『 ことば 』
「ク〜リ〜フ〜く〜ん♪」
1日の仕事を終えて、貯蔵庫から出て来た所を、後ろから呼び止められる。
幼い子供がするような、ちょっと、リズムをつけた呼び方。
ふざけているようにも受け取れなくもない・・・・・
ボクは振り返って声の主を確かめる。
「・・・・クレア・・・・さん・・・」
真っ赤な夕日をバックに、金色の髪が吹いて来た風に微かに揺れて煌く。
ボクは・・・・
夕日の眩しさに目を細めて・・・・
本当は・・・心の中では、もっと、別のモノに目を奪われていて、
それが眩しくて・・・・目を細めたのかも知れない。
心臓が一瞬、時を刻むのを止(や)めて、そして、いつもより少し早いテンポで
鼓動を打ち始める。
「今日はもうおしまいなの?」
近付いて来るわけでもなく、一定の距離を保ったまま。
両手を背中に回して、少しだけ首を傾ける。
長い髪がサラサラ・・・と静かに流れて・・・・
「うん」
ボクも立ち止まったまま。
すると、彼女はトコトコと弾むような足取りで近付いて来て、ニッコリ
笑ってボクの顔を覗き込む。
「明日はお休みなんでしょ?」
綺麗な笑顔がボクの心を捕らえる。
嬉しい・・・・
でも・・・・嬉しくない・・・・
彼女のその笑顔には特別な意味なんてないから。
その笑顔に特別な意味を求めるのはボクのワガママだから・・・・
「・・・・うん」
「じゃあ、紅葉狩り、行こう?」
「紅葉狩り?」
「うん。マザーズヒルの紅葉がすっごく綺麗だから」
「・・・あぁ・・・・」
言われて初めて、そう言えば、そんな季節なんだなって気付く。
「・・・・ダメ、かな?」
ボクのテンションが全然、上がらない事が気になるのか、彼女は普段は
めったに見せない、不安げな顔をしてみせた。
もっとも、元々、そんなにテンションの上がるタイプでもないけどね、ボクは。
誘ってくれる気持ちは嬉しいし・・・・
でも、どうせお花見の時と同じで町の人みんなに声を掛けているんだろうし。
でなきゃ、彼女がボクを誘う理由なんてないし。
そして・・・・だったらボクは正直な所は、明日は1日、宿屋でゆっくりして
いたい、とも思っていて。
人の大勢集まる所は嫌いじゃないけど、なんとなく苦手だし。
本を読んだり、何も考えずにボーッとしていた方が気楽だし。
考え込んでしまったボクに彼女は不意に明るく笑って
「ね?行こ!!」
ボクの腕を取って、軽く引っ張る。
彼女の手が触れている部分だけが熱を帯びている気がする。
ちょっと、彼女が触れただけなのに、ボクの心臓は信じられない早さで
脈打って、まるで、体全身が心臓になったみたいだった。
「・・・・あ、うん・・・・」
そして、ボクは結局、肯いている。
フワリと花が咲いたように、彼女の顔に笑みが零れた。
さっき話し掛けられてから、彼女はたまに少し表情を曇らせる以外は笑って
いたと思っていたけれど、今の笑顔は、本当に零れてくる・・・って
感じの笑顔だった。
それまでの笑顔が作り物だとは思わないけど・・・・
今のこの零れるような笑みが笑顔、だとすれば、今までのは、スマイルって
言う感じって言うか・・・・
って、自分でもだんだんよく分からなくなって来る。
「明日、10時頃、牧場まで来てくれる?」
そう言う彼女はとても嬉しそう。
「うん」
そんな彼女の笑顔は、やっぱり、少しだけボクの心を温かくしてくれた。
特別な意味なんてなくてもいいか・・・
なんて呟いてる自分が居る。
「じゃぁ、明日ね」
彼女は小さく手を振って、牧場へ戻って行った。
ボクも・・・・
彼女に背を向けて、教会に向かって歩き出す。
「嬉しい事がありましたか?」
もう、ほとんどボクの指定席になりつつあるいつもの席でお祈りを捧げて
いると、いつの間にかカーターさんがボクの目の前に居て、ボクを覗き込んで
いた。
カーターさんのいつも穏やかでこの世にある事を全て、あるがまま受け入れる
ような、包み込むような温かさが、ボクは好きだった。
そのくせ、ちょっととぼけてて、時たま、牧師らしくない言動をする事も
あるんだけど、そういう所もなんだか逆に人間ぽくて・・・・
