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「もー!吾郎ちゃんてば、何やってんだよぉ!」
ノックの音に返事した途端、そんなセリフと一緒に慎吾が転がり込んで来る。
「こんなに・・・入院しなくちゃいけないぐらい苦しくて辛かった事、何で俺達に何も
言ってくんなかったの?!」
涙声で詰るように問い詰められて吾郎は、そろそろ自分の身長をも越えそうな気配を垣間
見せる弟の頭に、そっとおずおずと、手を置いた。
「心配掛けてごめんね」
「ほんとだよっ!うち帰って拓哉兄貴の置手紙読んで、俺がどれぐらいビックリしたと
思ってんのっ?!」
「だから、ごめん、て」
「ごめんで済むかーーー!」
そのままタックルするような勢いで上から圧し掛かられて、その重みに喘いで暴れようと
する吾郎に、ぎゅっとしがみつくようにして。
「ほんとに、ほんとに心配したんだから!ただの風邪のくせして、何、入院とかしちゃってんだよ!?」
泣き笑いのような声が小さく震えている。
「ねぇ?ほんとのほんとの話、マジで風邪、なんだよね?何か俺達にまだ隠してる事、とか
ないよね?」
慎吾の後ろから別の声がして、剛も一緒だった事を知る。
「剛も。ほんとに心配掛けてごめんね。でも、うん、こんな俺が言っても説得力ないかも
知れないけど、ただ、ちょっと体力的に落ちてて、たかが風邪って楽観出来ない部分が
あるから様子見って言うか・・・体力が戻るまでの間、ちょっと入院するだけで・・・・」
「ほんとに、それ、信じていいんだよね?」
疑わしげな声が、やっぱり、ほんの少しだけ震えを帯びて届けられる。
「うん、もし何だったらさ、ちゃんと主治医の先生から説明してもらおうか?拓哉兄貴は
直接、先生からその話、聞いてるし、俺の言う事は信じられなくても、拓哉兄貴の言う事
だったら、信じられるんじゃない?」
「拓哉兄貴の言う事なんか、もっと信用出来ない。あの人はさー、言っちゃあ何だけど
吾郎ちゃんが仮に言わないで、って頼めば死ぬまで何があったって口を割らなさそうだし、
こう言って、って頼まれれば平気で嘘ぐらいつき通しそうな人なんだから」
慎吾の口から説明される拓哉像と言うのは、まるで吾郎の窺い知る事のない拓哉がそこに
居るようで、吾郎はただ苦笑を浮かべ。
「まさか、そんな事はないでしょ」
軽い否定を口にした途端。
「そんな事ある!あり捲るよね、つよぽん?!」
慎吾はすぐ上の兄に同意を求め。
「若干の誇張がない訳でもないけど、うん、慎吾の言った事はそんなには間違ってないと
思う」
剛もその言に納得を示す。
そんな2人のやり取りに、良く分からないな・・・と吾郎は独り言を洩らした。
「って言うか、その肝心の拓哉兄貴は、今、どこに居んの?」
相変わらず、べったりと吾郎の全身を覆うようにして張り付いたままの慎吾が、首だけを
少し持ち上げて辺りを窺う。
普段なら、もう遠の昔に拓哉に引き剥がされていて然るべきなのに、今もまだこんな風に
してへばりついていられる事に、若干の不安は募った。
「今、まーくんをお迎えに行ってくれてる」
「そっか」
大袈裟に安心して、また、その顔を吾郎の肩口に埋めようとして。
「重い!どけよ」
冷たく当の吾郎に言い放たれて、慎吾は至近距離から縋るようにじとっと、その漆黒の
眼差しに懸命の訴えを届けたものの、それを聞き入れられる気配は皆無で。
「胸が息苦しい。鬱陶しい。弟に抱きつかれても全然、嬉しくない」
慎吾がそこから離れたがらない気配を感じてか、次々と吾郎の唇からは言葉の刃が放たれる。
「慎吾、マジでいい加減にしとけよ。まぁ、そんな事はないだろうけどさ、万万が一、吾郎
さんが拓哉兄貴に告げ口だとかすればさ、お前、明日辺りお岩さんになってるかも、だぞ」
そんな慎吾を窘めるように、剛がぽんぽんと慎吾の肩を叩いて促す。
「剛は優しいよね。俺の嫌がるような事、しないもんね?」
吾郎のその言葉がとどめとなり、慎吾は慌てたようにすごすごと吾郎の身体から離れた。
「それにしても、さ・・・・・・」
ふと、吾郎に目線を合わせたまま、剛は考え深そうに少し首を傾げ。
「まーくんだけがさ、吾郎さんがたかが風邪で入院しなくちゃなんなくなるぐらい衰弱
してるって事に気付いてた、って事かなー、って」
「あー・・・・・うん、それはそうかもねー」
慎吾もほんの僅かな間の後で、思い当たる節がある、と言いたげに頷いて見せて。
