『国際建築デザイン賞 優秀賞受賞 祝賀パーティー』
絢爛豪華な装飾を施されたホテルの大広間には、既に大勢の人間が集い、
おのおのが軽い飲み物を片手に、さんざめいている。
パーティー開始までにはまだ少し時間もあり、寛いだ雰囲気が会場内を
満たしていた。
「たかが優秀賞の受賞パーティーも、木村財閥の御曹司ともなると、格が違うねぇ、
さすがに」
「そりゃあ、親の面子もあるだろうし」
「絶縁状態だったんじゃないのか。確か大学の頃は」
「つい、最近までそうだっただろ。それが賞を受賞した途端、手の平を返した
ように、だからな」
「ま、親としてもタイミング、図ってたってとこじゃないのか?その道で
一人前になったらなったで、良しってとこだろ」
「今回の受賞が本人の実力とは言い難い部分は多いにあるけどな」
「それを言っちゃ、お終いだろう」
華やかなパーティー会場の片隅では、集まっていた報道陣の好意的とは言えない
雑談が続いている。
不意にパーティー会場の入口付近でざわめきが起こり、それが湖水に波紋を
刻むように会場全体に広がって行く。
「ライバル企業の御曹司のお出まし、か」
「皮肉だよな。大学の同期、だっけ?片や、大学在学中からメキメキと頭角を
現し始めた敏腕実業家で、品行方正な後継者候補。片や、後継者の座も何のその、
ゴーイングマイウェイな放蕩息子、だろ」
「辛辣だな」
「事実だろ」
「まぁ、そうだけどな。けど、品行方正は違うだろ。あちこちで浮名流し
捲くってるぞ、INAGAKIの御曹司は」
「確かにな」
互いに顔を見合わせ、示し合わせたように品性を疑われそうな笑みを口端に上らせ。
「コメントでも取っとくか。見栄えはいいから写真、使えそうだしな」
そうしてばらばら・・・と近寄りかけて、その直後、記者達は顔色を変えた。
「女性連れだぞ」
「おいおい・・・正式な場所へ女性をエスコートして来るのは初めてじゃないのか?」
「お相手は・・・・鈴木銀行の頭取令嬢?」
「って事はあの噂、本当だったのか。鈴木財閥令嬢の婚約内定の話。相手が
INAGAKIの御曹司だったとはね・・・・いよいよ年貢の納め時ってやつか」
「INAGAKIとしても万々歳ってとこなんじゃないの。鈴木財閥の後押しと来れば、
もう日本に敵なしって感じじゃないか」
「・・・・なるほどねぇ・・・・やり手だとは聞いてたけど。こういう場を
利用して、さりげなく婚約をアピールして木村財閥を威圧しようって腹か」
「恐ろしいねぇ・・・・大学時代は友人だったって噂も耳にしたけどなぁ」
「あくまで社交辞令なんじゃないのか?表面上は穏やかに付き合ってみせといて、
その実、腹の探り合い、だったとか」
「醜いねぇ。あー、ヤダヤダ」
「ま、何にしろスクープには違いない。ネタを提供して頂いてありがとう
ございますって事で」
わらわらと集まった記者達に特に驚く様子もなく、吾郎はおっとりと社交辞令的な
笑みを浮かべ。
「今日はご学友の受賞祝いにいらっしゃったんですか?」
当り前の分かりきった質問に冷笑を返し
「他にどんな用があるんですか?」
と逆に問いかける。
「正式な場所へ女性をエスコートされるのは初めてですよね。ご婚約のご報告も
兼ねて、という事なんでしょうか」
「別に。彼女は彼の高校時代の友人で、僕の先輩ですし。丁度、入口でばったり
一緒になっただけですよ、ねぇ?」
吾郎は穏やか過ぎるほど穏やかな表情で隣の女性に視線を流す。
その視線を受けて彼女はニッコリ微笑んで「えぇ」と軽く頷いて見せる。
「鈴木財閥のご令嬢ですよね。ご婚約が内定されているという噂を耳にしたんですが」
「あら?そうなんですか?私は何も伺ってませんけど」
問われて吾郎の隣に寄り添っていた女性は、悪戯っぽい笑みで記者達を見返す。
「で、その相手が僕って話になっちゃった、って事ですか?」
楽しげに笑って吾郎が相手の反応を伺うようにして、顔を覗き込む。
「恋人としては吾郎くんなんかは理想的かも知れないわね。おしゃれでセンスが
良くて、女性の扱いにも慣れてるようだし」
