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…一億総IT化のおかげだろうか。
最近の建物は電波の通りがすこぶるいい。こっちにとっては好都合だ。
さてと、まずはノートパソコンを起動。
動きの早さではデスクトップに劣るけど。
でも、あの馬鹿でかいデスクトップ型を持ち歩くわけにはいかないから仕方がない。
スロットにカードを差し込んで、プラウザを起動。続いてネットに接続。
目指す場所は今まで何度も出入りしているから、もうフリーパスみたいなもんだ。
それにしても…相変わらず甘いよね、日本人のセキュリティー意識は。
これだけ入り込んでも、まだ気づかないなんて。まあ、それでこそ俺の存在意義がある
んだけど。
さあ、お目当ての『あの人』のデータは、っと…
ああ、あったあった。楽勝だね。今回も気づかれなかったみたい。
よし、データ保存終了。ネット切断OK。
さあ、次は、と…そうそう、画像を選ばないと。確かこのファイルの中に…
ん、いいのがあった。
これならかなりのインパクトがありそうだ。リアクションが楽しみだな。
どんな顔をするんだろうね、あの人。
それから、えっと…メールの準備だな。あて先を入れて、っと。あ、発信元も変えなきゃ。
このアドレスを知られるわけにはいかないし。そうだなあ…ん、いいこと考えた。
…これでよし、準備完了。画像も添付したし。
それにしても…
俺は、ドアがわずかに開いた控え室から漏れ聞こえてくる会話に、耳を傾けながら
思った。
何でこんなことをしてるんだろ、俺。
こんなことをしたって、一円の得にもならないのにさ…。
「木村くんは信じてくれるよね?」
吾郎が何回目かの問いを発しながら、上目遣いでじっと俺を見つめてくる。
潤んだ黒い瞳だけでもノックアウト寸前なのに、必殺の首傾げまで付いてくるんだから…
いつもだったらこの時点で俺は陥落し、
「信じてるに決まってんだろ」
と言ってやりながら、吾郎の癖毛をそっとなでてやるところだ。
本番前だったら断固拒否されそうだけど、今日の仕事はもう終了。
そんな時になでる程度なら、吾郎も概ね機嫌良さそうに受け入れてくれるし。
そういう時間は俺だって嫌いじゃない。
でも、今回は無理だ。いくら俺だって、信じてやりようがない。
だって、吾郎がさっきから持ち出してる話といえば…
この前のオフの日に、以前映画館で見かけたSMAPのそっくりさん集団に会ったとか。
そのうちの一人…吾郎にそっくりな奴は、『ピンク』とかいうふざけたコードネームで
呼ばれてたとか。
その『ピンク』は、顔も声も体型も吾郎に瓜二つで。
でもやたらに喧嘩が強くて、マラソン選手並に足が速いとか。
おまけにそいつは、グループ内の俺によく似た奴に、薔薇の画像の携帯メールを送り
つけるような奴だとか…
そんな話をすぐに信じろって言われてもさ。ちっとばかし無理があるじゃねえか?
俺は、仕事が終わるや否やさっさと帰ってしまった中居、剛、慎吾の要領の良さを
呪いたい気分になった。
「…さっきのを信じろ、って言われてもなあ…」
俺がそう言った途端。
吾郎の顔にあらわれ出たのは、露骨な失望の表情。
「…木村くんだけはさあ…信じてくれると思ったのに」
そうして完全に拗ねてしまったらしい吾郎は、くるっと壁のほうを向いてしまう。
気まずい沈黙が控え室を支配したその時。
「…ん?」
マナーモードにしておいた俺の携帯が振動した。
どうやらメールらしい。俺はポケットから携帯を取り出して開くと、まずは発信者を
確認した。
「…は?」
俺は思わず間抜けな声を発した。
唐突な俺のそんな声が気になったのだろう。
「何、誰から?」
吾郎がそっと訊いてきた。
こんなこと言ったら、思いっきりバカにされそうだとも思ったけど…
俺は仕方無しに、正直に答えた。
「…俺から…」
「は?」
今度は吾郎のほうが、さっきの俺と同じような声を出した。
「発信者さあ…俺なんだ。俺のアドレスから、俺宛にメールが来てんの」
「何? それ」
吾郎が首を傾げる。
「ともかくさあ。どんなメールなのか見てみたら?」
吾郎がもっともな意見を吐いてくる。それもそうだ。とりあえず中を見てみるか。
…ん? どうやら画像メールらしい。ファイルを開いてみると…
「何だよこれっ!?」
今度こそ俺は大声を出してしまった。
「何?」
吾郎が俺のそばにやって来る。
二人して携帯のディスプレイを覗き込んだ。
息がかかりそうな位に近付いてきた吾郎の顔は、相変わらずため息ものに綺麗な作り
なわけで。
いつもだったら俺も顔に血が上ってるところなんだけど…
何て、今回はそんなことを思ってる場合じゃねえんだよな。
携帯のディスプレイに大写しになっていたのは、ゴージャスとしか言いようのない、ピンク
色の薔薇の画像だった。
俺はとっさに吾郎を見た。こんなメールを俺に送りつける思考回路の持ち主は、こいつ
以外にはありえない。
だが吾郎は携帯を弄びもせず、俺のそばでうっとりとした表情をしているだけだった。
「綺麗だよねえ、この薔薇。品種は何だろ?」
ため息混じりにそんなことを言いやがって。
…あのさ。ちょっと(いや、かなり)論点がずれてんじゃねえ?
