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「木村くんて・・・・」
フレームなしの眼鏡の縁を軽く指先で押えて、吾郎が僅かに俺を見上げる。
最近ではそんな眼鏡姿で番組に出る事も多くなり、メンバーしか知らなかった
顔が、そうでなくなってしまった事に対する、微妙な思いが微かに脳裏を掠め。
まぁ、確かに目、悪くなってるらしいしな。
掛けてなきゃ不便だろうけど。
「明日、オフだったよね?」
「まぁな」
吾郎が人のスケジュールなんかを気にかけている、と言う事実が俺の中では
何か違和感があって、俺は曖昧に言葉を濁した。
「やっぱり、家族の人とか・・・楽しみにしてるだろうね?」
伺うような、探るような妙な声に俺のイライラが少しずつ募っていく。
「何だよ、一体?」
「あ、いや・・・・予定がなければ、なんだけど」
そう吾郎は前置きをして。
「お花見に行かないかなぁ、と思って」
と続けた。
あぁ、なんだ、そんな事?
たったそんだけの事を訊ねるのに、あんなに遠慮しいしい言う事でもねぇだろ。
「いいじゃん、花見」
一言言った俺に吾郎は瞳をキラリと輝かせる。
やたらと忙しかった年末年始の仕事ラッシュも漸く一段落ついて、そう言えば
桜の季節なのかと、吾郎の誘いで気付く。
「ちょっと遠出したいと思ってるんだけど、今から、とか言ったら木村くん、
さすがに困るよねぇ?」
今、というのはスマスマ収録後の午後9時。
わざとらしい持って回った言い回しに、一瞬、イラッと来て。
「そう思うんなら、前以って予定立てろよ!」
言い放ってから、あ・・・と言葉を飲み込む。
前以て予定なんか・・・・立てられるようで立てられない仕事で。
スケジュールなんかあってないようなモノ。
その時、その時の状況で幾らでも変わって行く。
今日がこの時間に終わった事だって、半分は奇跡のようなモンだし。
「わりぃ・・・」
言っても仕様のない事を口にしてしまった。
こんな風に吾郎の方から誘いをかけて来るなんて事は、かなり、珍しい事なのに。
まだ、子供だった頃はライブだとかに誘われたりもした事もあったけど。
お互いに忙しくて、予定が立てられない事を承知し合っている関係だから、
尚の事、メンバー同士で何かをする、どこかに出掛ける、と言うのは、ほとんど
皆無に等しくて。
親しいけれど、あんまり一緒に遊んだりはしない関係。
まぁ、友人と言うよりは仕事仲間って意識が強いせいもあんだろうけど。
「だよね。ごめん。変な事言って。疲れてる所、呼び止めたりして悪かったね。
お疲れ様でした」
軽く下げた頭を上げて、髪を直しつつ吾郎は俺に背を向けた。
「あ、ちょい、待てって」
その肩に手を掛ける。
振り返った吾郎は微かに眉を寄せて、俺をその視界の中に捉える。
「行かねぇなんて誰も言ってねぇだろ」
そう言う俺に投げかけられる僅かに冷めた視線。
「こんな急な誘いは困るでしょ。また、今度、ちゃんと予定を立ててからね」
ネに持ってんじゃねぇっつーの。
謝っただろーが、ちゃんと。
「行くぞ、今から」
肩に掛けた手に力を込めて、グイッとこちらに引く。
「うわ?!ちょっと?!」
いとも簡単にバランスを崩した吾郎が倒れ込んで来る。
その華奢な肩を腕で支えながら、相変わらずとろいヤツ・・・と俺は内心で
微かな笑みを洩らした。
「大体・・・・・」
吾郎が運転する車の助手席でシートに身を預け、窓の外を流れる景色になんとなく
視線を流しつつ。
助手席に居ながら、運転席に居るような錯覚に囚われそうになる視界にも、
少しずつ目が馴染んで来る。
「あぁいう持って回った誘い方すっから、ややこしい事になんだろーが。
素直に『木村くん、明日オフ?じゃ、今からお花見行かない?』って言やぁ、
もっと、事は簡単だったんじゃねぇの?」
わざわざ吾郎の口真似をしてやると、吾郎が薄く苦笑を浮かべ。
「みんなに散々断られた後だったからね。ちょっと、気分が後ろ向きになってた
から」
「みんなって・・・・?」
「他のメンバー。剛はさ、ぷっスマの撮りがあって、慎吾はスマステの打ち
合わせが入ってて・・・・中居くんはさ『なんでおめぇと花見しなきゃなんねぇの?
