「お前、今、甘いモン苦手、とか言ったよな?」
不意に思い出したように木村くんはそんな問いを投げ掛けて来る。
「うん」
「・・・・・・んじゃあ、それも誰かにやんの?」
それ、と木村くんが指したのはさっき、木村くんが渡してくれたチョコで。
「あぁ、うん。そうだね。慎吾か・・・・剛、とか・・・・後、明日一番にお見舞いに
来てくれた人、とか?」
「アレルギーとかそういうんじゃねぇよな?それ、食ったら痙攣起こす、とか吐く、とか
じんましん出る、とか、そういうんじゃねぇよな?ただ、単に味の好みの問題、だよな?」
木村くんはちょっとしつこいぐらいにそんな問いを重ねて。
「まぁ、そういう経験はないけど?」
「だったら、食え」
いきなり、有無を言わせぬ口調で木村くんがそんな命令をして来る。
「やだよ。好きでもないモノ、どうして無理して食べなきゃなんないの?それが何か治療の
意味がある、とかだったらさ、分からなくもないけど。チョコなんかさ、強制されて食べる
モノじゃないでしょ?」
「うだうだ言わずに食え!」
木村くんの口調が怒気を帯びる。
何で?どうしてこんなにムキになってるの?
「嫌だよ。食べない!」
「何でだよ?何でそんなにチョコ、嫌うんだよ?何かトラウマでもあんのか?」
「そんなモノ何もないけど、強制されて食べるのが嫌なだけ」
「じゃ、お前の意思で食えよ」
「そう言われてる時点で既に俺の意思じゃないじゃん」
「誰かにやる、とかよう・・・・そういう事、本人の目の前で言うか、普通?!」
「悪かったね、普通じゃなくて」
「大体、お前、人の好意だとか、気持ちだとか、分からなさ過ぎ!」
いきなり、図星を指されて、思わず唇を噛み締めた。
そんな事、今更、木村くんに指摘されるまでもなく、多分、自分でも知ってる。
人の気持ちなんか、他人の気持ちなんか、知りたくもないし、知ろうとも思わない。
・・・・・知ろうとして、分からなくて、無理矢理、事実じゃない事を捏造して、苦しい
思いをするのは、もう、いい加減、懲りたから。
知ろうと思わなければ、そういう思いだってしなくて済む・・・・
そうして、俺はずっと、人の気持ちや思いなんて見ないようにして来たんだから。
自分がどんな風に思われてる、だとか・・・・
自分が誰からも本気で相手にされてない事だとか・・・・そんな事を思い知るのは、もう、
たくさんだと思ってたから・・・・・
「例えば、だ。お前が何か・・・誰かを喜ばせたいと思って用意したモノを、好みに合わない
からって捨てられたりだとかしたら、どんな思いがすると思う?」
黙り込んだ俺に追い討ちを掛けるように、木村くんが言葉を続ける。
「・・・・・誰かのために何かをしたい、と思った事なんかないから分からない」
「想像して見ろって話」
「想像なんか出来ないし、したくもない。俺はそんな風に思った事ないし、これからも、
誰かのために何か、だとか思わない、と思う」
「あぁ、そうかよ!悪かったな、お前の好きでもねぇモノ、押し付けちまって。いらねぇ
んだったら、返せ。誰かにくれてやるぐらいだったら、自分で食うから!」
ベッドサイドの上に置いておいたそれを引っ手繰るようにして、木村くんは荒々しく
病室から出て行き掛けて、ふ、と足を止め。
ドアを開けて、前を向いたまま
「もらったチョコ。せめて一口ずつだけでも、口に入れてやれよ。包みぐらいは開けてやれ。
みんな・・・・お前に、って持って来たんだからよ」
低い声が耳に痛い。
木村くんの言っている事が正論だって事ぐらい、分かり過ぎるほど分かってた。
依怙地になって、筋の通らない事を無理矢理通そうとしてたのは自分だって事も。
でも・・・・・
そんな風に正論で責められたくなかった。
正しい事だって分かってたって。
自分の言ってる事、やってる事が間違ってる、って気付いてたって、簡単には軌道修正
出来ない事だってあるって、木村くんは気付かない。
もしかしたら気付いてるのかも知れないけど、そういう甘え、みたいなのを許容しては
くれない。
・・・・・・少しは木村くんと居る事も楽しいって、木村くんがここに来てくれる事が
嬉しいって思えるようにもなってき始めていたのに・・・・・
胸に鈍い痛みが走って。
ベッドに横になろうとして、木村くんがベッドの上に置いた慎吾と剛からの箱がそれぞれ
目に入って。
ベッドサイドの上にその箱を移動しながら、さっきの木村くんの声が耳の中に蘇る。
とりあえず、ベッドに横になって、ベッドの中からベッドサイドに手を伸ばして、剛が
持って来てくれた箱を手に取り、包みを開けて見る。
・・・・大体さ、何の冗談で男が男にチョコなんか持って来る気になるんだろう?