などと俺が内心でツッコミをいれたその時。
再び俺の携帯が振動した。今度は電話の着信だ。
発信者が非通知なのが気に入らないが、俺は大急ぎで通話ボタンを押した。
「はい、もしもし!?」
その次の瞬間、電話の向こうから聞こえてきた声は、俺の思考を凍結させるに十分な
力を持っていた。
「もしもし、木村くん?」
電話の向こうから聞こえてくる、そんな言葉。
「そんなに疑ってかかったら可哀想だよ、彼。15年以上も一緒にやってきたんでしょう?
信じる努力もしてみないとね」
電話の主は、そんな台詞を穏やかに言ってきた。まぎれもない、吾郎の声で。
「誰だよ、お前!?」
思わず語気が荒くなる。すぐそばの吾郎が、俺の剣幕に驚いたように目を見開いた。
「さあ、誰だろうね?」
人を喰ったような声が返ってくる。こっちの神経を逆なでするような、笑いを含んだ声。
「それが分かんねえから訊いてんだろ!?」
「ああ、それもそうだね。じゃあさ、いっそのこと隣にいる彼に訊いてみたら?」
「…え?」
俺の思考が再び一時停止した。
そんなことにはお構いなしで、電話の向こうの声は続ける。
「いるんでしょ、そこに。訊いてみなよ。君の大事な吾郎くんに。こういう声の主に
心当たりがないかって。ああ、それともう一つ」
「…何だよ」
俺は唸った。
「俺、君と吾郎くんにちょっと話したいことがあるんだよね。君たちの車、関係者専用の
駐車場でしょ? そっちで待ってるから。もう仕事が終わったんなら、早いとこ控え室を
空けたほうがいいよ。掃除担当のスタッフさんが困ると思うから。じゃあね」
有無を言わせない調子で一方的に言うと、唐突に通話が断ち切られた。
「……」
電話を握ったまま硬直していると、吾郎が心配そうに俺の肩をゆすってくる。
「ねえ、木村くん、大丈夫? 何だったの? タチの悪いいたずら電話?」
…さっきまで、俺が信用しないと拗ねていたはずなのに、そんな素振りは微塵も感じさ
せない態度。本気で俺を心配しているらしい。
とりあえず、安心させてやらねえとな。
「…あのさ、掃除係が困るから、さっさと帰れって」
俺がそう言うと、
「木村くん…熱、あるんじゃない?」
吾郎はますます心配そうな表情になった。
「ちょっ…! 木村くん、そんなに引っ張らないで。痛いよう…」
大急ぎで荷物をバッグに放り込み、俺は吾郎の腕を引っ張ってテレビ局の地下駐車場
に直行した。
腕を強く引っ張られた吾郎が抗議の声をあげたけど、そんなことに構ってられる場合じゃ
ねえんだよ。悪いな、吾郎。
薄暗くだだっ広い駐車場で、俺はすぐに自分の車と吾郎の車を見つけた。
さっき電話してきた奴は、駐車場で待ってるって言いやがったけど…
一体、どこにいる?
