフトを持っていて。
贅沢は敵、を信条としているうちの両親は子供にそんな、バカ高いゲームソフトなんて
もっての他って言って、ほとんど買ってはくれなくて。
そりゃ、それでも凄く流行ってるって事ぐらいは知ってるからね、ゲーム機本体と、数本の
ソフトはちゃんと買ってくれてはあるんだけどさ。
そういうの、でも、すぐ、飽きちゃうじゃない?
で、うちにあるゲームソフトのなぜか大半は、広にぃが中古屋さんで買ってきたソフト
だったりする。
そして、もし、そのソフトを使わせて貰えない事になったら、ゲーマーの慎吾にとっては
相当のダメージがあるって事で・・・・
それにしても・・・・・
広にぃってば、勝つためには手段を選ばない人だったんだ・・・・
知らなかったな。
それは僕にとってもちょっと意外な発見で。
もっと、わかりやすく真っ向勝負を仕掛ける人かと思ってたけど。
騎馬戦だけじゃなくて1年生の玉入れにまでプレッシャー掛けてるとは、思わなかったな。
「でさ・・・・絶対に勝てないって言ったら、吾郎ちゃんに相談して見ろって・・・・
でもさ、幾ら吾郎ちゃんだって、そんな事、どうしようもないよねぇ?」
困りきったように慎吾は肩を竦めて弱い息を吐く。
・・・・・どうしようもない、訳でもない、けどねぇ・・・・・
「ねぇ?慎吾達、玉入れの時、どんな風にして投げてるの?」
俯いている慎吾の視線の先に顔を潜り込ませて、その目を覗き込む。
少し驚いたように顔を上げて、慎吾は
「えっと・・・こう、だよ?」
訳が分からないながら、いつもしている玉入れのゼスチャーをして見せる。
慎吾がしたのは、当然、と言うか、当たり前の上に向かって、けれど、上から下へ投げ
下ろす投げ方。
リーチがなくて、背が届かない高い所へモノを放るのには、一番、適さない投げ方。
それでも、大勢で一気に一つの籠、目掛けて投げる訳だから、幾つかは入るんだろう
けどさ。
「あのさ、こういう風に投げてごらんよ、明日、練習の時」
そして、僕は下から放り上げる投げ方を示して見せる。
「こう、さ・・・軽く、ね。籠に玉を届けてあげる感じって言うのかな?」
「え?こう?」
それまで一度もした事のない投げ方に少しだけ戸惑ったように、慎吾は僕の真似をして
首を傾げる。
「そうそう、そういう感じ。出来れば、他の友達にも教えてあげて、みんなでやれば、
案外、いい線、いくかもよ?」
慎吾はそれでも、なんだか納得の行かない顔で、何度もぎこちなくその形を繰り返して
いる。
「そうそう。少し膝の屈伸、使ってさ。両手に玉を持って、2個一度に投げるといいかもね」
何度か同じ動きを繰り返している慎吾をその場に残して、僕は読みかけの本でも読もうと
自分の部屋に戻った。
次の日、学校から帰って来た僕に慎吾がいきなり、飛びついて来て。
「凄いよ!凄いの、吾郎ちゃんが教えてくれたやり方。今日、やって見たら、勝った!
初めて赤組に勝った!もう、すっごい嬉しかった!!」
満面の笑顔で慎吾は俺の手を掴んで飛び跳ねている。
「よ、良かったね、それは・・・あの、ちょ・・・手、離してよ」
掴まれている手が冗談じゃなく痛くて、僕は顔を顰めた。
「あ、ご、ごめん、ごめん。つい、嬉しくて」
慌てたようにその手を離して、慎吾は嬉しそうに相好を崩したまま
「吾郎ちゃんのおかげだよ。最初、そんなやり方でほんとに勝てるのかなって思ってた
けど、ほんとに勝っちゃった!」
言葉を続ける。
「うん、良かったね」
「これで広にぃにもゲームやらせてもらえるよね?」
・・・あぁ、そっか・・・そっち、ね。
あまりにも慎吾が喜んでるから、少しだけ訝ってたけど、そっか、慎吾の目的はそっち
だったんだ。
納得が行くと、慎吾の喜びぶりも分かる気がして。
・・・・全く・・・
僕はそんな慎吾に漏れそうになる溜息を堪えて「ま、本番も頑張って」とおざなりに
声を掛けてあげた。
そして、いよいよ、今日、その本番を迎えて。
入場行進、合同体操、開会の辞と続いて。
予行演習通りに着々と演目が進行して行く。
ただ、じっと椅子に座っているだけでもじっとり汗ばんで来るほどの良いお天気で。
椅子に掛けた水筒のお茶を飲もうとした時、応援合戦で生徒席の前を太鼓を打ち鳴らしながら
走り回っていた広にぃが、その応援の合間を縫うようにして僕の席までやって来た。
基本、生徒は自分の席について応援するって言うのが決まりではあったけれど、6年生の
応援団の人達は特例を認められているようで、ポンポンを持って踊ったり、大きな団扇を
仰いだりして競技を盛り上げてくれている。
・・・・はっきり言って、ちょっと邪魔に感じられる事がないでもないけど・・・・
でも、父兄席から見たその光景って言うのは、意外に好評らしくて、毎年のようにその応援
合戦は繰り返されていて。今後も何か特別な事情でもない限り継続されるんだろう、とも
思うけど。
・・・・って、ちょっと話がずれた気がするけど。
そうそう、で、その応援合戦に励んでるはずの広にぃが、不意に僕の前で足を止めたかと
思うと、耳元に顔を近づけて来て。
「ちょ?!何?!」
拓にぃがこんな風にして僕に近づいて来る事は割と良くある事でもあるから、そんなに
驚かないけど、広にぃがこういう事をするのは本当に珍しくて。
驚いて慌てて身を引こうとした僕の耳を広にぃに掴まれて、今度は「いったーい!」と
悲鳴を上げさせられてしまう。
「るせぇよ!」
すかさず、ご丁寧に後頭部に軽く張り手を食らわせてくれた後で、相変わらず耳を引っ張った
まま広にぃは小声でこんな言葉を届けて来る。
「4年の団体競技の棒引き?予行ん時みてぇに、負けたら承知しねぇかんな」
声に凄味を混ぜて、同時に睨みつけるようなきつい眼差しを突き刺して来る広にぃに
「勝負は時の運て言うじゃない」
僕は冷めた口調を届ける。
「わざと負けるような真似すんじゃねぇぞ」
「まさか。仮に僕が幾らそうしようと望んだ所で、クラスの人達も同じチームの人達も
そんな事は思わないだろうからね。強いて言うなら、僕が僕の意志で負ける事が出来る
競技って言えばさ、徒競争ぐらいじゃないの?」
って言うか、こればっかりは逆にどんなに勝ちたいって思った所で、可能性は限りなく
低いって言う話なんだけど。
「・・・・おめぇの徒競争には期待してねぇよ」
ほんの一瞬、僕が口にした自嘲的、かつ、ある種挑発の意味も込めたセリフに傷ついたように
眼差しを曇らせた広にぃは、ポン!と軽く一度だけ僕の頭の上で手を弾ませて、また、応援団の
中に戻って行った。
|