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「ねぇ、拓にぃってさー、ラブレターとかもらった事ある?」
いつものように、いつもの夕飯の後、食後のお茶を優雅に嗜んでいた吾郎が、ふと、思い
出したように、ダイニングテーブルの向かい側の席でノート型パソコンを広げ、家計管理に
励んでいる拓哉に問い掛けた。
「え?!なにナニ?!ラブレターがどうかしたの?!」
「吾郎ちゃん、ラブレターもらったの?!」
唐突に。
それまでてんで好き勝手に、慎吾と剛はリビングの大型テレビを占拠して、テレビゲームに
盛り上がっていたはずなのに、ここぞとばかりにその単語に食いついて来る。
「誰もそんな話、してないって」
木製のダイニングチェアの硬質な背凭れごと、背中から圧し掛かるようにして肩に顎を乗せ、
自分を拘束して来る慎吾の腕の中で、吾郎は軽く肩を竦め。
「っつーか、お前ら何、いきなりこっちの話に首とか突っ込んで来てんだよ!あっちで
ゲームやってろって!」
吾郎の隣の椅子を引き、何かを期待するように吾郎を見詰める剛と、ぎゅうっと言う形容詞が
そのまま当て嵌まりそうに、吾郎の華奢な身体に両腕を回す慎吾の、2人に等分に視線を
投げて、拓哉が邪魔者を追っ払うような勢いでそう口にはしたものの。
「ねぇ、ラブレターがどうしたの?」
興味津々でしつこく食い下がって来る弟達に、まるでその効果は窺えなくて。
「今度、雑誌の特集で何か手紙の良さを見直そう、みたいな企画をやるらしくってさ。
ラブレターに纏わるエピソードだとか、ちょっとお願いしますって編集部の方から頼まれ
ちゃってね。けど、俺、ラブレターとかさもらった事ないし・・・・・」
吾郎のそんな説明の最中
「え?お前、ラブレターとかもらった事、ねぇの?」
はっきり驚きを示した拓哉の声が、そんな問いを挟んで来て。
「あったらわざわざ拓にぃに、こんな事聞いたりなんかしないんだけどね」
吾郎は微妙に面白くなさそうに視線を泳がせ、更に言葉を続ける。
「直接、が多いかなー。女の子に告白される時って。やっぱり、今時、ラブレター書くなんて
言う古風な事する子、そんなにいないだろうしね」
「そうそう、最近はさー、メールばっかだもんね。あいのりで言ってた。親指の恋だって」
「何だ、それ?」
いつの間に輪の中に加わったのか、先ほどまでリビングのソファーの一番隅っこに陣取り、
イヤホンでナイター中継に熱中していたはずの正広の掠れた低い問いが発せられ。
「ほら、メールを打つ時って親指で操作する事が多いでしょ?だから、そんな風にネーミング
したんだろうけどね」
吾郎がそんな答えを返している中、携帯は仕事の関係で已む無く持ってはいるが、個人的には
ほとんど使用する事のない正広が、吾郎のメール云々の説明に、拓哉に目線だけで「そうなんか?」
と問いを投げ、投げられた方の拓哉が無言で頷きを返す、と言うやり取りが行われていて。
「上手い事言うよね、テレビの人って」
剛が感心した風にしきりと頷いた後。
「で、話は戻るんだけどね、拓にぃだったらラブレターぐらいもらった事あるだろうし、
それに関して、何か面白いエピソードとか持ってないかなー、って」
吾郎が再び、拓哉に視線を合わせた。
「ラブレターで面白ぇネタっつーのもどうか、とは思ぉけど・・・・」
曖昧に唸る拓哉に
「ほんとはもらった事なんかねぇんじゃねぇの?ラブレター」
悪戯っぽい光を煌かせ、正広が軽い挑発に乗り出す。
「るせぇよ。ラブレターぐれぇもらった事あるに決まってんだろ!」
分かり切った挑発に、それでも、こんなに単純に引っ掛か・・・・いや、素直に乗ってくる
拓哉は、根っから真っ直ぐな性格なんだろうな、と、そんな理解に務めつつ、吾郎は
「へえ?幾つぐらいの時?相手は?」
取材記者のようなノリで、マイクを持つ形に手を握ったそれを差し向けつつ首を傾げた。
「6歳ん時。お前から」
「・・・・・・・は?」
至極マジメな顔で答えた拓哉に吾郎が固まり、他の兄弟達はやれやれ・・・と呆れたように
肩を竦めた。
「6歳ん時にお前からもらったラブレターが、生まれて初めてもらったラブレターだった」
相変わらずマジメな顔つきのまま、ほんの少しだけ詳しく拓哉が更に言葉を継ぐ。
「え?拓にぃにラブレターなんて・・・・俺、書いたかな?」
疑わしげに言葉を濁す吾郎に、他の兄弟達は内心で「問題は書いたかどうか、じゃなくて!