そんな風に思いながら、きょろきょろと辺りを見回していると
「木村くん、どこ見てるの?」
そんな吾郎の声がして、俺はすぐそばの吾郎の顔を反射的に振り返った。
でも、吾郎はきょとんとした顔で俺を見返してくる。
何故俺に見つめられているのか分からない、とでも言いたげに。
「どこ見てるの、そっちじゃないよ。こっち」
俺や吾郎のすぐ後ろで、そんな声が響く。今度は、二人揃って勢いよく振り返った。
「意外に早かったね。あの控え室からここまでは結構あるのに。さすが日本のトップ
アイドル。体力はありそうじゃない」
笑いを含んだ声。太い柱のそばに佇んでいる男が、感心したように話しかけてきた。
…目を開けたまま、夢を見ているのかと思った。
ほっそりした体。緩やかに波打った黒髪。
整った顔立ち。何より、人を惹きつけずにはいない…強い眼の光。
日頃から、俺を捕らえて離さない存在。
そこに佇んでいたのは、紛れもなく…
稲垣吾郎そのもの、としか言いようのない男だった。
「誰だ、お前?」
やっとのことでそれだけの台詞をしぼり出した俺に向かって、その吾郎そっくりな男は
皮肉交じりの冷ややかな笑みを投げつけてきた。
「誰って、そこの彼に聞いたでしょ? 『ピンク』っていう奴のこと、話してもらってない?」
…マジかよ。本当に、これだけ似た人間がこの世にいるなんて。
俺同様に呆気に取られている吾郎の横顔を盗み見ながら、俺は必死で反撃の台詞を
探した。
「あのな、そんなふざけたコードネームじゃなくて、本名のほうだよ! お前一体誰だ!?」
「稲垣吾郎」
目の前の男が、真顔でそんな風に答える。
やばい、頭がくらくらしてきやがった。
「マジ?」
「んなわけないでしょ。顔がこれだけ似てる上に、名前まで一緒だったらさあ。はっきり
言ってギャグでしょ。天下の木村拓哉なら、それくらいのことは分かると思ってたけど」
首を傾げてにっこりと笑いながら、世にも可愛げのない台詞を吐く。
この行動パターンは、小悪魔モードの時の吾郎、そのまんまじゃねえか。
なんて、俺が内心で猛烈なツッコミを入れていると。
それまで棒立ちになっていた吾郎が、急に眼を輝かせた。
「君、ピンクだね!? 来てくれたの? 嬉しい!」
そう叫ぶが早いがバッグを放り出し、自分と同じ顔の男の元へと駆け寄っていく。
そうして、ピンク、って奴が呆れ顔をするのも構わずにその両手を取ると、腕をちぎらん
ばかりの勢いでぶんぶんと振り回した。
「まさかこんなところまで来てくれるなんてさあ。俺、ホント嬉しいよ。ありがとう」
そんな風に嬉々として叫ぶ吾郎の背中を、俺は複雑な想いで眺めていた。
自分と同じ顔の奴が来てくれたってのが…そんなに嬉しいのか?
半ばジェラシーにも似た気分に浸っていると、吾郎が更に言い足した。
「これでやっと、木村くんに信じてもらえるよ。良かったあ…」
心底安心したかのような吾郎の声を、俺は信じられない想いで聞いていた。
『嘘はついてない』と言い続けた吾郎の言葉を、俺は全然まともに聞いちゃいなかった
のに。
そんな俺にやっと信じてもらえると、吾郎は幸せそうに言っている。
…ったく。ホント、お前には勝てねえよ、吾郎。
「ねえねえ、さっき木村くんの携帯に送られてきた画像。あれ送ったの、君?」
「…ま、ね」
「そっか〜。凄く綺麗だったよ、あの薔薇。あれは君の?」
「ん、蕾のうちに買ってきて、家で咲かせたやつ」
「へええー。じゃあさ、あの後かかってきた電話も君だったの? どこからかけてたの?」
「階段の陰。君たちの控え室の、すぐそばの」
「嘘っ!? そんな近くまで来てたの? だったら声をかけてくれればよかったのに」
「…いや、控え室には行かないほうがいいと思って」
「あ、そっか。スタッフに見られたらいけないもんね。それよりさ、木村くんの携帯の電話
番号とかアドレスなんて、どうやって調べたの?」
「どうやってって、伊達徹と同じような感じで、かな」
「伊達って…あ、ひょっとして『特命』の!? 君、あれを見てくれてたの? ますます嬉しい
なあ」
二人の吾郎(こんな言い方したくはねえんだけど)はすっかり意気投合して、延々と
話し込んでいる。
…おい、ちょっと待てよ。
俺もよくは覚えてねえけど、吾郎がいつも演じてた『伊達徹』のキャラクター設定って…
確か、元・天才ハッカーって役どころじゃなかったか?
