「アッア、アレ、アレ」
吾郎が引きつった顔で、中居の腕を掴んだ。
中居はマイクを口から離して「なんなんだよ」と、言いながら吾郎の指差す場所に眼を
やる。
中居の身体が一瞬硬直した。
「ああ?」
異様な空気に気付いた木村が、同じ方向へ顔を向けた。
ゲッ、っと喉の奥からおかしな音を発して、その場に釘付けになる。
剛と慎吾が同じように動けなくなった時、いち早く中居が声を上げた。
「音楽止めて、客電点けて、警備員こっち来い、それから、救急車呼んでくれ」
客席がどよめく。
慎吾は剛の肩に縋って、ガタガタと震えていた。
剛もまた、そんな慎吾の袖をつかんで、棒立ちになっていて。
吾郎はしゃがみこんで、手摺につかまりながら、真っ黒な眼を見開いて、唇をワナワナと
震わせていた。
木村が気を取り直して、マイクを口に向けた。
「座ってください、指示が出るまでそのまま、待ってて」
彼らの眼の前には、百人余りの人間が、折り重なって倒れていた。
「いやあ、いやあ」
腕を人の身体に挟まれて泣き喚いている人。
「いたーい、いたーい」
人の腹の間から、顔をのぞかせて叫んでいる人。
「うっうっう」
折りたたみ椅子の倒れた間に、脚が挟まれている人。
「うゎ〜ん、うゎ〜ん」
母親らしい女性の首元から乗り出して、泣いている子供。
警備員達と、無事な人たちが、彼らを端から助け起こしていた。
下敷きになった人の中にも、警備員がいた。
その周りには数万人の呆然とした顔があった。
遠くから救急車の音が幾つも幾つも、近づいてきていた。
―スマップ・コンサートで将棋倒し 100人余りが負傷 〇〇スタジアムで―
ネットの速報が、全国を駆け巡った。
「稲垣さんは、席へ戻れと注意していたと聞きましたが」
刑事の言葉に、吾郎は隣のマネージャーの顔を伺い見る。
確かに叫んでいた。
「危ないからっ、戻って!戻って!」
彼女は「言っていいわよ」と言うように軽く頷いた。
「はい」
「今、なぜ言い淀んだんです?」
吾郎の眼が伏せられて、声が低く小さくなる。
「僕らは、楽しんでもらうためにやっているので、歌を遮って、そんなことを言っては
いけないんです」
「ほう?」
刑事の眼が光った。
「でも、ああいう事はたびたび、というか、いつもあるんですよね」
ああいう事とは、客が自分の席を離れて、メンバーの乗ったトロッコ状のステージに
押し寄せることを言っている。
吾郎は黙っていた。
「皆さんがステージの上から注意すれば、みんなあなた方のファンなんですから、言うことを
聞くんではないですか?」
「でも、現に僕の言うことは聞き入れられなかった」
「でも、皆さんが全員で言えば、あるいは、中居さんか木村さんが言えば、効果があるんでは
ないですか?」
「彼女達はお客さんなんですよ、あそこは彼女達がお金を出して、来ていただいている
場で・・・」
「もう、けっこうです、ありがとうございました」
「でも・・・僕らには」
「次、草なぎさんをお願いします」
刑事はそう冷たく言って、吾郎の話を終わらせた。
事情聴取に使われているスタッフルームを出ると、吾郎は深くため息をついた。
あの刑事は、初めから自分たちに責めを負わせようとしてるとしか思えなかった。
きっと、自分が思わずしてしまったことが、その仮説を証明するのだ。
「吾郎」
「木村くん」
先に話を終えていた木村が、吾郎の肩を抱きかかえた。
「ごめん、俺、余計なことを口走って、それで」
「シー、シー」
木村の人差し指が、吾郎の唇に押し当てられた。
「いいから、もういいから、お前はしなきゃならないことをしただけだ」
「俺、怖くて、アレを見てたら怖くなって、それで」
木村は、吾郎の頭を抱き寄せて、髪を優しく撫でた。
