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『 シンデレラ 』
「シンデレラって幸せだったのかな」
女のコって、どうして突然、前後と何ら脈絡のない事を、何の前触れもなく、
口にするんだろう・・・・・
ボク達はそれまで多分、何か他愛ない話をしていたんだろうと思うんだけど、
何を話していたかなんて、吹っ飛ぶくらい、その問いは唐突だった。
クレアがその問いを口にした時、ボクは牧場の柵に腰掛けていて、
クレアは手にしていた鍬を地面に立てて、やや上体を前に傾け、柄の上に
両手を重ね合わせて乗せ、更にその上に顎を乗せている。
とても、不安定な態勢であること、この上ないけど、器用にバランスを
保っている。
「・・・・・さぁ・・・・・・」
何か言わないといけないか、と思って出た言葉はそれだった。
けれど、クレアは特にボクの意見を待っていたわけではなかったらしい。
すぐにまた、言葉を紡ぎ始めた。
「価値観も環境も何もかも違う所へ、王子がどんな人間かも分からずに、
自分がどんな人生を歩んで来たかも知られないまま、未知の世界へ
嫁いで、本当に幸せになれたのかな?」
「あれはフィクションだからさ・・・・・」
取り敢えず、前置きをして
「実際にはさ、イギリスのチャールズ皇太子の所にダイアナ妃が嫁いだ
じゃない?民間人からさ。あれ、チャールズ皇太子が一目惚れしたんだよね。
日本でも皇太子妃も、秋篠宮妃も民間人だよね。けど、ダイアナ妃は
あまり幸せじゃなかったんじゃないのかな?悲劇的な最期だったし。
そういう点から言うと、一目惚れで見初められて結婚するのは、ちょっと
危ないかもね。デヴィ夫人とか・・・・他にも、そういう例、あるよね」
ボクは極めて現実に則した話しをした。
すると、クレアは露骨に顔をしかめて
「クリフって、時々、すっごくどうでもいいこと、知ってるわよね」
と苦々しげに呟く。
せっかく、真面目に答えたのにさ・・・・・
クレアの反応に心持ち挫ける。
「で?どうして急にシンデレラ、なの?」
不意に思い当たって尋ねてみた。
「なんとなく、よ。なんとなく。幸せに暮らしましたって終わってるけど、
本当に幸せになれたのかな、って」
クレアは相変わらず、鍬の柄に重ねた手の上に顎を乗せたまま、目だけを
動かして、空を見上げた。
その視線の先には、小鳥が2羽、仲良く連れ立って飛んでいる。
つがいだろうか・・・・
近付き、ついと離れ、また、近付きつつ、飛んで行く。
ちょっと見にはじゃれ合っているようだ。
「ボクはさ・・・・・・」
クレアのその問いかけの先にある気持ちが、何なのかは分からないけれど。
「今、こうしてクレアと二人で居ることが幸せだけどさ」
その言葉にクレアの蒼い瞳に、カチリ、と鋭い色が浮かんだ。
けれど、ボクは構わず続ける。
「つまり、人が幸せを感じるのって、人、それぞれでしょ。例え、環境が違っても
価値観が違っても、幸せになれる時って言うか・・・・幸せになれる人は居ると
思うよ、多分。相手の人の事、何もかも分かってて結婚する人なんて居ないでしょ」
「・・・・・あんたは・・・・」
クレアは悔しそうに唇を噛み締め、暫く、ボクを睨みつけていた。
ついーっと風が吹いて、緑の絨毯を敷き詰めたような牧草地が、気持ち良さそうに
体を揺すっている。
さーーーーーっと、耳に届く海鳴りにも似た音が心地よくて、何もない事が
案外、幸せなんだよね、なんて思う。
ドラマチックな出会いなんてなくたって、ただ、なんとなく過ぎて行くような
毎日だって、だから、幸せなんじゃないかって。
だから・・・・・
クレアがこの後、どういう言葉を紡ぐのか、本当は酷く気になって、心臓が
まるで、頭の中にあるみたいに、ドキドキしてどうにかなりそうなこととか、
口の中がカラカラに渇くほど、緊張してることだとか・・・・・
そういうことから、少しだけ解きほぐされる気がした。
「あんたのそういうこと、好きなれそうにないわ」
勝ち誇ったように、悪戯っ子のように、切りつけるように、クレアは言った。
・・・・・・・・やっぱり、ね・・・・・・
全く想像していなかったわけじゃなかったから・・・・・・
けれど・・・・
それでも・・・・
・・・・・・・・やっぱり、痛い。
痛くて・・・・・けど、少しくらいはプライドもあって・・・・・
痛がってる所をクレアに見られるのは癪で。
ボクは柵に腰かけたまま、ふわり、と背を反らせた。
視界が流れて、風を含んだ前髪がふわっと浮いて、後ろへ流れる。
