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宅配便のバイトに潜り込んで1週間。
こんな事もあるんだなぁ、と。
オーディオの修理依頼で、それを一旦、ご依頼主様のご自宅から修理メーカーへ梱包、
搬送する助手として先輩にくっついて、そのご依頼主様のご自宅へ向かう車の中で。
先輩が運転途中にふ、と。
「お前、稲垣吾郎って知ってる?」
全く、何の脈絡もなく、突然、そんな質問を投げて来て。
「稲垣、ですか?SMAPの?そりゃ、知ってますよ、名前ぐらいは一応。顔まで、って
言われるとちょっと、イマイチ自信ないですけど」
何で稲垣吾郎なのか、訳の分からないまま、それでも素直にそう返した俺に
「もしかしたら、稲垣の顔、覚えられるかも知んねぇぞ」
先輩は意味深な笑いを返して来て。
「え?どういう事ですか?」
「今、向かってるご依頼主様の家って言うのが、その稲垣んちらしいんだよな、どうも。
伝票のご依頼主様の氏名が稲垣吾郎になってる。稲垣が本名なのかちょっとその辺は分かん
ねぇけど、もしかしたら、本人かも知んねぇじゃん。そりゃ、同姓同名の別人かも知ん
ねぇけど」
「本名ですよ」
つい、さらっと出てしまった。
「は?」
「・・・・実は姉が・・・割とファンなんですよ、そいつの」
「へぇ」
「なんで、そいつが本名だって事は姉がそんな事、言ってました」
「そうなのか?へぇ・・・」
全然、興味なさそうに頷いて、先輩はそれきり口を噤んでしまった。
車を走らせる事、数十分。
目的の家はやたらと住人のプライバシーを尊重する高級マンションで、いよいよもって、
そうなのかも知れない、という予感がして来る。
芸能人なんか間近で見た事ないもんなぁ・・・・
なんか緊張するな、さすがにちょっと。
なんて、そんな事を思っている間に先輩はエレベーターの前で携帯を取り出し、
「今、下に着いたんですけれども。宅配便の者です。お伺いさせて頂きたいんですが」
って・・・・
え?嘘、稲垣と喋ってんの?もしかして?!
「え?あ、はい・・・はい。そうですか、分かりました」
極、短い会話を終えて先輩は俺を振り返り
「オートロック解除したから、上がって来い、だとよ」
当たり前に普通の様子でそう告げて。
「先輩はよく、こんな風に芸能人の家とか言った事あるんですか?」
その態度があんまりにも落ち着いてるから、つい、そんな質問をしたら。
「バッカ。初めてだよ。このバイトやってもう2年になるけど、こんな事初めてだって」
「でも、何かその割にはすげー、落ち着いてないですか?」
「本人かどうかなんてまだ、分かんねぇじゃん」
「え?!さっき、電話したんじゃないんですか?」
「お前ぇ・・・電話の声だけで相手が稲垣だ、とか分かんのか?俺、声だけで相手が
稲垣だなんて分かんねぇぞ」
「・・・・はぁ、そうですよねぇ」
何かちょっとだけ機嫌の悪くなった先輩にそれ以上、声も掛けられないまま、間もなく
エレベーターは指定した階について。
教えられた部屋番号のチャイムを押す。
表札らしきものは何もないな・・・・
益々、それっぽい感じがして、俺はドアが開くその瞬間を待ち焦がれてしまった。
いや、我ながらミーハーだとは思うよ。
生きてる芸能人にお目に掛かれるって思うと、何か特別な気するって。
別に相手も普通の男で、たまたま、そういう仕事してるってだけの事なのにな。
芸能人て聞くとなんで、こんな特別な気、すんだろな。
「・・・・はい」
低い声が聞こえて開けられたドアの向こうに居た男に、思わず反射的に
「え?」
って声がもれてしまった。
「は?」
途端にジロリと、どう言う訳か微妙な睨みを効かされて、慌てて視線を逸らす。
「あの・・・こちら稲垣吾郎さんのお宅で宜しいですか?」
先輩もさすがにちょっと戸惑ったみたいで。
「ええ、はい。そうですけど」
玄関でスリッパを足元にそろえてくれながら、男は更に低い声で答える。
稲垣の顔は怪しくても・・・・
今、目の前でスリッパを揃えてくれている男の顔は見覚えがある。
日本一の男だとか、噂に高い・・・木村拓哉。
見間違いじゃないよなぁ。
どう見ても木村拓哉本人だよなぁ・・・
すっごく良く似たそっくりさん、とか言わないよなぁ・・・・
その日本一の男の揃えてくれたスリッパに恐る恐る足を通して。
「修理のご依頼をお受けしたオーディオと言うのは」
先輩の声に日本一の男は勝手知ったると言った様子で
「あぁ、こっちです」
と、先に立ってリビングへ案内してくれる。
すっきりと片付いた生活感の感じられないリビングに通され、目的のオーディオの梱包
作業に掛かりかけた所へ、日本一の男の携帯が鳴った。
「あ?」
俺達に特に構う様子もなく日本一の男はリビングのソファに身体を投げ出して、携帯を
耳に当てた。
「来た。ちょっと前。おぅ、今、梱包してる最中。え?何?聞こえねぇよ!!電波、悪ぃ
んじゃねぇのか?!おいっ?!あ?!何だって?!」
極々、ふっつーに会話していたはずの声が突然、怒鳴り声に変わって、ちょっとビビって、
つい、そっちを見てしまい、一瞬、ばっちり目が合って。
眉を顰めて、微妙に細められた目が・・・何か迫力だな、やっぱ。
「テープ?!ビデオテープ?!何だよ、それ。テレビの上?!って、関係ねぇだろ、それは!!