ひょっとして、電話会社のコンピューター内のデータを覗き見した、とか…?
「それって犯罪だろ!?」
俺は思わず叫んでいた。
「え?」
吾郎は目をぱちぱちさせて、俺の方を振り返る。邪気というものをこれぽっちも感じさせ
ない、今時貴重な顔の相だ。
それとは対照的にピンクの方はといえば、酷薄な笑みを浮かべながら、たった一言。
「何が?」
「何が、って…」
「俺、何も言ってないよ?」
…確かに。あいつの口から『ハッキング』なんていう物騒な単語が出たわけじゃない。
顔はそっくりでも、こいつは吾郎とは比べ物にならないくらいにしたたかだ。
油断ならねえ奴…。
そんな風につらつら思っていると、ピンクは軽く咳払いをして吾郎に問いかけた。
「ところでさ、君。ここ数日の間に、何か危ない目に遭わなかった?」
何だと? 聞き捨てならねえことを言う。
「危ない目って、うーん…」
吾郎が腕組みをして、しばし考え込む。
「あ、ええとね。自転車に乗ってる時に車が幅寄せしてきて、土手から落ちそうになった
ことならあるけど」
…おい、何だよそれ。
「ふん…他には?」
「それから、アレもかな? マンションの下を歩いてたら、上から植木鉢が落ちてきた」
「工事現場のそばを通りかかったら、積んであった鉄材が崩れてきた、なんてのは?」
「あ、それもあった。もう少しで車に傷が入るところだったけど」
「…やっぱり」
ピンクがため息混じりに頭を抱えた。
俺は無言で立ち上がると二人のそばにつかつかと歩み寄り、吾郎の肩をぐいっと引き
寄せた。そうして、目の前のピンクの顔をまっすぐに見る。
「おい、どういうことだ」
返事によっては、ただでは済まさない。そんな意味を込めて、俺はピンクを睨みつける。
「…人違い」
ピンクがぼそっと呟いた。
「何?」
「だから、人違いで狙われたって言ってんの。俺の替わりに、君の仲間が」
頭の中が、一瞬真っ白になる。
「何だよ、それ!?」
「俺と、吾郎くんが初めて会った時に、狙撃してきた奴ら。あの時点では撒いたんだけど、
なにしろこの顔だから」
「……狙撃?」
そんなこと、一っ言も聞いてねえ。
そういや吾郎が、『小石みたいなのが飛んできて』とは言ってたけど。
「その犯人が今日になって特定できて。それで話をつけに入ったら、そいつら俺の顔を
見るなり、『あれだけのトラップを準備しても無傷だなんて』って口走ったから。でも、
俺にはここ数日、災難めいたことは起きなかったし。ひょっとしたら、って…」
そこまでが限度だった。
俺は反射的に、ピンクの胸倉を掴んでいた。そのまま顔に一発お見舞いしようと、拳を
振り上げる。
「木村くん!? 何するの、やめてよ!」
吾郎が悲鳴に近い声をあげた。だが俺は、何の抵抗もせず、言い訳もしないピンクを
許す気には到底なれなかった。
冗談じゃない。ちょっとでもタイミングが悪ければ、吾郎は本当に危なかった。
以前、五ヶ月近く吾郎と離れていた時も、俺は精神がどうにかなるんじゃないかと思った
くらいなんだ。
もし、吾郎が永久に俺のそばからいなくなったりしたら。そうしたら俺は…
そんな時。ふ、とピンクが俺のほうを見た。
哀しみ、怖れ、そういった感情が渦巻いた…吾郎と同じ、黒い瞳…
……俺は握りしめたままの拳を下ろした。
たとえ吾郎じゃなくても、吾郎と同じ顔を殴るなんて出来なかった。
ピンクの胸倉を掴んでいた手を離して突き飛ばす。
そうして俺は、声を限りに叫んでいた。
「帰れ!! もう二度と、俺らの前にそのツラ見せるんじゃねえ!!」
…どのくらいの時間が経っただろう。
ピンクがゆっくりと顔を上げると、まっすぐに俺の眼を覗き込んできた。
「気が済んだ?」
そう言って、俺がさっき掴んでいた辺りの胸元をそっと触る。
まるで何かの痛みに堪えるかのように。
