「・・・・ごめんなさい。私・・・他に好きな人がいるから・・・・」
オレンジ色の光りが斜め横から射し込んで、教室の机や椅子や・・・
俺とか・・・・彼女とか・・・そういう色んなものの影を、黒く長く
伸ばしていく。
誰も居ない放課後の教室で・・・・俺は初めて自分からコクった相手に
ごめんなさいされてしまった・・・・
「聞いてもいい?その・・・好きなヤツ」
聞く権利ぐらいはある?それとも女々しい?
判断するのはこの場合、彼女だし。
「・・・・稲垣くん・・・・2年の」
その答えを聞いた途端、割と良く見知った、ヤツの秀麗な横顔が脳裏に閃くように
浮かぶ。
インドア派とアウトドア派とあって。
そのインドア派の代表みたいな・・・・
そこらの女よりも白くてキメの整った肌に、華奢とも思える細い肩。
いつも片手に何かやたら小難しそうな本を抱えてて。
勉強が出来て・・・・・
そして、たまーにフラッと思い出したように、我が弓道部に顔を出しては、
惚れ惚れするほど鮮やかに的の中心を射抜いて行く。
ま、簡単に言えば、クラブの後輩。
パッと見の冷たい印象もなんのその、意外に人懐っこいヤツで、友達は
広く浅く大勢居るみてぇだし。
・・・・やっぱし・・・って思いと・・・・
・・・・マジでぇ・・・って思いと・・・・
「・・・・年下じゃん」
それでも、ちょっと悔しくて。
「・・・・そうだけど」
一瞬だけ、痛みを堪えるように、彼女の顔が歪んで。
「・・・・好きになっちゃったんだもん。しょうがないじゃない」
辛そうに顔を背けた彼女の横顔が、夕日に照らされて、淡い陰影を刻む。
この頃の1年っていう年齢差って・・・年下って・・・・どうして、こんなに
痛ぇんだろうな。
大人になっちまえばどうって事ない年の差だし、年下とかもそんなに気には
ならねぇのにな。
俺は自分の方が振られたにも関わらず
「ま、頑張れよ」
なんて、彼女を慰めたりしてしまっていた。
・・・・・俺って・・・バカ・・・・
その事があって、俺は今までさほど意識した事なかった稲垣吾郎という後輩の
存在を、意識するようになっていった。
お金持ち学校のここは、とにかく無駄に広大な敷地がウリで、おかげで俺は
センセーに隠れてタバコを吸う隠れ家的場所を幾つかキープしてあって。
今日も今日とて、食後の一服を楽しもうと茂みの影に寝転がってタバコを
ふかしてると、ガサガサと辺りの草を踏みしめる音がして、俺は慌てて
タバコをもみ消して、その場に息を潜めていた。
割と近くで止まった足音は、その場で落ち着きなくそわそわと辺りの草を
撫でたり、立ったりしゃがんだりを繰り返している。
茂みの影から見えるその足は女みたいで・・・っつーか、女で(男はズボン
だもんな)・・・その落ち着きない態度からして・・・・これって告白の相手を
待ってんじゃねぇの?って思うにつけ・・・・
やべぇー・・・って気は焦るけど、今更起き上がる訳に行かねぇし。
それから数分後。また別の足音がして、その女子が一気に緊張するのが
こっちにまで伝わって来た。
「・・・あの・・・こんな所に呼び出したりしてごめんなさい・・・・」
完全に声、裏返っちゃってるし・・・・
俺もこんなだった、とか?コクった時・・・・
ちょっとそんな事も思ったりもして・・・・
「この学校ってさ、ほんとに告白にうってつけの場所、幾つもあるよねぇ。
でも、ここは初めてだな。いいよね、何かムードがあって。俺、こういう
自然の中って言うか・・・木や草の匂いって好きだよ。ほら、森林浴とか
あるじゃない?あぁいうの、リフレッシュ出来る感じでいいよね?」
相手の緊張感なんててんでお構いなしっつーか、緊張感をほぐすつもりなのかも