いらない?!自分で捨てとけよ、そういうもんはっ!!何、お前、俺に留守番させた上に
まだ、片づけまでさせよう、とか思ってんじゃねぇだろぉなっ?!あっ、おいっ?!
・・・・・・・ちっ!!切りやがった」
忌々しそうに携帯を畳んで、日本一の男はおもむろに立ち上がり。
オーディオと並んで、セットのようにして置いてあるテレビの上のビデオテープを手に取り、
眺めすかめつしている。
そして、テープをまた、テレビの上に戻し、一旦、リビングを出て、トイレか?とか
思ってたら、戻ってきた時には手にビニル袋を持っていて。
その中にせっせとテレビの上にあったテープをしまって、口を縛り。
「あー・・・こういうのって、処分しといてもらえるもんなんですか?」
俺に向かってそんな事、聞いて来て。
「え?あの・・・・」
返事に詰まっている俺の代わりに先輩が
「いいですよ」
とか簡単に請け負った。
ふぅん・・・いいのか・・・
「それじゃ、お願いします」
とか。先輩に頭を下げて。
そんな男の態度に、さっきの電話のやり取りを思い出して、つい、口元が緩んだ。
電話ではあんなに邪険に怒鳴りつけてたくせに、何だ、結局、言われたまま片付けるんじゃん、
って。
それにしても・・・・
おんなじグループのメンバーって言っても、赤の他人だろ?
幾ら友達って言ったって、こんな風に自分の留守の家に上がり込ませて、宅配業者の
相手とかさせる訳?
そう言えば「留守番させた上に」とか言ってたけど・・・・
留守番とかしたりし合うほど仲いいものなのか?そんなに気心の知れた相手なのかな?
まぁ、立場が立場だからな、逆に同じグループのメンバーとかの方がお互いの事、分かり
合えたりすんのかも知れないけどな・・・・
けど、やっぱ、良く分かんないよな、芸能人って。
「預り証にハンコかサイン、頂きたいんですが」
梱包作業を終えて、先輩が差し出した伝票に
「ボールペン、ある?」
とか聞いて、それを受け取ると、ハンコの位置に『稲垣』って、極、普通にサインして。
「あのぉ・・・木村拓哉さん、ですよね?」
伝票を受け取ってしまいながら、先輩は最後の最後にその質問を投げた。
「あぁ、はい」
そういう事は慣れている風で、男は渋い低い声で頷いて。
そうして、梱包したオーディオを玄関まで運び、挨拶しようと一旦、荷物を降ろして
振り返ったら、綺麗な毛並みの猫が二匹、男にじゃれついていて。
まるで、自分の飼い猫のように、慣れた様子で相手をする男と、そして、相手をさせている
猫と。
猫って・・・割合、警戒心とか強くて、あんまり慣れてない人間には懐かないみたいな
印象あるけどな。そうでもないのかな。
それとも・・・そんな風に慣れるほど、しょっちゅう来てる、って事なのか?
お互いに忙しいんだろうになぁ・・・・
今日だって肝心の稲垣は留守で・・・代わりに木村拓哉が稲垣の家に居て。
何か不思議な感じだな。
芸能界って良く分かんないな、やっぱし。
そんな事を思いながら、俺は帰りの車の中で、他人の家でリラックスしきっていた木村の
姿をもう一度、思い起こしていた。
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