最近はそういうの、流行ってるのかな?
改めて、そんな疑問も脳裏を過ぎる。
中の一つだけ、アルミの包みを解いて恐る恐る口の中に入れて見る。
思いがけず口の中に広がったのはほろ苦いビターチョコの味で、一口噛むと中から液体が
流れ出て来て、少しだけ咽た。
『ちょっとだけ、お酒の真似事。食べ過ぎちゃダメだよ?』
中に添えられたメッセージカードにはお世辞にも綺麗とは言い難い字でそんなメッセージが
綴られていた。
その箱をサイドボードの上に戻して、今度は大きめの慎吾からの箱を手にする。
ベッドに身体を横たえたままの姿勢で開けるには、少し不都合なほどに大きな箱の蓋を
そっと取って見ると、中から現れたのは、やはりと言うべきなんだろうけど、チョコ
ケーキで。
ケーキの上にはホワイトチョコで『I LOVE YOU』と綴られてあった。
・・・・・・・意味、分かんない・・・・
溜息が漏れて。
どう考えても一人で食べるには大き過ぎるケーキに、また、溜息が漏れそうになる。
一体、どういうつもりで、こういうモノをわざわざ届けてくれたんだろう。
何をどう想像しても解釈しても分からない。
大体、バレンタインなんて、そもそも女の子が男の子に告白する日・・・・って言う風に
日本では解釈されているはずなんじゃないの?今でも・・・・・
なんて、こもごも思いを巡らせながら、サイドボードの引き出しを開けて、中からフォークを
取り出して、とりあえず、端っこをほんの少しだけ削り取るようにして取って、口の中に
入れて見る。
想像したほどは甘くなくて、スポンジも結構いいものを使っているらしくて、弾力があって、
そのくせふんわりと口の中で溶けて、意外にいい感じだった。
・・・・ただ、二口以上、食べよう、とは思えなかったけど。
メッセージカードには言葉は何もなくて、ただ、どう解釈すればそう見えるのか判断に
苦しむ俺の似顔絵らしきものが『タイトル ごろーちゃん』と題して描かれてあった。
他のも・・・・・
ふと、思い立って、クローゼットの中に適当に放り込んでいた箱を全部、出して来て、
サイドボードの上に並べて、片っ端から開けて、一つの箱につき、1個ずつ、もしくは
一口ずつ口の中に放り込みながら。
添えられていたカードなんかにも、ついでに目を通して。
色とりどりなカラフルなモノから、シックで上品なモノ、メロディーつきだとか、素朴な
ほのぼのとしたイラストに一言だけ言葉を添えてある、いかにも女の子が好みそうな
タイプのものまで。色々と。
書かれているメッセージの内容は大体、おんなじだったけど。
『早く元気になれるように、一緒に頑張りましょう』的な『精一杯、サポートするから』的な。
まぁ、くれた人のほとんどが看護師さんなんだから、当然なんだろうけど。
ありふれた、どれも同じような内容のものばかりなのに・・・・
不意に目の奥に熱い痛みが込み上げて来て、堪えきれなくなる。
ずっと・・・・自分が目を逸らせて、見ないようにして来たもの・・・・・
自分が自分の殻の中に篭って、自分から遮断して来たもの・・・・
そういうモノの中に・・・・こんな気持ちも含まれていたなんて。
自分の弱さと狭さが苦しかった。
その思いと同時に心臓がドクドクと嫌な音をさせ始めて。
吸い込む息が段々、少なくなるような錯覚が起き始めて・・・・いつもの苦しさが俺を
捉えようと、その昏い魔手を伸ばして来るようで。
心臓の上を拳で押さえて、身体を出来るだけ小さく縮込ませて、魔手から逃れようと
精一杯の抵抗を示して。
けれど、いつも慣れたその苦しみは、やっぱり俺を深い闇の底に引きずり込んで行く。
どれくらい時間が経ったんだろう・・・・・
重い瞼をゆっくりと持ち上げて、そこがいつもと変わらない世界である事に、ほんの少しの
安堵と、どう程度の落胆を感じて。
溜息をついて、その息が篭って肌に触れるのを感じて。
酸素マスクをつけられている事に気付く。
「おぅ、気がついたか?」
耳慣れた声が聞こえて、さっきの諍いが一瞬、脳裏を掠めて、胸に痛みが走った。
「お前ってバカだよな・・・・」
呆れたような笑いを含んだ、それなのに、怖いほど優しい声音が耳に届いて、その声の
する方にゆっくりと視線を動かす。
「看護師が大騒ぎで俺んとこに走って来んだよ。先生、大変ですって。吾郎くんが酷い
出血でって」
「・・・・・・・・」
「あわくって駆けつけて見りゃよ、ベッドシーツは血でぐしゃぐしゃになってて、お前の