それがラブレターと呼ぶにふさわしい代物だったかって事なんじゃないのっ?!」と突っ込みを
かましていたのだとしても、それは吾郎の窺い知る所ではなくて。
拓哉が拓哉なら、吾郎も吾郎だ、と言わんばかりに他の兄弟達の呆れ返った盛大な溜息の
嵐さえ気にならない風で。
ほんの僅か、驚いたように目を見開いた吾郎は、それでも、曖昧な記憶を手繰り寄せるように、
あやふやに言葉を揺らして。
小さく首を傾げ、心持ち瞼を伏せる。
「忘れちまった?」
そんな吾郎の顔を覗き込み、拓哉が下の角度から目線を合わせ首を傾げても、尚、吾郎は
考え込むように薄く眉根を寄せていて。
「んじゃあ、ちょっと待ってろよ、今、持って来てやっから」
拓哉は得意げに軽くウィンクを寄越してさっさとリビングを後にする。
「・・・・・・アホらしぃ」
正広が疲れたようにわざとらしい関西弁で呟き。
「ほんとにあるのかな、そんな昔の・・・6歳の時にもらった、って言ったらさ、もう
15年ぐらい前になるけど」
「正確に言うと14年だけど。でも、案外、大事にとってあるんじゃないの?あの拓にぃの
事だから」
剛と慎吾のやり取りを吾郎がぼんやりと眺めていて。
「ほら、これ」
リビングに戻った拓哉がテーブルの上にそっと、一枚の紙きれを置いてみせる。
子供の頃に良く買ってもらった悪戯書き用のスケッチブックの隅を千切ったと思しき紙には
クレヨンで書かれたたどたどしい文字が大小、様々な大きさで並べられていて。
『たくやおにいちゃん たすけてくれてありがとう
ずっといえなかったけど ほんとはすきです ごろう』
「うわぁ、かっわいい!」
「え?拓にぃが6歳って言うと、これ書いた吾郎ちゃんは何歳?」
「・・・・・4歳か・・5歳になってたかも知れないけど」
そこには確かに自分の名前も書かれてあって。
「どうよ?思い出したか?」
自分がリビングを後にした時と同じ、吾郎にべったりとへばりつくようにして椅子の背凭れに
体重を預けている慎吾を強引に引き剥がし、自分がその位置に納まり。
体重を掛けるようにして、吾郎の肩に顎を乗せ、背凭れごと吾郎を抱き締めるようにして
腕を回すその姿勢は同じものであったとしても。
やんわりと包み込むように、そっと添えられた腕に、吾郎も少し身体を預けるように頭を
凭せ掛けて。
それでも、まるで覚えがない、と言わんばかりに、ただただ、じっとその紙片を見詰める
だけの吾郎の様子に、拓哉は微かな嘆息を洩らして、更に言葉を続けた。
「俺も記憶が曖昧な部分もあんだけど・・・どういう理由でかお前が1人で外に出ちまって
それに気付いたおふくろが大慌てで外に探しに出た隙に、俺もうち飛び出してお前探しに。
んでぇ、公園の滑り台の階段を何段か登ったとこで泣いてるお前、見つけて・・・・・・」
「・・・・・あぁ」
低く吾郎の口から呟きが洩れる。
「思い出した?」
すかさず、再び、吾郎の顔を覗き込む拓哉が居て。
「・・・・・うん」
吾郎が心持ち寂しげに見えなくもない表情で小さく頷いた。
「思い出した・・・・それにしても良くとってあったね、こんな紙切れ」
吾郎はその話には余り触れたくない、と言うように話題を切り替え。
同時に、感心したように、そして、ちょっと面白そうに顔を綻ばせて。
「そりゃあ、お前、俺にとっては生まれて初めてもらったラブレターだし?」
ニヤリ、とシニカルに口端を持ち上げた拓哉の作り物めいた表情に、吾郎が呆れた苦笑を返す。
「嬉しかったからに決まってんだろ。あの頃のお前って、俺が構ってやっても泣いてばっか