今日のカーターさんも、悪戯っぽい顔で、ボクをジッと見ている。
「分かりますか?」
ちょっと不思議だった。
ボクはそんなに露骨に顔に出る方でもなかったと思うけど。
嬉しい時も、その逆の時も。
「纏っている空気が違いますから。表情や態度に出なくても、伝わる事も
あるものですよ」
カーターさんはほわわん・・・と捉え所のない笑みを洩らす。
「でも・・・・やっぱり、人の気持ちと言うのは、言葉にしないと相手に
伝わらない事の方が多いですし、人間は言葉を使わなければ、お互いを
正しく理解する事が出来なくなりつつありますけどね・・・・」
・・・・それは、つまり・・・・
遠回しにもっと町の人達と積極的に会話しなさい・・・・と言ってるのかな。
「自分を理解してもらえなくてもいい、と言うのは、相手を理解したくない、
と言っているのと同じ。そう思いませんか、クリフ?」
・・・・これは完璧にお説教・・・のような気がする・・・・
分かってます、カーターさん。
ボクは自分を理解して貰いたくない、と思っている訳じゃないし、相手の人を
理解したくないと思っている訳でもありません・・・・
でも・・・・
まだ、今は・・・・
ボクは黙ったまま、手を胸の前で組むと、また、静かに目を伏せた。
翌日、朝10時。
ボクは牧場の入り口に立っていた。
時間ちょうどに来たつもりだったのに、まだ、誰も居ない・・・・
おかしいな。時間、間違えたかな?
それとも場所?
10時に牧場って確か、クレアさんは言ってたと思うけど・・・・
「あれ?クリフくん?!」
鶏小屋から出て来たクレアさんは牧場の入り口に突っ立っているボクを
目ざとく見つけると、ちょっとビックリしたように叫んだ。
「来てたんなら、声、掛けてくれれば良かったのに」
そう言って笑いながら、走って来る。
「もう、10時?」
そして、ボクのすぐそばまで来て立ち止まり、ちょっとだけ息を弾ませた。
「うん」
「そっか。じゃ、行こ!!私、お弁当、取ってくるね?」
慌てて家の中に飛び込んで行くクレアさんは、いつもより、少しテンションが
高めな気がする。
「はい、お待ちどうさま。行こっか」
クレアさんがボクの前に立って歩き出す。
え?みんなは?
・・・・先に集まってるのかな、向こうで・・・・
ボクは取り敢えずクレアさんの後ろをついて行く。
風が少し冷たくて、気持ちのいい日だった。
時折吹く風はフワリといい匂いを運んで来る。
それは、いつもボクが囲まれているブドウたちや、木の実とかとは違った、
けれど、ほんのり甘い香りだった。
「・・・クレアさんて・・・・」
「え?」
驚いたようにクレアさんがボクを振り返る。
「・・・・・ううん・・・なんでもない・・・・」
香水とか、つけるのかな・・・・ちょっと、そんな事を思って、でも、結局、
聞けなかった。
「到着〜〜〜」
嬉しそうに言って、クレアさんは足を止めると、ボクを見てニッコリ笑った。
「ね?綺麗でしょ?」
彼女に言われるまでもなく、ボクは目の前に広がる景色に柄にもなく、ちょっと
感動していたりする。
見渡す限り一面、燃えるように真っ赤だった。
自然という名のキャンバスに描き出された見事なまでの風景画。
それは到底人の手で作り出す事の出来ない、繊細さと大胆さを兼ね備えている。
圧倒的で、けれど、決して、押しつけがましくなくて・・・・
「・・・うん。綺麗だね・・・・・」
心に染み入るような光景なのに・・・・ボクの口から出る言葉は酷く平凡で、
言ってから、ちょっとだけ、切ない気持ちになる。
自然の前では言葉なんて必要ない気がする。
今のこの気持ちを言葉にしろって言われても無理だし・・・・
「ちょっと早いけど、お弁当にしよっか?」
クレアさんの声に我に帰リ、ふと、ある事に気付く。
「あの・・・・他のみんなは?」
「え?」
クレアさんはボクが何を言ってるのか分からないらしくて、不思議そうに
ボクを見ている。
「・・・・だから・・・あの・・・他の人達はいつ、来るのかなぁ・・・って」
「?クリフくん、誰か誘ったの?」
「誘ってないけど」
「私も誘ってないよ」
・・・・・え?
