「やぁ、こんばんわ。今日はお招きいただき、ありがとう」
ドアを開けた先で微笑んでいるドクターを、つい、まじまじと
見つめてしまった。
チャコールグレーのシンプルなコートの下は、パールグレーの
アラン編みのセーター。パンツはコートと同系色で、全体を
グレーでまとめたスタイル。
真っ白なロングマフラーがアクセント。
シンプルだけど、仕立ての良さや素材にこだわりが感じられて、
ドクターって意外にセンス、いい・ ・ ・なんて、思いっきり
失礼なことを思ってしまう。
「あ、あの・ ・ ・今日は白衣じゃないんですね・ ・ ・」
白衣じゃないドクターを見るのは多分、初めてで私は急に
緊張してきた。
「え?・ ・ ・変かな・ ・ ・?」
ドクターも急にに不安げに自分の服装を点検するように
視線を動かした。
「あっ、いえ。ごめんなさい。変じゃないです・ ・ ・
って言うか、素敵・ ・ ・です・ ・ ・」
言いながら自分が赤面していくのが、自分で分かる。
(ひぇぇぇぇぇ・ ・ ・恥ずかしいよぉ・ ・ ・)
「あ・ ・ ・と・ ・ ・それは・ ・ ・」
ドクターにも私のどぎまぎが伝染したみたい。
言葉に詰まってる・ ・ ・
「あっ、こんなところでいつまでも立たせたままで・ ・ ・
すみません。どうぞ」
ドクターを部屋へ招き入れながら・ ・ ・
「へぇ・ ・ ・すごいな・ ・ ・」
テーブルに並べられているお料理を見て、ドクターは一言。
「お口に合うといいんですけど・ ・ ・」
ほんとにそのことだけが不安・ ・ ・
キャンドルに灯りを灯すと、あたりは一気に幻想的なムード。
でも、あんまり明るい部屋よりいいかも・ ・ ・
顔の赤いの、少しでも分かりにくくなるから・ ・ ・
「星夜祭に乾杯・ ・ ・」
チン・ ・ ・と涼しげな音をたててグラスを重ねる。
「こんな風に誰かと食卓を囲むのは、何年ぶりかな・ ・ ・」
ドクターは、ふと昔を懐かしむように視線を宙にさまよわせる。
「母がまだ生きていた頃には・ ・ ・」
けれど、言いかけて口を噤む(つぐむ)。
「ごめん。今日のような日に話す話題でもなかったね」
私はそっと首を横に振る。
ドクターのことなら何でも知りたい。
どんな話しでも聞いていたい・ ・ ・
私はいつも、そう思ってるのに・ ・ ・
一度、口をつぐんでしまうと、今度はなかなか会話の糸口が
見つからない・ ・ ・
だって、ドクターって元々、無口だし・ ・ ・
えーっと・ ・ ・何か話さなくちゃ・ ・ ・
でも、何、話したらいいんだろう・ ・ ・
ドクターの口から今まで健康管理の話し以外に聞いたこと、
なかったような・ ・ ・
ああでもない、こうでもない・ ・ ・と考え込んでいるうちに
不意にドクターの視線を感じて、私は顔を上げた。
ドクターは私の手元をじっと見つめている。
「あっ・ ・ ・」
私は慌ててて両手をテーブルの下に隠した。
だって、私の手、バンソーコーだらけで、しかも、しもやけと
あかぎれで・ ・ ・ひどいんだもん・ ・ ・
「あっ、これ、何でもないです。あんまりお料理、慣れてないから、
こんなになっちゃって・ ・ ・」
なんとか笑ってごまかす・ ・ ・
「診せてごらん」
ドクターの言葉に、仕方なしにおずおずと手を差し出す。
ふぇーん・ ・ ・恥ずかしーよー・ ・ ・
「しもやけは血行不良が原因で起こるんだよ。
冷たい水と熱いお湯とに交互に手をつけるのを、毎日、
朝晩繰り返すとだいぶ良くなる。それから、あかぎれは
濡れた手をキチンと乾かさずにいるとなりやすいんだ。
水を扱ったりした後、キチンとタオルで拭いているかい?
少し手間でもそうしていれば、かなり防げるから・ ・ ・」
途端にドクターは饒舌(じょうぜつ)になる。
くすっ・ ・ ・くすくす・ ・ ・
笑いがこみ上げてくる。
ドクターらしい・ ・ ・
いつも、患者さんの心配ばかり・ ・ ・
もし、ドクターのお嫁さんになったら、そんなドクターに
しょっちゅう、ヤキモチやいてなきゃいけなくなりそう・ ・ ・
そんなことを想像している自分にビックリして
途端にドキドキ・ ・ ・ドキドキ・ ・ ・
こらっ!!
何、考えてるのよ!!
静まれ、心臓!!
フワッ・ ・ ・と手に温かみを感じて・ ・ ・
見たら・ ・ ・
ドクターの手に私の手、すっぽりと包まれてる・ ・ ・
大きくて、温かくて・ ・ ・
ちょっぴりお父さんに似た、大人の男の人の手・ ・ ・
「女のコの手がこんなになるまで働かせているなんて・ ・ ・
この町はどうかしているな・ ・ ・」
切なそうにドクターは呟く。
「そ、そんなことないです!!私は好きでこの牧場の仕事、
やってるんですもん!!この町の人達はみんな、親切で
優しくて、こんな素敵な町、他にはないです!!」
つい、ムキになってしまった・ ・ ・
そんな私の顔をドクターはじっと見つめている。
「僕の母はいつも何かしら淋しげで・ ・ ・子供心に僕は
とても、それが悲しかったんだけど・ ・ ・君を見ていると
いつも、ただそれだけで嬉しい気持ちになってくるんだ・ ・ ・」
「何も話せなくても、ただ、君の顔を見られるだけで
優しい、満ち足りた気持ちになれる・ ・ ・
こういうのは・ ・ ・どういうのかな・ ・ ・」
ドクターの口調はとても、温かで優しくて・ ・ ・
私は涙ぐんでしまう・ ・ ・
「すまない・ ・ ・こんなこと、言うつもりじゃなかった・ ・ ・
君を苦しめてしまったようだ・ ・ ・」
痛みをこらえるように、低くドクターは呟いた。
「・ ・ ・ちが・ ・ ・」
ちゃんとキモチを伝えたいのに、胸が詰まって言葉が出ない。
「今日のところはこれで失礼するよ。
明日、薬を取りに来るといい。今夜中に調合しておくから」
ドクターの声が少しずつ遠ざかっていく。
「・ ・ ・待って!!・ ・ ・」
夢中でドクターの背中にしがみつく。
「・ ・ ・待ってください・ ・ ・」
なんとか言葉を絞り出す。
「私・ ・ ・嬉しいんです・ ・ ・ドクターにそんな風に
言ってもらえるなんて思ってもみなくて・ ・ ・」
「えっ?!」
ドクターが驚いているのが、背中からでも伝わってくる。
「私・ ・ ・私もドクターのこと・ ・ ・」
けれど、それ以上言葉が続けることはできなかった。
突然、ドクターに抱きしめられて・ ・ ・
「女のコに先に告白させるのは、僕の主義に反する・ ・ ・」
耳元でドクターの少し怒ったような声がして・ ・ ・
後のセリフは私の耳にだけ小さく届いた・ ・ ・
そして、私はドクターの胸で静かに肯いたのだった。
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