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「凄い雨だね・・・・」
後部座席でシートにゆったりと身を預けたまま、サングラス越しに吾郎が低く呟く。
先ほどから車体を叩きつける雨は益々、激しさを増してひっきりなしに動くワイパーで
さえ、その役目を果たさないほどで。
雨と言う名のシールドがともすれば視界を遮り。
まだそんな時間でもないのに、夕暮れのような暗い周囲の景色が、一瞬、明るく照らされ、
ほどなく雷鳴が車体を揺さぶる。
「ぅわっ?!」
本気で怯えた声をあげ、慌てて耳を塞ぐ吾郎に、結構、そこそこ長い付き合いになる
マネージャーが軽い笑みを漏らし。
「・・・笑う事、ないじゃん」
それに気付いた吾郎が唇を尖らせる。
「すみません」
バックミラー越しに小さく頭を下げて、マネージャーは大切な命を危険に晒す事のない
よう、細心の注意を払って、車の運転に集中するよう、心掛けた。
間もなく、車は目的の場所に到着し、いつもと同じ一日が始まろうとしていた。
「おはようございます」
守衛や受付嬢、すれ違う大勢の人達に丁寧に頭を下げながら、エレベーターに向かい、
その前で立ち尽くす人物の姿を認め、吾郎はニコリと笑みを浮かべる。
「木村くん、おはよう」
後から軽く肩を叩き、振り返った木村の視線を、首を傾げて斜め下の角度から覗き込む
ようにして見詰める。
「おぅ」
ニヤリと口角を持ち上げるようにして、木村はいつもと同じ笑みを返し。
「ここで一緒になるなんて珍しいよね。別になんて事ないんだけどさ、何かこういうのって
ちょっと嬉しかったりしない?」
目を細める吾郎に、木村は少し首を傾げ、肯定も否定もしない。
間もなく軽やかな電子音と共にスルスルとシルバーのドアが開き、木村と吾郎が連れ
立ってそれに乗り込み、目的の階のボタンを押した木村に吾郎が待ちかねていたように
話し掛ける。
「ねぇ、凄い雨だったよね?」
「あ?おぅ。なんか台風、来てるらしいぞ」
「そうなんだ?途中でさ雷、鳴ったでしょ?落ちたのかな?」
「あぁ?鳴ったか?」
「気づかなかった?車の中で聞いたんだけどさ」
「あぁ・・・寝てたかもな」
「車で寝るの?」
「たまたま」
「そうなんだ?そう言えばこの前のスマスマでやった心理テストでお疲れ気味って
言われたんだっけ。ほんとにそうなの?」
木村を捉えた吾郎の目が心配そうに曇る。
こういう吾郎の素直な態度に木村はいつも、少しばかりの憧憬と僅かな羨望を抱いて
いて。
そして、そういう視線を向けられる自分、と言うものが誇らしい気もして。
不意に浮き立つ気持ちを抑えられない。
「別に。だから、たまたまだって」
それでも、そんな自分の内心を吾郎に見透かされるのは癪で、木村はわざとぶっきらぼうな
物言いで吾郎の視線を避ける。
「だったらいいんだけどね」
そう呟いた吾郎は、まだ、疑っているような、それでも、安堵の色をその声音に滲ませて
薄い笑みを木村に投げ掛けて来る。
ずっと、特番続きの撮影や収録で、吾郎の方が自分よりも遙かに疲れているだろうに、と
ふと、そんな思いが胸を掠め、けれど、その事を吾郎のように素直に口に出せない自分が
少し不甲斐なくも感じられて。
会話の途切れた空間は少し居心地が悪くて、逃げるように吾郎から反らせた視線を、電光
掲示板に走らせた時、不意にガクン!!と足元が大きく揺らぐ感覚と同時に、視界が
一瞬にして闇に閉ざされた。
「ぅわぁっ?!」
引き攣った悲鳴交じりの吾郎の声が闇をつんざく。
「うっせぇよ!喚くな!」
ごく、狭い限られた空間内で、ついでに言えば、かなりの至近距離で大声で叫ばれ、
