「あぁ、木村くん?」
聞き慣れた声がそう問いかけて来たのは、ちょっと、変な時間に
掛かってきた電話からだった。
P.M.8:00過ぎ。
夕飯を済ませ、子供と一緒にテレビを見ていた時に携帯に掛かった電話で、
目で「誰?」と聞いてくる子供達に「ごろう」と口パクで答え、俺は
ソファから立ち上がり、寝室へと向かいかける。
「突然なんだけどさ、木村くんちの犬、元気?」
「は?」
吾郎が発した問いは確かに全く、突然の突拍子もないもので、それ以前に
普通は口にするであろう「今、ちょっといいかな?」とか「忙しい?」とか
いうような極当り前の挨拶代わりの質問すらない事に俺は唖然としつつ。
当然のように答えに詰まる。
「木村くんちの犬、元気かなぁ・・・って」
吾郎は再び同じ問いを口にする。
「元気だけどよ。それがどうかしたか?」
寝室に入りベッドに腰掛けて、俺はサイドテーブルの煙草に手を伸ばす。
「犬って可愛いかな?」
人の質問なんか全然、聞いてねぇらしい吾郎は、また、次の質問を繰り出して
来る。
「そりゃ、お前。可愛いぞ。ま、育て方にもよるけど、キチンと躾てやれば
凄く賢いしな。大切にしてやればやっただけ返してくれるっつーの?恩を
感じる事が出来る生き物だしな。人間と通い合う事が出来るっつーか。刑事犬
カールとか、名犬ラッシーとか忠犬ハチ公とか、色々、ドラマの主人公にも
なったりしてっし」
煙草を吸おうと指に挟んだものの、俺はそれを口元に持って行く事すらせず、
喋る。
「いや、忠犬ハチ公はドラマじゃないでしょ」
律儀にしょーもない突っ込みを入れてくる吾郎を無視し、俺は更に言葉を
続けた。
「盲導犬とか介護犬とか・・・・最近はお年寄りのボケ防止とか、癒しのために
飼われたりだとかもし始めてるしな。お前、知ってる?戦時中な、敵の罠だとかを
見破ったりだとか、危険を察知するために軍用犬が訓練受けて、最前線で
凄い活躍したとかいう話。麻薬捜査とかそういうのでも役に立ってるじゃん。
って、そういう特別な犬でなくてもよぉ、やっぱ、可愛いんだわ、犬って」
延々と喋り続ける俺の声を遮る事なく、吾郎はずっと黙って聞いている。
俺に犬を語らせるなよ。熱くなっちまうだろーが。
「木村くんて子供の頃から、犬、好きなんだよね?」
「おう」
そうして、漸く、唇に煙草を挟み、電話を左手に持ち替えて、右手でライターを
弾き、間もなく紫煙がゆるく上へ立ち上って行く。
「木村くんも犬に何か話かけたりするの?」
って・・・その質問に答えろってか?
一瞬、煙草の煙にむせそうになりながら。
そりゃ・・・・しねぇ事もねぇけど・・・・
疲れてる時とか、悔しい時とか・・・寂しい時とかよぉ・・・自分で自分が
許せない時とか・・・・グチとか・・・・
やっぱ、どんなに親しくても、人には話せない事ってあるじゃん。
弱み、見せたくねぇ、とか、人に聞かせてあんましいい話じゃねぇ時とか・・・
声には出さなくても・・・こう・・・エサやってるフリとかしながら・・・・
頭、撫でたりして・・・・心ン中で洩らす本音、とか、そういうのあるだろ。
俺はゆっくりと煙草の煙を吐き出す。
そんな俺の内心の声がまるで聞こえてるみたいな、グッドタイミングで
「そういう時って犬って何かしてくれる?リアクションとか・・・・」
吾郎が問いかけてくる。
「何にもしなくても聞いてくれるだけで救われるっていうか・・・・癒されん
だよ」
思わず力説してしまった俺に
「・・・・うん」
と圧倒されるように吾郎が言葉を飲み込む。
「・・・・木村くんて、時々ビックリするぐらい悪運強い時、あるじゃん」
そして、当然のようにまた、不意に話が変わり。
「悪運って何だよ」
一応、一言突っ込んでやると
「・・・・強運っていうかさ」
と言い直して。
何事かに囚われているらしい吾郎の声が、けれど、心地よく鼓膜を刺激する。
こういう時の吾郎の声って、なんか・・・イイ。
「護られてるんだよね、きっと」
「何に?」
「犬の霊に」