「言うな、俺も軽く考えすぎてたんだ」
「でも」
「お前が気に病むことはないんだ、お前の問題じゃない、これは俺らみんなの問題なんだ、
お前はやるべきことをやっただけで、お前は正しい。でも、俺らがやらなかったからといって、
俺らが間違っているわけでもねぇ、俺らは、自分の良識で、自分の考えに従ったまでだ」
「そう?」
「ああ、行こう、慎吾が終わったら、ホテルへ帰れるから」
「うん」
ホテルへ戻ると、全員が中居の部屋へ集まった。
「入院したのが23名、手当てを受けてうちへ帰ったのが31名だってさ」
中居は早速そう報告をした。
「死人が出なくて良かったな」
木村が、ポツリとそう言って。
ソファの隅っこに膝を抱えて座った吾郎に、ぴったり寄り添うように腰掛けている。
「んで、明日、入院してる人たちをみんなで見舞いに行けって」
4人の眼が中居の顔に集中する。
何か言いたいのに、誰もそれを言い出すことが出来ないで。
「なんで?」
やっと慎吾が口を開いた。
「あの人たちが悪いんじゃん」
「慎吾」
中居がその言葉を遮ろうとする。
「始まる前に、いっつも注意されてるじゃん」
それでも慎吾は止まらない。
「俺そういう、コンサートマナーのサイトまであること、知ってるよ」
「慎吾!」
「ほんの少しの非常識な人が、あんなことになったからって、他のちゃんと見てくれてる
人たちは途中で終わって、帰らなきゃならなかったのに、何で、あんな人たちを」
「慎吾っ!」
ハッとして我に帰ると、こちらを厳しく、でもちょっと哀しげに見ている中居と眼があった。
「ご・ごめん」
「お前、そういうこと、しゃべらなかっただろうな?」
木村がそう訊いて来て。
隣の吾郎は、膝に顔を埋めていた。
剛は肘掛に肘を付いて、手を顎にあてがって、あらぬ方を見つめていて。
「言ってないよ・・・あっ」
立ち会っていたマネージャーが、今の中居のように自分の話を遮った時、何を言っていた
のだろうか?
「お気の毒に、皆さん、楽しみにして来たコンサートなのに、こんなふうに怪我までして、
病院へ運ばれて、かなりなショック状態だと思いますが?本当にお気の毒だ」
あれはきっとあの刑事の誘導尋問だったのだ。
「でも、悪いのはあの人たちだし」
そう言ってしまった。
「「ハア〜」」中居と木村の溜息がハモリとなった。
「でも、事実でしょ?」
溜息の余韻を断ち切るように、剛の声が重なった。
「俺、さぁ、ああいう人は無視して、ちゃんと席に残ってる人とか、遠くのスタンドの
人とかにしか、顔向けたり、手振ったり、しないようにしてた」
「ああ、まぁ、俺も」
木村が同調する。
「つまり、それじゃ、ダメだったってことだな」
中居は結論付けるようにそう言い切って。
「もっと警備員を増やして、もっとしつこく警告してもらって・・・」
「俺たち、続けられんの?」
吾郎のくぐもった声が、4人の耳に届いた。
小さくて、心細そうな、かすかな声が。
「うそっ」
慎吾の声が裏返る。
皆、それに返す言葉がない。
ドンドン。
力強いノックの音が静まり返った部屋に響いた。
5人が同時にビクッと身体を振るわせた。
中居が開けたドアの向こうに立っていたのは、スーパー・ウルトラ・マネージャーその人で。
「明日のライブは中止、来週以降は、完璧な警備計画を提出しないと許可しないって」
「ほらっ」
吾郎が唇に薄い笑みを乗せて、人を小バカにしたような口調でそう言った。
しかしその握り合わせた手がフルフルと震えて、それに連れて身体全体が寒さに耐える時の
ように小刻みに揺れているのは誰にもわかった。
木村は黙って、その肩を抱きしめた。
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