「初めはさ、まだちっちゃいから吾郎さんから引き離されて不安なんだろう、って思ってた
けど、いつも1番、吾郎さんの近くに居てさ、ずっと、ずっと吾郎さんの事、一生懸命に
見てたまーくんにはさ、吾郎さんが弱って行くの、分かってたんじゃないか、とか」
「だから、あんなに泣いたんだ、吾郎ちゃんが死んじゃう、って」
慎吾の声音にしんみりとした湿度が交じる。
「うん」
慎吾に良く似た空気で剛も頷き。
「だとしたら、まーくん、凄いね。俺なんか自分の事なのに、そんな自覚とかまるでなかった
って言うの?自分がそこまで弱ってる、とかね、今でも何だか嘘でしょ、って気分?」
意外にあっけらかんとした吾郎の語調に、剛と慎吾が揃ってつんのめる。
「ぶっ倒れるまで、って言うか、ぶっ倒れてもまだ、気付かないって、それ、相当、鈍いよ
吾郎ちゃん。って言うか、鈍いのを通り越してる」
完全に呆れ返った様子を隠そうともせず、大袈裟に示唆して来る慎吾に吾郎は僅かに唇を
尖らせ。
「・・・・・煩いよ」
2人からそっぽを向いて。
「もう寝るから。静かにしてな」
頭まですっぽりと掛け布の中に潜り込んでしまい。
「ちょ、吾郎ちゃーん。何もそんないきなり子供じみた事、しなくてもいいじゃーん。もう
鈍いとか言わないからさー、ねぇ、お願いだから、も1回顔、見せてよ」
慎吾が盛大に身体を揺すってくれるお陰で、決して、万全とは言えない体調が、更に不調を
来たすようでもあって。
「・・・・ちょ・・・しん、ご・・・やめ・・マジ・・・」
ベッドの中から届く途切れ途切れの掠れた吾郎の声に、慎吾は慌てたように掛け布を捲り。
「ごめっ!吾郎ちゃん、大丈夫?!」
降って来る声が大きくて、また、吾郎が眉を一層、顰める。
「慎吾!お前、ほんとにいい加減にしとけって。吾郎さんさー、こんな風にして倒れる前と
比べたら全然、態度とかも俺達に対してもさ、こう・・・好意的って言うの?うん、今まで
みたいなさ、一緒に居るのに赤の他人?みたいな空気はなくなった感じがするけどさ、でも、
それってもしかしたら、俺達に気、遣ってって言うか・・・・物凄く努力してそうして
くれてるのかも知れないんだぞ」
慎吾をこんな風にして剛が窘めたりもするんだ、と。
そんな2人の間の関係性も、自分は本当に何の興味も係わり合いも持たずに来てしまった
から、ほとんど知る事もなくて。
「お前がさ、そういう吾郎さんの態度が物凄く嬉しくて、つい、加減が出来なくなるぐらい
なんだ、って俺は分かるけど、吾郎さんは多分、そう言う事も知らないかも知れないし」
・・・・・うん、実は知らない
吾郎は内心で正直に頷き。
「だからさ、ただでさえ吾郎さん、今、大変な時なんだしさ。吾郎さんに甘えるのは、もう
少し吾郎さんが元気になるまで辛抱しないと」
・・・・・元気になったから、って甘えられても・・・・
と、またしても吾郎は内心で苦情を漏らしていたりもしないでもなかったけれど。
そうして、そこへ拓哉と正広が帰って来。
「・・・・・ごろぉ・・・」
ベッドの吾郎を見て、正広は赤く潤んだ眼差しを、それでも、懸命に小さな拳で何度も
拭って。
「え、と・・・あのな!」
すぅ、と。
小さな胸に息を吸い込み。
「ごろぉが好きな保育園のマリせんせぇから、これ・・・お見舞いって」
肩から掛けていた通園バッグの中から可愛いピンク色の封筒を取り出し。
「早く元気になってね、って、せんせぇが」
そう言いながらおずおずとその手紙を吾郎に差し出し。
吾郎がそれを受け取ったと同時に。
「ほら、拓哉兄貴!剛も慎吾も!ごろぉがラブレター読むんだからな!1人にしてやんないと
マズイだろ!」
正広がそう言って、その小さな手でそれぞれの指を掴んで全員をかき集め、一纏めにした
その背後に回り、一生懸命になってその腰の辺りをぎゅうぎゅうと押す。
「はいはい、わーった、わーった。吾郎を1人にしてやろうな」
さっさと正広を抱き上げ、拓哉は慎吾と剛も一緒に促して、意外にあっさりと病室を後に
してくれ。
別にそれが正広の言ったような類のものでない事ぐらいは、簡単に察しもついたけれど。
でも、お見舞いの言葉には違いないはずで。
そっと封を切って、封筒とお揃いの可愛い便箋に綴られた文字を追う。
『吾郎くんへ
こんな風にして改めて、手紙を書くとなると少し緊張しますが。
あ、最初に言っておきますが、別にこれがラブレター、とか言う事は
全然、ないから安心してね(^^)。
お加減はいかがですか?