意味深な笑みで吾郎を見詰め
「でも、婚約者とか結婚となると・・・心労が絶えなさそうだわ」
くすくすと控え目な笑い声を洩らす。
「酷いなぁ。相変わらず手厳しいですよね、透子先輩は」
「こういう場所で先輩、なんて呼ぶような思いやりのない人もお断りね」
「これは失礼しました」
至極、親しげな様子でやり取りを続ける二人を記者達は暗黙の了解で見詰めている。
適当に記者達をかわして、会場内に歩を進めつつ、当然のように自然に隣に寄り
添う透子を、つい、いつものくせで紳士然としてエスコートしてしまい。
そうしている事で、普段以上に会場の人間の注目を集めている事に気付いたのは、
次から次へと呼び止められ、声を掛けられる事にいい加減、うんざりし始めた
頃の事だった。
女性をエスコートする事は自分にとっては、極当り前の行為だし、これまで
その事でこんな風に周囲の人間から注目を浴びる事などなかったのに、どうして、
今日に限って・・・・
そういう疑問が脳裏を掠め、それが隣にいる女性(ひと)のせいだと、気付いた
時にはさすがに、あまり好ましくない状況を自ら作り出してしまった、自分の
迂闊さに背中にじっとりと嫌な汗が伝う感覚を自覚したのだが。
時既に遅し。
後の祭り。
このせいでまた、鈴木会長に呼びつけられるのかと思うと、じんわりと慣れた
痛みが胃の辺りに広がる気がする。
そうして、あちこちで足を止めつつ、失礼に当たらない程度に相手をあしらいつつ、
吾郎は漸く、今日の主役である木村の元に辿り着く。
「相変わらず派手な登場の仕方・・・・」
おめでとう、と言うより先に呆れた冷たい言葉を投げつけられて、さすがに
ムッとしながらも吾郎は嫣然と微笑んで見せ。
「優秀賞、受賞、おめでとう。なんだか、主役を食っちゃったみたいで申し訳
なかったね」
口ほどにもない穏やかな口調には、微かな意地悪さと、それ以上の気安さが
含まれていて。
「別にぃ。透子と一緒ってのに、ちょっと驚いただけだから」
木村は、ごく、当り前のように自然に吾郎の隣に寄り添っている透子に、少し、
冷めた目を向けた。
「あら。ご挨拶ね。折角、お祝いを言いに駆けつけてあげたのに」
見た目綺麗な微笑みは、その実、鋭い棘を含んでいて、木村は高校時代の事を
思い出してちょっと溜息をつきたい気分になる。
俺の受賞パーティーだぞぉ・・・・
ほんとに祝ってやろうって気、あんのかよ?!
「お久し振りです。その節は色々とお世話になりました。頭取はお変わりありませんか?」
木村の、こういう場だからどうにか堪え様としている、けれど、それでも
隠しきれずに零れて来る、明らか過ぎる不機嫌さを察して中居がすかさず
透子に声を掛ける。
「あら?あなたは・・・」
僅かに首を傾げた透子にすかさず「中居です」と名乗る。
「あぁ、吾郎くんと一緒に・・・・・」
実際に会ったのは一度きりで、しかももうかれこれ7、8年も前の事だから、
相手が自分の事を覚えていないのも当然の事で。
近々、海外進出して来る外資系企業のコンペに参加してみないか、と。
ライバル関係にあるKIMURAケミカルの動向を探るのに、INAGAKIとして打って出ると
事が大きくなるから、と。
そのために、中居化学をある程度、事業拡大してそのコンペに臨んでもらえないか、と。
事業拡大のための資金調達には銀行の頭取令嬢と面識があるから、自分が口利きをする、
とまで申し出られて、結局、その誘いを受けて。
そのコンペを無事、勝ち取った中居化学は、大学当時吾郎が見込んだ通り、今では、
名実共にINAGAKIの一翼を担うトップグループの一企業に成長している現実が、ほんの
少しだけ悔しくもあるけれど。
その時に、資金調達の口利きをしてもらった相手が、今、目の前に居る透子だったのだ。
それでも名前を聞いて、一発で思い出す辺りは、さすが、とも思えて。
「えぇ。その節はありがとうございました」
中居は丁寧に頭を下げる。
「お気になさらないで。吾郎くんは祖父のお気に入りだから、私が口利きしなくても、