「その時の犯人たちは、今頃警察にお泊り中だから。余罪もいっぱいある奴らだし、もう
吾郎くんに危険はないよ。…本当に、ごめん」
そう言いながら、ピンクはすっと目を伏せた。
「本当はさ、吾郎くんが無事なのを確認すれば、それでいいと思ってた。でも、俺たちに
ついての話を、皆が夢物語だと思い込んでたみたいで…ちょっと、可哀想かなと思った
から。それでおせっかいをする気になったんだ。大切な人に信じてもらえなかったら…
それはちょっとつらすぎるから」
そうして寂しそうに微笑すると、ピンクはすっと後ろに身を引いた。
「…来なきゃよかったよ」
先ほどまでの小憎らしい態度とは正反対の様子に、俺は戸惑った。
「やっぱり俺は、君たちと関わり合いになっちゃいけないんだ。結局不幸にしたり、不愉快
な思いをさせたりする。顔は似てても、俺は…」
そうして、ゆっくりと背中を向けながらささやいた。
「誰にも、何の救いも与えてやれない。…君たちと違って」
ピンクは肩に掛けていたリュックを背負いなおし、靴音を響かせて歩きだした。
ピンクの背中が段々と遠ざかっていく。
吾郎と同じ顔なのに、吾郎よりもずっと寂しそうな眼をした人間が。
もう二度と、逢える機会もないんだろうか…
そんな風に思った時、吾郎が大きな声でピンクを呼び止めた。
「そんなの嘘だよ! 誰にも救いを与えられないなんて」
ピンクの足がぴたりと止まる。
吾郎は必死の形相で、立ち止まった背中に呼びかけた。
「だって、さっきの薔薇の画像。俺、あれを見てすっごく感動したもん。あんなに
小さい画面なのに、あれだけ綺麗だなんて。あの花は君が咲かせたんだろう!?」
そうして、呼吸を整えて、
「花は、愛情を注がなきゃ綺麗には咲かないんだ。あれだけ綺麗な花を育てる君が
根っからの悪人であるはずがない。俺は、あの薔薇と君にすごく救われたよ?」
淡々と、しかし切実に、吾郎は訴えかけた。
そうだな。俺もそう思うよ、吾郎。
あいつは何も、わざわざこんなところに来る必要はなかった。
俺たちに姿を見せる義務もなかった。
でもあいつは、苦労してテレビ局にまで入り込んで。そして俺たちに会いに来た。
俺の…吾郎に対する誤解を解く。たったそれだけのために。
すっげえバカな奴だけど…
悪い奴、じゃあなさそうだ。その点だけは認めてやるよ。
そんな風に思いながら、驚いたようにこちらを向いて立ち尽くすピンクの姿を眺めた。
そうして、いささか気まずい沈黙が流れたその時。
「ピンク!?」
駐車場の向こうのほうから、そんな呼びかけと共に近付いてくる足音。
「やっぱりここにいやがったかよ!? ったく、相変わらずおせっかい焼きなんだから…」
その声の主の顔がはっきりと見えた時、俺はぎょっとした。
「え?」
だが、その人物の顔を認めた瞬間。ピンクの表情が変わった。
いや、変わったのは表情だけじゃない。
何て言うんだろう…身に纏った空気、それ自体が一気に変化した。
まるで、スイッチのオフとオンが切り替わるように。
「レッド!!」
ピンクが泣き笑いのような表情を浮かべながら、その男の元へと走り寄った。
俺と同じ顔をした、『レッド』と呼ばれた男のそばへと。
一人の人間がそばにいるだけで、人はあんなに変われるんだな…
それは、感動と言っていいほどの発見だった。
「色々と面倒かけたみたいだな。ま、とりあえず片はついたから。こいつから話は
聞いただろ?」
レッドはピンクの肩に手を置き、俺を見据えて語りかけてきた。
…すげー、まっすぐな眼。
顔は俺に似てるけどさ。俺はこんな眼が出来るかな。
ふと、そんな思いに囚われた。
「こんな場面を見られたらまずいんだろ? 俺らはそろそろ退散するから。行くぞ、
ピンク」
「ん」