もちろん、手でしっかり柵は掴んでたけど。
「危ないっ!!」
悲鳴のようなクレアの声に驚いて、反らせた体を戻す。
と同時にクレアの顔が視界に飛び込んで来る。
強張って、酷く緊張した顔。
血の気が引いて、白い。
「びっくりするじゃない・・・・・」
声は少しだけ震えていて。
少しだけ掠れていて。
もし、落ちたとしても打撲程度で済みそうな高さだけど・・・・・
クレアが余りにも驚いたことに、ボクの方が驚く。
「ごめん」
少しだけ納得いかなかったけれど、驚かせてしまったみたいだから。
「帰るよ。返事も聞けたしさ」
わざと弾みをつけて柵から飛び降りる。
「え?」
「さっきのが、答え、だよね。プロポーズの」
そう。
ボクは何日か前にクレアにプロポーズしていて、クレアのその時の返事は
『しばらく、考えさせて』だった。
シンデレラが幸せになれたかどうか・・・・
それは、自分が幸せになれるかどうか、迷ってるって事なんだろう、多分。
ボク達はお互いに色んなものを背負っていて、それを理解し合うには、まだ、
知り合ってから日が浅くて・・・・・・
けれど、ボクは、ボクを過去から解き放ってくれた彼女に、とても感謝していたし、
彼女のボクに対する諸々のアプローチは、彼女の愛情のなせる技なんだと、
自惚れではなく確かにそう確信していた。
そして、何より彼女がそこに居てくれることでもたらされる温かい想いや、
自然に湧き上がってくる愛しい気持ちとか。
他のヤツに向けられる綺麗な微笑みに、胸をかきむしられるような痛みだとか。
いつもそばに居たくて。
いつもボクだけを見ていて欲しくて。
だから、プロポーズしたんだけどね。
「ちょ、ちょっと待ってよ!!」
慌てたような声がボクの背中を追って来る。
待ってと言われても・・・・
待ちたくない気分なんだけどな。
僅かに躊躇して、仕方なく足を止める。
すぐ後ろでクレアが息をつく気配を感じる。
「私、まだ返事なんてしてないけど」
硬い声だった。
顔を見ていないから、彼女が今、どんな表情をしているのか、読み取れない
けれど。
「私、まだ返事なんてしてないじゃない?」
「だってさ・・・・・」
振り返って彼女と視線がぶつかる。
「だってさ・・・・・言ったじゃない、さっき。『好きになれそうにない』って」
彼女は困ったように笑っている。
「そうよ。プロポーズした相手に向かって、幸せは人の感じ方次第だ、とか。
全部分かってて結婚する人はいない、だとか。そういうこと、冷静に語れる
あんたのそういう所は、多分、一生、好きになれそうにないと思うわ」
丁寧にわざわざ、念を押してくれる。
トドメを刺しに来た訳?
「でも、それがクリフの全てじゃないじゃない」
彼女の瞳が不意に柔らかい、温かい色に染まる。
「優柔不断かと思えるような優しさも、意外におこちゃまな所も、色んなものに
押し潰されそうになっていじけてる所も、そういうものをちゃんと自分の中で
受け止めて、消化して、そして、笑って見せる所とか・・・・私のことをとても
大切に想ってくれていることとか・・・・・色んな顔があって、それが全部
クリフで、好きな所も嫌いな所もひっくるめて・・・・・」
彼女の口から紡ぎ出される言葉達が、ボクの中に満ちていく。
決して優しい言葉ばかりではないけれど・・・・
甘い言葉でもないけれど・・・・・
でも、その言葉達は確かな温度を持って、ボクの心を温かく満たしていく。
「私にとっては、とても、大切。・・・・・愛してる」
耳までが赤く染まって・・・・
クレアは足元に視線を落としてしまっている。
ボクは・・・・・
突然、思ってもみなかった相手から告白された時のように、ちょっと、ボーッと
してしまって。
正直、クレアの口からそんな言葉が聞けるなんて、想像したこともなくて。
「ありがと・・・・・」
何かもっと気の効いた言葉を言ってあげたかったけれど、何も思いつかなくて。
「えっと・・・・それってOKってこと、だよね?」
ボクのその言葉にクレアは、グイッと顔を上げて、
「ここでそれをわざわざ確認する所も、嫌い」
軽くボクを睨んで見せたけれど、すぐにぷっ、と吹き出した。
「幸せにしてね?」
「もちろん。最初からそのつもりだよ、ボク」
二人の間を白い蝶がヒラヒラと舞いながら過ぎて行く。
空はどこまでも青く澄んで。
雲は白く、ゆったりと流れていて。
風が優しい匂いを運んで来る。
ボク達はきっと幸せになれる。
だって、今日はこんなにいい天気。
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