全然、問題なかったんだから」
浮かべられる綺麗な笑みは、あの頃よりも美しさと強かさを増していて、その
人を簡単には近付けさせない怜悧な美しさに迫力と凄味を添える。
・・・・・相変わらず、こぇー・・・・
中居がその認識を新たに、内心で大きな溜息を洩らし
「・・・はぁ・・・・」
と曖昧極まりない声を零す。
美人なんだけどなぁ・・・・こえぇんだよなぁ、この人・・・・
そうして、中居は吾郎と並ぶ事で殊更、美しさを増しているんじゃないか、と
思える透子の横顔に、複雑な思いで初対面の時の事を思い起こしていた。
黙り込んだ中居の変わり、と言わんばかりに慎吾が口を開く。
「ゴロちゃん、久し振り。相変わらず、女連れなんだねぇ。誰?紹介して」
「別に俺から紹介するような間柄でもないけど」
吾郎はチラリと木村に視線を流し、木村はさほど興味もなさそうに「お前、
紹介すれば?」と肩を竦めた。
仕方なくちょっと息をついて
「鈴木透子さん。鈴木銀行頭取令嬢だよ。木村くんの高校の時の同級生で俺の先輩」
と、ごく簡単に紹介をし、透子に向き直り
「こちらは香取慎吾くん。香取重化学工業グループの跡取り、の予定」
と紹介する。
「ちょ?!予定って何?予定って?!」
お定まりの突っ込みを温度のない冷笑でかわして、吾郎は丁度そばを通りかかった
コンパニオンからグラスを受け取り、そのうちの一つを透子に差し向ける。
「ありがとう」
綺麗な笑みを返して透子がそれを受け取り、その笑顔のまま慎吾を振り返る。
「初めまして。鈴木と申します」
「あ、は、初めまして。香取です」
微妙な緊張感を伴った慎吾を意味深な笑顔で見詰める吾郎に気付いた慎吾が
「そう言えば、俺んとこまでゴロちゃんの噂、色々と流れて来てるよ」
片手に既に料理を乗せた皿を持ち、学生の頃とさほど変わらない、含みのある
笑みで吾郎を見返す。
「どうせロクな噂じゃないんでしょ」
不貞腐れて返す吾郎を慎吾は楽しげに見遣り
「当然。すっげー女好きで、相手を取っ替え引っ替えしてる、とか、一人の相手と
半年以上続いた事がない、とか・・・・誘われれば誰とでも・・・だとか・・・」
酷く楽しげな様子で告げられる言葉の数々に、吾郎は不満げに眉を寄せ
「そんな下世話な噂話、わざわざここで、そんなに嬉しそうに披露する事でも
ないでしょ」
冷たく言い放つ。
「婚約者の前だらかってカッコつけなくてもいいじゃん」
慎吾がふざけて脇腹にぶつけてくる肘鉄をよける事も出来ず、まともに食らってしまい
「いってぇ!!」
と、そこがパーティー会場であるにも関わらず、大声を上げてしまって、吾郎は慌てて
両手で口元を押さえた。
「ちょ?!大丈夫?!そんなまともに入るって思ってなかったからさぁ」
一応は詫びているつもりらしい慎吾の声を、自然に前屈みになってしまった
姿勢のまま、聞き流す。
「トロいのも相変わらずだよねぇ」
どう聞いても反省の色など微塵も窺えない慎吾に反撃する手立てすらない自分が
少しだけ情けない気もして、吾郎はゆっくりとその場に片膝を落とした。
ここ暫く、忙しさにかまけてロクな睡眠も食事も取れていなくて・・・・
元来、丈夫で体力もあるほうだから、とやや誤魔化し気味に過信した事が
祟ったらしく、今日の体調は決して、万全とは言い難く。
そもそも透子を伴って会場入りする羽目になったのも、この体調のせいで。
「あら、やっぱり・・・似てると思って見てたんだけど、やっぱり吾郎くんだったのね」
斜め後ろから掛けられた耳覚えのある声に、ふ・・・と気が緩んだのは事実で、
振り向いた途端、ぐらり・・・と視界が揺れて。
「酷い顔色よ。とてもお祝いを言いに駆けつけた人とは思えないぐらい」
透子のらしくもない心配そうな口振りが、今、自分がどれほど、酷い顔を
しているかを物語っていた。
「まだ、パーティー開始までには時間もあるし、少し休んだ方がいいわよ。
私、上に部屋をとってあるから、そこでぎりぎりまで横になれば?時間に
なったら起こしてあげるから」
返事を返す間もなく、透子に引き摺られるようにして上の部屋まで連れて行かれ、
