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まるで、春霞の向こうに姿を隠してしまったように、
突然、ヤツはこの町からいなくなってしまった。
誰にも一言も告げずに・ ・ ・
そして、2度目の春が巡って来た。
その朝、オレは普段よりもかなり早く起きて、ある所に向かっていた。
その場所には・ ・ ・
いた。
その場所に彼女がいるという確証はなかったけど、
オレは確かに感じていた。
彼女は今日、ここに来ている、そう・ ・ ・
もう春だというのに、まだ明け切らない海岸の風は冷え冷えとして、
全身に冷気の矢を突き刺して来る。
けれど、彼女はそんな寒さなどまるで感じていないかのように
身じろぎもせず、いたずらな風の思うままに長い髪をもて遊ばせたまま、
ただ、前だけをじっと見つめていた。
その海の向こうに、彼女は何かを捜している。
もとめるように投げかけられた視線の先にはただ、
白い波頭が躍るばかりだというのに、彼女は飽きることなく
海を見つめ続けている。
彼女は去年の今日もこうして、この場所に佇んで
じっと海を見つめ続けていた。
飽きることなく、長い時間・ ・ ・
そのか細い全身に悲しみを湛えて、痛みをじっと堪えるように
ただ、海を見詰めていた。
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去年、この場所で彼女を見かけたのは偶然のなせる技だった。
オレはただ、驚いて声も掛けられずに、少し離れたところから、
彼女を見ていた。
ヤツが突然、この町からいなくなって、それまで自分は数少ない
ヤツの友人だと自負していたオレは、相当ショックを受けていた。
なぜ、一言の相談もなく、こんな風に突然に・ ・ ・
自分の不甲斐なさと、ヤツの身勝手さを同時に呪っていた。
だから、気付く余地すらなかった。
彼女があんな風に痛みに耐えていたなんて・ ・ ・
ヤツがいなくなって、しばらくの間は町全体がシュンとなったが、
やがて、時とともにその痛みは薄れ、序々に元の平穏な日々を
取り戻していき、そんな中で彼女も普段と変わりなく振舞っていた。
大切な友人を失くした痛みを、彼女もオレと同様に感じているんだ、と
オレは都合良く理解していた。
けれど、確かに彼女の素振りからはその程度にしか感じることは
出来なかった。
それは、彼女の周囲に対する最大限の思いやりのおかげに
過ぎなかったのだけど・ ・ ・ ・
でも、ヤツがいなくなってちょうど1年目のその日、
彼女をここで見かけたのだった。
海を見詰める彼女の瞳からは大粒の涙が後から後から
とめどなく溢れ、彼女はその涙を拭おうともせず、
ただ、前だけを見詰めていた。
そして、オレはようやく気付いた。
彼女の失くしたものは、友人ではなかったのだと。
それからオレの目はいつも彼女を追うようになった。
元気そうに明るく振舞う彼女が痛々しくて、そんなに無理するなよ、
たったそんな一言すら掛けられずにいる自分が歯がゆくて。
でも、彼女の痛みをなるべく近いところで感じていたかった。
そのことで彼女の救いになれるとは、もちろん、思ってはいなかったけれど。
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あれから、また、1年の時が流れ、彼女は再びここに来ていた。
やはり、去年と同じように、ただ前だけを見詰めて・ ・ ・
朝日が昇り始め、彼女の白い頬を照らす。
一粒、大粒の涙が朝日を反射してキラリと光った。
オレはそっと彼女に近付き、恐る恐る彼女に手を伸ばして、
すっかり冷え切っている体を背中から抱きすくめた。
彼女は少し体を硬くして、それでもじっとしている。
「そんな風に一人で泣かないでくれよ・ ・ ・
オレじゃ大して力になれないかも知れないけど」
不意に彼女の細い指がオレの手を掴む。
華奢な彼女のどこにこんな力が・ ・ ・と思えるほど、強く。
そして、オレの腕をゆっくりはずさせると、
彼女はこちらを振り返って、まっすぐにオレを見詰めた。
まだ、涙に濡れた瞳で・ ・ ・
それでも、まっすぐに・ ・ ・
オレはその強い意志を秘めた視線を受け止めきれずに
目を逸らせてしまった。
「去年も・ ・ ・グレイくん、私のこと、見ていてくれた」
彼女の口から自分の名前がこぼれたことで、オレは
ちょっと驚いて顔を上げる。
彼女がオレに気付いていたなんて。
「そして、今年も・ ・ ・」
彼女の顔に微かな笑みらしきものが浮かぶ。
「この一年、グレイくん、いつも、私のこと、見てくれてた。
何も言ってはくれなかったけど、頑張れって励ましてくれてる
気がしてた。だから・ ・ ・いつまでもメソメソするのは
やめようって・ ・ ・今年はお別れを言うつもりで来たのに。
泣かないつもりで・ ・ ・でも、やっぱり、ダメね・ ・ ・」
呟いて寂しげに笑う彼女が痛い。
泣かれるよりも、そんな風に笑われる方が、遥かに辛いと思い知らされる。
どうしていいのか分からなくて、ただ、そんな笑顔を見るのは堪らなくて
思わず彼女を抱きしめていた。
強く・ ・ ・
「ごめん・ ・ ・私・ ・ ・忘れようって・ ・ ・でも・ ・ ・まだ・ ・ ・」
彼女の声がきれぎれに届く。
彼女の涙がオレのつなぎを濡らしてゆく。
「無理に忘れなくていいから。時間を掛けてゆっくりで・ ・ ・」
(オレ、クレアさんの気持ちの整理がつくまで、いつまででも待つから)
言葉に出来ない思いを心の中で呟く。
彼女はオレの腕の中で小さく肯いて、泣きじゃくった。
子供のように・ ・ ・
そんな彼女の細い体をそっと包むように抱いたまま、オレは思う。
いつか、オレの想いを彼女に伝えられる日が訪れるまで、
オレは多分、不器用にただ、彼女を見詰め続けることしか
出来ないんだろうな・ ・ ・
それでも、きっと、いつか、オレの想いを彼女に・ ・ ・
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