知んねぇけど、男の方はそんなセリフをうそぶく。
・・・・けど・・・この声・・・・どっかで聞いた気、すっけどなぁ・・・・
「・・・あの・・・・好きです・・・・お付き合いして下さいっ!!」
上ずった必死な彼女の声、聞いてると、何かこっちまで緊張してくる。
「うん。ありがとう。嬉しいな。僕みたいな人間の事、好きって言ってくれて」
一世一代の告白をいともあっさりと受け入れて、男の方がニコヤカに笑う
気配が伝わって来る。
彼女の方も感激に打ち震えているみたいで、声を詰まらせてたりして・・・
いい光景じゃん・・・・
なんてしみじみ感動してたら
「たださ、僕、他にも付き合ってる子、居るんだけど、それでもいい?」
至極、自然な様子で男が信じられないセリフを口にした。
「はぁっ?!」って思わず零れそうになって声を無理矢理呑み込むために
俺は慌てて両手で口を覆う。
驚いて声も出せずにいる彼女に。
「別に結婚を前提にして、とか言う訳じゃないんでしょ?僕にとってはさ、
みんな魅力的で誰か一人になんて決められないんだよね。君と会う時には
他の女の子の事で決して嫌な思いはさせないし、君を満足させてあげられる
だけの時間を提供出来ると思うけど、僕は」
・・・・・なんなんだ、こいつ・・・・
呆れかえって・・・と、同時に微かな苛立ちも感じて、俺はなんとなくポケットの
中のタバコを取り出し、火はつけずに口に咥えた。
その瞬間。
パンッ!!と思いの外小気味いい音がして
「バカにしないでよっ!!ちょっとモテるからって・・・いつかきっと酷い
目に遭うんだからっ!!」
さっきまでのかわいこぶりっこはどこへやら、凄い勢いで喚く声と同時に
乱暴に足元の草をなぎ払って走り去る気配がして・・・・
「・・・・ぃってぇ・・・・」
たった今、平手打ちを食らわされたらしい男の呟く声が、嫌に間抜けに聞こえる。
ごく、自然に口元に笑みを上らせた時
「盗み聞きなんていい趣味ですね、木村先輩」
毒を含んだ、はっきり人を見下した声がして、俺は反射的に飛び起きてしまった。
「なんでっ?!」
なんで、俺がここに隠れてるって気付いたんだ、って聞くつもりで、けれど、
言葉は続けられずに。
焦った俺は相当間抜け面をしていたのか、ヤツは俺を見下ろして、驚くほど
整った綺麗な笑みを浮かべた。
「タバコの臭い、ずっとしてましたから」
・・・・って、火ぃつけてねぇよっ!!
お前は犬並みの嗅覚、持ってんのかっ?!
ってツッコミはあまりにもバカバカしくて口にはできなかったけど。
「未成年者の喫煙は法律で禁じられてますし、生徒の喫煙はもちろん、校則で
禁止されてますよ。百害あって一理もないのに。どうして、そんな無駄な事、
するのかなぁ?」
僅かに目を細めたその表情は、パッと見には酷く楽しげにも見えるが、その奥
には、明らかに人を見下した冷たい光りが湛えられていて。
・・・・ヤな目、するヤツ・・・・・
穏やかで人当たりが良くて、いい意味で辺り障りのない、どこをどう切っても
優等生の顔しか出て来ないと思っていたヤツの意外な面を見せつけられた驚きに
俺は、それに対する思いもかけない興味を感じている自分に少し、面白さを
感じていた。
意味もなくやさぐれて、ささくれ立って、自分の中に溜まった鬱憤を晴らすため
だったら人をキズつける事さえ厭わない、いや、鬱憤を晴らすためにわざと人を
キズつけるような人間達に相通じるような、冷たい目。
ギラギラと殺気立っていない、けれど、表に表れないからこそ、余計に内に
秘められた炎の強さを感じて、俺は僅かに口元を歪めた。
「お前に関係ねぇし」
どうしてそんな・・・に対する俺の答え。
「確かにね」
その一言に乗せた、花がほころぶ瞬間の煌きにも似た、鮮やかな笑みがヤツの