「はぁっ?!」
思わず間抜けな声を上げてしまった。
なんなんだ、一体・・・・・
「・・・・俺も犬、飼おっかな・・・・・」
完全に独り言の呟き。
今、この瞬間に吾郎は俺と電話で会話してる、なんて事は、綺麗さっぱり
意識の中からぶっ飛んでると踏んで、まず、間違いねぇな。
そういう吾郎には慣れてっから、今更、驚いたりだとか苦情を申し立てたり
だとかはしねぇけど・・・・
頼むからなるべく早くこっちの世界に帰って来てくれ・・・・
「大体さ、どうしてネコじゃダメなんだよ?そりゃさ・・・ネコっていつも
犬と比べられてさ、気まぐれだとか捉え所がない、とかさ・・・あんまり
いい評価はないけどさ・・・・化け猫だとか怪談の主役になったりも
したりしてさ・・・・何だか、扱い、酷くない?あんなに綺麗好きな
動物ってそんなには居ないのに。全身、自分でちゃーんとケアするんだし。
人の手なんて煩わせないんだからね。犬なんかさ、ちゃんとシャンプー
とかブラッシングとかしてやらないと、自分のケアすら出来ないのにさ・・・
ネコの何がいけないんだよ!」
ひとしきりグチめいたセリフを吐いて、仕舞いには逆切れし始めた吾郎に
さすがの俺も勘弁してくれぇ・・・・な、心境になり。
「誰もネコが悪ぃなんて言ってねぇだろ!!」
ちゃんと吾郎の脳まで届くように、わざとデカイ声を張り上げる。
「え?」
一声上げた吾郎の意識は確かに電話口に戻って来たようなので、俺はホッと
胸を撫で下ろした。
「お前、今、どこ?」
そして、俺は極めて現実に促した質問を投げる。
「・・・え?」
再び吾郎は、一瞬、答えに詰まり
「車の中・・・・」
とある意味、凄く端的に分かりやすく、けれど、実際には全然、意味のない返事を
返して来たりする。
「運転中かよ?!」
思わず突っ込んだ俺に
「そんな危ない事、するはずないでしょ。仕事の帰り。マネージャーさんが
運転してるよ」
呆れたように返してくる吾郎に、正直な所、内心で多少、むかついたりもしつつ、
言葉に詰まる俺に
「突然、ごめんね。お邪魔しました」
と吾郎は言葉を紡いで、そして、また、突然、電話が切れた。
「え?!あ、おいっ!!」
電話口に叫んでみても、ツーツーと虚しい電子音が耳元に繰り返されるだけ。
一体・・・なんだったんだ?今のは・・・・
掛け直して問い質すべきなのかどうか・・・・俺はタップリ数十秒は携帯を
見詰め、諦めて溜息をつき、煙草を灰皿に押しつけた。
「吾郎、お前、今日、この後、何か予定、あんの?」
凄く珍しい事に、ほとんどの収録が一発OKで決まったスマスマ収録後の、
楽屋前の廊下で木村くんに肩を掴まれた。
「今日?別に何もないけど」
大体さ、スマスマ収録日に他に何の予定を入れるっていうんだよ、何時に
なるか分からないのにさ。
とは思いつつ・・・・
「んじゃ、ちょっとこれから俺に付き合わねぇ?」
「何?お酒?」
そう言えばここの所忙しくて、一緒にお酒飲んだりだとか、遊んだりだとか、
もう随分してないよね、そんな事を思いながら。
俺は木村くんの突然の誘いに、案外、興味をそそられている。
それにしても・・・・いつも、ほんと、突然だよね、とは思うんだけど。
ま、お互い忙しいから仕方ないか。
予定もあってないようなものだしね。
今日みたいなケースはほんとに1年に一日あるかないかの、貴重な日と言っても
過言じゃないと思うし。
「いや、酒じゃねぇ」
とか答えながら、木村くんの目に何か企んでいそうな、ちょっと見、いやーな
色が浮かんでいる。
何か・・・・ヤな予感・・・・
「どこ?何?」
重ねて質問しても木村くんはちょっと笑って見せるだけ。
「帰りは送って行ってやるから」
そう言われて俺は、木村くんの車の助手席のシートに体を預けている。
木村くんはご機嫌でCDから流れる曲に合わせて、ちょっと鼻歌なんか歌いながら、
通い慣れた道を走るように、迷いなくハンドルを切って行く。
そうして、車を止めた所は、とある大型ショッピングセンターの立体駐車場。
