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気泡の多い、部厚いガラスの灰皿が彼の目線から僅かに下へ外れたところにある。
TV局の各楽屋に置いてあるものだ。そう良い物であるわけが無い。
けれどそんなことより今彼が気にかけているのが、その灰皿を隔てた反対側に見える1人の人物だった。
黒のジャケットに白いシャツ。アーガイルのベスト。まるで学校の先生のようなこの出で立ちは
撮影用の衣装である。最近短くした髪の毛はふわふわとあまりまとまっていない。
本人曰く「黒目の多い」目を今は若干伏せぎみにして、何故か年々可愛くなっていると
巷では評判の男、稲垣吾郎がそこにいた。
「で、何でお前はここにいるわけ?」
溜息と共に言葉を吐き出したのは、ご存知我らが木村拓哉。
こちらもドラマの撮影のため、ユーズドブルーのジーンズと濃いグレイのパーカーを纏っている。
色を黒く戻し、だいぶばっさりと切った前髪の下からのぞく二重を、吾郎へ向けた。
「木村くんも撮影で今日ここにいるって聞いたから。」
吾郎にとって、理由はそれで充分らしい。
木村も別に追い返す気は最初から微塵もないので、特にそれ以上追究することも無く、吾郎に話し掛けた。
「そういえばお前、ソロ出したんだってな。なんだっけ、&(アンド)G( ジー)って書いて」
「‘アンジー’」
「そう、それ。なんで違う名前なワケ?」
「さぁ・・・・・。」
吾郎はこてんっと首をかしげながら苦笑する。
「さぁって・・・・・。」
「あ、でもね、‘アンジー’って音にはちゃんと意味があるんだよ。」
「意味?」
オウム返しに問い掛けた。
「‘アンジー’って天使っていう意味なんだって。」
「はぁ!?」
「本当は‘アンジェ’とか言うらしいんだけど。あれだよ、
日本人が‘サンタクロース’を‘サンタさん’て言うのと同じだよ。」
正しいのか正しくないのか曖昧な例えを持ち出して、腕時計を左手でいじる。
「・・・・・・・・・」
木村は言葉を失うしかない。
おいおい・・三十路の男に天使なんて意味の音つけるなよ・・・。
いや、普通の30男だったら確かに問題だが、吾郎の場合はその顔を見ていると、
なんとなしにその音が馴染んでしまう。
‘アンジー’というどこか女性的な名前も、天使という意味も。
ザ・イナガキゴロー魔術(マジック)である。・・・ちょっと違う気もする。
木村の内面で渦巻くそんな葛藤は気にもとめないというかのように、吾郎は話を続けていた。
「でね、僕、最初にそのこと知ったとき、木村君のこと思い出したんだよ。」
「俺が天使だからデスカ?」
「そんなわけないじゃない。」
「即答かよ!」
吾郎のことだから、「そうだよ。」と言われたらどうしようかとも思っていたが、
幸いにも(?)あっさりばっさり切り捨てられた。
「結構昔になるんだけど、番組の中で木村くんが僕の歌のこと「エンジェルボイス」って言ってくれた
ことがあったんだよ。忘れちゃった?それが割と嬉しくてね。だから、木村くんのこと思い出したの。」
「あー・・・・・・そんなこと言ったような気もするな・・・。」
ウソ。
本当はしっかりと覚えているが、そんなことを真顔で言っていた自分がなんだか気恥ずかしくて、
木村は答えをはぐらかした。
2人がそんな会話を交わしていると、なんともタイムリー。つけっ放しのまま
存在を黙殺されていたラジオが、己を主張するかのようにある曲を流し始めた。
&Gの『Wonderful Life』
「・・・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・・・」
木村は薄く口を開けたまま、吾郎は適当に視線を投げて、そのまま2人はラジオの方を見続けた。
この曲の、最後の音が消えるまで。
約5分間の沈黙を裂いたのは、ちょっとからかい気味に、けれど甘さをたっぷりと含ませた吾郎の声。
「ね、どう?」
「ん?あ、あぁ。うん、いい感じ。曲調とか、吾郎に合ってるんじゃねぇ?