慣れない送り迎えや生活に、少し疲れが出たのかな?
これは神様がくれたお休みだと思って、余り余計な心配とかせずに
ゆっくりと休んで下さい。
まーくんがいつも吾郎くんの事を一杯話してくれて、吾郎くんが
毎日、慣れないながらも一生懸命に頑張ってる、そんな姿が私達の
目にも浮かぶほどです。
今日も、吾郎くんと約束したからって、いつも以上に一生懸命に
明るく元気に頑張ってくれていました。
吾郎くんが休む少し前、保育園でまーくんが書いてくれた、1番
好きなものの絵を見てもらったと思うんだけど。
あの時、まーくんが絶対に恥ずかしいから言わないで欲しいって
言われてた事がありました。
あの全員が並んで描かれてあった絵。
拓哉パパと吾郎ママと剛兄ちゃんと慎吾兄ちゃん、って、まーくんが
説明してくれて(笑)。
新米ママは色々と大変だと思うけど、何かあったら、何でも遠慮なく
私達にも相談して下さい。
みんなで協力し合って、まーくんがいつも笑顔でいられるように
頑張ろうね。
1日も早く元気になって、また、保育園に送り迎えに来て下さい。
園長先生が吾郎くんの顔が見えないと淋しいって、悲しんでます。
園長先生、吾郎くんの隠れファンなのよね。
園長先生だけじゃなくて、私達スタッフもみんな、実は吾郎くんの
ファンだったりもするから、今回は私が代表で手紙を書いてるけど、
あんまりいつまでもお休みしてるようだと、保育園のスタッフ一同で
押し掛けちゃうかもよ?(笑)
最後は何だか脅迫みたいになっちゃいましたけど(^^;)。
本当に一日も早いご回復を心からお祈りしています。
ひかり保育園 御崎 茉莉』
一度読んで、もう一度、読み返して、便箋を元の通りに畳み、封筒に戻す。
保育園で正広に何かがあった時、ケンカをした、だとか、怪我をした、だとか。
そう言う時にその事を報告してくれる程度の事で、ほとんどそれ以外の会話をした記憶もない。
いつもにここにと元気で明るくて、保育園の先生って言うのは、本当に天真爛漫と言うか
いつもそう言う風に心掛けて振舞っている感じが、吾郎にとっては何となく苦手意識を
感じさせる相手でもあって。
こんな風に心配して手紙を綴ってくれるなんて、実は全然、そんな関係でもないと思っても
いたせいで。
若干の驚きと戸惑いを、ほんの少しだけ上回る嬉しさがある。
・・・・・・・みんなで協力し合って、まーくんがいつも笑顔でいられるように頑張ろうね。
その一文が自分の心の中に、また、波紋を刻み掛けて来る。
自分1人が背負い込んだ気になっていた部分がどこかにあって。
出来もしない事まで気負ってしまっていた。
母親の存在に代わるものなどあり得ない、と思いながら、それでも、いつも『ママみたいに
ちゃんと』と。
自分がそうしなくちゃいけない、自分がそうするんだ、と。
誰かに頼る事も相談する事も考えもつかなかった。
正広を心配して接してくれていたのは、何も自分1人だけではなかったのに。
自分1人だけじゃなくて、もっともっと、たくさんの色んな人から愛情を注がれて、可愛がられて
育つ事が、正広にとってもずっとずっと幸せな事で。
たった数日の間に、自分の中では物凄く目まぐるしい変化に見舞われて・・・・・
余りにも一度に色んな事に気付かされたようで・・・・・
まだ、正直、その全部を受け入れられているのかどうかさえ、自分でも分かり得ないのだと
しても。
少なくとも、今回、体調に異変を来たした事で得たものは大きかった、と思う。
「ごろぉ?もう読み終わったか?」
