今、俺は滅多にない体験をしている。車検に出した車のせいで電車に乗っているんだが、
滅多にない体験、というのはそれではなく、俺の隣に途中から乗って来た吾郎がいると
いうこのシチュだ。俺とこいつが真っ昼間から電車にのるなんざ、天地がひっくり
返らないとない、くらいの確率だ。彼は事故を起こしてからというもの、謹慎が解けても
なお車に乗らない、という話を小耳に挟んではいたが、へえ、本当だったのかよ。まあ
律儀で、偉いじゃねえか。俺もあのときは大変な思いをしたが、こうして吾郎も戻って
来れたし、そろそろあのことは忘れ出している。
うららかな、あったかい日だ。
昼間だが、平日ということもあって車内には戸口付近で新聞を片手にパンをかじってる
サラリーマンと、汚ねえ靴を履いたおっさん(こちらは競馬新聞に夢中)と、俺らの
向かいにジジババ一組がいる位に空いている。
ジジババはこっちを見ながら二人してにこにこしている。このにこにこはスマップが
向かいの席にいるということとは関係がない気がする。老人になりたくない、というのは
若いからそう思うのであって、ジジババになるとジジババの世界に行くのだ。そこは若い
ときの世界とはまた違う世界だから、俺らにはそれがわからない。わからない世界で
向かいの席のジジババがにこにこしている。
規則正しいリズムで走る電車に俺がうとうとしている間、吾郎はずっと起きていた。気配で
わかる。あの日落としてきたものを探すように、じっと固まって目を凝らしている。大量の
光が差し込んだ車内はまぶしいくらいだ。電車は、あっちへ行ってみたいとかUターン
したいと思ってもできない不自由な乗り物。一方通行、規制の中で何かを見つけようと
してるのか?吾郎。
「いーじゃん」
薄目を開けて言葉を発してみる。
「…何?」
「……車…また乗れば」
「………」
「あんなに好きだったんだし、いいんじゃね?」
「…………」
「…………」
「うん……、」
顔がありがとうと言っている。
目が優しく、目尻までやさしく。その美しいまでの黒い瞳は俺の彼への気遣いへの感謝
だけに向けられている。それを証拠に綺麗な眉だけは困っている。
もう………、恐い、
そうつぶやいた彼の声が揺れた。
目的地まではあと2駅ある。
ジジババはまだ、にこにこしている。
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