でよぉ・・・・・・ぜってぇ、マジで嫌われてんだって思ってたぐれぇだったからよ。
そうじゃなかったんだって分かって、すげぇ嬉しかったんだって」
「・・・・・・うん」
吾郎の頭に掌を乗せて、ぐしゃぐしゃと髪をかき回す拓哉に、大人しくされるまま吾郎は
また頷く。
「・・・・・・何がきっかけだったのか、俺ももう思い出せないけど・・・・・ママの事を
思い出したんだよね。それで、うちに帰ろうと思って・・・・
でも、今住んでるここがどこで、元々住んでたとこがどこかも、まるで分かんなかったから、
とにかく高い所に登って遠くまで見渡せたら何か分かるんじゃないか、って思ったんだと
思うんだけど、確か。
でね、夢中になって滑り台の階段を登り出したのはいいけどさ、途中で自分が高い所に居る
事に気付いて・・・・・・そうしたら怖くなって、登る事も降りる事も出来なくなって
・・・・・・・
段々、周りは薄暗くなって来るし、手は痺れて来るし、怖くてさー・・・・
俺を見つけてくれた拓にぃがさ、階段の下から『もしかして、降りらんねぇの?!今すぐ
助けてやるから、ちょっと待ってろ!』って叫びながら登って来てくれて。後ろから支えて
一段ずつ降ろさせてくれてさ・・・・・」
「あん時はマジでちょいビビったっつーか?お前、今、高いとこが怖くなって、とかっつった
けど、滑り台の一番上とかじゃなくて、ほんと、まだ真ん中辺りだったのに、お前、泣いてて」
「いや、その高さでも俺的には十分、怖かったんだって」
拓哉に事細かに突っ込まれて、吾郎は心持ち顔を赤くしながらも、律儀に反論を返して。
「あの時さー・・・・・俺がうちに帰りたいって泣いて。そうしたら、お前んちはもう俺んち
しかないんだ、って。俺達と今、一緒に住んでるあの家以外に帰るとこなんかないんだ、って
・・・・・拓にぃが怒りながらさ、けど、ちょっと泣きそうな顔で言って・・・・・・」
「誰が泣きそうな顔なんかしたんだよ」
「拓にぃが。でもね、その拓にぃの言葉で・・俺、多分、諦めがついたんだと思う。
物凄く子供の頃の事だからさ、はっきりした事は言えないけどね」
幼かった自分の痛みに彩られた眼差しの中に、柔らかな温かみが徐々に広がるように。
吾郎が言葉には乗せなかった感謝の思いをその中に浮かべ、拓哉にそれを伝えようと、
真っ直ぐにその眼差しに視線を合わせる。
そんな吾郎の視線を正面から受け止める拓哉の瞳にも、また、優しい温度が灯って。
「ふふふ。懐かしいね?って言うか・・・慎吾とか剛の記憶にはない大昔の話だけどね?」
しんみりした空気を払拭するかのように笑みを浮かべた吾郎に
「ずるいよねー、やっぱり、弟ってさー、こういう時、すんごい損した気分になるっ!」
いつも、察しの良い慎吾がすかさず、不貞腐れた顔をして見せて。
「そうそう、あん時なー、勝手に拓まで出て行っちまうもんだから、俺はうちで剛と慎吾の
面倒見てなくちゃなんなくてなー」
正広が口ほどでもないやんわりとした笑顔を作る。
「長男って役回りもなー、何かと損な役回りだわ」
そうして、意識的に悔しげに唇を持ち上げても見せて。
「うーん・・・・けど、これは雑誌の企画のネタとしては使えないね。他には?他にも
もらったラブレター、取ってあるんでしょ?見せてよ」
「誰が、んな少女趣味な事すんだよっ?!あるわきゃねぇだろうがっ!」
「・・・・・・拓にぃの役立たず」
大威張りで胸を張った拓哉に、吾郎がこの上なく美しく冷たく微笑み掛けた事は言うまでもない。
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