ピンクが僅かに頷き、レッドと共にふわりと上着の裾を翻して歩き出そうとする。
およそ気配というものを感じさせない身のこなしだった。
やはりこいつらの住む世界は、俺たちとは別次元のものなんだろうか。
何でだか分からないけど、一抹の寂しさに襲われる。
それは吾郎も同じだったらしい。
「もう、逢えないのかな」
眼をそっと伏せ、哀しげに呟く横顔がそこにあった。
「吾郎…」
俺が言葉選びに詰まった刹那。
ふっ、と音もなく影が近付いてきた。そして、吾郎の顔を覗きこむようにして一言。
「俺はいつも君たちを見てるよ。たとえ君に俺が見えなくても、ずっと」
…ピンクが笑っていた。それは本当に淡い微笑みだったけど、俺が始めて見た、
ピンクの混じりけのない笑顔だった。
「行っちゃったね」
音もなく2人が立ち去った駐車場で、吾郎は半ば放心状態のまま呟いた。
「ああ、そうだな」
本当に不思議な奴らだったよなあ…
「映画の感想、訊いてみればよかったな」
吾郎が残念そうに首を振った。
「せっかく、5人揃って見に行ってくれたのに」
「…だな」
俺がそう言った時。
俺の携帯が再び振動した。電話の着信だ。すぐに携帯を取り出し、発信者を確認する。
って、非通知じゃん。まさか!?
「もしもし!?」
俺が慌ててそう叫ぶと
「あ、木村くん? 一番大事なことを言い忘れてたんだけど」
電話の向こうから聞こえてきたのは吾郎…じゃない、ピンクの声だった。
「あのさ、吾郎くんの映画。あれ、良かったよ」
「え?」
「自分の顔がスクリーンに映ってるみたいで照れるけどね。それを割り引いても…うん、
良かった。いい仕事してるじゃない、彼。そう言っといて。あとさ、木村くん」
「…何」
「俺、木村シェフのパスタ料理って結構好きだよ。頑張ってよね。それじゃ」
通話を終わろうとする気配。俺はとっさに叫んだ。
「おい、ちょっと待て!」
「何?」
「お前、怒ってないのか? さっきの、あの…」
「仲間が危ない目に遭ったのに、それで腹を立てない人間を尊敬する気はないよ」
ふっと笑うような気配が伝わってくる。
「君は本当にレッドに似てるね…じゃあ、元気で」
そうして、今度こそ本当に通話が切れた。
「そっか、気に入ってくれてたんだね」
通話の内容を教えてやると、吾郎は嬉しそうな顔になる。
「良かったな」
俺は心から祝福してやった。
「俺さ、よく考えるとピンクにはちょっと悪いことをしたかなって思ってたの」
吾郎はふ、と真顔になってそう言う。
「悪いこと?」
「ん、ほんのちょっとだけどさ。『可哀想に』って思ってたんだ。だってほら、人前では
本名すら出せないわけだし」
…まあ、それは確かに言えてるけど。
「でもさ、認識不足だったよ。ピンクは可哀想なんかじゃない。だって、あの人を心配
して、こんなところまで探しに来てくれる仲間がいるんだから。俺のそばに木村くん
がいてくれるみたいにね」
そう言いながら、吾郎はにっこりと天使の笑みを浮かべ。
俺は顔に血が集まるのを自覚した。
「それにしてもさ、あの2人の本当の名前ってどんな風なんだろうな」
車に向かって歩きながら、俺は先ほどからの疑問を口に出していた。
「そうだねえ…見当もつかないけど」
吾郎が考え深そうに頷きながら、何事かを思いついたようにくすくすと笑った。
「でも、あれだけ外見や行動パターンが似てるんだもん。名前まで同じだったら最高だ
よね。『拓哉』とか『吾郎』とか、そういうのだったら申し分ないんだけど」
「お前なあ…」
さすがにそれはありえねえだろ、と俺は思ったけど。
…でも、本当にそうだったらいいのにな、と。
俺は心の隅っこでそんなことを考えたりしていた。
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