木村は骨髄反射的に吾郎を怒鳴りつけ。
「だって?!真っ暗じゃん!!木村くんっ!!どこ?!どこに居んのっ?!」
「落ち着けって!ここに居るから!」
喚く吾郎の声を頼りに木村が暗闇の中で、手探りで手を伸ばし、手に触れたモノを
取り敢えず掴み。
「木村くんっ?!木村くんだよね?!」
その木村の手に吾郎が慌てて自分の手を重ね合わせて来る。
「他に誰が居んだよ?もしかして、俺以外の人間が今、お前の事、掴んでるんだとしたら、
ちょっと怖ぇよな」
本気で怯える吾郎が可笑しくて、つい、つい、意地悪をしてしまう。
「ちょ?!変な事、言わないでよ」
「霊とかの手だったりして」
「やめてって!!」
自分の手に重ねられた吾郎の手に力が篭り、強く握り締められたそれから震えが伝わって
来て、さすがに少しやり過ぎたかと、木村も多少、内心で反省しつつ。
・・・・マジでビビっちゃって。ほんと、これで30っつーんだから、ほんと、可愛い
っつーか、だらしねぇっつーか・・・・ま、昔っから暗闇とかは苦手で、夜でもちっせぇ
電気、点けて寝ねぇと寝れねぇヤツだかんな。しょーがねぇか。
小刻みに震える吾郎に木村は微かな苦笑を漏らし。
・・・・これが10年ぐれぇ前だったら、ドッキリなんじゃねぇの?とかも疑っちまう
とこだけど・・・・ま、今はそういう番組もねぇみてぇだし、これは本物の停電だよなぁ。
そうして、脅かしたお詫びの意味も込めて。
木村は手探りで吾郎の肩を引き寄せ、自分の心臓辺りに吾郎の頭を押さえつける。
「そんなビビんなって。どうって事ねぇだろ?単なる停電じゃん。すぐに自己発電が
作動するだろうし」
「・・う、うん・・・・」
心臓の鼓動、人間の体温には、人を落ち着かせる効用があって。
ギュッと木村の服を握ったまま、吾郎はそれでも幾らか落ち着きを取り戻したのか、
小さく震えながらも、取り敢えず喚く事だけは止め。
「・・・あ、そうだ」
突然、木村が思い立ったようにポケットを探り始める。
「何?どうしたの?」
不安げな吾郎の声が鼓膜に届く。
「あった、あった」
言葉と同時にパッと目の前にオレンジ色の明かりが灯る。
「え?」
「ライター、持ってんの、忘れてたわ」
決して十分とは言い難い光量ではあったけれど、それでも、真っ暗闇ではなくなった空間で、
認めた自分と木村の距離に吾郎は、さすがに照れくさそうに木村との間に少し、距離を
取り
「・・・・木村くん」
と、僅かに恨めしげに眉を寄せ、木村を軽く睨んだ。
「わざとなんじゃないの?」
「何が?」
「ライター、持ってんの、わざと忘れた振りしてたんじゃないの?俺が怖がるの、面白がって
たんでしょ?」
100%それはない、と否定は出来ないものの。
それでも。
確かに、吾郎が怯える様子を面白がってはいたけれど、ライターの存在を忘れていた事は
偽りない事実だから。
「んな事、するか。ほんとに忘れてたんだって」
キチンとリキを入れて弁明する。
「ほんとかな?怪しい・・・」
けれど、長年の付き合いの吾郎は、木村がしょっちゅう仕掛ける悪ふざけの被害者で
ある事も手伝って、すんなりとは信用出来ない様子で。
不満げに眉を顰める。
・・・・ま、別にいいけど。
内心で呟きを漏らして、ボンヤリと頼りない明かりに照らし出される、いつもとはまた
少し違った、陰影を帯びた綺麗な吾郎の横顔を、なんとなく視界の端に捉えながら、
木村はこの非日常的なヒトコマがいつまでも続いて欲しいような、早く、いつもの日常に
戻って欲しいような複雑な思いに囚われていた。
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