こんな時間に・・・・ってちょうど午後10時を回ったぐらい。
それでも、最近はそんな時間でも開いてるんだね、ショッピングセンターって。
段々、コンビニ化していくね、色んな場所がさ・・・・
そんな事を思いながら、木村くんに促されて俺は車を降りる。
駐車場からエレベーターに乗り、目的の階で降りて・・・・
俺はただ、黙って木村くんの後をついて行く。
店内はとてもそんな時間とは想像が出来ないほど明るくて(当り前だけど)、
なんだか、時間の感覚が狂って行きそうな、妙な感覚に襲われながら、辺りの
店にキョロキョロと視線を飛ばしつつ・・・・
「あ、CDショップ・・・ちょっと覗いてもいい?」
「ダメ。お前、見出すとなげーから」
「じゃあさ、本屋は?」
「ダメ」
「それじゃあ・・・・」
「ダメ」
「・・・・まだ、何も言ってないじゃん」
「とにかく目的の店に着くまでは全部、ダメ」
「あ、花屋・・・・」
「いい加減にしねぇと・・・・!!」
振り向いた木村くんの目が本気で怒っていて、俺は肩を竦める。
それにしても・・・・外から見る範囲でもかなり広いと思ったけど・・・
中は本当に広いよねぇ・・・・
・・・・で、木村くんは何屋さんを目指してるの?
訳が分からずについて行くっていうのは、思いの外、疲れるんだよね・・・・
「ね?喉、乾かない?」
軽食屋さんが目に入る。
そう言えば・・・お弁当食べてから、結構、時間、経つよね・・・・
少し、お腹も空いたかな・・・・
「別に」
愛想のない木村くんの声。
「お腹、空かない?」
「別に」
少しだけ怒りを含んだ木村くんの声。
そして・・・・俺の溜息・・・・・
「着いたぞ」
足を止めて俺を振り返った木村くんの目がキラリと・・・・少しだけ中居くんに
似た光を放って(それは俺にとっては余り、いい印象があるとは言い難い・・・)
俺を捉える。
言われた先の店に俺は視線を流し・・・・文字通り唖然とした。
木村くんが足を止めて「着いた」と宣言した店は『ペットショップ RINRIN』。
ちょっと、妙なネーミングのその店は・・・まぁ、ペットショップ独特の
匂いが少し鼻につく・・・・普通の店で。
どうして、わざわざ木村くんがあらゆる俺の欲求を無視し続けて、ここに
連れて来たがったのか、イマイチ、よく分からない。
「どうして・・・・?」
木村くんに視線を合わせ、俺は顔の筋肉を動かしてニッコリと笑顔を作って
見せる。
意識的に作る笑顔なんてお手のもので、別に嬉しくて笑ってる訳じゃなく・・・
むしろ、逆かな、心境としては。
だから、当然、目が笑うはずはなくて。
木村くんがそんな俺の笑顔に素早く反応して、俺と同じく笑顔を返して来る。
「だって、お前、この前、電話して来たじゃん。犬、飼おうかなって」
「え?」
・・・・・そんな電話、したかな?
「いつ?」
「1週間ぐらい前。ネコの何がいけないんだよ!!って叫び出した時には、
マジ、やべぇ・・・って思ったけどな」
はっきり苦笑している木村くんの顔を見て・・・・
そう言われれば・・・・そんなセリフを口にした記憶が蘇る。
木村くんに電話でそう言ったのか、俺・・・・
なんて、今更確認してると知ったら、木村くんはやっぱし、怒るだろうねぇ・・・・
「ほら、選べ。どいつがいい?どいつも可愛いけど・・・飼い易い犬種が
いいな、最初は。お前んち・・・マンションでしかもネコもいるからなぁ・・・
おとなしくて、あんまし人見知りしねぇヤツがいいよな」
木村くんは俺の肩をグイグイ押しながら、犬のケージの前であれやこれやと、
その犬の性格だとか特徴だとかの薀蓄を語ってくれる。
・・・・・えっと・・・・・
本気・・・・なのかな?
俺、犬なんか飼う気ないって言ったら・・・・・怒る?
・・・・・・・どうしよう・・・・・・・
俺は恐る恐る木村くんの横顔を覗き見つつ、酷く深刻に考え込んでしまった。
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