・・・・って・・・それって・・・・
「クリフくん、人が一杯の所って苦手って言ってた気がしたから。今日は
だから、他には誰も誘ってないよ?」
クレアさんは凄く当たり前のように普通の顔でそう言った。
・・・・それは、つまり・・・・
まるで心臓が幾つもあって、体の中で運動会でもしてるみたいだった。
頭の中が混乱してて、何も考えられない。
「・・・ごめん。私なんかとじゃ、嫌だった?」
クレアさんの表情が曇る。
「・・・・あ?ううん。そんな事ないよ。嫌じゃない」
ボクはちょっと慌てて答えた。
それでもまだクレアさんは疑っているみたいで、表情は晴れない。
「ほんとに。ビックリしただけ。クレアさんがボクだけを誘ってくれるなんて
思ってもみなかったから・・・えっと・・・ほんとは嬉しいんだ、凄く」
彼女の困ったような、少し切なそうな顔は、ボクには痛くて、苦しくて。
気がつくとボクは一生懸命、そんな事を言い募っていた。
「ほんとに?」
上目遣いに覗き込む彼女の瞳がボクを捉える。
「うん。ほんとに」
ボクは繰り返した。
「良かった・・・・迷惑だったらどうしよう・・・って。ずっと、不安だった
から・・・・・」
俯いて彼女は小さく声を洩らした。
ゆるく風が吹いて、辺りの木々がサワサワ・・・・と心地よい音を立てる。
風に舞った紅葉がひとひら、湖水に落ちて波紋を刻む。
「急にこんな事言ったら、クリフくん、驚くかも知れないけど・・・・」
クレアさんは何かを決心した時のように、顔を上げてまっすぐにボクを見た。
「私、クリフくんの事が好き。だから、少しでも元気になって欲しくて・・・・
笑って欲しくて・・・・それで、今日もクリフくんの事、誘ったの」
凛として前を見詰めている彼女は、張り詰めた糸のようで、少し、痛々しくて、
でも、とても美しかった。
こんな風に鮮やかに自分の気持ちを相手に伝える事が出来る人が居る・・・・
その事にボクは素直な驚きと感動を覚える。
「・・・・・だから・・・でも・・・もし、迷惑だったら、はっきり言って。
もう、絶対に誘ったりしないから・・・・」
最後の言葉を口にした時、彼女の声が少しだけ震えた。
「ボクの言った事、聞いてなかったの?」
ボクは少しだけ笑う。
酷く緊張しているらしい彼女には申し訳ないけど、ボクはさっき、ちゃんと
言ったのに。
「ボク、さっき言ったんだよ。誘ってもらって凄く嬉しかったって」
彼女は驚いたようにボクを見る。
「ボクもクレアさんの事、好きだから」
クレアさんは、ホッとしたように全身の緊張を解いて、少しだけ笑った。
口元に持っていった手の指先が震えている。
ボクはその手を両手で包みそっと囁く。
「ありがとう・・・・先に言わせちゃって、ごめん・・・・」
フワリと彼女の髪が広がり、彼女が小さく首を横に振った。
なだらかな坂道を登ってくる最中に漂っていた甘い香りは、やはり、彼女の
匂いだったんだ・・・・
心地よく鼻孔を刺激するその柔らかい香りに誘われるように、ボクは静かに
彼女を抱き締めた。
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