顔に浮かび、その余りの表情のギャップに不覚にも俺はマジマジと見とれて
しまい。
「ただ、今、ご覧になった一部始終は忘れて下さいね、っていうのはムリに
しても口外はしないで下さいね。あんまり醜聞が広まるのは好ましい事では
ないですし」
「俺が黙ってたって、こっぴどい振られ方した例の彼女が言いふらして歩くんじゃ
ねぇの?」
彼女の悲鳴のような叫びと、俺を振った彼女の痛みを堪えた顔が一瞬、脳裏で
シンクロして。
俺は彼女に同情の念を覚えていた。
俺を振ったアイツもコイツの事が好き、とか言ってたけど、こんなヤツだって
知ったら・・・・キズつくだろうな・・・・
「彼女が?もし、自分の恥になる事も厭わず、僕に対する恨みとかそういう
気持ちで言いふらすんだったら、構いませんよ。それだけ僕に対する気持ちが
本物で、本当にそれほどキズついているんだとしたらね?」
人を小バカにしたような笑みの下に、自嘲的な笑いを感じて、俺は目を細めた。
「僕は彼女に対して、精一杯誠実な態度で臨んだつもりですけどね。付き合い
始めた後で、二股かけられてた、とかごちゃごちゃと揉めるの、いやですし。
今、付き合ってるほかの彼女達にも失礼ですし」
「人は見かけによらないの代表的な人間だな、お前」
「確かに見た目の印象は大切ですけど、それだけで人を判断してると、痛い目に
遭いますよ」
含みのある笑みに口元を彩られ、ヤツの表情に凄味が増す。
整い過ぎていると思えるほど整った顔の造りのヤツって、憎たらしい顔しても
綺麗に見えるもんなんだな・・・・なんて、下らない感想が呑気に俺の意識を
支配し。
「・・・・ご忠告、どうも」
その事を相手に気取らせないために、顔を伏せて声を潜める。
そこへまるでタイミングを図ったかのようにリンゴーン♪とチャイム替わりの
聖堂の鐘が響き、ヤツの表情に僅かな翳りが浮かんだ。
「5時間目、体育だっけ・・・・このまま、さぼっちゃおっかな」
・・・・・・・は?!
今、こいつの口から何か、聞き捨てならないセリフ、聞いた気がするんですけど。
俺の幻聴?
さぼっちゃおっかな、とか、あっさり言ったような?
「い、いいのかよっ?!お前、札付きの優等生なんだろ?!さぼるとかそういうの、
内申に響くんじゃねぇの?!」
どうして俺がうろたえるのか、自分でもその事は酷く滑稽に思えたけど。
それでも俺は気付くと意外なほどマジでそんな事を訴えていたりして。
「札付きの優等生って・・・・」
そう言いかけて、クスクスと軽い笑い声が辺りに充ちる。
耳辺りのいいその声は俺の鼓膜を心地良く刺激していて。
「面白い表現、するね」
小首を傾げて俺を覗き込むようにしたその仕草と表情が、意外なほど子供っぽくて。
さっき、完全に俺を見下げていたヤツと同じ人間とは思えないほど。
「ご心配頂いてありがとう。でも、内申に響くような間抜けな真似はしないし、
内申に左右されるような学校に進学する気もないけどね。人が僕に下す評価
よりは僕自身の力量で判断してくれる所に行くつもりだし」
そして、また、さっきの人をバカにしきった顔が浮かぶ。
・・・・何か見てて飽きねぇ・・・・
今まで気付かなかったけど、色んな顔、するんじゃん、こいつ・・・・
それまでは表面上の取り澄ました表情と、辺り障りのない穏やかな顔しか
見た事がなくて・・・・そういうヤツなんだと信じて疑わなかったけれど。
案外、こいつ、面白れぇかも・・・・
俺は自分でも意外なほどの単純さで、酷くその相手に興味を感じている自分に
大いに驚いていた。
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