あっさり寝室に押し込まれてしまった。
「それじゃ、おやすみなさい」
閉じられたドアの向こうからそんな声が聞こえて来て。
強引な性格は元からなのは分かっているし、とても、逆らえるような体調で
ない事も自覚していて、吾郎は暫くはベッドに腰掛けてどうしたもんか・・・・
と、ボンヤリ考えていたが、やがてノロノロと上着から袖を抜いて、そばに
あったハンガーに掛け、ネクタイを緩め、体を横たえる。
まるで、それを待ち構えていたように、あっと言う間に睡魔に掴まってしまい、肩を
揺さぶって起こされるまで、完全に泥のような重い眠りに支配されてしまっていた。
「まさか、本当に眠ってしまうなんて思ってなかったわ」
労わるような、けれど、どこか微かな棘も感じさせる笑みで透子が自分を見詰めて
いるのに気付いた時には、掛け値なしに呆然としてしまって。
透子が驚く以上に自分自身が、まさか、本当に眠ってしまうなどとは想像も
していなくて、驚いてしまった。
手早く髪と服装を整えて会場に向かう時には、当然のように透子が隣に寄り添って
いて、けれど、その事を特に意識するほど、吾郎には精神的にも肉体的にも
余裕がなくて。
「おい?!マジ、大丈夫なのかよ?」
不意にすぐ耳元で声がした、と気付き、反射的に顔を上げた、すれすれの所に
木村の顔があって、
「うわ?!」
露骨にのけぞってしまう。
本当の至近距離から覗き込まれていたらしい、間近にある木村の心配そうな
顔に吾郎はなんとも言えない思いに駆られる。
・・・・・あぶなーい・・・・もう少し角度がずれてれば、木村くんとキス
するとこじゃん・・・・・
ゾワリと背中を伝う冷たいモノに、ごく小さく息を洩らし。
「だ、大丈夫だから・・・・」
辛うじてそう紡ぎ出した声に
「しっかりしろよ」
頭の上から少し掠れた声が降って来て、肘を掴み上げられる。
「ほら、立てるか?」
決して優しげとは言い難い口調で、それでも、吾郎を掴むその手には強引さはなく。
あくまで、吾郎が自力で立ち上がるのをサポートするために添えられた手。
「ありがと」
声の主を仰ぎ見て、吾郎がやんわりとした笑みを浮かべ、その笑みを曖昧な
表情で受け止めつつ、らしくもない事をしてしまったか、と、一瞬後には後悔
し始めて逸らした視線の先に、悪鬼のような形相を捉え、溜息をつく。
・・・・・変わんねぇなぁ、こいつも・・・・
大学を卒業し、それぞれが目指す道に進んで約6年。
それぞれが30の大台にも乗り始め、そろそろ、結婚だ、婚約だと頭を悩ませ
始めているであろう、この時期に尚・・・・・
・・・・分かってんのかねぇ、こいつ・・・・吾郎だって、そろそろ結婚すんだ
って事・・・・・
ただ、支えているだけの手に痛いほどの視線を感じ、中居は吾郎がちゃんと
立ち上がった事を確認して手を離す。
「それじゃ、私、他にも挨拶しておきたいから、失礼するわね。また、後程」
ニッコリと魅惑的な微笑みを残して透子は周囲の人込みの中に紛れて行き、
その後ろ姿を見送って
「それにしても綺麗な人だよねぇ・・・・」
と慎吾がしみじみ溜息をつく。
・・・・・確かにね・・・顔は綺麗だよ・・・性格、きついけど・・・・
吾郎、木村、中居がそれぞれに恐らく同じ思いで、慎吾とは違った意味で溜息をついた。
「そう言えばつよぽんは?」
思い出したように慎吾が声を上げ
「あぁ、少し遅れるかも・・・・そろそろ、成田に着く頃だと思う」
と吾郎が請け負う。
「成田?」
「ちょっとね、出張してもらってて」
「そうなんだ?」
「んじゃ、そろそろ始まっから、俺、行くわ」
秘書らしい男が背後から木村の肩口に、二言、三言囁き、それに頷いて木村が
吾郎達の顔を見渡して軽く片手を上げる。
「うん」
「挨拶するんでしょ、頑張って」
答えの代わりに頭の上で手をひらひらさせて木村が会場正面、上段の方に歩んで
行くのをなんとなく見送った。
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