おめぇも俺、誘ってて違和感、感じねぇのかよ?!』って怒られちゃってさ」
・・・・・はぁっ?!何、そんで俺な訳?!俺が最後ってか?!
「なんで俺が最後な訳?」
なんて質問をする俺はかなり自虐的な性格ってヤツ?
大体、バラエティーのレギュラー、山ほど抱えてる他のメンバーのスケジュールが
空いてねぇ事ぐらい、聞く前に気づくだろー?!
「木村くんには家族が居るからね。折角のオフに俺が木村くんを独占しちゃったら
まずいかなぁって・・・・」
そこまで思ってんだったら誘うな。
あ、いや、誘われた事がウザイんじゃなくて。
迷惑とか、そう言うんでもなくて。
そんなに気ぃ遣う事、ねぇんじゃねぇのって。
「で?この車、どこに向かってんの?」
話題を変える。
「福島県田村郡三春町」
端的に地名を口にされて唖然とする。
「福島ぁ?!」
「うん。三春にねぇすっごい桜があるんだよ」
チラリと一瞬、こちらに視線を流して来たその瞳に、吾郎はキラリと華やかな
光りを上らせた。
そして、またすぐに前に戻された、対向車のライトが照らし出す秀麗な横顔の
ラインに、ふ、と口元が緩むのを感じる。
「今からってぇと、夜桜?」
「そうだねぇ、夜桜も捨て難いけど、時間的にちょっと間に合わないかな。
ライトアップされてるのは10時までだし」
車の時計のデジタル表示に軽く視線を投げて。
PM9:50。
まぁ、今から10分以内に福島に到着すんのは不可能だろうな。
少なくとも後、小一時間はかかるだろうし。
「んじゃ、明日か」
「まぁね」
そう答えた吾郎の横顔に含みのある笑みが浮かぶ。
「今日はこのまま旅館で一泊して、明日お花見っていう感じでどうかな?」
って・・・・・
マジかよ?いきなり過ぎねぇ?一泊すんだったらそれなりに用意とか・・・・
「コンビニで買う?下着とか」
唖然とする俺の様子を感じるのか、吾郎が何でもない事のようにそう口にする。
「お前は?」
「一応、着替え一式持ってる。車に乗せてあんの、いつも。いつ、何があるか
分からないじゃない?だから」
・・・・・あっそ。
「寄る?コンビニ。そこに見えてるけど」
こみ上げる疲労感に脱力しつつ、俺は小さく頷いていた。
旅館についたのは11時過ぎ。
かなりの常連であるらしい雰囲気は、こんな時間にチェックインさせてもらえる
事だけでも十二分に感じられ。
それでも花見のシーズンらしくあちこちの部屋から、こんな時間には相応しくない
賑やかな声が上がっている。
「騒々しくて申し訳ありません。このシーズンはどうしても」
深々と頭を下げる女将は和服の良く似合うなかなかの美人で。
まさかわざわざ女将の顔で宿を選んでるんじゃねぇんだろうけど、吾郎のキャラに
余りにも嵌り過ぎるその美人に、つい、笑いがこみ上げて来る。
「こちらこそ。こんな時間にムリを言ってすみません」
にこやかに返す吾郎の横顔に思わずニヤケてしまった。
案内された部屋には、その部屋専用の露天風呂がついていて。
プライベート温泉っつーのはありがたいよな。ま、職業柄。
「ちょっと狭くて風情に欠けるんだけどね。なんなら大浴場もあるけど?」
部屋から見渡す事の出来る露天風呂を眺めて吾郎が少し肩を竦める。
「いいんじゃねぇの?二人で入るんなら十分だろ?」
吾郎の肩越しに風呂を眺め、ごく、当り前に返した俺に
「二人で?!」
速攻で吾郎が聞き返して来る。
「お前・・・・まさか一人ずつ順番に入ろう、とか本気で思ってた訳じゃねぇ
だろうな?!」
「えっ?!」
余りにも正直であからさまなうろたえ方に、つい、笑ってしまう。
「こないだ露天風呂で混浴してたじゃねぇか?女優とだったら入れて俺とは
入らねぇ、とかぬかす?ひょっとして」
「あれは?!あれは、ドラマじゃない?!って言うか・・・あれ、見たの?!