頬とか髪とかにも血、ついてて・・・・始め、マジで何事だよって腰抜かしそうになって。
どこか粘膜が弱ってて、血管が切れて出血してんのかと思って。耳からとか鼻からとか、
何もねぇのに、そんな出血とかしてて、何かとんでもねぇ感染症に罹ってんじゃねぇか、
とか。俺がそん時、看護師の手前、冷静に指示とか出しながら、処置なんかもやりながら、
内心でどれぐれぇビビってたか、ぜってぇ、だぁれにも想像つかねぇだろうけどよ」
そんなセリフを口にしながら、けれど、木村くんの口調は言うほどに大変そうなモノでも
なくて、むしろ、どちらかと言えば楽しそうでもあって。
「それが単なるチョコの食い過ぎのせいで出た鼻血だったって気付いた時、冗談抜きで
殴ってやろうかって思ったんだけどな」
目元に優しさを滲ませて、そんな風に笑う木村くんを初めて見た気がした。
こんな風に優しく笑う人なんだ、って、初めて知った気がした。
「すげー意地っ張りで依怙地で、人の言う事なんか、てんで聞く耳持たねぇ、って態度の
くせしやがって、お前、なんでそんな素直なの?」
ちょっと首を傾げて、そんな質問を投げる木村くんは笑っているような、けれど、ちょっと
怒ってもいるような、そんな複雑な笑顔になって、俺の視線をじっと捉えて来る。
「一口ずつでも食ってやれって言ったけどよ・・・・あんなに一度に食ったら・・・・
お前、チョコとかあんまし普段、食わねぇっつってたもんな?免疫ねぇのに、一度に
あんなに食って・・・・そりゃ、身体だってビビるって。加減、とかしろよ」
笑っていたはずの笑顔から段々、笑みが消えて行く。
「・・・・俺が言った事、そんな風に真に受けて・・・・こんな目に遭うとか・・・・
勘弁しろよ・・・・俺の心臓が何個あったって持たねぇ、って・・・・」
弱く掠れた声と同時に顔を伏せてしまった木村くんの表情は読み取る事が出来なくなって
しまったけれど。
「別に・・・木村くんに言われたから食べた訳じゃ・・・・」
なかった、と思う。
自分でもあんまりはっきり覚えてないし、良く分からないけれど。
でも、確かに鼻血出したまま、気、失ってる患者見つけたら、ちょっと怖いかも、とは思う。
俺は医者じゃないから、その時、どんな気分がするのか、良くは分からないけれど。
「あの・・・・驚かせてごめん・・・」
俺に落ち度があったのか、いささか疑問に感じない訳でもなかったけど、その時の・・・・
木村くんの心臓が何個あっても持たないってセリフに免じて、一応、謝罪の言葉を口に
して見る。
「・・・・・あ、いや。俺の方こそ、悪かったな、さっきは。つい、カッとなっちまって。
キツイ事、言っちまった」
伏せていた顔を上げて、木村くんはバツが悪そうに口の端だけを少しだけ持ち上げた、
いつもの笑みを見せた。
「うん」
依怙地になって無理を通そうとした俺にも問題がなかった訳じゃなかったから。
フィフティー、フィフティーってとこだと思う。
喧嘩両成敗って昔の人は上手い事言ったものだよね。
「で、改めて、だけどよ。これもちゃんと食ってくれんだろ?」
木村くんがさっき持って帰ったはずの、それをまた、俺の手に押し付けて来る。
「・・・・あ、いや・・・・あの・・・でも、また、鼻血とか出て、大騒ぎになると悪いし
・・・・・」
「大丈夫だ。今、俺の目の前で食え。俺、ここで見てて、何かあったら、速攻、処置して
やるから」
ニヤリ、と。
人の悪い笑みにその端正な顔を彩らせて、ご丁寧に木村くんは自らその包装を解いて、
チョコを口元に押し付けて来る。
「あのさ!だから!そんな風に強制して食べさせられるものじゃないって思う訳だよ!」
「んだよ?!他のヤツのは全部、食っといて、俺のだけは食えねぇっつーんじゃねぇ
だろうな?!」
まるで、頭に『や』のつく自営業の人顔負けの脅し文句で持って、木村くんはどうにかして
それを俺の口の中に押し込もうと必死の形相で。
・・・・・何で、こんな事にこんなにムキになんの?!
疑問は益々、深く、俺の頭を悩ませる。
素直に口を開けて、たった1個、それを飲み込んでしまえば、それで済むんだ、と、分かり
過ぎるほど理解出来ていながら、どうして、そうしない自分が居るんだろう、って。
こんな風に、こんな形ででも、構われていたい、って。
どうやら、そんな風に思っているかも知れない自分には、気付かない振りで。
ぎゃあぎゃあ、と。
可愛げのないやり取りを繰り返しながら、こういうのも案外、悪くないって感じていたり
するあるイベントの日。
|