真っ暗な部屋に灯りを入れると、カーテンの下から猫が現れた。
「ただいま」
そう声をかけると、キッチンのエサ入れをのぞいてみる。
2〜3泊の留守の時は、キャットフードを多めに出して、エアコンもつけたままで出かける
ことにしている。
彼女達は、それで充分その部屋で暮らしていて、まさに同居人だなあ、と思ったりもする。
それでも今、新しいミルクを冷蔵庫から出すのを見守りながら、足に絡み付いてくる柔らかい
感触に、心が満たされるような気がして。
ワインセラーからシャンペンを1本出して、グラスに注ぐ。
立ち上る気泡が、気持ちを静めていく。
猫はもう、どこか気に入りの場所に引っ込んでいた。
Ririririri
電話が突然その存在を主張して。
ゆっくりグラスのシャンペンを飲み干すと、受話器を取った。
「俺、中居」
「ああ、今日はお疲れ様」
「うん、まぁな、あんなもんだろ?」
「中居くん、すごい立派な言葉遣いで、病院の時もそうだったけど・・カッコよかった、
くふふっ」
「笑うとこか?そこは」
「あっ、イヤイヤ、とってもステキでした」
「お前、おちょくってるだろ?」
「なんで?俺は実際・・」
「お前もよかったぞ」
「えっ?」
「お前の話は、その、非常に具体的で分かりやすかった」
「なんと、事務的なお褒めの言葉」
「おいっ」
「うん、ありがと」
「えっと、まぁ、そういうことで、おやすみ」
「何がそういうことなのか、知らないけど、おやすみ」
「ヴァ〜カ」
「あははは」
5人それぞれに夜は更けていく。
翌朝起きたのは、10時を回っている頃で。
コーヒーをセットしながら、携帯を確認する。
―おはようございます。週末のドーム、いけます。中止になった〇〇スタ、追加できることに
なりました。11:30にお迎えに行きます。よろしく―
マグカップに唇を押し付けて、吾郎は俯いた。
猫が膝の上に乗ってくる。
もう1匹は足に纏わりついて喉を鳴らしていて。
ジッと見つめている携帯画面にメールの着信が告げられた。
―今、起きてる?電話していい?―
通話ボタンを押した。
「おはよう、木村くん」
「おはよう、元気してる?」
「うん、元気元気、マネからのメール、今見たとこ」
「ははっ、それで元気になった?」
「そうそう、あとさぁ、ちょっと涙が出た」
「うん、そうだな」
「木村くんも?」
「へへ、いいじゃん」
いつの間にか、ライブをやって、それを無事に終わらせることがグループの大命題になっていて、
吾郎は特にそれを感じていた。
5人で始めたライブを、5人でファイナルまで行かせること。
あの時、危険な状況を見て思わず叫んでしまったのも、きっとそのせいだ。
「テレビでさぁ、昨日の会見すっげえ時間とってやっててさぁ、まったく、あいつらときたら」
「なに?」
「さすがスマップですね、こういうふうにファンを大事に考えているからこそ、15年も
第1線で活躍して来れたんですねぇ」
木村の口真似に、吾郎はプッと吹き出した。
数万人の人々で会場は徐々に埋まっていく。
強い日差しに晒されながら、辛抱強く並び、席に着き、うちわやペンライトを弄び、開演を
待つ人々。
裏では、何百人のスタッフがそれぞれの責任を果たし、緊急事態に対処するために動き回っている。
何十人のバンド・メンバーとダンサー達も、いつにも増して緊張の面持ちで準備を繰り返している。
開演30分前、5人の中心人物たちが楽屋に集合した。
オープニング衣装を身に纏い、すでにライブモードに入って、輝きを増している5人の男。
「よしっ、いつも通りだ、万が一また起こったとしても、慌てるな」
中居がそう切り出して、吾郎の顔を見た。
「うん、わかってる、もうしない」
吾郎はそう言って、ニコッと笑って見せた。
「大丈夫だ、きっと、楽しもうぜ!」
木村の声がやや弾んでいて。
「ああ、そうだな、いくぞ!」
5人は楽屋を出て、ステージへ向かう通路をたどり始めた。
誰も口を利かない。
黙っていても、目指すものはひとつだと、きっと分かっているから。
テントへ入ると、ダンサーがそろっていた。
全員が集まった時、マイクを通じて注意事項を伝える声が、聞こえてきた。
席を離れない。
写真撮影の禁止。
規制退場への協力。
様々な注意が続き、最後にまた、「ご自分の席を離れて移動したり、走ったりされますと、
大変危険です、決して、ご自分の席を離れないで下さい・・・では、もうしばらくお待ち下さい」
話が終わり、5人がそれぞれの顔を見合わせた時だった。
会場を大きな拍手が包んだ。
そしてそれは長い間響き渡っていて。
「なんだ?」
「なに、なに?」
「なんかあるのか?」
「説明が終わったら、拍手が来たんだと、なんか、すごく真剣に聴いてたらしいぞ、みんな」
ステージと連絡を取った舞台監督が、少し驚いて、嬉しそうにそう報告した。
「いけるな」
「ああ」
中居と木村が頷きあって、3人に視線を移して。
5人とダンサー達が手を握り合い、指を絡ませ、輪になって、眼を閉じる。
「再開、1発目です、気持ちを引き締めて、怪我の無いよう、楽しみしょう!」
木村の声に続いて、全員の雄叫びがテント内に轟いた。
いま、また、光の中へ出て行く。
待っている人々の中へ。
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