メンバーの出るドラマは見ないって言ってたくせに?!」
薄っすらと頬に朱を走らせて、吾郎はあせったように食って掛かる。
「ドラマは嫁さんが見てたの。俺がちょうど風呂から上がった時にその混浴の
シーンが流れてて思わず『おぉ、珍しい』なんて唸っちまったぜ」
「あれは仕事じゃない?!プライベートは別!!それに木村くん、どうせ
また、つまんない事を歌番組とかスマスマとかで暴露する気なんじゃないの?!」
「ネに持ってんのかよ?!」
もう随分前のネタ話の事を口にされて、マジ、唖然とする。
「だってさ、何回も特番のたびにリプレイされて流れるんだもん!!俺、あんな
風に風呂に入ったりしないって」
「だから、ネタだろうがっ!!いつまでもつまんねぇ事に拘ってっと、禿げるぞ」
「失礼な事、言わないでよね」
吾郎は微かに冷たい視線と共に、サラリと左手で前髪をかきあげて、軽く首を
振って髪を整える。
「ま、折角のプライベート温泉だからな。ゆっくりしようぜ、久々に」
グッと吾郎の襟ぐりを握った手に力を込めると、諦めたように吾郎がわざとらしい
溜息を洩らした。
「なんかさ・・・・二人って言うの、照れるよね」
ちょうど人一人分の感覚を空けて隣同士に並んだ吾郎が、手でお湯を掬い上げては
指の間から零れ落ちていく様をボンヤリと見詰めて呟く。
「そうか?ま、普段は大人数だからな」
つっても5人だけど。
旅館の庭にも桜の木があるらしく、そこはかとした風に踊るようにはらり・・・と
花びらが舞い落ちてくる。
「雪の季節もいいけどさ、こんな風にして花びらを浮かべた温泉って言うのも
なかなか風流だよね」
嬉しそうにその花びらを手の平で掬って。
遠くの方から聞こえてくるやたら調子っぱずれなカラオケが、多少、耳障り
ではあるけれど。
まぁ、それはそれで妙にリアリティーがあって。
そういうんでもねぇと、なんかここが現実の世界だって気がしなくなっちまい
そうだから。
「にしても酷い音程だね」
遠慮がちに零れる吾郎の笑い声に、俺も含み笑いを洩らす。
「みんなもたまにはこんな風にのんびりする時間、あるのかな?」
独り言のように紡がれたささやかな呟き。
「まぁ、それなりに自分らでガソリン補給してんだろ」
「ハイオクですか?レギュラーですか?って?」
悪戯っぽい光りがともって、吾郎の瞳に輝きが増す。
「バーカ」
そんな吾郎の頭に軽く平手をかまして。
風呂上がりに軽くビールをあおって、それぞれ布団に入り。
暑くもなく寒くもない程よいぬくもりに、あっと言う間に睡魔に囚われて行く。
「・・・・・木村くん・・・・・木村くん・・・・・起きて」
ごく、軽く肩を揺すられて、薄く目を開ける。
辺りはまだ薄暗い。
「・・・・んだよ、こんな時間に・・・・もう少し、寝かせろって」
俺は布団を引っ被って、体を丸める。
「木村くん!木村くん、起きて!」
今度はさっきよりもはっきりと大きく体を揺すられる。
「だからっ!まだ、夜明け前だろーがっ!!寝かせろ!ロケじゃねぇんだからっ!!」
がばりっ!!と布団を跳ね除け、勢い良く体を起こすと同時に吾郎を怒鳴りつける。
「今から行こう!お花見!」
めげる事を知らない吾郎は、俺の声なんかてんで耳に入ってねぇみたいに、
朝とは思えねぇテンションでそう、誘いかけて来る。
「はぁっ?!」
寝惚けてんのか?!
こんな薄暗い中で花見して楽しいのかよ?!