剛のドラマの主題歌だろ?結構イイ線いくかもなー。」
「うーん・・・。」
「あーっなんかなぁ。お前このままソロになっちまったりしてなぁ。
元々団体行動とかあんま得意な方じゃねぇだろ?」
特に他意もなく言い放ったこの一言に、吾郎はぴくり、と体を動かした。
「吾郎?」
返事は、無い。それどころか目線の先が木村へ向いていないことは明らかだ。
「おい、吾郎・・・。」
もう一度呼んでみた。反応はさっきと同じ。
シカトですかー?吾郎さーん。
機嫌損ねた?怒ってんの?ヤッベェなぁ・・・。
嫌な静けさが2人の横をだらだらと流れていった。
木村は時々吾郎の方をちらりと見やるが、それに対して吾郎は何も返してこない。
気まずい時間がどれほど続いただろうか、唐突に吾郎の口が開いた。
「私は私自身の証人である。」
その言葉に木村は大きく息を吐き出し、ソファの背に体を預けながら、
「もっと繋がりのある会話しようぜ。何だよ、それ。」
さっき無視されたことに対して、わざと不機嫌そうな声を出してやった。
が、逆に吾郎は口元に笑みを浮かべる。
「サン=テグジュペリの「人間の土地」 「星の王子さま」書いた人ね。」
「ああ。」
声の調子は普段どおりに戻っていた。
「作者のこの彼は、長い間郵便飛行機の操縦士をやってきた人なんだ。
彼の言っていることも確かに一理あるけど・・・。」
「吾郎は違うんだ?」
と、木村。
「それでお前の証人は?」
吾郎は前髪をちょっと触りながら、やっと木村の方へ体の角度を変える。
普段そうまじまじと見ることの少ない漆色の瞳とまともにぶつかり、思わずたじろぐ。
「僕の証人は木村くん。もちろん剛も慎吾も中居くんも。僕の証人なんだよ。
みんなが居てくれて、それで僕はSMAPとして自分を認められる。
前にも言ったかな、SMAPは僕自身でね。だから僕は、みんなが居ないと自分が証明できなくなる。
1人になんかならないよ。なれないよ。」
再び2人の会話が途切れる。
けれどそれは不思議と不快な気はしなかった。
コンコン
硬いノックの音がして、部屋の扉が開けられる。
「木村さーん、そろそろスタジオ入りお願いしまーす。
あ、稲垣さんもいらっしゃったんですか?なんかそっちのスタッフが探してましたよ。
そちらもスタジオ入って欲しいそうです。」
「ぁ、ハイ。分かりましたー。」
「そうですか、スタッフさんにちょっと迷惑かけちゃったかな。」
2人はほとんど同時に立ち上がり、廊下に出ると吾郎は木村に対してにっこりと笑いかけた。
「大好きだよ、木村くん。友達として、人として、メンバーとして。好き。」
言いながらどこからか黒いフレームの眼鏡を取り出し、慣れた手つきでかける。
また前髪を触り、瞳が楽しそうに揺れた。
そしてそのままくるりと回り、スタジオの方へすたすた歩いていった。
木村は唖然として、ただ吾郎のハネた後頭部を見送るしかない。
「・・・・ッ・・何なんだよ・・。」
いきなり押し掛けて来て、いきなり機嫌悪くなって、
いきなり話しだして。で、いきなり告白かよ。
でも、なんつーか・・・・結構嬉しかったりして?
それから木村は撮影スタッフに、
「木村さん、何か良い事でもあったんですか?」
そう聞かれるまで、自分のニヤけた顔に気づかなかった。
グループなんて、最初は勝手に作られたものだったし。
今は個人個人でやってることの方が多いかもしれない。
それでも
俺らの中でいつのまにか出来上がった物凄く重要な‘なにか’は相変わらず存在していて。
なんて言ったらいいのか分からないけどまぁ多分、俺らにとっては当たり前のことでして。
これが俺らの常識なんです。
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