そぉっと、と言う形容に相応しい様子で、正広がほんの少し開いたドアの向こうから顔の
半分だけを覗かせる。
「うん」
頷いておいでおいで、と手で正広を招く。
とことこ、とすぐにベッドの傍らにやって来た正広がほんの僅か複雑そうに見えなくもない
顔つきで。
「ごろぉ、元気出たか?」
「え?あー、うん、ありがとう。元気、出たよ」
「そっか・・・うん、だったら、良かった」
「先生にありがとうって言っといてね?」
そう伝えると正広は途端に真剣そのものな顔つきになり。
「ちゃんと返事、書かなきゃダメだぞ。せんせぇ、ごろぉの返事、ぜってぇ、楽しみに
待ってっから」
「え・・・?あ・・・そう、かな・・・?え?返事?書くの?でも、俺、紙とか何も持って
ないし」
心持ち面倒臭そうに、せっせと言い訳を拵える吾郎に、拓哉が面白がって「え?売店で
買って来てやろうか?適当なやつ」とか、勝手に言って寄越す。
「いらない。拓哉兄貴の選ぶものって、俺の趣味疑われそうでヤだ」
「んだよ、それ?じゃあ何か?お前は俺の趣味を疑ってるっつー意味?」
「いや、うん・・・・って言うか、あぁ、ねぇ、趣味が違うって言う表現が1番、語弊が
ないかもね」
「だったら始めっからそう言えっつーの」
「どうせ返事書くんだとしたらさ、俺としてはちゃんとした?うん、自分の納得の行くセンスの
便箋と封筒を選んで・・・・まず、そう言うとこから始めないと」
そう言う所で細かい拘りを見せる吾郎に「うへぇ・・・・面倒臭そう。って言うか、俺だったら
メールにするね。もう一杯、ゴテゴテに飾っちゃったデコメ」慎吾が大袈裟に眉を顰めた後、
得意げにそんな発言をして見せて。
それを耳にした拓哉の「んだよ、お前、携帯とか持ってねぇはずだろ?なんでゴテゴテに
飾っちゃったデコメ、とか知ってんだよ?!」と言う凄みに遭遇し。
「持ってなくてもそれぐらい知ってるでしょ!友達はみーーーんな持ってんだから!ねぇ、
拓哉兄貴ぃ。この際だからさー、俺にも携帯買ってよぉーーー!」
いきなりの展開に拓哉の雷が落ちる。
「今、携帯の話とか何の関係もねぇだろっ!ふざけんのもいい加減にしやがれ!」
「拓哉兄貴の横暴ー!石頭ー!雷親父ー!」
それでも負けじと慎吾が言い返すのを「慎吾、そろそろヤバイよ」剛が止めに入ったが、
時既に遅し。
「んだとぉ?!誰が横暴?!誰が石頭?!だ・れ・が雷親父なんだよ?!」
決して、広いとは言い難いベッドと壁との僅かな隙間のような空間で、拓哉が慎吾に飛び掛る。
「うわっ?!ちょっ!暴力はんたーい!」
「まだ、何もやってねぇっつーの!」
「ちょ!拓哉兄貴!ここ、病院!」
「って言うか、君達、煩ーーーいっ!」
騒々しい喧騒の中に一際、ヒステリックな声が響いて。
パタ、とそれぞれが一瞬、動きを止めてその声の主をまじまじと見遣る。
「つか・・・君達って・・おま・・・兄弟に君達、って・・・・」
「って言うか・・・何か入院してる割に、思ったより全然、元気って言うか・・・・」
「ぅわ・・・・吾郎さんの怒鳴り声って、もしかして初めて聞いたかも・・・・」
3人三様のセリフをひそひそと迸らせている最中、吾郎がベッドの上に置いたままにして
あったピンクの封筒をひっしと見詰めていた正広が、ぼそり、と。
「・・・・・なぁ、もしかして、ごろぉって結婚すんのか?」
酷く真剣な顔つきでそう呟き、兄達全員を唖然とさせた。
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