「お花見!」
同じ言葉を繰り返す吾郎はすっかりお出かけスタイルが整っている。
・・・・こいつ、いつの間に・・・・・
しっかし、遠足に行く小学生じゃねぇんだから。
早朝、弁当作りに勤しんでる母親のそばをうろつく子供じゃねぇんだから。
「・・・・・・・・・・・」
そう思いはしたが・・・・・
俺を覗き込む吾郎の顔が半端でなく煌いていて・・・・
これは何かあるんだろう・・・と。
吾郎がこんな時間からわざわざ俺を誘い出す理由が、何かあるんだろうと予測が
ついて。
俺はくっつきたがる瞼を叱責し、出掛ける仕度を整えた。
まだ、薄曇りの夜の名残を残す空をバックに、その桜はそびえ立っていた。
数メートル上から降り注いで来るような、桜の花。
「滝桜って言うんだって」
辺りの薄墨色をまとったようなモノクロの桜は確かに、頭の上から桜の花が
滝のように降ってくるようだった。
「本当に桜が滝みたいに見えるよね」
見事だった。
圧倒される。
ただの木のはずなのに、何かが宿っているような存在感。
「樹齢1000年とも言われてるらしいよ。人間なんてせいぜい生きられても
100年ぐらいじゃない。その10倍は生きてるんだもんねぇ。ずっとこの場所で
色んなモノを見続けて来てるんだよね」
何かに囚われたような吾郎の声。
こういう時の透明感に満ちた吾郎の表情と、存在を殊更主張する事なく紡がれる
声に、俺は酷く心を動かされる。
満たされるって言うか・・・・
「自然の前では俺達、人間ってちっぽけで無力だなぁって・・・・」
しみじみ呟かれたそんなセリフの後に
「この前もさ、東海地震が起きたら東京はどうなるかってシュミレーションを
テレビでやってたんだけどね」
と続く。
凄く現実離れした幻想的な事をのたまってんのかと思いきや、いきなり、テレビの
チャンネルを切り替えるように、酷く現実的な話を持ち出して来る。
こいつの脳の中身は一体、どうなってんのかねぇ?
ふと、頭をもたげる疑問に俺は僅かな苦笑を洩らし。
「これだけ科学が発達しても、未だに地震の予知すら正確には出来ないんだよ。
やっぱり、自然って偉大だよねぇ。人間はさ、もっと自然に敬意を払うべき
だと思うよね?」
同意を求められて俺は曖昧に頷き。
段々と空が白み始め、色のなかった世界に色が灯り始める。
薄墨色を纏っていた桜が、段々、頬を染めるように淡い薄桃色に染まって行き。
やがてそれは太陽の光というライトを浴びて、見事なまでの鮮やかさに彩られる。
普通に昼間に見れば、淡い優しい色調のそれが、悪魔によってかけられた魔法
から解き放たれるように、まるで、凍った時間(とき)が流れ出すように、色の
なかった世界から色を取り戻して行く事によって、それまで意識した事の
なかった色に染まって行くように感じられて。
「俺、去年、舞台やってたからお花見出来ず仕舞いでさ。折角、日本っていう
四季の巡る国に住んでいながら、そういうの、凄く勿体無いなぁって思って。
仕事だから仕方ないんだけどさ。そういうのを感じる余裕すらなかったって
事が少し、悔しくてさ。今年は絶対にいいお花見するぞぉって思ってたから」
新しい光に彩られた吾郎の綺麗な横顔を見るとはなしに眺めて。
「一人でも良かったんだけど。誰かと分かち合いたいじゃない。嬉しい事も
そうでない事も。感動、とかもさ。ハルのセリフじゃないけどさ」
まるで俺が見詰めている事を承知していたように、きちんと俺に視線を合わせて
吾郎が鮮やかに笑う。
「朝、早くに叩き起こしちゃってごめんね」
旅館に向かい掛ける道すがら、軽く下げた吾郎の頭をグイッと押えて。
「つまんねぇ事言うな。余韻が消えてくだろうが」
俺は口端に笑いを浮かべた。
「今から帰ればさ、家族の人と一緒に過ごせるでしょ、オフ」
そのセリフに唖然とする。
まだ、気にしてたのかよ。
「んじゃ、もうひとっ風呂浴びて、朝飯食ったら帰るとすっか」
「俺、入らないからねっ!!」
すかさず返された吾郎の言葉を鼻で笑い飛ばして。
「俺がここまで付き合ってやったんだから、お前も付き合え」
ジタバタともがく吾郎の襟ぐりを掴み、俺は大股で旅館へと急いだ。
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